2005年-11月

2005年1月31日(月)

寒い。頭だるい。加筆原稿をつづける。犬の場面を書きだしたら近所の犬が吠えた。それもいっせいに。日が沈んでからゆかちゃんが近所でとれた卵をもってきてくれた。卵も寒の入りのがとりわけおいしいそうです。なるほど、いわれてみればたしかに寒い。パブリッシング・リンクというところから依頼のあった、ラブレターの原稿案をかんがえる。といって、誰かに思いを打ち明けるわけではありません。「ラブレター」というテーマで、さまざまな書き手に短編を書かせ、それをまとめて本にするという企画。「爺さんが冗談で書いためちゃくちゃな恋文を、孫が勘違いして出してしまって、爺さんはあわてて必死で郵便配達を追いかける、というような話でもいいんですか」「かまいません」とのこと。なんとなく、主人公の名前だけ決めた。ウラディーミル・ザミャーチン。ほかはまたいずれ浮かぶでしょう。晩ごはんは、めとげそ豆腐、あさりの韓国風酒蒸し、ブリの照り焼き、大根おろし。しらすほうれん草。河出書房かららもさんについてのインタビュー、テープ起こし原稿がとどく。あちこちつまんだり足したり。園子さん「仕事ばかりでたいへん」といって寝る。

2005年1月30日(日)

暖かいな、と思っても、寒暖計でみるとマイナス2度。ファジー機能というより、「自分が寒がり」「暑がり」というのは「雨女」「晴れ男」みたいなただの思いこみでしかないのでは? 午前中ずっと加筆原稿。昼から、園子さんに連れられて美術館へ「山のポスター」を見にいく。山ばかり描きつづけた山岳画家の、信州の観光ポスター。山にはこういう文化がある。海にはなぜないんだろう。それからパルコのレコード屋へ。安東ウメ子さんというおばあさんの「ウポポ・サンケ」というレコードを捜したら、あったのでかえって驚いた。「しんじさんしんじさん!」と園子さんが猛然と駆けてくる。「まるいちがビデオにでてます!」「釣りバンザイとか、そういう?」「ちがいます! ロックですよ、ポパイとか、溝川さんもロックですよ!」わけがわからずみにいってみると、なるほど、ロックバンドの演奏ビデオが店先のモニターで流されています。それは、三崎の下町が舞台だった。おもいもよらない偶然。まるいちだけでない、溝川酒店、ポパイ食堂などなど、裏の商店街でなじみの場所ばかり写っている。バンドのひとたちが演奏している本瑞寺で、ぼくはるなや園子さんと除夜の鐘をついたものだ。サンボマスターというバンドの演奏ビデオです。のんちゃんとか出てこないかなと思ったけどやはり危険と判断されたのか出てこなかった。全編にわたり、三崎がとても三崎らしく映っていて感激しました。それにしても、現代の映像文化は、日常のさまざまな流れを異次元の速さでねじまげるようです。この日、三崎についておきたことが、ぼくの身にもふりかかるとは予想もしていなかった。パルコを出、すぐそばにある雑貨屋へ園子さんといった。ここで時々、ゆかちゃんが店のお手伝いをしているのです。陶芸とか彫刻とか、草木染めの絨毯などおいてあり、新潮の須貝さんもご存じのお店だった。階段をあがっていき、帽子をとります。するとお店のご主人に「今朝、テレビで見ましたよ」といわれた。この日、たまたまNHKのブックレビューの放送日だったのです。そのときぼくは、まさしくテレビの収録のときと同じ服装をしていた。帰ってお風呂。ひさしぶりにビールを飲みました。晩ごはんは青梗菜と豚肉とたまごのスープ。大根とにんじんのきんぴら。わかめの煮物。パルコで買ったU2のDVDを園子さんと見た。見ているうち、ドアベルが鳴って、ボノそっくりの、まぼろしの郵便配達夫がやってきた。

2005年1月29日(土)

これまででもいちばんというほど朝の山がきれい。薄日を受けながら加筆部分すすめる。風が強く、物干し台にだしておいた白いマットがとばされた。ふとんはふっとばされずにすんだ。やはり重いと得だ。家のまわりでミシミシと木が揺れている。夕方メイタガレイを煮付けていると、園子さんが寒風のなかを、ピカソの青の時代のような顔でかえってくる。晩ごはんは昨日のしめさば、めといか刺、大根の煮物、ゴボウとにんじんの甘いきんぴら、メイタガレイ煮付け。猫たちはカレイが辛いと文句をいった。駄洒落ではありません。煮詰めすぎて、一度水をさしたのがばれてしまった。猫舌おそるべし。夜は古いドキュメンタリーで、輪島や栃木の立派な顔のひとを見る。真夜中になってもあまり寒くないのは、もうじきものすごく寒い証拠。

2005年1月28日(金)

徐々に晴れの部分が動く。七時半過ぎるとあっという間に松本市全体は日なたになる。アルプスはもう真っ白。うつくしい稜線。自転車で丸の内病院へ。開店直後のおいしいパン屋「九星」で歓迎される。あれあれ、見たような服装だな、と思っていたら、ギイと戸をあけ、ユカちゃんがはいってきて口を丸くした。店員さんはすごくよろこび(縁起がいい、滅多にないことがあるのは縁起がいいのよ!)、これならパン、全部売れるかもしれないといっていた。女鳥羽のパン屋「九星」は、パンはほかにないくらいおいしく、ワインも数少ないけど精選されていて、紅茶はおよそ二百種類くらいあって、それぞれ簡単ににおいをみて替える。なのに、場所が地味だからかいつもお客が少ない。松本在住のかたは知っているでしょうが、「九星のかりんとう」の一階が、パン屋さんです。パン屋なのに、十時からオープンというのもどうかと思いますが、それでもいいお店なので、みなさんどうぞお運びください。ポカポカのなか自転車で丘をのぼり加筆つづける。アマゾンでフェミ・クティとマイルス・デイヴィスのライブDVD注文。午後に三崎より魚とどく。オーなんて素晴らしい日。魚をおいかけるように、高山なおみさんから料理本とどく。講談社より角田光代さんの本大量にとどく。さっさとサバをしめ、日が暮れるまで加筆。園子さん白黒映画のような表情で帰ってくる。唇をかみ、鍋底の一点を見つめながら、大根などグラグラと煮はじめる。おそれをなし風呂へ。あがってごはん支度。サザエ壺焼き、しめさば、めといか刺。園子さんの大根、あぶらげ、にんじんの炊いたのすごく美味しい。さすがですねというとフフと笑った。それはいかやサバ、そしてなによりサザエとの連携プレイのおかげ。そのままこたつに倒れ込み寝てしまいます。音楽欠乏なのでREMをコンピュータできく。ふつうのレコードをふつうのプレイヤーで聴きたいと、こんな贅沢な日の最後に贅沢をもらす。

2005年1月27日(木)

今日もきれいな北アルプス。終日原稿の加筆をしている。地物のわさび漬けを、浅草でまぼろしの踊りを踊ってくださった奈良さん、デザイナーの池田さん、町田さんのお三方へ送る。かとおもうと、新刊「白の鳥と黒の鳥」が二十冊とどく。毎度毎度しつこいぐらいに書いていますが、ぼくはまったく物書きとして、装丁に恵まれすぎています。白地に古い影絵のような樹幹。群れ集う謎の鳥。よくよく見ると、木を描く筆のタッチと、鳥の表面が、少し異なっていることに気づきました。ざっざっ! と勢いよく描いた樹幹のほうぼうに、池田さんは別に描いて切り抜いた鳥を一羽ずつ貼り付けていったのでしょう。まったくなんという根気、そしてバランス。ごく自然に鳥があつまったように見えます。池田さんの指は風であり、その風に乗った鳥たちが、勝手自由に、風の影響からも離れて、ふわふわとごく自然に枝木にとまったように、あるいは飛んでいるようにみえる。扉にある鳥の絵に愕然とします。「プラネタリウムのふたご」の扉に描かれた熊もそうですが、この鳥は、描こうとしてこう描かれた鳥ではありません。こうなってしまった、こう描かれるしかない鳥です。カバーを外すと、それまで漂っていた、おちついた不穏さが爆発し気ちがいじみた明るさ、陽気さにつつまれます。池田さんの装丁はいつもその本に対する息をのむほどうつくしい批評になっている。ほんとうにありがとうございます。わさび漬けの箱をせめてもっとたくさん入れればよかった。それからまるいちへ電話注文し、ニヤニヤして台所にすわっていたら園子さんが疲れた様子で帰ってきた。今日来た運送会社のひとを三匹の動物であらわした絵、「ペリカン」と「ゾウ」と「パンダ」を見て、「しんじさんの絵は気がくるってるようなのがいっそうおもしろいですね」といわれる。晩ごはんはすき焼き。これは新刊の到着を園子さんは猫予感していたため。わかめの酢の物。わさびの茎。すべての猫の神たちに感謝ただ感謝。

2005年1月26日(水)

朝から雪。お昼まではほとんど気温あがらず、ほぼマイナスだった。おかげで北アルプスの峰々がこの世でもっとも立派な屋根のように白く青く尖っています。長編原稿の直し午前中でおわり。これから数カ所指摘のあった加筆部分にむかう。コンピュータにむかっていると、午後から日が射しはじめた(仕事部屋は西に面している)。すごく暖かく、こりゃ暑いくらいだな、と寒暖計をみたら、まだ4度だった。ひとの感覚はファジー機能万全だと感心。坐古父から電話があり、三浦市の教職員の会合で話をすることになった。小中学校のすべての先生がたが総勢250名くらいあつまるのだそうです。まだ日のある午後五時、キツネ目で園子さん帰ってくる。「キツネを見ました! わたしも今朝キツネを見ました」。なので晩ごはんは、あぶらげ大根サラダ、豚肉の中華スープ、ワサビ茎、長芋納豆、そして、たいへんにおいしい焼き穴子。日生の穴子を大阪の父母はうまくやった、という電話。日生とは「ひなせ」と読み瀬戸内海のいい漁港です。天気のいい休日、父母はドライブでここにいって、現地でなにか食べ、自宅用にも買ってかえってくる。そこで昨年末、正月用の焼き穴子を注文した(27日指定)。ところが28日、晦日、大晦日になっても届かない。電話してみると、どうやら伝票を紛失していた。父、怒りましたが、とにかくいまからでも送ってくれと。「お宅の魚はうまいですから。だからうちは、ずっと買うとるんだ」。元旦の昼、日生のその魚屋から段ボール箱が届きました。なかには焼き穴子がいっぱいです。サイズはどれも、微妙に異なっています。大晦日で、商品など、冷蔵庫にも倉庫にも、もはや置いてなかったはず。おそらく、従業員さんの分や、かたちの悪い残ったものを、急いで詰めて送ってくれたのでしょう。「お代はいただきません。ほんとうにすみませんでした。今後とも宜しくお願いいたします」と達筆な送り状が添えられてあった。父はもちろん、ふだんどおりの、正規の料金を送りました。穴子はふだんどおり、おいしかったからです。ところが今度は、その魚屋から牡蠣や磯貝、たくさんの穴子が、今度は「贈り物」として届けられ、それがこうして、松本の我が家にもまわってきた。「父さん、うまくやったわ」と母は電話で笑っていました。まともな親切にまともな親切が帰ってくる。これぞ正しい経済。

2005年1月25日(火)

ずっと曇り。曇ると松本の冷気は壁のように固い。ときわ書房のイベントのおまけの冊子につける超短編「店長の名誉」を書く。名誉店長をひきうけたので、はじめておもいついた話です。それから、「本とコンピュータ」アンケート。デジタル社会をむかえ、書店や出版業はどうしていくのがいいか、とった設問。そんなの仕事である以上、まじめな跡継ぎ、後継者を育てるしかないのじゃないか。大人があと知恵で「コンテンツが」「電子化が」などと語りあったり、早くおいつこうと慌てたりするのは、商売の本筋とはあまり関係がない。出版も書店も、あまり儲けや効率など考えず、「こうするのが本屋というもんだ」と、仕事の作法を百年、二百年後の世代へつなげていこうという考えがあまりない。戦後の本屋さんは、「商売」というより「教育者」みたいな自意識をもってしまい、「つたえていく」という本道を忘れがちだったんじゃないか。「時代に合う、合わない」は、その時代時代の店主が「合う」か「合わない」だけで、店自体を無理に「合わせる」のは変だ。そういうことを書いた。それにしても、近所にあるガソリンスタンドの鎌倉石油はなぜ鎌倉か、いざ鎌倉か。てくてくと山辺ワイナリーへ歩いていき大根。とても寒いけれど、途中で犬たちに吠えつかれなくなったのが嬉しかった。昨日駅で買ったウエストレイクの「神聖な怪物」を読む。それはないだろうと苦笑するラストです。プールの謎はきれいだった。じゃらんより励ましの依頼。晩ごはんはアカガレイの煮付け、わさびの茎(これはお気に入りの結果)、帆立スープ。園子さん、塵のように積もった紙くずの山をみあげ、伝票はこれだけかしらと心配しきり。

2005年1月24日(月)

冷え冷えとした朝。朝から、ときわ書房イベント用のポップや推薦文を、すべて作らないといけなくなった。書店と出版社と連絡がとだえていたせいです。二十数冊分の推薦文を午前中に。午後には、二十枚ほどポップを描いた。新刊は短編集で、十九話がはいっているのですが、その一話ずつの絵のポップを十九枚と、本全体のイメージの絵を二、三枚描いた。ペンを指先でつまんですべらせていくのですが、描きあがった絵をみて、なんだか俺、絵がうまくなったみたいだな、とほくそ笑む。しかし夕方もどってきた園子さんには叱られました。毎日台所で描いて残しておくはずの「猫や魚の絵」をこの日は忘れてしまったのです。ひじょうに反省。晩ごはんは豆乳鍋です。「がんがん具を入れるから投入鍋ですか?」というと猫はじめみな呆れた。白いかたまりのスープ。じょじょにすべてが豆腐になっていく。牡蠣と豚の豆腐とじ。おいしいものでした。食後は園子さん黙々と去年のレシートの分類。ぼくは昔のジロ・デ・イタリアを4ステージ見る。

2005年1月23日(日)

やはり寒い。園子さん共々、着物をきて浅草へ。人形焼きを買い、料亭の「ふじた」へ。絨毯敷きの玄関にあらわれた仲居さん。「ふじた」はたいへんな老舗の料亭で、本日のお昼は、そばの会のみなさんによる結婚祝いです。園子さんは朝から何も食べていないので血糖値の低い顔色をしている。細長い座敷、ガラスでしきられた庭の手前に、いかにも芸者さんが似合いそうな板間の舞台。出席者は、関さん、網野さん、清水さん、千葉さん、長薗さん、沢田さん、理加さん。奈良さんは体調を崩され欠席とのこと。刺身やお吸い物、焼き物がつぎつぎと運ばれてくる。しかしいかんせんこの会は、飲酒の会なのです。「もう二本」「もう二本」と、ぬる燗マシーンでも置いておいたらといわんばかりの勢いです。ぼんやりとお酒を口に運びながら、欠席したという奈良さんが、いまひょっとこの面を被って舞台にあらわれたら傑作だな、と思った。宴も終わりにさしかかろうというころ、千葉さんが代表で選んでくださった瀬戸の鉢をいただきました。すばらしい鉢に、園子さんはヨヨと倒れそうになる(少し酔っています)。松本からもってきたわさび漬けをみなさんにひとつずつ手渡し、この場はおひらき。いやはや、みなさん、ほんとうにほんとうにありがとうございました。次回は並木藪、鯨というふだんのコースでだらだら楽しみましょう。奈良さんにはそのときお座敷用の踊りをおどっていただくことにしよう。「奴さん」とか。「ふじた」を出て、全員で六区裏の「へその店」へ。べつに風俗店ではなく一見地味な居酒屋さんです。ところがはいった客は、ここほど派手な飲み屋など東京にそうないことに気づく。役者の羽子板がずらりと何十個も壁に掛けられてある。ひとの背丈ぐらいのもある。この手のものが好きな関さんご機嫌。芝居や映画、相撲へと話題が移る。バスの時間が迫ってきたのでお先に失礼をし、外へでると淡雪がちらほら。タクシーで尾久。お茶を飲み、普段着に着替えて新宿へむかいます。バスに乗り込むとき、キップ切りのあんちゃんがニコニコ笑いながら「遅れるかもしれませえん。よろしいですかあ」といったので嫌な予感はしました。予想通り、大月あたりで猛吹雪です。しかも、間の悪いことに、われわれの乗ったバスの丁度前に除雪車が二台はいった。雪を掃かないとそりゃ進めませんからしょうがないですが、それでも、真ん前に立ちふさがるとは、まったく何という除雪車でしょうか。ノロノロ。ただノロノロ。読んでいる聖書のなかに、こういう状況に思うべきことばがたくさん載っているでしょうが、なぜか「サタン」とかいう言葉にだけ目がいく。園子さんは隣でただ就寝。寝顔を眺めているうち、とつぜん、腹が痛くなってくる。ここ数日のごはんは、贅沢の極みでしたから。キリキリと差しこまれるような胃。正面から吹きつける白い風。ああ、ああ、と唸っていると、いつのまにかバスは,松本市内へはいっていた。除雪車のカバーにあいながら、わずか三十分しか遅れないとは、まったく尊敬に値する運転手なことです。インターチェンジで自家用車に乗り換え、里山辺の家へ。凍る道。水道のコックをあける。空気は冷えた煮こごりのように寒々としている。焼酎をのみ、すぐに冷えたふとんに寝る。

2005年1月22日(土)

柳さんの朝ご飯、今日はパン。午前中、原稿を少しだけやり、お昼から婦人画報社で新刊インタビュー。顔なじみの瀧さんがお相手で、気がゆるんでしまったせいか、話がふだんより抽象的になる。それから尾久の家。松本から戻っていた園子さんと合流し、タクシーで王子へむかう。なかなか来なかった上に、寒風が吹きまいていたので、園子さんのなかの猫がこたつを欲しがって騒いだ。北とぴあ入り口で、池田進吾さんと会い、立川談志の落語。演目はミイラ取りと死神。題名だけみればお化けシリーズだ。「ぼくの見た死に神は、もっと怖かったすよ!」と池田さんは王子の居酒屋でいった。これは別に池田さんがほんものの死神を見たということではなく、以前に談志さんによる死神を見たことがあった、という話です。注文した食事は、ぶりの澄まし、煮込みや鶏から揚げ、おしたしなどなど。新刊の装丁も池田さんにお願いしたのですが、ぼくはまだどんなものになるのか見ていません。池田さんによればカバーと表紙の色、印象が全然ちがうらしい。うう、どんなだろう。JRで帰ると途中とても寒かった。松本と質がちがうものの東京もたしかにこの季節はひじょうに寒いなと感心。

2005年1月21日(金)

柳さんのきれいな朝ご飯。午前中は原稿、お昼からはお茶です。炭所望の点前を亭主でならい、それから薄茶を点てた。夕方、町田さんのオフィスへ行き、原稿の打ち合わせ。明日がライブなのでグレープフルーツとハチミツを差し入れる。新潮社へ戻り、晩ごはんは、須貝さんと蕎麦屋さん。胡麻豆腐、板わさ、レンコンやししとう、めごちの天ぷら。そして胡麻汁そばを食べた。うまさのあまり腰がニョロロロ~と伸びた。クラブで原稿。

2005年1月20日(木)

東京の朝は暖かい。息が白くないのに驚いてしまう。いつもおいしい柳さんの朝ご飯をいただき、午前中は原稿の直し。お昼からNHKへいく。蜂飼耳さん、松田哲夫さんらと週刊ブックレビュー収録。松田さんとはおひさしぶりでしたが相変わらず顔色がすこぶるよくお元気そう。蜂飼さんとはメイク室の鏡越しに照れ笑いの初対面挨拶をしました。本番では、少し無軌道に喋りすぎたいへん反省。司会の藤沢さんは大人らしい淡々とした口調で進行をされていて素晴らしいと思った。午後四時、クラブへ戻り、また原稿にかかる。夜は阿部さんとふたたび「神楽坂でいちばん魚がおいしい」という居酒屋千成へ。刺身盛り合わせ、お吸い物、松輪サバの鯖寿司。ぎょえー、ぎょえー。猫たちよどうか恨まないで。クラブへ戻って、調子に乗り原稿にとりかかるうち、三時になっていた。にゅーたの極み。

2005年1月19日(水)

朝の道は辛うじて凍っていなかった。園子さんの自動車でバスターミナルへ。そしてバスでまっすぐ新宿。途中では最近恒例になった聖書を読んでいます。新潮社の受付で須貝さんと合流。神楽坂の中華屋でねぎラーメン、このラーメンの味に須貝さんは非常に感銘をうけていました。午後はずっと原稿の直し。そして駅のうえの美容室で散髪。新潮社クラブへ来るたび散髪をしている。夜は矢野さん、阿部さん、須貝さんとステキな洋食屋へいった。カキフライやイタリア風餃子(チーズが入っている)などと白ワイン。それから近くのバー、ブラッセルズでなつかしいベルギー・ビール。神保町のブラッセルズには、よく犬の着ぐるみをかぶってでかけたものだった。眼鏡をかけたモリッシーのような顔のあの気のいい兄ちゃんはまだ元気でいるだろうか。フラフラでクラブ二階に帰り、風呂にはいって寝る。

2005年1月18日(火)

終日原稿にかかりきり。大阪のIMI大学院というところからトークショーの依頼。ぼくは、高校を卒業してから半年、大阪のデザイン事務所で丁稚奉公をしていたのですが、そのとき、社長さんに「いしいくんは絵とか芸大のほうに進んだらあかん。きみは、そっちの方面にいったら、気がおかしくなってしまう人間だ」と断言され、芸大にいくのをよした。いわば恩人のこの奥村さん(社長)が、現在この大学院で教鞭をとられている。このひとになにかいわれたら否応なく即座にしたがう、というひとがあるなら、ぼくにとって奥村さんはそうです。日がかげるとどんどん気温さがってくる。午後五時でマイナス3度。園子さん、樹氷のような格好でメキメキとかえってきて、猫たち逃げまどう。晩ごはんは、めと刺しに、トマトスパゲティ、ピザ、アボカドサラダ。やはりうちのトマトソースは最高ですねと園子さんがいった。そのとおり、まさにそのとおり。なにかいわれたら否応なく即座にしたがう、というひとがあるなら、ぼくにとって園子さんは無論そうです。気がつくと気温マイナス8度までさがっている。雪が降っているので明け方までには冷え込みがゆるむかも。

2005年1月17日(月)

午前中に家の掃除。お昼前、松本駅で、文春の斉藤さんをお出迎え。タクシーで惣社のおいしいそば屋「田舎家」へいく。ここは「松本でいちばんおいしい」と人づてにきき、何度いっても、たしかにそのとおりだと思う店です。それから斉藤さんと自宅へ。奥の座敷で、新刊についていろいろと喋る。斉藤さんのインタビューは質問がスルスルと深いところまではいってくるのでおもしろい。難しい言葉でなく、かんたんな物言いで、射程距離が長い。口調やききかたのセンスなのでしょう。うんうんと頷きながら、斉藤さん、本郷工房でつくった干し柿(1シーズンに二千個つくる)を三個もぐもぐとたべていた。また、長いつきあいのある編集者・森さんのくれたカードに感激して泣いてしまう。斉藤さんを駅まで送り届けたあと、まるいちの大荷物が日暮れにとどく。まるいち印の手ぬぐい、干物もおみやげについてくる。みなさん、ありがとうございます。晩ごはんは猫卒倒メニュー。カマス刺し、めと刺し。カマス塩焼き、三つ葉湯豆腐、ゆり根の胡麻味噌和え。カマスとは夏から秋の魚という印象があるのに、より滋養分がおおくなっているような気がするのがふしぎ。まるいちのご主人のぶさんより、はじめての電子メールとどく。「トナカイさまゆきやまだからげんきでしょう」といったふうな内容。

2005年1月16日(日)

目覚めて仰天です。あたり一面の雪。マンガレリ氏の著作もかくやというほどの雪景色。おりていき、スコップをにぎる。うまれてはじめての雪かき。念入りに腰を動かしてからはじめたので、腰痛にはなりません。さく、ざあっ、さく、ざあっ。雪はスコップをさしたぶんだけ裏切りもなくもちあがる。それどころか、狙ったよりたくさんの雪がかたまりになってついてくる。さく、ざあっ、ざく、ざあっ。園子さん起きてきて、無言で雪かきにくわわる。尖ったシャベルの先で、道路の凍結を削っていきます。まったく無言。淡々とくりかえされるシャベルのリズム。雪かきはひとのあたまを単色に漂白する。およそ十時頃、玄関への通行路、周囲の車道、なんとか普通に通れるようになった。それにしても、街でいろいろ買い物をしようと思っていた園子さんは、すべての計画が頓挫し、がっくりとするかと思うとそうでもなく、淡々と家じゅうの掃除をはじめました。ぼくはただ仕事場で原稿を書いていきます。家の裏でザシャッ! と不気味な音がした。東の窓をのぞくと、軽自動車が側溝にはまっていました。近所のみなさんゾロゾロと出てきて、三分後にはあげてしまう。つくづく見ほれるような手際です。あとできいたことですが、この大雪の日、同じ側溝に四台の自動車がはまりこんだそうです。他一台が、凍結した路面ですべり、なんとひっくり返ってしまった。松本の交通事情はさまざまな点ですごいです。風呂にはいり、晩ごはんは豚のキムチいため。さよりのめざし。大根の柚子味噌。れんこんのきんぴら。夜には雪がやんでいる。あたり一面、音が凍ったような闇。

2005年1月15日(土)

空気の澄んだ冬晴れ。しかし徐々に薄雲がかかってくる。午前中、ひさしぶりにススキ川散歩しました。なんだか日が長くなった。五時ごろなのに明るいのがふしぎです。家に帰って、バタイユの伝記を読みおえる。つづいてユベール・マンガレリの「おわりの雪」再読。週刊ブックレビュー用に、蜂飼耳氏が推薦されている小説ですが、何度読んでも、ここ最近読んだなかでもっともすばらしい翻訳小説という気がしてきます。「トビを飼いたいと思ったのは、雪がたくさんふった年のことだ。そう、ぼくは、その鳥がどうしてもほしかった」。にゅう、すばらしい。タカでもオウムでもよくない。これは、トビしかだめです。狙って書けるものではありません。急に冷えてきます。風呂上がりに、うかつにも居眠りをしたので寒くなってくる。うどんを石油ストーブのほうへもってきて食べる。イタリア風サラダ。長芋とたらこ。そして納豆。窓の外を見ると、雪がふりはじめていた。にゅう。

2005年1月14日(金)

空気つめたいけれど、よく晴れている。寒がりのぼくが、冬の心地よさに目覚めはじめています。朝など、庭で白い息をついていると、ほんとうに気分がいい。園子さんが工房へでかけたあと、午前中はコンピュータの問題にとりくむ。ノートブック型のほうが、インターネットにつながらなくなったのです。一昨年加入した、アップル専用の保証業者に電話する。呪文のような指示のとおり操作し、ディスプレイにあらわれた表示を読み上げると、電話口のむこうで業者の男が、「ああ、それはハードの問題ではないので、うちでは受けられません」。ムカーときて、しかし気を落ち着かせ、淡々とした大阪弁で、いったいあなたは何をいっているのですか、という意味のことをたずねる。男いわく、いま読み上げられた数字は、コンピュータ自体になんら異常のないことを示している、ソフトで問題が起きている可能性があります、とのこと。では、どうしたらよいのかたずねると、うちではおこたえできません、契約条項にはいっていないので、とのこと。ひと呼吸おき、少し淡々度をゆるめ、もう一度、どうしたらよいのかとたずねると、プロバイダーの保守係に電話したら解決するかもしれない、とのこと。ならはじめからそういえばいい。プロバイダーの保守係とは何のことかきき、ヤフーの相談窓口に電話する。以前、ここに電話して、これまた呪文のような返答でケムに巻かれたことがあったので、少し身構える。しかし、対応はよくなっていた。朗らかな声の女性が、根気強く、「こうしてみてください」「では、ここをこうしてください」と返答してくれる。「やりました」というたび「ありがとうございます」といちいち答えるのは、ちょっとやりすぎかと思った。なにしろ、ぼくのようなビギナー加入者を離れさせないよう、ヤフーも企業努力に励んでいるのでしょう。結局昼までかかって、ノートブック型のほうにも、インターネットがつながるようになった。それから自転車を駆り、市街の清水郵便局までおりていく。きのうのキャッシュカード問題です。保険証で口座をつくったから、三崎の住所でしか受け取れないわけで、ぼくは知恵をしぼり、パスポートをもっていった。これの住所は空欄なので、「ほら」と局員の前で、松本の住所を万年筆で書き入れた。「この住所に変更するので、ここへカードを送ってください」。一発でオーケーでした。みなさん、銀行や郵便局の口座は、しょっちゅう引越をするならパスポートの身分証明でつくりましょう。上機嫌でパン屋に寄る。食パンと「地中海」と書かれた紅茶を買う。自転車で里山辺にもどると、ふだんの原稿書きより、数倍の仕事を片づけたような気分です。園子さん、五時半頃かえってくる。晩ごはんは、豚とモヤシのピリ辛炒め。尾久からもってきた角煮を乗せたラーメン。コンピュータと郵便局の話をすると、園子さんはラーメンをたべながら「よかった、よかった」といった。

2005年1月13日(木)

寒さのあまり早起き。といっても6時くらいです。山の稜線がたいへんきれい。黒々としていたのが、徐々に桃色になり、みかん色にかわり、そして雪の白に落ち着く。テレビで推薦する本の感想を書く。それは平出隆さんの「ウイリアム・ブレイクのバット」、絵本の「BROACH」、青木淳さんの「原っぱと遊園地」でした。どれも、書いてある内容だけでなく、めくりかた、読みかたなども含め、昨年出会ったなかで印象深かった本です。とくに建築家の青木さんの書かれた何年分かのエッセイをまとめたこの本は、文章をたどりながらまるで、青木さんの設計した建物のなかをさまよいめぐり、そこで自分なりの生活をはじめてみるような、ふしぎな読書体験を味わうことができる。別に図面や地図が描かれているわけじゃない。文章自体が、そのように思考し、そう読まれるよう書かれてある。家を建てる予定のないものにとっては、たいへんぜいたくな本だと思った。晩ごはんは、尾久のおかあさんがつくった絶妙な角煮。ゆかちゃんのわけてくれたさんま干物。ごぼうのきんぴら。青梗菜、スナックエンドウの炒め物。郵便局でつくったキャッシュカードの不具合が判明。三浦から、松本に住民票を移さないと、キャッシュカードを松本の家で受け取ることができないかもしれない。ぼくの身分証明書は保険証なので、それが三浦市発行だと、通帳の登録住所も三浦市になり、「配達記録」で届けられるキャッシュカードも、三崎の家でないと受け取れない。「ソンナバカナ話ガアリマスカ!」と、民俗村のママさんも怒っています。明日、郵便局で談判してみよう。去年一年分のレシートを、園子さんが仕分けはじめる。三崎のフジスーパーのレシートをいちいち見ながら、園子さん、「しょっちゅうコーンフレークをたべていますね」と指摘。「あ、またコーンフレーク」。朝ごはんの手抜きが、こうして白日のもとにさらされた。

2005年1月12日(水)

とてもとても寒い。靴下を二重にはき、トレーナー二重にかぶる。東京から戻った翌日はだいたいそんな感じ。朝からこつこつとモノマガジン原稿。松本の運転マナーのすごさについて書きました。他の点では、まったくもって素晴らしい街なのに、自動車については、身の凍るような思いを何度もしている。そういえば園子さんが、とある警察官が自殺したニュースを教えてくれました。そのひとは、交通課だったのですが、あまりの事故の多さに残業、休日出勤がつづき、心労が重なった挙げ句、遺書を書いたのです。なんともおそろしい。午後、河出書房阿部さんからジュネの伝記、文芸誌がいろいろと届く。ぱらぱらめくっていると、園子さんが、ふなをくわえて帰ってきた。もちろん皿に入った甘露煮です。本郷先生のご友人が、「うまくできたから」ともってきたそれを、先生は「しんじさんにも食べさせてあげるだ」と、一尾まるまるわけてくれた。ありがとうございます。猫たちの目に涙。晩ごはんは、あぶらげ納豆、長芋サラダ、ブロッコリーとスナックエンドウのサラダ、そしてふなの甘露煮。しっかりと煮てあるので泥臭さがあまりない。コイよりおいしいです。食後、園子さんはこたつに腰まではいり、ゴロゴロと漫画を読んでいる。明日朝の冷え込みがきびしそうなので、外に出て、念のため水道の栓しめておきます。上をみなくても、星の光が空をみたしているのがわかる。空じゅうが真っ白く輝いている。こころの準備をして、夜空を見あげると、古代エジプトの人足たちが見たような星が、粉を投げつけたように全体できらめいていた。

2005年1月11日(火)

吸血鬼のような頭痛で目覚め、渋谷から地下鉄経由で飯田橋。乗り換えのときで迷ってしまい、東京の土地勘がアルジャーノンのように薄れつつあることを実感する。駅で松崎さんと合流し、角川書店の応接室で、野性時代の取材。中庭の奇妙な石像の前で写真をとりました。ロビーにはかえるアニメの電気自動車が置いてあり、これに乗って写りましょうかというと写真家がこまったような顔をした。お昼にけんちんうどんを食べ、午後から東京ウォーカーのインタビュー。ろくろく乗り換えもできないのに、ウォーカーに出ていいのか。それから京王線で聖蹟桜ヶ丘のときわ書房へ。ひさしぶりに高頭さんと再会。互いの肩に手を置いてキャッキャッと女子学生のように跳ねまわりたくなる雰囲気。「白鳥黒鳥」発売記念のイベントを、ときわ書房で開いてくれる。それにあわせ、ぼくは「名誉店長」を勤めるのです。店長としてなにをするかというと、小説や漫画、料理本、エッセイまで、これはおもしろかったという本を書店内で選び、それをポップつきで、店のあちこちで展示する。この日はそれを選びにもきたのです。一時間半ほどで二十冊くらい選ぶ。興味のあるかたは、ときわ書房聖蹟桜ヶ丘店までおでましください。高頭さんは、少し痩せたみたいですがとても元気で、ここしばらく一日しか休んでいないといっていた。店内の棚には、帯に「品質保証。おもしろくなかったら返金します」と書かれた本が積まれていて、きけば、この返金分はその本をお薦めした書店員さんが自腹を切るのだそうです。名誉店長も、薦めた本がつまらなかったら自腹切らなくては。イベント打ち合わせを終え、タクシーで八王子駅へ。生ぬるい「ふわふわ親子丼」をかきこみ、あずさ号で松本へ。電車のなかで、ときわ書房で買ったばかりのジョージ・マーティン伝記「ビートルズを作った男」を読む。ビートルズより前のところがとくにおもしろかった。昔の録音風景や、工夫をこらしたマイクの立てかたなど。家に帰ると、こたつのまわりに、音楽大学を舞台にした漫画が散乱しており、園子さんが寝そべったまま、ぎゃぼー、ぶきー、などといっていた。ひとは漫画に影響されやすいものと実感。焼酎をのんでにう。

2005年1月10日(月)

朝ごはんおいしかった。おかあさんごちそうさまでした。東急東横でトラヤ羊羹を買い、十時半に代官山。おしゃれかそうでないのかわからないひとが一杯。キョトキョトしながら、兄宅をたずねる。月曜なので、京橋フィルムセンターはあいていない。しかし兄の映画コレクションも粒ぞろいなのです。あらかじめ、サイレントだけを見たい旨伝えておきました。兄はてきぱきと指示し、羊羹を胸に抱え、仕事へでかけていった。メカに弱いぼくですが、なんとかDVDが回りだしホッとした。まずは名作、カール・ドライヤーの裁かるるジャンヌ。演じている皆さんも撮っているひとも、みな明らかに、頭がどうかなっている映画です。聖書の時代を生きたひとたちは(パウロの弟子とか)実際こんな風だったんじゃないか。それほど、あるいはそれ以上の映画。部屋のなかにずっと、焦げたようなにおいがたちこめていました。フラフラと外へ出、サンドイッチがおいしいと教えられた喫茶店にむかう。戸をあけ、テイクアウトの注文をし、店を見回してようやく、ここが犬喫茶なことに気づいた。壁の写真は、犬、犬、犬。貼られた絵はがきも、犬、犬、犬。それはまあよしとして、「いいですかあ?」とあとではいってきた常連風の若夫婦、毛の生えたハムのような犬ころを五匹も連れています。店は混んでいて、中央の丸テーブルひとつしかあいてなかった。夫婦堂々とそこへすわります。膝の上から肩から、ぜんぶ犬だらけにして。まわりのきれいな女性客は「きゃあ」とか「キュート」などと叫び、ごはんを食べている最中の手を、ハム犬にむけて差し出す。犬五匹それをぺろぺろ。女性客にっこり、夫婦にっこり、店主の顔はカウンターのなかで見えませんでした。うちのおばあちゃんが生きていれば「頭ふつうやないな」と一蹴したことでしょう。兄宅へもどり、二本目は小津安二郎の名作「生まれてはきたけれど」そしてコメディ「髭と淑女」。見れば見るほど、映画にじつは声なんていらないのではと思えてくる。それは小説に挿絵がいらないのと同じではないか。ブツブツ暴論をつぶやきながら、デヴィッド・W・グリフィスの「散りゆく花」をかけます。無声映画は、目も頭も、そして耳も、ものすごく冴え渡らせて見ているので、じつは三本目でもう疲れていた。しかしものすごいストーリーに疲れなど忘れ、頭をウインウインと回しながら見てしまう。名前だけ知っていましたが、この映画は一度も見たことがなかった。なんと救いのない、すばらしい話だろう。映画というものを全員が信じ、全霊を投じるのでないと、けしてこんなものは生まれないとおもった。見終わるともう七時。ヨレヨレです。食べ物を買う前に、昼に目をつけておいた牛印のかばん屋で、母への贈り物を買う。晩ごはんは地下スーパーで買ったパンとチーズとハムとワイン。ひさしぶりに浅草時代の自堕落な晩ごはんが復活しました。食べ終わったころ兄が帰ってくる。ドライヤーの吸血鬼をかけてくれる。本日五本目の無声映画。

2005年1月9日(日)

起きると東京なのに結構寒い。めんたいこやブリのおいしい朝ごはんを食べたあと、ひとり京橋のフィルムセンターへ行き、セシル・B・デミル監督の無声映画『十戒』をみる。演技や撮り方はもちろん、物語自体、たいへんにおもしろかった。十戒といえば、割れる紅海とかシナイ山のお告げばかり思い出されますが、この作品はなんと現代劇です。前半の一時間に出エジプトのエピソードをまとめ、それが終わると聖書がぱたんと閉じられる。そこはごく普通の居間です。信心深い母親が、ふたりの若い息子に、「わかったね、おまえたち」とモーゼの教えをさとす。なんともすごい転調です。長男は進歩家で、「はは、母さんは古いなあ。十戒なんて昔話さ」と笑いとばし、家を出ていく。そして仕事のなかで十戒をつぎつぎに破っていく。挙げ句、相応の罰をうけるわけです。これらがみな無声。見終わったいまも、きこえないはずの声が、わんわんと頭のなかで鳴り響いています。京橋から地下鉄で新宿。伊勢丹で園子さんと合流し、お菓子やいくら茶漬けを買います。これはお祝い返し。階上の食器売り場で、木曽漆器のおじさんと仲良くなり、園子さんへのお年玉に、漆塗りのすばらしい飯台を買いました。園子さん猫顔で漆をなめる。伊勢丹で新年早々いいことがありました。百貨店のなかで、帽子を落としたのですが(がま口騒動があったのにこの癖は変わらない)、みじめな気分で歩いていると、なんとエスカレーターのそばの案内板に、その帽子がひっかけてあったのです。帽子は丁寧に四つに折られていた。拾ってくださったどなたか、ほんとうにありがとうございます。これを機会に、なくしものをしないよう気をつけよう。母への誕生日カードを、つばめグリルで書く。十戒をいちいち並べ、モーゼの似顔絵を描こうとは思いませんでした。園子さん飯台を抱え、バスで松本へ帰っていく。まだ時間が早いので、浅草へむかい、ギャラリーエフのみなさんに年始の挨拶をした。持ち手のひねまがったワイングラスでウイスキーとグレープフルーツジュースをのむ。キュレーターのいずみちゃんは、月末からウイーンなどへ行くそうです。どうぞ気をつけて。この日記について、いずみちゃんいわく、「はじめの頃のしんじさんのごはんって、ものすっごく荒れてるよね」。ちょうどその時期は浅草で毎晩飲んだくれていたのです(おもにエフで)。もうずいぶん昔のことのよう。ウイスキーは控えめにし、首をグラスのように曲げてタクシーに乗る。

2005年1月8日(土)

着物で初釜。新宿駅西口で孝典と合流。孝典も祖父の着物を来ています。着流しの上に革ジャンを羽織っているので見た目には相当変です。先生のお宅では、先輩方がすでにすばらしい料理を用意してくださっていた。お膳の前に、社中全員で薄茶点前。先生のご指名で孝典までお茶を点てました。孝典緊張。はじめは緑色の濁り水、それが二服三服と、ひとの目が少ないところで点てるうち、だんだんとまっとうなお茶になってきた。増田さんや廿楽さんも「おいしい」と驚いていました。孝典は汗を拭きヒャーと吐息をついていた。たいへん豪華な夕食をすませ、六時過ぎに辞去し、新宿の居酒屋鼎で孝典と軽くお酒を飲みました。尾久に帰るとすぐに園子さんが松本から帰ってきた。やけに疲れたような顔をしています。聞けば、三連休と思ってたら、仕事の都合で、明日の夜もう、松本へ戻らなければならないらしい。年初の帰省なのに、あわただしいこと甚だしい。駄洒落などいうと、キッとにらまれそうなので、こたつで黙って猫たちと焼酎を飲む。まぼろしの猫たちもやけになって飲んでいます。

2005年1月7日(金)

ふだんより遅いバスで松本から新宿へ。お昼過ぎ到着のバスはほとんど遅れなかった。東京はとても暑く、まぼろしの猫もびっくり。コートはずっと手にもったままブラブラとさせています。お昼にうどんを食べ、恵比寿の歯医者さんへ。先生歯ぐきを見るなり、「こりゃやりすぎだよ。怪我しちゃってるよ」と呆れ顔で注意。なかなか歯みがきがうまくなりません。一生ものに歯をしあげるための努力はさらにつづけられる。駅ビルの本屋で、河出の阿部さんと待ち合わせ。出版社へ向かうタクシーのなかで、フランス文学に登場する変なひとびとの話をした。聖書を読んでいるというと、いまヨーロッパでパウロが見直されてるんですよ、と教えられびっくりした。ここしばらく、聖書の「手紙シリーズ」ばかり繰り返し読んでいたのは、無意識のアンテナがパウロ電波をキャッチしたからだろうか。午後三時からインタビューをうけ、五時半頃に終わりました。銀座線に乗り京橋へ向かう。日本フィルムセンターで、アメリカの無声映画特集があるのです。切符を買い、またもやコートをブラブラとさせていたら「いしいさん!」とすぐそばで叫ぶ声がきこえた。ふりかえるとタムラチホです。学生時代、ぼくの元でバイトをやっていた。その後ドイツへいったり、池袋のジュンク堂で働いていたりした。「いまは?」「大学院で無声映画の研究」。ヒャー、腰ヘナヘナです。ぼくもちょうど、無声映画を調べはじめたその出だしの日に、気のおけない案内役に、こうしていきなり出会えるとは。パウロの導きでしょうか。七時からウイリアム・ハート主演の「ヘルス・ヘンジス」を隣り合って見る。救いようがないほどぼうぼうと西部の町が燃える話。始まる前、「恋人にするならヴァレンチノ、結婚相手ならウイリアム・ハートっていわれてたんだって」と、研究者とも思えない女性誌的なことを、タムラチホはいっていました。映画はもちろんすばらしかった。サイレント映画はおおむね、作り手全員がなにかにとりつかれて作っているようなところがある。そのなにかとは何だろう。指導教官のタムラチホを料理屋に案内し、蟹とスパゲティを食べながら、無声映画の資料や研究論文などについて教えてもらう。ありがとうタムラチホ。それにしても、こういう偶然が起こるのは、進むべき方向がまちがっていなかったまさに証拠でしょう(それとパウロのおかげ)。ああよかった。九時半ごろJRに乗って尾久の家へ。おとうさんとおかあさんにお年始の挨拶をする。大名布団に電気毛布が敷いてあり、たいへん恐縮する。夜も息が白くないのは、なんだか妙な感じです。東京の冬はあきらかにぬるい。

2005年1月6日(木)

寒さは水道が凍るほどではなかった。マイナス六度くらいでしょう。朝日新聞の原稿を書く。まるいちの赤ん坊、小野くんの子ども話などについて。お昼は蓬莱の豚まん。久しぶりに食べると、少し水っぽいような気がした。電子レンジのかけかたが下手だったのかな。豚まんにつけるものについては、父が正月に「なにもつけないで食べるのんが絶対にいちばんうまい」といって、家族全員から猛反発をうけていた(「ま、ひとそれぞれやな」と父はすぐに修正しました)。ぼくはソースに辛子をだらだら溶いて食べるのが好きです。辛子だけ、しょうゆだけのひともいます。昼過ぎに原稿が終わる。ひきつづき聖書を読む。ひととひとをつなぎ、ときに寸断する言葉の力について考える。まぼろしの猫にこたつまで押されていくと、園子さんが鶏鍋をかきまわしながらニヤと笑った。

2005年1月5日(水)

朝からダヴィンチの原稿。海岸で漂流物を拾い、玩具に組み立てなおす老人の話を書きました。この連載もこれを含めもうあと二回。鳥顔の巡査やら青ポリバケツやら、ひとつにまとまったときは相当キテレツな本になりそうです。今年じゅうにはおそらく出ますので、みなさん、おたのしみに。夕方までに原稿は終わる。石油ストーブのまわりをぐるぐると歩きながら新約聖書を読みつづける。「手紙」シリーズ、非常におもしろい。話者と相手の距離が、巨大なゴムのように伸び縮みする感覚。まったくものすごいスケールの書簡文学です。工房の初仕事から戻ってきた園子さんは青色申告のことで真っ青。晩ごはんはれんこんのきんぴら、そばの芽のサラダ、アボカドサラダ、卵焼き、ししゃもと水さんまの干物。ししゃもは尾久のおかあさんから、さんまはユカちゃんよりいただきました。いつもありがとうございます。明日はとても冷えこみそうなので表の水道栓を閉める。栓の上に雪が積もり、それがガジガジに凍っていたので、シャベルを使い叩き割る。布団にはいってもしばらく、寒さのせいで眠れません。アーウ、アーウとうなりながら七転八倒する。しかし、寝返りをくりかえすうちに、マガジンハウス用の長編の、ようやく全体像がうかんできました。半睡状態は大事です。「ふたご」のときも、「麦ふみ」のときも、それに新作「うなぎ」のときもそうだった。とある夜、眠れずにいるうち、ふいに蓋がはずれたように、あたらしい話の全体像が頭にひろがる。それとも、蓋がはずれそうだから、寝入ることができなくなるのでしょうか。ごろごろと反転し、頭のなかで風景をはんすうしながら、やはり自分の小説のモチーフには、自分が前から興味をもっていたことしか出てこないのだな、と深く得心。起きだして黒手帳に大まかな出だしを書く。今年は始動が早いです。

2005年1月4日(火)

朝から嘘のような暖かさ。とはいっても七度程度だから、三崎にいたら「寒い」ということになるでしょう。陽ざしが強いので松本の晴れはとてもぬくいです。園子さん早朝雪かきをしすぎて気持ち悪くなる。大阪へ送るためのわさび漬けを買い、猿田さんの家に豚まんを配達する。「ああ、551だ!」と猿田さん。「懐かしいですねえ。ぼく、本店近くのぼてじゅうでバイトしていたんですよ」。それから電気量販店に行き、ストーブを買います。園子さんお昼のタイカレーを食べ過ぎ気持ち悪くなる。中心部のNTTドコモにいこうとして、たいへん混んでいるのであきらめる。「ドコモ混んでいますな」とぼくが助手席でいうと、青い顔の園子さんは無反応だった。書店でオーディオ雑誌、音楽雑誌を買い、白い息を煙のように噴きだして家に戻る。夜は鳥鍋でした。干支の絵柄を思いだしながらポン酢に浸してハーハーと食べる。

2005年1月3日(月)

またお節。それに雑煮。お昼に家を出て難波へ向かった。蓬莱は相変わらず行列ができるほどの人気。お祝い返しの豚まんをクロネコにくわえさせ送る。園子さんは高島屋の靴売り場で黄色い革ブーツを買いました。前々から長靴がほしいといっていたので、気にいったのがあってよかった。近鉄電車で名古屋へ。そしてすぐ乗り換えて松本へ。道中の晩ごはんは吉野の大阪寿司。蓬莱の甘酢団子。ユダヤ人ごのみのパン。道中ずっと新約聖書を読んでいました。イエスが相当無茶なことをしているのを再確認し、ホウホウとうなずいているうち松本到着。一昨日のマイナス14度におっかなびっくり改札をぬけると、そんなに寒くなかった。氷点下ですらなかった。なんと七度もありました。タクシーで夜の道を飛ばし農村砦のような自宅へ。雪が積もっていましたが、近所のどなたかがかいてくれていた。ありがたいことです。水道管はすべて無事だった。夜の雪畑は白いばけものでいっぱい。

2005年1月2日(日)

そんなに夜更かししたわけでないのに起床十時半。下へおりていくと園子さんに、きのうどんな夢を見たかおぼえてますか、ときかれた。首を振り、「どんなことをいってた?」(ぼくは夢のあいだじゅう寝言でいちいち台詞をいう癖がある)と訊ねてみると、低い声で、知らない方がいいです、といわれた。いったいどんな初夢だっただ? 昼には叔父さんもまた来ていて、三崎のキンメしゃぶ。中トロ。蟹。ほぐした蟹をポテトサラダに混ぜこみ、マヨネーズでぐちゃぐちゃにして食べていると、兄と母が身をよじらせ「アーッ、アーッ!」「もったいない! でも、やりたい、うまそう!」と叫んでいた。みな映画のせいでおかしくなっているのでしょうか。それにしても、おじさん手製のそばはすばらしいそばだった。アマチュアのそば打ちには段位があって、叔父さんはいま初段なのだとか。二段になるとじゅうぶん店をもてるだけの腕になるんだそうですが、店を経営はまた別の話、とのこと。キンメの余っただしをぐらぐらと沸かし、別の鍋で湯がいたそばをさっとくぐらせる。まぼろしの猫絶叫。お酒は二日間で六升空きました。腹がパンパンになったので近所の住宅街を怪しげな風体で散策した。閑静な家並みを縫っていく正月パトロールカーと何度もいきあった。夜は難波で大学時代の友人小野くんと待ち合わせ。大学三年のとき非常に失礼なことをして「お前、そんなんしとったら友達なくすぞ」と怒られたけれど、いまもどうにか友人づきあいをいただいているありがたい存在。道頓堀橋が文化祭の工作みたいにつぎはぎされていて非常におどろいた。橋幅拡張工事だとか。大阪のひとびとは役人や血吸いコウモリに景観をめちゃくちゃにされいったいなぜ怒らないのか。小野くんのいうには「飛び込めないようにするらしいで」ということですが、バカな工事をするための、しょうむないいいわけでしかない。みんな予め飛びこむなりして恣意行動すればいいと思った。小野くん、園子さんとうどんすき。宗教学会や雅楽まわりの滅多にきけない話をいろいろとうかがう。キャバレーのフロアにチビの中年男がやおらに現れ、クルクルとジルバを踊る話など。それから赤ちゃんがうまれたときの話をきいた。「男の自分から、女の子が出てくる、というのは、なんやふしぎな感覚やったな」とウイスキーをすすりながら小野くん。一姫二太郎の父親です。奥さんも息子さんが生まれたとき、同じくふしぎな感慨をもったそうです。男→女児、女→男児の、ふしぎなクロッシング。そのふしぎさの分だけ、ふた親はそれぞれ異性の子に「狂う」のだとか。それから小野くんは、はじめて自分の赤ん坊を見たとき、ふっと、自分の「死」についてそれまでとはまるでちがう、具体的な感じをもった、といいました。「ああ、自分もいずれ死ぬ」という確信をあらためてもったと。つまりそれは、この世にやおらあらわれた、それまで非存在だった存在(赤ちゃん)を目の前にして、非存在の具体性に、深いところで触れたということでしょう。この世とは別のところへ、理屈では感知できない、光の穴があいている。うまれたての赤ん坊が輝いて見えるのは、この世の向こうからの光をいまだ帯びているからかもしれない。小野くんには松本からのわさび漬けを差し上げた。お祝いに高級なワインを一本いただきました。おととしはドイツ留学、昨年はドイツで教鞭をとった小野くんは舌が肥えています。まぼろしの猫の話をすると「それはまたたいそうな信心」といって何度もうなずいていました。

2005年1月1日(土)

大阪なのにわりと寒い。雪のあとなので乾燥している感じです。あけましておめでとうございます、本年もどうぞよろしく、と、仏壇と神棚に挨拶してまわり、そのあと松本からもってきた宮坂酒造の原酒「宮坂」を、高級そうな塗り物の椀で、家族みなで飲む。たいへんおいしい。もったいなくて少しずつすすりたくなる味。外へ出しておくと父がすぐに飲みほしてしまうので、書庫の棚のかげにこっそり隠しておきます。それからお節。お煮染めにきずし、栗きんとん、黒豆、たづくり、伊達巻き、里芋の柚子風味、くわい、などなど。うちは昔から祖母と母が本気のお節料理をつくっては大勢の来客に供していた。今年からは園子さんがその作り手に加わった。祖母の名も「園子」だったので、母はなにか、キツネや猫にばかされているような気がしているのではないか。ともあれ本年のお節もたいそうおいしくいただきました。そして雑煮。関西風は白みそとかいいますが、うちは澄んだだしに、水菜、大根、里芋、にんじん、豆腐、ぶり、餅の、七種類の具をいれる。縁起物というわけです。父型の故郷のつくりかた。途中で重光叔父さんが参加し、日本酒が加速をつけて減りはじめる、と思いきや、叔父さんお疲れらしくグーグーと眠りはじめる。園子さんを連れ住吉大社に初詣にでかけました。初詣にしては、まあまあふつうのにぎわいです。参道の途中に有名な白馬がいた。園子さん真剣な顔で近寄り、小銭でにんじんを買って馬にあたえた。住吉さんの白馬にお願いすると「歯ぎしりが治る」といわれています。どうして白馬だとそうなのか。歯に似ているからだろうか。ともかく昨年きたときはこの馬に会えなかったので、園子さんは手を合わせ、二年分の祈りをぶつぶつと唱えていた。馬の耳にお祈り。大回りで家に帰り、晩はさらに蟹。ようやく解凍ができた中トロと大トロ。食後は家族みな居間に集い、兄のもってきたDVD映画を見た。「エレファント」という題の、かわいらしい動物映画、ではなくて、コロンバイン高校の射殺事件を題材にした、身の凍るような人殺し映画でした。映像が透明な箱のなかで撮られたように美しかった。母は前のめりになって真面目に見ていた。父はその隣でンガンガと寝ていた。元旦の夜に「エレファント」をそろって見る家族というのはおそらく他にいません。見終わったあと、松本の気候はどんなだろうかと、コンピュータで調べてみると、今朝方の気温がマイナス十四度だったと知り、さらに呆然としただ(信州弁)。