2005年-4月

2005年8月31日(水)

またもやすばらしい朝食で朝ごはん。とはいえ、またもや半起き半睡の状態なので、めんたいこを鼻につっこみそうになる。つっこんだかもしれない。自動車のトランクに米や巨大青トランクなどを詰め、池袋へ。アメリカに送るお菓子類と日本小説を買い込み、ふだんとちがうルートで中央ハイウエイ。やたら喉がかわく。園子さんの運転快調で思ったよりよほど早く松本に着いた。庭の雑草、好き放題にのびています。しかしこれから抜きはじめたらぶったおれる。荷物だけおろし、晩ごはんは外でたべることにした。何にしたと思いますか。中華料理です。チャイナスパイスで麻婆豆腐、レバニラ、チャーハン、豆腐のぷにょぷにょしたのの野菜炒めを食べました。「領収書は、猫だらけですよね~」といつも朗らかな奥さんがいった。もうろうと帰宅し、松本にもかかわらず早々に布団クリン。

2005年8月30日(火)

日付変更線を越えたらもう翌日。じゃあもう一度Uターンしたら昨日に戻れるのか。益体もないことを考えていたらごはんが出た。日本にじき帰るのに和食など食べたくないので鳥の西洋風料理にしたら、園子さんはそばとおにぎりとよくわからないものを噛んで涙をこぼしていた。「まずいです! まずいです! 行きの日本食より、いっそうまずいです!」。食事を積む場所が成田かJFKかで違いがあるというのですが、ほんとうにそうでしょうか。あいかわらずぼくはまったく寝られません。昔はへべれけになって、エコノミー席のいちばんうしろを占領し、グースラと寝ていた。体力的にも、精神的にも、そういうことができなくなった。いいのか悪いのか。午後五時ごろ成田空港に到着。がたいのいい運転手さんが出迎えてくれる。途中で、渋滞を避けて走るこつや、電話できく交通情報など、プロ的な話をいろいろと教えてくれた。「お客さん、運転しないんですか。わたしも一度、免許を取り上げられたことがあります。150キロオーバーでね、免停になったんですが、その期間中に車を駐車場から出そうとして、走ってきた別の車に当てられたんです。無免許ってことで、取り上げ。当たってきた相手が、ごちゃごちゃいってきたもんだから、ハハ、しめておきましたよ」。6時半に尾久の家着。どんな料亭よりもすばらしい、おかあさんの日本食。頭がねじれ、首から離れるほどおいしい。しょっちゅう首を取りにいかないといけないので困る。サンマの塩焼き、豚しゃぶサラダ、刺身、みそ汁・・・そして何より「ああ」と思ったのは、ほうれんそうのおしたしだった。食後に園子さん、デジタルカメラをテレビにつなぎスライドショーの開始。レンブラント、ディズィー、ムーンブーツ、タロウとポッキー。葉山生まれの美人姉妹。ネハル、ダニエル、なめくじのおとうさん。ロバよ! POPO'Sのマーク氏とカウンター。猫たちよ! 日替わりクラムチャウダーの旅はおわった!

2005年8月29日(月)

ジムの帰りにダニエルが買ってきてくれたベーグルを食べる。それにタマゴ。仕事にでかけるダニエルとまずはおわかれ。園子さんシクシクと涙ぐむ。ダニエルが出て行ったあと、「わたし、もう一杯スムージをのみます」。近所の健康食品屋に、おみやげとスムージを買いにいく。スムージとは果物ジュースに氷、ヨーグルトや豆乳などを豆乳、いやまちがえた投入したもので、果物命の園子さんにとっては理想の飲みもの。日本にももっとスムージ屋があればいいのに、としきりにこぼしています。荷物を詰め、いよいよディズィーとお別れ、しようと思ったら、椅子の下にもぐってでてこない。「ひとがいなくなると寂しいのよ~。私までいなくなると思ってるんだから~。ディズ、ディズ、私は帰ってくるよ~」。ぼくも園子さんもまた帰ってきます。さらば美猫ディズィー、さらばブルブルのブルックリン。二週間前と同じ黒塗り自動車、運転するのはやはりプリンス。お母さんはクイーンというんですか。いいや両親ともプリンスだよ。ブルックリンの大通りを王子の自動車はすすむ、「行きとはちがうところを通ったほうがいいと思ってね」と、まったく俗な心情に通じた王子ぶりなことです。猫たちむくむくと起きあがり、王子の肩に乗りブルックリンの街並みに手を振っている。ジョン・エフ・ケネディ空港に到着し、酒やジュースなど飲み放題のラウンジで休息。そしていよいよ搭乗時間。ボニーと抱き合い、再会を誓いあう。ありがとう、ほんとうにありがとうボニー! 猫たちがすがりついて離しません。不審者が通るとピーとなる門をくぐっても、ボニーは遠くから手をふりつづけていました。ジャンボジェットの翼をもいで上空から振ろうとおもった。猫たちは機内食のメニューをめくっていた。「翻訳のひと、仕事の相手、ということではじめは知り合ったから、つい普通に思ってしまいますけれど」と園子さん。「ボニーは、特別なひとですよ、しんじさん。あんなひと、ぜったい他にいませんよ」。離陸してから本を読みだす。Louisiana Power & Light。ぜひ読むべき、といって、メトロポリタンにいっているあいだ本屋をまわって買っておいてくれた。ありがとうボニー。

2005年8月28日(日)

朝食は納豆、卵焼き、つくだにと海苔。ボニーごちそうさま。今日は早いうちからメトロポリタンに行こう、ということになって、しかし週末なので地下鉄の路線がそこらじゅうで変更されている。青線が途中までしかいかなかったり、A線が片側不通になっていたり、ふだんと違うプラットフォームに電車がはいってきたり。その都度、不規則にかわるので、ガイドも駅に乗っている路線図もまったく役に立ちません。駅の張り紙とボニーの助言、車内アナウンスだけが命。園子さん悠然。猫心配顔。キャロルストリート駅から、レキシントン86丁目の駅まで、都合三回、電車を乗り換え、時間はかかったものの、無事メトロポリタン美術館についた。日曜とあって、前よりさらに混んでいる。寒い。極寒の冷房なのに、半袖Tシャツ一枚の白人たちはやはり体温が高いのか? ぼくはランニングにTシャツ、長袖Tシャツ、さらに綿のジャンバーのジッパーをとめ、首には手ぬぐいをぐるぐる巻いていた。「しんじさんはやはり体温が低いのですね」と園子さんはいった。中世から18世紀までのヨーロッパ絵画でもう他のところを見る時間わずかしかなくなる。そのなかで、日本美術コーナーは非常に充実していて、ボストン美術館の展示には出し惜しみ感があったのに対し、ここでは「ドーダ! ドーダ!」と、畳みかけてくる感じがあった。園子さんは「デハ最後ニ」と妙な発音でいって、レンブラントの自画像の前で、みずからの猫記念写真を撮っていた。「旅ノ恥ハカキステデスヨ」。レンブラントのあれの前で撮るとは、ある意味、モナリザよりすごいのではないか。帰りがけ、地下鉄の路線を換えず終点まで乗り、世界貿易センタービルの跡にいった。なにもいえず、喘息の発作のようになった。思いおこせばこの日記はあの翌日からはじまっている。別の駅まで歩き、ブルックリンに帰るまで無言。電話でボニーの声をきいて安心する。家にもどると、ボニーのすばらしい晩ごはんが用意されてありました。ダニエルもディズもニヤニヤ猫笑いをして喜んでいる。献立は、ズッキーニとニンジンと旬のマッシュルームのオーブン焼き、エビのラビオリ、鶏肉のオーブン焼き。近所で買ってきたベルギービール、デリリウムと赤シメイをあける。猫のおなら談義でダニエル爆笑。レンブラント写真に夫妻驚愕。よく飲みよく喋る。園子さん目をこすりながらソファで「ちょっと失礼」。明日からロサンジェルスで撮影のあるダニエルも「ちょっと失礼」。ビールを飲みながらボニーとアメリカ小説の話をする。ストランドとマーブルヘッドの書店で買った本の上に、ボニーの推薦図書がバサバサとつみあげられる。

2005年8月27日(土)

ホットドッグのPOPO'Sが出る、というフォックスのニュースを、開始30分前から、まちがえたチャンネルをえんえん見ていて見逃してしまった。猫ショボン。ジェリーの店の角で待っていたら、ボニー運転のミニクーパーがスイスイと迎えにきてくれた。出発の前の朝ごはんです。リダの家には、昨日の夜から、姉妹のおとうさんが滞在している。もと米軍の気象予報士で、日本語がぺらぺらです。天候に関するおもしろい話をいろいろうかがう。雷雲のなかの様子とか、雹のできあがるプロセスとか。ところで園子さんからまた興味深い発言があった。「今朝、しんじさんは例の癖がでていましたね」。例の癖とは、ひじょうにはっきりとした口調で寝言をいう、という奇癖です。ぼくはまったくおぼえていないのですが、園子さんは毎度「それで?」などと相づちをうち、ぼくの言葉ひとつひとつに聞き耳をたてている。「しんじさん、最初はとても苦しそうでした。ウ~、とか、グオ~、とかうなって、ああ、寝苦しいのかな、って思ったんです。でも急に、変なことを口走りはじめたの」「変?」「はい。『なめくじ~、なめくじ~』って。『なめくじがな、だんだん、大きくなってくんねん・・・』って、すごく苦しそうでしたよ。『角を曲がったら、なめくじが大きくなってんねん・・』。あまりの阿呆さかげんに、ぼくは返事ができません。園子さんはさらにつづけます。「だいじょうぶ、ってきいたら、急に笑い顔になってね、『でもな、これ、悪いやつや、ないから』っていうんです。なめくじが? ってきいたら、『悪者のなめくじや、ないから。友達になったから』。それでシーンとしたんです。ああ、これで今朝の寝言は終わりだな、って油断していたら、また急に『はなび、はなび』とかいいはじめたの。『花火あげてる、砂浜で、花火あげてる・・・』。誰があげてるんですか、ってきいたらね、しんじさん、『おとうさん』って。『フィリピンから来たおとうさん』だって」。昨日ボストンの空港に着いた、リダとボニーのおとうさんは、いまフィリピンに住んでいる、と数日前きいたことがありました。「『おとうさん、めっちゃ嬉しそうに花火あげてて、ぼくはそれを見とんのに、きみは・・・,きみは・・・』。わたしですか?(園子さん)『きみは、ずっと横にいるなめくじばっかり見てる!』。しんじさんの、友達なんでしょう? 『そう、フィリピンのおとうさんとも、友達になった。でもな、でもな(急に泣きそうな声)、どんどん小さくなっていくんや。どんどん、どんどん、なめくじが小さくなっていく。みんなで見てんねん。なめくじ、小さくなって、それで消えてしまった・・・・友達になったのに・・・なめくじ、消えてしまった・・・・グー」。さすがにこれほど馬鹿らしい寝言はいままでにもなく、園子さんは一字一句けんめいに覚えたそうです。姉妹のおとうさんに「きのう、ぼくの夢におとうさんが出てきたんですよ。なめくじと一緒に、花火あげてるんです」「ホホウ」。おとうさんは科学的分析家なので、夢の一連の流れをきいたあと、「花火は、歓迎のきもちを示していますね」といった。「遠いところからきたあなた、それにわたしを、歓迎するきもちです。また、なめくじは、たぶん、わたしです」「え、おとうさんですか?」「そうです。あなたは、わたしがフィリピンに住んでいることは知っていても、背がどれくらいか、太っているかやせているか、どんな顔かも今朝までわからなかった。だから、なめくじの姿であらわしたのでしょう。友達になって、どんどん消えていくというのは、こうして会えたけれど、すぐにもう、お別れしなければならない。その寂しさを、あらわしているんじゃないでしょうか」。こんな明晰な頭のおとうさんをなめくじの姿として想像していたとすれば、たいへんな失礼、あんぽんたんの極みです。おとうさん、名分析ありがとうございました。POPO'Sのマークとリザードに置き手紙を残し、みなで記念写真を撮って、ポッキー、タロウ、ムーンブーツにお別れ。今後ふしぎなものに会うたびムーンブーツを思い出しそうな気がします。ボストンの駅前で、ネハル、リダとお別れ。次回はメイン州の森に行く約束をしました。まぼろしの猫がちぎれんばかりに前足を振っている。さよなら、ニューイングランド、さようならロブスター! よくよく考えてみたら毎日一杯は食べていたクラムチャウダーたちよ! アムトラックの超特急は非常に快適。車内アナウンスがときどき愉快でききごたえがあった。「プラットフォームで煙草を吸っても、マリファナは吸わないでください」「おっ、右を見てください。めったに浮上しない潜水艦ですよ」「喫茶コーナーでは、おいしいコーヒーやサンドイッチ、お子さまには特別に『レバースープ』を用意して、みなさんをお待ちしております」。隣の車輌で子どもが「いやー! レバースープいやー!」と泣き叫んでいた。駅からタクシーでブルックリンに戻りディズィーと再会。すぐにダニーも帰ってきて、みなで散歩がてらダンボのチョコレート屋にむかい、途中でうまれてはじめてスムージという飲み物をのんで腹が爆発する。ニューヨークいちおいしいというピザ屋の前では20人くらい行列ができていた。たこ焼きで我慢しなさい! 晩ごはんは、途中にあるフランス風魚貝料理屋。園子さんここでもロブスター。マーブルヘッドからもちかえったロブスターの絵入りビニールエプロンを首に巻き付け顔が猫となる。アスパラスープ、ビーツのサラダ、マスのロースト。ダニエルの冗談のセンスはマーブルヘッドのジェリーに似ている。ウエイトレスがポットをもって「お水はいかがですか?」、ダニエル「うーん、やめとく。クルマできてるから」など。みなでアパートに戻り、ビールを飲んだりして、いろいろと下半身関係の冗談をいいあう。話の途切れる間が出発の予感。

2005年8月26日(金)

朝ごはんは埠頭にある定食屋。地元のひと、観光客、漁師がごった煮でコーヒーをのんでいる。パンに卵をはさんだものを食べた。晴れた海沿いを散歩。ボストン茶会事件のころの砦。三崎の諸磯をおもわせる大西洋の磯に裸足でおりると、小えび、やどかり、かになどがいた。掃除機のホースのような赤い不思議な生き物が浮いたり沈んだりしていた。砦の上から見おろすと、モーターボートより速いカヤック、半島へ徒歩で渡る一団がいた。池をめざしてオールドマーブルヘッドの町を横切る。1700年代の石ばかりならぶとても古い墓地にでました。池は墓所のふもとにあり、こういう水辺にはいろいろなものが生きていたり死んでいたりするのだろうなと思い、手を合わせておきましたよフフン。園子さんは外国語のATMで金をおろす。生ジュースを飲んでさらに歩いているうちいつのまにかニューマーブルヘッドへ。不動産屋のショーウインドウをながめる。日本円で1億1億5千万2億。砦のそばにあった格好のいい屋敷はだいたい3億円くらいだった。てくてくと歩いて港へもどり、昼食はきのう晩ごはんを食べたレストランの海テラスで、ムール貝、蟹のパテを食べ、白ワイン。いかにも金持ちといった外見の老人、中年が魚貝をたべています。ジェリーの店がしまっていたので、いよいよ本屋にむかい、それでも閉店までの3時間弱しかいられなかった。ディラン・トマスの詩集、デレク・ウオルコットの詩集、ローレン・アイズリー「星投げびと」、地元の新聞に載ったエッセイ集、ジェゼフ・コンラッドのエッセイ集などを買った。それからジェリーの店。両親へ、それからリダとボニーへの贈り物をえらぶ。園子さん鳥づくし。都合、8個のアンティークボタンを選ぶ。ジェリーは深々と園子さんにうなずいて、「この8個はぜんぶ、タダにしてやろう」「え、ほんとうに?」「ああ、無料でいい。ただし、容器の箱が高い。その金をもらうよ」。こういうのがジェリーの冗談です。店の壁には「これだけのボタンをどうして集めたか知りたければ・・・1 店をほめること。2 店主に子どもについてたずねること。3 いいジョークをいうこと。」と書かれてある。贈り物の包みにメッセージを添えたい、というと、タカタカと電子タイプで打ってくれ、両親にだからふたつ書いてほしい、と注文をいうと、思いっきり聞こえよがしな舌打ちをして「どけ! 気が散る!」と怒鳴りまたタカタカ。ものすごく小さな猫の絵が描かれたボタンを彼に見せ、これをネックレスにできるだろうか、とたずねたら、「ついてこい!」と作業所にはいっていき、なんだかよくわからない工具で裏の穴をひろげ、銀色の小さな鎖を通しました。「こっち来なさい、こっち来なさい」と園子さんを招き、「これは君にプレゼントする。箱がついてないからほんとにタダだよ」そういって首にかけてくれた。園子さんが「説明書がほしい」というと、ブーッと口を鳴らし、「もう野球がはじまるのに!」泣き顔になって、またもや巨大な背をまるめ、電子タイプをたたきはじめた。元心理学者ときいています。毎晩レッドソックスの試合を見て、マーブルヘッドの外へはまったく出て行かない。何千ものアンティークボタンはお母さんから受け継いだようですが、そのお母さんがいったい何故そんな数のボタンをもっていたかは聞きませんでした。園子さんがカードで支払ったあと(「こんな子どもにクレジットカードをもたせるとは」とジェリーはブツブツいっていた)、坂をあがった岩場にへばりついたようにある食堂バーナクルへいき(バーナクルとは「ふじつぼ」という意味)、蒸しアサリ、ロブスター一匹、クラムチャウダーとサラダを食べた。店の客はぼくと園子さんをのぞき誰もいなくなった。帰り道、ボタン屋の前を通りかかると、黄色く灯りのもれる窓のむこうに、テレビで野球を見ているはずのジェリーが、ケースに並べたボタンの位置を、ていねいに並べなおしている姿がみえた。

2005年8月25日(木)

遠浅の海岸線をまた散歩。荷造りをし、猫たちと別れ。昼過ぎにまたPOPO'Sにいく。今日はマーク氏がいて、猫もリザードと会えてモジモジうれしそう。猫と鰐の恋。園子さんはテキサス、ぼくはニューヨークを注文。マークは若いころロブスター獲りの漁師で、それから消防士になった。そしていまはホットドッグ屋をひらき、そこでは娘さんも働いている。「あした、フォックスチャンネルのニュースに出るんだ。ちょっと有名になるよ」。ところで君はほんとうは何歳なんだ? ときかれた園子さん「ゲス」とこたえます。これは別に雑言でも、太鼓持ちの真似をしているわけでもなく、英語で「当ててみて」といっているのです。「18?」「ノー」「15?」「ノー、ノー」。ほんとうの年をあかすとマークと娘さんは声をそろえ「ノ~~!」と叫びます。「バット、マイ、マインドエイジ、イズ、オンリー、フィッフティ~ン」と園子さんがいうと、マーク大爆笑し、消防用の鐘をカンカンカンと打ち鳴らした。園子さんは明日も来たい、といっている。たしかに毎食たべても飽きない世界一のホットドッグなのです。ごちそうさま、といって出ていこうとすると、マークはカウンターの向こうから駆けでてきて、園子さん、ぼく、ボニーとリダをそれぞれ抱きしめ、キスキスキスをした。「すばらしいひとね~」とリダ。「警官のなかには、イヤな警官もいるけど、消防士にイヤな消防士っていないもんね~」とボニー。故障の直ったミニクーパーは住宅街をぬけとうとうマーブルヘッドへ。海沿いの町は「ニュー」と「オールド」にわかれていて、ニューといってもじゅうぶん古めかしいのに、オールドマーブルヘッドまでおりると、築300年の家がごく普通に建っている。葉山の理想型、あるいは、大昔の原宿が海沿いにできていたら、こんな風だったかもしれない。とにかく美しい町。姉妹とともに、まず、家族づきあいもしているというジェリーの店へ。チェックのシャツを色違いに重ね着した、からだの大きい、ビートニク詩人といった外見。ジェリーはアンティーク・ショップを開いているのですが、そこで扱っているのはすべて「ボタン」。ビクトリア期から20世紀初頭までの古ボタンを、ネックレスやブローチ、キーリング、ブックマークなどにして売っている。その売りかたが、考えられないほどうつくしく、どういうのかというと、ボタンの一個一個に、短い解説を記した紙をつけ売っている。作られた年代、デザインの由来、その意味や、歴史的な出来事などが、ジェリーの手によって書かれてある。一万個くらいあるのではないでしょうか。ジェリーはほとんどこの店から出ません。息子さんの結婚式にもいかなかったというくらい。淡々とした口調でひねくれたジョークをぼそりとつぶやく。リダとボニーは彼を叔父さんのように思っている。案の定、園子さんは猫顔で、ボタンの森にはいりこみ、一時間以上でてきません。ようやく現れたその手には、鳥が描かれたボタン二種などが固く握りしめられていた。ジェリーに手渡し「これ、キープしておいてください。今夜か明日、もう一度えらびにきます」。ジェリーいわく「夜はレッドソックスの試合があるのにムニャムニャ」。近くの宿屋に荷物をもっていく。およそ200年くらい経った建物。巨大なゴールデンレトリバー犬マギーがのしのしと近づいてくる。ボニーとリダはミニクーパーで去っていった。夕方まであたりを散策。ふらっと入った古本屋で心臓がとまりそうになった。本の森にふみこむと頭上で黒マントの外人がケーンケーンと叫びはじめた。それほど動揺してしまったということです。小説はすべて初版のハードカバーばかり。署名本にはあまり興味はないけれど、それでも『冷血』のサイン本が棚に「平積み」してあるこの本屋はなんだ。とても見きれないので明日また来ることにしました。6時に海に面したレストランへ行きビール、プリンスエドワード島のムール貝、具だくさんのクラムチャウダー、ロブスターの赤スープ、シュリンプカクテル、サラダなど食べる。まぼろしの猫が店員にまぼろしのチップを大量に渡しています。ジェリーの家の窓にはおそくまで灯りがともっていた。レッドソックスの調子はどうだろう、と思って宿に帰りテレビをつけるとこてんぱんに負けていた。猫クリン。

2005年8月24日(水)

少し曇りの朝。リンからスワンプスコッドまでの海岸線を散歩。昼間にキャッスルロックという岩の名所に行く。城壁のような岩のかたまりがぎざぎざと磯に立っている。てっぺんまで行って動けなくなる。園子さんとリダは波をかぶりそうなところまでおりていく。子どものころ何かがあってぼくは「縁」がこわくなったのですが、ポーを書いてからその感覚は少し薄れていた。それがまた蘇ってきたようです。ボニーは子どものころ、ベッドでリダとふたり、おとうさんを待っていたときのことを話してくれた。喉がかわいたよ~、というと、おとうさんは水をもってきてくれるのですが、コップにいれてもってきたことが一度もなかった。ボウルやフライパンに水をいれ、そろそろとバランスを保ちながら運んでくるのです。おさない姉妹は毎度驚喜。長靴をそろそろともってきたことさえあるらしい。そして、水をのむ娘たちに、「世界にはコップで水を飲まないひともたくさんいるんだよ」。灯台と、ヨットがばらまかれたように浮かぶ湾。このあたりが園子さんいわく「首」、つまりマーブルヘッド・ネックと呼ばれる、細長い半島。灯台からながめる対岸の町マーブルヘッドに明日から二泊するのです。帰る途中巨大スーパー式服屋に寄る。園子さんはたくさんの靴下と熊のかぶりもの式タオルを買う。たいへんお腹が空いたので、リンの家のそばにある、ホットドッグの名店POPO'Sに向かう。具の種類によってボストン、ニューヨーク、シカゴなど、さまざまなホットドッグがあり、さらに二十種くらいのトッピングを好みに応じて加えることができる。ぼくはボストン、園子さんはシカゴ、リダはチリチーズにした。いいにおいに釣られまぼろし猫たちタップダンスをおどる。すると店のご主人マーク氏がまぼろしのワニに変身した。いわく「おれの名前はミスター・リザード。なあ、今夜デートしようぜ。怖がらなくてもいい、こう見えてもベジタリアンなんだ」。園子さん目をうるませ感激。家にもちかえって食べたホットドッグのすばらしさにさらに感激。売る前にパンの内外をかるく炙り、ソーセージは100%ビーフ(ワニはベジタリアンなのに)。全体がアルミ箔にくるまれてあり、こぼれそうな具を舌で受けながら、アルミの端を折って食べる。園子さん、もらってきたメニューを眺め「次はなにをたのみましょうか~?」と熟考をはじめている。少し午睡。8時半からセーラムの魔女博物館で、体験ツアーに参加するのですが、その前にもう一度POPO'Sにいこう、ということになった。あいにくワニ男マーク氏は夕方四時であがり。園子さんは研究した独自のトッピング、ぼくはチリドッグを食べる。やはり素晴らしい。世界一のホットドッグ屋にちがいないと確信しました。店のあんちゃんに「一度テキサスを食べなきゃだめだ」といわれ、園子さんは大きくうなずいていた。そして夜は魔女ツアー。合流したネハルにホットドッグのことをいうと、彼は「ニューヨーク(具のこと)がいちばんだ」と親指を立てた。ツアーはじまります。参加者はほかに子連れの家族、中年カップルなど計十人くらい。長髪の痩せたあんちゃんに連れられ、夜の墓地へいく。もっとも古い移民の墓。また、このセーラムは魔女狩りの歴史をもっていて、教会に行かないおばあさんや、はじめてズボンをはいた進歩的な女性を、首くくりにしたり、火あぶりにしたりした。「セーラムの町は、そういう歴史の上に立ってる」とガイドのあんちゃん。「どれほど普通の暮らしをしていようが、人間はときどき狂う、フフン」。最後のフフン、というのはこのあんちゃんの癖で、シリアスなことをいったあと、冷笑するようにくっつけるのです。墓地をめぐったあと、お香の煙がたちこめる丸部屋へはいる。魔法陣のまわりをとりまいてすわり、そこにえらく身の細い若い「魔女」が登場。トランス風な口調で、いろいろと魔女について語るのですが、あとでボニーもいっていたとおり、やはり説得力に欠けているように感じました。呪文を何度も唱和させられ、これが日本語だったら、途中で帰ってるかもしれないな、とおもった。帰るとポッキー、タロウ、ムーンブーツがニャオニャオ。この家の猫たちとも明日でしばしのお別れ。博物館にいるどんな魔女よりまちがいなくムーンブーツのほうがこの世の核心に触れているフフン。

2005年8月23日(火)

朝から正面の家で工事がはじまる。裏手でも、リダのダンススタジオの工事がはじまっている。耳のきこえないムーンブーツは振動が心地よいらしく腹ばいになってうっとり。未熟な我らにはやはりたえがたく、ボニーと園子さんと三人で、近所のワンダーランド駅から電車に乗ってボストン市街へ。まず高級バスの発着所にいき忘れ物のノート、本をうけとる。それから散歩。ボニーはまれにみるほどの健脚で、高いヒールのサンダルで姿勢よくカツカツ歩き、本人も「眠らないで三日三晩あるけると思う」というくらい。園子さんも丈夫なので、ぼくの歩調に合わせてゆったり歩いてくれる。でもときどきカツカツ。ニューベリー通りのアイスクリーム屋。ボストンはアイスクリームとビールが名物な街で、路上のところどころに色のついた矢印が描かれてあり、それぞれをたどっていけば「ボストン・アイスクリームツアー」と「ボストン・ビールツアー」ができるようになっているらしい。巨大な生活雑貨店。教会。公園。山羊のチーズのランチセット。午後にユニオンパーク通りにむかい、園子さんいよいよロバ選びです。アパートの上からミミもおりてきた(電話でボストンに行く旨いうと、「ロバを選ぶ! そんな重要な場面に立ち会わないではいられません!」といってくれた)。園子さんの前に四頭のロバ。正面からにらみ、横からながめ、うしろから調べる。決まらない。まぼろしの猫に相談し、ききとれない呪文をとなえ、四つんばいになってロバの気をさぐろうとする。まだ決まらない。ミミとボニーとぼくは、気が散ってはいけないと、その場を離れた。やがて園子さんはヨロヨロになってロバを引いてきた。「決まりました」。ロバはすぐ見えなくなって園子さん本人に同化した。ミミにおみやげの猫てぬぐいを渡し、手を振るミミを見送ったあと、隣の犬猫ショップで、気のいいヒゲの兄ちゃんと交流した。韓国語を話し、東京、京都にいったことがあるとか。京都に深夜につき、とある家に転がりこみ、無償でごはんを食べさせてもらった。「あのホスピタリティのよさは信じられない!」。兄ちゃんは興奮していましたが、それはただ食いではなかったのか? 本郷工房のアキとクーのおみやげを買い、近所のサンドイッチ屋でクラムチャウダーとパン。今日のはトマトのはいった赤いスープだった。これもまた美味。店を出てカツカツ歩きながらボニー、「いまのお店に、有名なレズビアンの女優がいたのよ」といった途端、オー!と叫んで立ち止まった。それはその女優が先回りして角で待ちかまえていたからではなく、店に雑貨店で買ったリダへのお土産を忘れて来たことに気づいたから。カツカツカツカツ! とボニーは駆けていき、すぐにまた、カツカツカツカツ! と駆けもどってきた。ロバも見習えばいい。公園のリス。白鳥。高級な区画ビーコンヒル。そこいらじゅうにシアトル発祥、緑の丸に人魚を描いた印の大資本コーヒー店がある。シアトルの本店ではあの人魚の乳が丸見えになっている。ケネディの家つまりボストン市庁舎を抜け、ひとごみを割ってノミの市。ビール王サミュエル・アダムズの像、そのまうしろで夏限定ビールをのむ。レモン風味でおいしい。埠頭に出て、ネハルのオフィス、水族館の前を通りすぎ、黒塗りの謎の自動車に乗ったリダに拾ってもらう。ミニクーパーの電気系統が故障し、修理にだしているのだとか。ケンブリッジの町で落としてもらう。有名大学の冗談グッズを土産にしようともくろんだ園子さん、大学生協売り場の保守化におどろき呆れる。大学の名前入りTシャツや、大学の名前入りさるまたしか売られていない。本屋をのぞき、ふらふらと歩くうち、ハーバードの薄暗い中庭にきている。夢で見た風景。「夢のなかでぼくは大学生で、こういう中庭にいて、ほかの学生たちに、単位が足りなくてこのままでは卒業できない、だから今から、教授と寝る、と告白をしたんです」とボニーに話します。「すると学生たちが一様に、寝る前に練習したほうがいい、っていって、だからこういう中庭で、いろいろ練習したんです」「どうやって?」「木の幹や枝を使って」。リダと合流し、調子が悪いというネハルのため、瀟洒なインド料理屋でテイクアウトの注文をする。受け付けにでてきたおじさんは、「わたし、渋谷のサムラートにいましたよ」。園子さん「よくいきました!よくいきました!」。ボストンのひとはみな、たいがいは一度、日本に来たことがあるのか? 家で白ワインを飲みながら、みなで「東京ガールズ」というドキュメンタリー番組を見る。ひどく眠くなったので、つづけて流れた映画「キルビル」は見なかった。園子さん絶好調。ボニー、リダも元気。あとからきいたことですが、そのまま三人で話しながら見続け、見終わったあと、さらに「影武者」を見たというから途方もない。リダは興奮して、「せっしゃの朝めしは、たまごごはんじゃ!」と叫んでいたらしい。

2005年8月22日(月)

朝起きたら晴れ。まさしく海日和。戸をあけると、ポッキーとタロウがととと、と逃げていく。ムーンブーツのみ悠然。リダとボニー、園子さんとともにミニクーパーに乗り込む。魔女の町セーラムを抜け、石造りの古城へ。アメリカの偉大すぎる発明家ジョン・ハモンドが、自分の趣味にあかせ、ヨーロッパからまるまる移築した中世の城。狭い階段、石造りのホールに、すえたにおいがいまなおたちこめている。小部屋には騎士の甲冑、中世の旗など、まるでマニアの脳のなかをさまよっているようです。リダとネハルはここで数年前結婚式をあげた。そのときにいたおじさんが受け付けにいました。サムライマニアだという彼は、自宅に300本のサムライ映画コレクションをもっているそうです。記念写真をとって、ニューイングランドで最も古い港グロスターへ。石造りの埠頭がたいそう見事。ここで園子さんと猫たちは念願のロブスターに対面した。ボニーもリダも、店の給仕係もポカンと口をあけ、殻のすみずみまで舐め尽くす猫的な食べっぷりを注視していた。日本のカニで鍛えられた園子さんにとって、ロブスターを一匹がらんどうにたいらげるなど、さほどのことでもありません。「外の殻は大きかったけど、なかの身はフワフワで、いくらでも食べられましたよ」。ぼくが食べたのはクラムチャウダーとロブスターサンドイッチ。それから沿岸部を走り北へ。築二百年、三百年を越す屋敷が、海岸や岩場の上に、ぽつんぽつんと建つ。「ほら、ガープの家」とリダが指差したのはまさにそんな風な古屋敷。「しんじさんも引っ越してくればいいのに。冬はもちろん寒いけど、ほんとうに素晴らしくきれいよ」。森と道路。海と芝生。緑のなかを抜けて有名なロックポートへ。海の原宿、あるいは清里といった体。誰かの夢が、そのまま巨大ジオラマのようにこの世にあらわれたような街並み。ギャラリー、服屋、裏町、防波堤。コーヒー片手に先を歩いていたら、店にはいっていたリダが追いついてきて、園子さんとボニーに一個ずつ、かわいらしい銀の輪の、耳たぶの縁に引っかける形式のピアスをくれた。そのまま別の道でリンのほうへ帰り、途中に寄ったスーパーで妙な寿司、ベーグルなどを買った。帰ったら8時半。寿司をたべ、おもたせの日本酒をみんなで飲み、地下室へもぐってネハルと水道工事。そして太鼓。どんどんとドラムを叩いて吠える晩夏の夜。ムーンブーツが首をさかさに曲げてニャオニャオ。

2005年8月21日(日)

曇りの大西洋。部屋で起きてポッキーをからかっていたら園子さんが起きた。散歩へ行きましょう、ということで足音をしのばせて外へ出ると小雨がふっていて海も薄暗く、これは散歩になりません、家にはいろう、といってはいろうとしたら鍵がかかっていた。三崎でも松本でも鍵なし生活を送っているでうっかりしていました。20分くらいポーチでぼんやり。出勤前のネハルに、苦笑気味に発見され、合い鍵を渡された。今日は雨がつづきそうなので港町へ行かず、ボストンの美術館に出かけることにした。出発前大阪の父が「ええな~、ええな~」と身もだえしてうらやんでいたところです。どこがそんなに、と長らく謎だった。それがいよいよ解き明かされる。まずすごいのはアフリカや南米の仮面や祭具の数々。こんなにパワーのあるものをひとつ部屋にいれていて空間が曲がらないかな、と思ったらやはりぐんにゃり曲がって、ぼくと園子さんは道に迷った。案内図を見ると、タテと思っていた道をヨコに進んでいたことが判明した。西洋絵画のコーナーに行くと、仮面や祭具に圧倒されたあとだけに、ひじょうにおとなしく感じられた。ただ、オランダ絵画の充実ぶりと、でかい大部屋にエル・グレコやヴェラスケスを一挙にまとめた展示にはアワアワとなった。パワーのあるものをひとつ部屋に集中させるのが好きな美術館なのかな。園子さん、ミュージアムショップで、動物のネックレスに陶然。「すこし気をしずめます」といって、今日からはじまったというキルトの展示を見に行った。キルトってあれでしょ、あの、おばはんらが布の切れ端をつないで、ホホホとか笑って紅茶とか飲むやつ、と思っていたら、巨大な展示室に足を踏み入れるなり、腰が抜けた。「園子さん、園子さん、このひとは天才ですか」。自然にできた抽象絵画のような、つまり、なにも抽象しない模様そのもののとりどりの巨大布。縦横それぞれ5メートルくらいあるでしょう。それが何十枚も壁に。作者は複数。展覧会の題は「G`s bends」のキルト、といって、このG`s bendsというのは、アメリカのある地方のG型に曲がった川のほとりに、集落を作って住む黒人女性たちの職工集団のことらしく、映像で見る限り、ふつうの、あるいはかなり生活の厳しそうな家のおばちゃんたちがこれらのキルトを作っている。アメリカ黒人のキルト模様が、望郷のしるしだとか、奴隷解放運動のとき暗号に使われたとか、そういう知識はありましたが、そんなものを軽く吹き飛ばす、マスターピースのすばらしさです。園子さんも唖然となっている。ここ最近、美術館やギャラリーで見た、あらゆる創作物をその巨大さで包み込む、人間離れした人間のわざ。父が「ええな~」といっていたのはもちろんキルトのことではないでしょうが、それでもボストン美術館にきて正解だった。キルト熱に浮かされながら園子さんはショップにあがり動物のネックレスを買っていた。外でリダ運転のミニクーパーに拾ってもらう。バレエ学校のそばの喫茶店でサンドイッチとビール。近くに住んでいる作家ミミが書いた小説「カブール」の話でもりあがる。ミミはリダのダンス教室の生徒で、昔、カブールの王様の愛人だったことがあるらしい。「へえ、読んでみたい」とつぶやくと、リダはいきなりピピピと電話しミミの家を訪ねる約束をとりつけてくれた、その途端、「バス!」とボニーが叫び、ニューヨーク~ボストン間の高級バスに、忘れ物の本を取りに行く予定だったことを全員が思い出した。リダ、ルパン三世のようにミニクーパーでダッシュしていく。ボニーと園子さんと三人で近所を散策。うしろに土煙をたてリダもどってくる。やはり間に合わず、バスはまたニューヨークに戻っていった、とのこと。本とノートだけがえんえんハイウエイを旅している。ミミの家に向かうと、そのアパートの一階に、ガラス張りのインテリアショップがあり、その中を覗いた園子さんの顔が驚きのあまりポンと破裂した。ロバが! 何頭ものロバが鉄棒にぶらさがっている! 実はJFK空港に着いたとき、園子さんはまぼろしのロバを見失い、内心がっくりとしていたのですが、遠く離れたボストンで、成長した姿でロバに会った、それで破裂したのでした。店はしまっていたので、後日あらためてくることにした。小説家のミミは詩人のデイヴィッドとふたり暮らし。突然の闖入者にイヤな顔ひとつせず、すばらしいアパートの部屋に迎え入れてくれた。そこはリダのいったとおり物書きにとって理想郷のような空間で、ボニーもぼくもうっとりとするうち空気に溶け、その場にしみこんでしまいそうになった。デイビッドはミミいわく「いかにも詩人らしい詩人でしょう?」、たしかに細い鳥のような声で、顔の前の空気を震わせるように話す。ふたりともずっと笑顔です。あろうことかミミはぼくの名を入れた書名本を一冊贈り物としてくださった。ぼくの英語版が出たら自分でこの部屋に届けにきます、と約束をしました。それから、ミニクーパーでナハントの漁港。ロブスター獲りの船。潮が浅瀬の海藻を筋状に撫でていく。家に着いたらネハルが、しんじにプレゼントがあるよ、といって「フライング・シンギング・コックローチ」なるチューインガムくらいのケースをくれた。なかには銃弾くらいの大きさの、ものすごく強力な磁石がはいっていて、てのひらにふたつを離して握り、ひょいと投げ揚げると、ビビビビ! とすごい音をたて、ぶつかりあって落ちる。説明書には「コンピュータはもちろん、クレジットカードなどのそばに置くと、データがすべて消える」と書かれてあった。ビビビ。みなでタコスを食べながら、アメリカでずっと人気だったドラマ「6 feet under」の最終回をみる。五年つづいたシリーズで、内容は、死者の姿が見える葬儀屋一家の現代劇。タイトルはつまり棺桶の埋まっている場所、という意味。はじめて見るのが最終回とは因果なことですが、ラスト五分だけでも、じゅうぶん見る値打ちがありました。いやはや、すごいドラマ。番組が終わった瞬間電話が鳴った。ボストンのダニエルが「見たか、見たか!?」と興奮してかけてきたのです。ビビビ。

2005年8月20日(土)

くもり空。ボニー、園子さんとマンハッタンに出、昼豚ホテルの脇から高級バスに乗ってボストンへ。どれくらい高級かというと椅子が革張りで飛行機のファーストクラスくらい広い。乗務員が注文をきいてまわり、コーヒーやお茶やチーズや果物を給仕してくれる。ハイウエイの外の風景は郊外に出るにつれ緑が多くなっていく。ボストンまではおよそ四時間。おりてすぐ、園子さんがボニーとぼくに付け髭を渡し、「早く早く! おねえさんが来てしまいますよ」。三人で髭をつけると周囲のひとたちは何がはじまるのだろうと輪をつくりそうになった。その輪をつきやぶりボニーの姉リダが「なにやってんのもう!」、颯爽と四輪駆動車であらわれた。少林寺憲法や太極拳をおさめた彼女は小柄だけどエネルギーに満ちあふれている。リダにもひげをあげるとイヤな顔もせずつけたままハンドルをにぎった。リダの家はボストン市街から車で30分ほど離れた海辺の町リンにある。リンの家は築二百年、周囲には三百年を越す家もぞろぞろとあって、このあたりのひとはそういう家を手直ししながら転売し、を繰り返していくのです。家ではリダのご主人ネハル、それに三匹の猫がまちうけていた。ネハルはコンピュータのいわば天才。猫は灰色のタロウ、茶色のポッキー。そして噂の白猫ムーンブーツと対面。ムーンブーツはおさないころ施設からリダによってもらわれてきた。そのとき全身の毛が、四本足のむわむわ以外なにもなかった。だからムーンブーツ(いまは全身ふわふわ)。耳が聞こえず、両目の色がそれぞれちがう。背骨がくねくねと曲がっていて、歩くとき、からだが斜め加減になる。ひと目見て、これは猫というより、特別な存在じゃないか、と思いました。人間でなく、動物であるはずのに、たったひとり、という感じがするのです。リダとネハルに猫てぬぐい、猫カード、野外での薄茶セットのおみやげを渡す。ワーオワーオとやはり喜んでくれました。二階の一室を寝室として提供してくれるのですが、そのインテリアが、これは日本人には真似ができない、と思わせる、西洋趣味の良さで、しかしリダとボニーの美人姉妹はもともと葉山で生まれたのです。ネハルの運転で薄闇のマーブルヘッドへ。滞在の終わりに、この港町で二泊する予定です。砦のそばの海産物レストラン、といって、半被をきたあんちゃんが網を振り回しているような店ではなく、海に面しテラスのつきでた瀟洒なお店です。ここで念願のクラムチャウダー(この地方発祥)、蒸しクラム、ホタテのベーコン巻き、鮭、フィッシュ&チップスなど食べる。猫狂乱。食べながら「ゴキブリには頭と尻に脳がひとつずつある」という話をしました。だから素早いのだと。家に帰り、ネハルの城、地下の秘密部屋にいれてもらう。太鼓のボンゴが置かれてあり、ネハルはときどき、ひとりウイスキーを飲みながら、CDに合わせて太鼓を打つのだとか。ぼくも日本からびよんびよんと鳴る口琴をもってきていたので、それで合奏しようというと、ガッシリと右の手を握られた。高級バスのなかに手帳と文庫本とストランド書店で買った詩集を忘れてきたことが判明。電話するとちゃんととっておいてくれていて、こういうところも高級なサービスの一環だとおもった。インテリアのすばらしい部屋で就寝。まぼろしの猫は松本からここに引っ越すべきだと枕で跳ねている。

2005年8月19日(金)

朝五時に起きてモノマガジン原稿。連載100回目で終了することになった。会社員をやめてすぐだから10年以上つづいてきたことになります。最終回はニューヨークおのぼり日記。ボニーのアパートからの風景つき。歴代編集者のかたがたたいへんお世話になりました。昼から園子さんとナポリタン、ではなくメトロポリタン。セントラルパークの端をえんえん歩いて到着したものの、展示品はそれこそ三日三晩歩きつづけても見きれない、ストランド書店の本を全部読んでしまうくらい時間のかかる空恐ろしい美術館。途中であきらめ、帰国前にせめてもう一度来ることにしました。曇り空の下、てくてくと地下鉄駅まで歩き、オフブロードウエイで青い男たち三人が水をかけあったり便所紙を投げつけたりするショーを見ました。まうしろに、巻き毛で太っていて野球帽で、漫画の風船のようにローマ字でHAHAHAHA! と笑う、典型的なイメージのアメリカ人がいました。終わって、近所のセントマークス広場にいくと、ここがアメリカの原宿で、お名前彫りますのかわりにタトゥー彫りますの店がずらりとあった。いんちき日本居酒屋、焼鳥屋、ラーメン屋もめだっていた。園子さんの嗅覚にまかせ、薄暗いタイ料理屋にはいる。野菜スープ、豚肉の春巻きのようなもの、平たいヌードル。地下鉄に乗り帰るとちゅう、だんだん披露コンパイセグンド。明日からはボストンです。荷造りの途中でズブズブと寝てしまう。

2005年8月18日(木)

なんと起きたら11時。12時間も寝たことになります。時差分の遅れをとりもどすためには、それだけの時間を、ひとはばか正直に眠らなければならないのか。昼間は呆然とブルックリン歩き。地下鉄で紀伊国屋へ向かう。今日は駅以外では停まらなかった。夕方はやくにつき、店長の市橋さんといろいろ話す。松本にいるというと、お知り合いが手芸と喫茶の店をやっているとかで、そこの説明をきいているうち、園子さん突然「マンマミーア!」と叫んだ。これは別にひげの生えたイタリア人の霊にとりつかれたわけでなく、園子さんの毎日かよっている本郷先生の工房の前に、「マンマミーア」という店があり、偶然そこが市橋さんの知人のお店だった。市橋さんとはおそるべきひとです。六時半から朗読と講演。朗読は、「ぶらんこ乗り」の冒頭を英語でボニーが読んでくれた。講演は短くうなぎの話などをした。サイン本は一冊ずつ違う絵を、リクエストごとに描きわけた。インド人のおばあさん、在米の出版人、記者、それに十年ぶりぐらいに会う女性。ニューヨークで働いていた彼女は、新聞かなにかでぼくの名をみて、「へ、これってまさかあの・・・?」(ダメ会社員だったぼくの元で彼女はアルバイトをしていた)、とわざわざやってきてくれたのです。オー、猫のみちびきの偉大さよ。終演後、途中から来ていたダニエルに連れられ、ブロードウエイの有名なストランド書店へ。ここは置いてある本を並べると8マイルになる、という、ものすごい巨大古書店で、蔵書数は優に100万を超えるそうです。詩の棚だけでも書店一軒分くらいある。めまいをおぼえながら、ほうぼうの書棚をめぐり、気がつくと園子さんが「あなたは8マイル分かたつむり歩きをつづけるつもりですか。ダニエルはとうに呆れてCD屋にいって、それでもうさっき帰ってきたのですよ」といわれ驚愕。きくと、もう二時間は経っていて、それでもまだ、小説の棚の五分の一もみていない。とりあえず十数冊をレジにはこび、地下鉄でブルックリンにもどり、ダニエルおすすめのイタリア料理屋へいく。食べたのは羊のミートソーススパゲティ。料理屋の店員とペーラペラ、スペイン語で話すダニエル家族の交友関係をきくうち、スパゲティがくちびるからダラーンと垂れて揺れだした。彼は子どものころカルロス・フエンテスにかわいがられ、お父さんは、ボルヘスやガルシア・マルケスと友達づきあいしていた。市橋さん顔負けのネットワークだミーア。羊のミートソースはとてもおいしかった。

2005年8月17日(水)

二時間しか眠れなかった。起きても半分起き、半分は寝ている。ダニーは朝の運動のためジムにいき、帰ってすぐ仕事へ出て行った。ボニーによる朝ごはんはパンケーキとブルーベリー。園子さん、ボニーと三人で、午前中いっぱいはブルックリン散歩。針を組んでつくったようなブルックリン橋。マンハッタン橋とのあいだの地域を、頭文字をならべて「ダンボ」と呼んでいる。美術家のアトリエや小劇場がならぶ、愉快気な一帯になっているそうです。子どもがギャー、キャー、と叫んでいたので、なんだろう、象が耳で飛んでいるのかな、と思ったらそうでなく、公園の真下を走るトラックや乗用車が、子どもの手が振られるのに合わせ、ワンワーン、とクラクションを鳴らし、それに子どもが歓声でこたえていたのでした。昼ごはんは「オーサカ」という名の寿司屋。トポロール、というものと、オーサカロール、という巻きずしを食べた。具はなんだったかよくわからない。焼かれる前の、具だくさんの焼きおにぎりという感じでした。午後、高級そうな格好に着替え、しかし首に谷中の手ぬぐいを巻いているので珍妙な身なり。駅のあいだで停車するノロノロ地下鉄でマンハッタンへ。地上にあがるといかにもマンハッタンという街並みに、こんなにぎょうさんひとがいてはったん。だからマンハッタン・・・。こんなことをつぶやくのもおのぼり精神に総身が満たされているから。57丁目の高層オフィスで、米国出版界の大立て者という文芸エージェントと面談。ジャングリッシュ&身振り手振りで、いろいろと説明。ジュンサイのようにオーラをまとったエージェント氏は、呆れもせず、我慢強くきいてくれた。たいそう感激。仕事方面の話を終え、気が緩んだとたん、調子にのり、阿呆な失敗をしてしまいました。「ウミウシって知ってますか?」とぼく。「海の宝石といわれる生き物です」「いいえ、知りませんよ」とエージェント氏。「そうですか。英語ではsea hareというそうですけど」「hare?」発音が悪かったかしらん、と思ったぼくは、両耳に手をかざし、ぴょんぴょんと跳ねる真似をしました。hareとはうさぎのことなのです。エージェント氏、おどろき呆れ、爆笑。こうなるともう、どんな真面目そうなことをいっても、取り返しがつきません。帰り際、「私のオフィスには様々なひとが来たけれど、『海うさぎ』の話をしてくれたのは、あなたがはじめてです」。オフィスを出て、園子さんと合流。ボニーと三人で、ロックフェラーセンター近くの紀伊国屋書店へいく。明日ここで簡単な朗読&サイン会をやるのです。学生風の美少女が文庫の「ぶらんこ乗り」を手にとるのを見て「ぶつぶつぶつ」と念仏のような祈りを送ると、めでたく一冊レジに運んでくれました。幸先よし。夕方、在米日本人に人気があるという焼鳥屋で、編集者の富倉氏、その奥様と合流。五人で焼き鳥をたくさん、日本酒もたくさんいただく。日本にあっても評判になりそうなくらいおいしい料理屋で、なにより、ネギがおいしいとはすごいなと思った。アメリカなのに。また、この地ではエノキがたいそう高価で、ひと束500円くらいするらしい。誰か移ってきてエノキ長者になりませんか。ツクネ初体験のボニー感激。園子さんとぼくは奥さんのすばらしい人格に感激。猫たちも感激し胸や首によじのぼろうとする。奥さんにもまぼろしはみえるので「カワイー!」といって抱きしめる。オス猫には至福の夜。タクシーでブルックリンへ。美猫ディズに迎えられ、酔眼を泳がせながら、ソファベッドの上にクリン。

2005年8月16日(火)その2

二日目の16日午後四時、極寒の飛行機はジョン・エフ・ケネディ空港に着陸。通関はテロ対策のため入念の上に入念を重ね、さらに入念クリームをその上に塗り込めるほど徹底している。ぼくたちは早めに並んだので一時間ほどで出られたけれど、何百人も列をつくっていたうしろのひとたちはおそらく三時間以上かかったでしょう。カートを押してロビーに出て行くと、ボニーさんがハーイ、ハーイと手を振ってジャンプしていた。「インド人の集団とユダヤ人の集団がすごかったのよ。しんじさんたちが後ろに隠れてないか探しちゃった」とボニーさん。出迎えの黒塗り自動車。運転手はパナマうまれのその名もプリンス。親はキングさんという名前だったんですか、ときくと、うちはみんなプリンスだよ、と教えてくれた。四十分ほどでブルックリンのボニーさんちに到着。三階まで巨大トランクをかかえあげるのはもちろん人足であるぼくの役目。うつくしい灰色猫ディズィーのまったりとした歓迎に、まぼろしの猫たち感激し、日本古来のドジョウすくいを披露する。ディズするどい牙をむきだして威嚇。ブルックリンに越す前ロサンジェルスにいたころ、ディズは灰色の猛獣で、飼い主であるボニーさんの腕をさくさく食い破り、噴き出た血をうまそうになめていたそうです。それがブルックリンではめっきりおとなしくなった。「ブルックリン、だーいすき」とボニーさん。冬はとても寒いけれど、下町風情のこの町は人情があたたかく、たいへん住みやすい。ブルックリンという地名は、表に出た猫がブルッとふるえ、ストーブのそばでクリンと丸まったことからきている。そのうち旦那さんのダニエル、ハローと帰ってくる。足ながく、とてもかっこいい。映画やテレビや舞台で活躍する俳優なのです。お土産の猫カード、猫ナプキン、猫てぬぐい、薄茶を点てるための三点セットを手渡すと、ボニー&ダニー、ワーオワーオと喜んでくれる。皆で近所のスパイス料理屋へ夕食に行く。ここの料理人は、ニューヨークの有名な和食屋で修行したあげく、みずからのスパイス道を追求するために自分で店をひらいた。晩ごはんはキュウリスープ、わさびシューマイ、マグロあぶりサラダ。アパートの部屋にもどり、巨大なソファーベッドを引き出してふとんをしく。灯りを消し、クリンと就寝。

2005年8月16日(火)その1

旅立ちの朝のごはんは納豆とめんたいことあさりみそ汁だった。スカイライナーで身軽に成田空港。青の巨大トランクは松本から黒い猫が背にくくりつけすでに空港まで運んであるのです。それをガイコツの肋骨みたいな出発ロビーでうけとり、不審者はピーと鳴る例の門をくぐる。うしろの園子さんいきなりピーと鳴る。かばんのなかのまぼろしの猫たち怯え毛を逆立てる。原因は園子さんのもっていたハサミでした。機内へのもちこみは、どんな小さなものでも刃物であるかぎり禁止されるようになった。園子さんのは、眉毛をととのえるやつだった。いまどきのハイジャック犯はきっと「これでお前らの眉めちゃめちゃにしてまうど、おらあ!」と叫んで乗っ取りをやるのだろう。税関を越え、さてサロンで葉巻でもフフ、と思っていたらぜんぜん時間なく、ベルトコンベアに乗せられたみたいにどんどん機内へはこばれる。巨大な座席。ボタンを押すと真っ平らになる。さらにおしつづけると背筋がぐんぐん反り、自分の足を口でくわえられるくらいには残念ながらなりません。50歳くらいの白人女性の席に、ひっきりなしに同年配の白人男性(もてないツアー客風)がやってきて、腰に手をあて、フフフ~ンと話していく。さて出発、と思いきやぜんぜん進みません。ヒコーキいきなり故障。操縦席にツナギ姿の日本人工員がふたり工具箱をもってはいっていく。ジャンボジェットってスパナやドライバーで直すのか? 結局出発時間は一時間半のびました。その間ガンガン冷房がつきっぱなしで、ものすごく寒く、毛布を頭からかぶって西洋オバケみたいになってふるえています。ガタンガタンと揺れながらようやく離陸。出発時に配られるシャンパンですが、ぼくが昔、鶴のマークの乗務員にきいたところでは、ほんもののシャンパンは一杯目だけで、あとは安物のスパークリングワインをつかい、ほとんどすべてのシャンパンはスチュワーデスのみなさんでつかう、といってもちろん飲むわけでなく、パントリーでこっそり手を洗っているのだそうです。シャンパンで手を洗うとすべすべになるんですよ~、とそのふざけた女性は真剣にいっていました。離陸後の食事は奇をてらわず和食にしました。そばがぜんぶ一体のオブジェになっていた。とにかく寒い。飛行機の二階ってどれもこんなに寒いのでしょうか。おまけにうるさくて頭痛がする。まぼろしの猫たちはシャンパン洗いの女性たちにつめよりこたつをいれろと騒いでいます。なるか猫ジャック。

2005年8月15日(月)

昨日遅く、松本から自動車で着いた尾久の家で起床。前夜は、渋滞で渋滞で、すべての道路がグジュグジュしめっていた。高速道路の渋滞が発生するのは、登坂車線をさっさと進み、車線が途切れるところで元の車線にわりこむ阿呆運転手たちのせいだった、とこの年になって発見。道路公団は、道が混んでいるとき、さっさと登坂車線を閉鎖するのが筋だろう。こんな初歩のことをやらないのは手抜きだ。頭突きだ。所払いだ。すばらしい朝ごはんのあとで、ニューヨークとボストンへのお土産など買いにいった。谷中のカゴ屋さんで風鈴、千代紙屋さんで猫ナプキンや猫絵はがき。いつもスースーの首に巻くのにちょうどいい和風タオルもあったのでつい巻いていたら園子さんが五本も買ってくれた。JRで新宿高島屋。時計修理、靴下、お茶やお茶菓子。地下のチーズ屋さんがすばらしいサービスをおこなっていました。三人くらい座れるカウンターでチーズ三種とそれにあったワインを買ってその場でだらだら飲めるのです。中央線で信州へ帰るときはきっと利用しようとおもった。この日食べたチーズは以下のとおり。青カビのサンタギュール、ハードのペコリーノペパート、白カビのボンファッソバジリコ。家にもどるとザンザカ雨がふってきました。最近はよく夕立がふる。表を自転車くらいあるカタツムリが列をなし進んでいきます。列についていくと浅草に出た。国際通りに面した有名な中華料理の店に園子さん、おかあさん、おとうさん、おねえさんといく。チャーハンを茶漬けにするので有名な店ですが、ほかのものもすべておいしかった。まずビールのつぎ方がビール会社のビヤホールよりも数段じょうず。ギョウザ、焼きそば、エビチリなどもすばらしい。カタツムリははいっていなかった。明日は出発だ。二階にもどってズルズルと殻にもぐりこむ。

2005年8月14日(日)

涼しい朝。六時頃目覚めて八畳間をのぞくと、園子さんが何十着も服をだし、鏡をみていた。猫うなぎとともにスルスルうなぎの寝床へもどる。シーツや枕カバーなど洗濯し、朝ごはん。巨大な青トランクに荷物を詰め、はたらく黒い猫が取りにくるのを待っている。さて、どんなアメリカ行きになるでしょうか。猫たちはボニーさんちの猫たちとうまくやっていけるのか。大西洋の魚はまるいちに並べてもいいくらい新鮮か。松本の庭の草は帰るころどうなっているのか。興味はつきませんがトランクを渡しそろそろ出発の時。それではみなさん行ってまいります。おお、猫たちよ! おお、ロバよ!

2005年8月13日(土)

早朝、マガジンハウスにモー原稿もう送る。ふだんより少々早いのは、15日から日本にいなくなるためです。パンを食べ、みずうみを書きすすめ、昼におおむね終了する。細かな語彙は帰ってきてから直すことにする。アー、とにかく原稿が終わった。園子さんは肩のリハビリにでかけている。その間、NYのボニーさんと電子メールを激しく交換した。コンピュータ上で議論をかわしていたわけではありません。NY滞在のあと、マサチューセッツのマーブルヘッドという町に泊まる、その宿を決めていたのです。ボストン郊外の海辺にある、17世紀の建物が多く残る古い町。ボニーさんの知らせてくれたホームページの写真を見くらべ、ここだ、と勘で最初に見た宿に決めてしまう。ボニーさんも「前を通るたびに、この古い建物いいな~」と思っていたそうですから、きっと素敵なところでしょう。お昼に素麺をたべ、午後は少し、干しているふとんで猫と昼寝。寝返りを打つと「いて!」と声がしたので身を起こすと園子さんが鼻を押さえ畳でもだえていた。夕方、松本ではじめていく散髪屋ソラノで髪をみじかくしてもらう。広々とした静かないい店。近くにこういうところがあるのは幸せだ、と思った。レコード屋でライ・クーダー、ライアン・アダムズ、モニー・マーク、ハイというバンドのレコードを買う。本屋で心理学と日本の動物はどこから来たか、伊藤比呂美氏による英語の本、本秀康氏の「ワイルドマウンテン」二巻などを買う。お盆なので提灯を提げたひとが歩道に列をなし歩いている。七夕の人形も家々にさがっている。松本の七夕はひと月遅れの八月七日、けれど男女の紙人形は、お盆が終わるまで飾られてあるらしい。家に戻ってお風呂。荷造りのくさかんむりの部分さえしていない。晩ごはんは、豚とキムチの炒めもの、うなぎの肝焼き、茄子の味噌煮、茹カリフラワー、ほうれんそうのシラス和え。夜になり、頭痛が薄れているのに気づく。「散髪したら頭痛がしなくなった」といったら、園子さんは「だから疲れてるんですよ」といった。「ワイルドマウンテン」を読み、練る前にもう一度はじめから読む。

2005年8月12日(金)

朝起きてすぐ、半分眠りながらみずうみ。いい調子で進んだ。やはり寝ぼけて書くのがいちばんのようです。お土産用の山辺ぶどうを買い、芳本さんを待ち受ける。しかし、駅で待ち合わせをしていなかったので、電話番のぼくと自動車の園子で、芳本さん捕獲作戦を電話でとりかわす。芳本さん無事捕獲。一升瓶を二本もお土産にくださって大いに恐縮(瓶だけでなく中身もはいっている)。しかし、いつも行くそば屋の田舎家が思いもよらず暖簾をしまっていて大ショックを受け、急遽、ミッションの変更を余儀なくされる。おそらくそばが品切れになったのでしょう。小雨のふりだしたなか、園子さんが郷土料理の木曽家へ送ってくれた。鯉のうま煮、馬刺、田楽、わさびの葉など。鯉も馬も大好きな芳本さんご機嫌でたいらげていく。夕方から上田の宿に泊まり、明日、理論社の創業者小宮山氏の開かれたエディターズ・ミュージアムに行く予定、とのこと。いったん家に戻り、いろいろと本の話をしました。芳本さんの本を読む目と評言のたしかさにはいつも感激してしまいます。工房から戻ってきた園子さんと、芳本さんを松本駅まで送り、また家に戻ってきて晩ごはん。皿うどん。自家製ガリ。とたんに眠い。ガリとは眠気をさそう食物なのだろうか。「疲れてるんですよ」と園子さんはいった。本を開くと字が伸び縮みして紙の上からこぼれるように見える。

2005年8月11日(木)

朝から、NYのボニーさん宅へ郵送用の小包をつくる。名に反し、大包みになってしまった。当初の郵便予算より四倍くらいかかったのは、重くなってしまったから。みずうみを少し。そしてずいぶんたまっている日記の整理。低気圧がきている感じのぼんやりした重みを頭のまわりに感じている。サバの味噌煮をたべ、午後は体力を削り削り、再びみずうみの創作。夕方戻ってきた園子さんとぶどう計画を練ります。白骨温泉でやっていたような風呂にはいり、晩ごはんは、モロヘイヤの納豆あえ、ゴーヤチャンプルー、本郷先生の庭でとれたきゅうりを食べ、一瞬河童にもどる。それくらいおいしいきゅうりだった。韓国冷麺としじみのみそ汁。阪神タイガースが勝つ。外はしとしとと降る夏の雨。ぶどうの葉を雨粒が叩く音が家のまわりでひびき、猫河童の衆が回転しながらぼんぼんを踊っている。

2005年8月10日(水)

朝から淡々とみずうみ。最近、朝夕にさっと雨、日中にでりでりと陽が射す、というのがつづいている。蒸し暑さはないけれど、油断してずっと半袖でいると、体調が変な具合になる。首に温泉タオルをぐるぐると巻き、Tシャツの上に、糸がそこらでほつれたボロジャケットをひっかけています。ジャケットを脱いだり着たりするたび、しょうゆやソースや、ラー油っぽいにおいが漂ったりするのは、いつか昔、この服を着ての食事中に、ほつれた糸のどこかが皿に浸っていたからと思われる。日暮れかけてから今日も庭の修復。鍬と「ガーデン・クリーナー」なる道具を平行利用するとすこぶる具合のよいことが判明。フフフーンと猫村風に土を掘り返す。まるいちよりスチロール箱がとどいたので、園子さんとともに猿田さんのところへ「まるいちでーす」と魚を届けにいく。一昨日の高級酒のお礼に三崎のキンメなど。新潮の阿部さんは、今年の夏の釣りはまったくダメだとこぼしていたのですが、どんなものでしょうか。今日はススキ川花火なので、浴衣をきた男女が足早に歩いていく。「ぼんぼん」のときとはずいぶん違った落ち着いた様子。家に帰り、二階の玄関に丸太ベンチを置き、園子さんは花火見物。音があまり好きでないぼくは座敷でごはんを食べた。おいしい赤ワイン。茄子とシーチキンとトマトのスパゲティ、あさりのオリーブオイル蒸し、レタスとルッコラとモッツァレラのサラダ。途中で呼ばれ、出て行くと、地元の協賛企業の宣伝をアナウンスしているのがおもしろく最後まできいてしまった。食後はDVDのNHK、いや、NHKのDVD、いや、NHK番組に出たときの放送を送られてきたDVDで見る。見終わった後、あそこはNGとSKさんに指摘される。

2005年8月9日(火)

体調不良と地声の独言少し治る。朝からものすごく家じゅうあかるいのは、東側の窓の障子をすべて張り替えにだしたからで、二間つづけて二十畳くらいある座敷の窓から、緑のぶどう畑のパノラマ景色をみて、障子ないのもわるくないと思った。破るのが好きな猫はノイローゼ。朝からモー創作をつづけ、昼過ぎに連載分終了。ラジオでは鼻声の男が低気圧について話している。ひょっとして、ここ数日の頭グラングランは、近づきつつある低気圧のせいだったのか? 夕方、畳屋のお兄さんやってきて障子はめる。帰ってきた園子さんに「酒がなくなったので自動車で酒屋までつれていってください」とたのんだ。晩ごはんは、サザエ壺焼き、豚の冷しゃぶとレタス、おくら納豆、きゅうりの中華風ピクルス。ビールと焼酎をのむ。阪神がとんでもない失点をして負け頭ポンと音をたてて破裂する。

2005年8月8日(月)

朝から猛然とモーの創作。昼はきのうのタイカレーに蒸し茄子をまぜた。昨日の大雨で染みのついた障子を張り替えにだし、ぼんやりテレビをつけると衆議院がボソボソ解散していた。園子さんが帰ってきて、「猿田さんがお酒くれましたよ」と驚いた顔でさしだしたのは超高級吟醸酒。障子を外すとき、入籍して一年なんです、とぼくがいった、おそらくそのお祝いにくださったのです。すみませんすみません、猿田さん、本当にありがとうございます。夕方風呂にはいり、園子さんと深志高校そばの中華料理屋へ行く。注文したのは、エビのチリソース炒め、蒸し豚の辛しソース和え、鶏スープ、シューマイ、麻婆豆腐。いやはや、一年ありがとうございました。園子さんと猫たちに感謝の皿をさしだしつつ、まだ一年しか過ぎていないとは、とても信じられへんわほんま、とつい地声になってつぶやいてしまう。家探しから三崎から移転やら、白鳥黒鳥やら高熱やら骨折やら、ポーやらモーやら祭やら、とても覚えてられへんくらいぎょうさんありました。思い返しているうち、あたまが混乱し、グラングランとしてくる。家に帰るや早々にたおれ、記憶も現実もわからへんようになってもうたしゃあないわほんま。

2005年8月7日(日)

ひじょうに寝坊。「ポー」取材がすべて終わり、当面の予定がすべてなくなったことで気がゆるんだのか。根本の疲れが一気に噴きだしてきたらしく、朝おきて、少し机に向かうもほとんど字が読めない。けれど、大和さんからいただいたぶどうをたべるとぐんぐんと力わく、草むしりだ! 気合い入れて庭の草を根こそぎにしはじめる。郵便屋さんが毎朝のぼってくる石の道をすべてきれいにすることができて満足。西村さんの奥さんが通りかかり、「あー、ずいぶんうまくむしったじゃあん!」、一旦お宅へ引き返し、すぐあと、茶色い紙袋をもってきてくださった。覗くとなかに、茄子、きゅうり、トマトがはいっていた! 草をむしったら野菜が生えた! のみならず、さらに草取りをつづけていたら、「これ、出はじめだけどねー」といって、ぶどうを一個わけてくださった! オー嬉しい! 山辺のぶどうは今デラウエアですが、これはいったいなんデラ? とキョトンとしてしまうくらい、とんでもなくおいしい。風呂にはいり、晩ごはんは、冷や奴にイカのワタ炒めと水菜、きゅうり、タイカレー。鯛がはいってない、と猫たちはチッと舌をうった。しかしやはり野性の血に燃えて食べ尽くす。最近急に届きはじめた、見知らぬ女性からの「金を払うから繁華街の宿で会いましょう」という電子メールを見ているうち、非常なる虚脱感におそわれ、ガックリとふとんに膝をつく。

2005年8月6日(土)

朝起きて、駅前のパン屋でパンを買った。昼前に新宿伊勢丹へ。旅行と生活のため、たくさんのものを買った。スポーツ用品店で室内運動靴と屋外ランニング靴を買った。店員の若い男性は、もうじき同じ系列店の「なんば」支店に移るらしい。帰省したら寄りまっさ、と大阪弁でいっておいた。昼から浅草へ行き、ギャラリーエフで、コヨーテの佐々木さんとミーティング。いずみちゃんから素晴らしいものをいただきました。それは彼女がこの春ベネチアでみつけてきたもの。仲見世みたいな土産物商店街を歩いていると、一軒だけ、あきらかに他と風格のちがう店がひっそりとある。なんだろう、と、どうしても気になってしかたのないいずみちゃんは、勇気をだしてチリリンと戸をひらいた。そこはベネチアン・ガラスの店で、しかも、ガラスで「動物」をつくる専門店だった。いずみちゃんは目をキリリとみひらき、一体ずつ、一体ずつ眺めていった。とても全部は見きれそうにないない。そのなかからいずみちゃんは、二体をえらび、どっちにしよう、どっちにしよう、と悶々と悩み、結局、ヒョイヒョイと伸ばされたかたちのガラスの「うなぎ」を買ってきてくれたのです。悩んだもういっぽうは「うみうし」だった。アーいずみちゃん、ほんとうにほんとうにありがとう! うなぎを抱きしめ頬ずっていると、着物姿の千葉さんが店にやってきて「和楽」での書評用に「ポー」のインタビューをしてくださった。終了後、富士屋へいき、アメリカへのお土産のてぬぐいを十本買った。それから蕎麦の会。関さん、千葉さん、長薗さん、園江さん、沢田さん、理加さん。残念ながら奈良さんは急用で来られず。並木の藪は、戸口を開け放し、外に水を打って涼風をいれていて、お酒も蕎麦もかわらずにおいしく、やはりほんとうにすばらしい店だなと感嘆した。つづけて「浅草でいちばんおいしい」二葉へ。板さんもおかみさんも、皆笑顔で迎えてくれる。浅草に住んでいたときとまったく変わらない様子。厨房から出てきたおやじさんが「ポー」を買っていてくれて、おばさんが新聞のスクラップを見せてくれて、泣きそうにうれしかった。ごま豆腐、焼き鳥、吸い物、茄子田楽、五目釜飯。どれもこれも猫顔になるほどおいしい。浅草の夜にごはんを食べるなら是非二葉へ。八時過ぎにひとり辞去し、新宿から最終のあずさ号。やはり、最終電車には目に見えない疲労の種がばらまかれている、という気がする。八王子、山梨と過ぎるうち、頭がぐらんぐらんしだし、松本駅につくころには半死。深夜11時57分着にもかかわらず、片手運転の魔術師園子さんが駅前で出迎えてくれる。今日の松本は、「ぼんぼんの日」だった。別にスポーツカーを乗り回す満ぼっちゃんみたいのが大勢集まる日ではなくて、「松本ぼんぼん」なる、新しい踊り祭がおこなわれた。夜の街路には浴衣とか、なんだかわからない服装の若い男女が地虫のようにしゃがんでいた。松本ぼんぼんを実際みていないのですが、ここしばらく町のいたるところで流れていた「松本ぼんぼんの歌」はきいているうち壁をどつきまわしたくなるような歌だったのでとりあえず終わってくれてよかった。帰宅後、お風呂までいれてくれる園子さんに泣いてすがろうとしたらもう寝ていた。

2005年8月5日(金)

8時発のスーパーあずさで新宿。なんですかあれは、というくらい巨大な虫がジリジリと上空で燃えている。お昼前からお茶の稽古。ひさしぶりの濃茶がほんとうにおいしかった。それから略盆の点前。アメリカで薄茶を点てる予定なのでじっくりと見いる。四時頃辞去し、いったん代官山の兄宅へ。荷物を置いて、駅で文藝の尾形さんと待ち合わせ、今後の小説の話をする。「みずうみ」の筋を話そうとしても、まったく、小説以外の言葉で説明することができなかった。どうも失礼いたしました。打ち合わせのあと、孝典、兄、お友達と合流。天現寺にお好み焼きを食べにいく。その店に行くと兄が作るためのスペシャル材料が運ばれてくるのです。それらはやはりとんでもなくおいしかった。家に帰り、水をのんでにうにうにう。

2005年8月4日(木)

めずらしく朝から本格的に虫燃えている。ゆうべぜんぜん雨が降らなかったからでしょうか。庭に水をまき、園子さんを見送る。淡々と「みずうみ」を書いてもやはり虫は燃える。まるいちに電話しまぐろのサクを大阪に手配。午後に長薗さんから「ポー」の感想がおくられてきて感激。ありがとうございます。園子さん帰ってきてしばらく後、ユカちゃんが袋いっぱいに野菜もってきてくれる。ラザーニャのみならず! まぼろしのロバ、野菜が主食だけに涙ぐむ。晩ごはんは、もやしとピーマンと豚肉の炒め物、棒々鶏、ユカちゃんのじゃが芋を茹でたもの、きのうの残りのチヂミ。食後は園子さん注目のきついドラマを見る。このドラマにかぎらず、音を消したら、テレビに映っているものはほとんどすべて失笑の種だ。寝る前に、明日東京にいく準備と、東京でしてくる買い物の確認。電子メールで須貝さんよりポーが四刷りになったという知らせ届く。呆けて寝ているうちひ孫ができたという知らせに似ている。

2005年8月3日(水)

きのうほどは暑くない。それはすごい雨が昨夜ふったから。午前中は「みずうみ」。昼休みに自転車で郵便局へ。普段乗っているロードレーサーでなくママチャリ、しかも服装は、地下足袋に麦わら、首にぼろい白タオル。破れた軍パン。局にはいりいきなり、「アメリカへおくりたいんやけど」と荷物をさしだすと、局員の女性は平然と対応してくれて、なるほどこの辺りではやはり、ごく普通の外見なのだと安心。午後は「モー」。平行して進めている作品の両方、今日書いていたのがごくあいまいなバランスの部分だったので、あたまが何をいっているかわからない状態になる。ヒャー、ヒャー、とうたいながら農村の踊りをおどっていると園子さんが帰ってきた。夕方、駅へキップを買いに行き、そのままひさしぶりに民俗村へ。ずいぶん繁盛している。一個だけあいていたテーブルでメニューをみていると、元気なじいさんたちの一団が信州弁で大騒ぎしながら店にはいってきたので席をゆずる。「こういう立派な若者が来る店は繁盛するだ」とじいさんたちはいっていた。晩ごはんは海鮮チヂミ、豆のスープ、焼き飯。帰って園子さん「ちょっと失礼」と猫村さんのまね。夜の読書は内田氏の著作。寝る前には西脇順三郎の詩論。

2005年8月2日(火)

朝起きるとからだ重い。アリナミンはきかないのか? しかし水を飲んでいると徐々に焦点が合ってくる。ただ眠いだけだったの? けれど、集中力が持続しません。焦点が合った瞬間をのがさないよう、息をつめ、ラベック姉妹のように前のめりでキーボードをたたく。結局、夕暮れまでダブル創作。ダブルだと書く分量が二倍になる。これは実はふしぎなことで、ふだん一本だけ小説を書いているときは、一日にだいたいこれくらい、という分量がほぼ決まっているのに、それが二本になり、その分量を半分に割った枚数が合計で書かれるか、というとそうでなく、単純に同じ分量が二本それぞれで進む。じゃあ五つ同時に書けば五倍になるのか、というと、そんなことはなく、たぶんまちがいなくゼロになるでしょう。今日は最近でもとくに暑い日で、湿気がなくとも汗がたらたら流れ、ただ、こういう天気はぼくにとって、もっとも元気になる気候といっていいでしょう。からだが重かったのは急激な気圧変化のせいだったかもしれない。園子さん、今夜は、友達と沖縄料理屋へ。こちらは家に残り、まぼろしの猫たちとドライカレー。茄子(つんできた)とトマト(もいできた)とアスパラ(折ってきた)。カレーえらいうまい。途中で蒸し焼きの茄子もいれた。帰ってきた園子さんにドライカレーの入れ物を示し、「なあ、これ、銭とれまっせ」と大阪的決まり文句をいうと、テキトー、テキトーですよー、と身をくねらせて暗がりへ後ずさった。

2005年8月1日(月)

連日のダブル創作。園子さんが、病院へリハビリに行くついでに、この春まで世話になった松葉杖を返しておいてもらう(阿呆なことに借りたままずっと部屋においてあった)。自動車のトランクにいれる前、最後に両腕にはさみ、トーン、トーン、トーン、トーン、トーン、と五歩だけついて前進した。杖よ、ありがとう、ありがとう。午前中はダラダラとみずうみ。外では曇りの虫ボーボーと燃えている。午後はモー。風がでてきたので夕方には過ごしやすくなってきた。地下足袋草むしり。家の外階段をおりた庭の周囲。近所の組長の大和さんがご機嫌でやってくる。「ヨーウ、いしいさんも野良で、こんなことするだかねー」。この木はいい、あれは早く抜いたほうがいいだ、と、いろいろ教えてくれた。「おりゃー、酒好きってわけではねえが、出されりゃ飲む口でよ。神社の草むしりが今日あったから、それがおわって、ビールのんで、お供えの酒をお燗つけただ。みんな喜んでたなー。夏に飲む燗酒もうまいもんだよ、なあ、いしいさん、正月に一杯やろうや」。草むしりを終えて風呂へ。晩ごはんは、めざし、トーフチャンプルー、ほうれんそうのおしたし、トマトとイタリア香草のサラダ、納豆。食後にだらだらとテレビをまわしていたらシルクロードのローラン遺跡のそばの墳墓の番組がうつった。あまりに美しい棺。夏のお棺。園子さん、猫村さんとして「ちょっと失礼」(猫村さん読者にはわかります)。