2006年-11月

2006年1月31日(火)

夜のうちに15度以上気温がさがった。午前中はずっと創作。日が射さないといっそう寒く感じる。午後から一昨日逃げだした牛伏寺へ。これで「ごふくじ」と読みます。立派なお寺とはおもっていたがこれほど立派とは。藤原時代からの仏像。歴史は8世紀にまでさかのぼることができる。護摩を焚いて厄払い。シンボルでもある牛に触りながら猫ちゃんのことを考える。帰り道、氷雨がふってくる。前が見えないくらいの雪にかわる。温泉宿ことぶきでいちばん風呂。帰って晩ごはん。めざし、ゆばとふきの炊き合わせ、ビバ、ユバ! タコやキュウリやセロリのサラダ、青のりのチヂミ、納豆と挽き肉のレタス包み。園子さんは大阪の決まり文句でいうところの「今日はこのくらいにしといたるわ」風の満足げな顔をしている。ビバ、ロバ!

2006年1月30日(月)

暖かい朝。朝に氷点下でないとはすごい。昼まで創作。午後1時半から電話取材、ときいていたけれどかかってきたのは1時50分。お宅の時計の針は団扇みたいに太いんでっか、豪儀でんなあ、ほっほ、などとはいわず、おとなしくインタビューにこたえる。午後3時にダヴィンチの関口くん来訪。特集ページをつくってくれるそうでありがたいことです。6時までいろいろと話し、駅まで送っていって戻るや、園子さん10分間クッキング。納豆ジャコチャーハンと海苔となめたけのみそ汁。7時に町内会の会議。9時に戻って風呂。園子さんはランス・アームストロングの番組を見ている。長い映画「ドッグヴィル」を録画していなかったので叱られる。シクラメン。深夜なのに摂氏10度。

2006年1月29日(日)

口が開きにくいほど寒い。午前中創作。昼過ぎ、郊外の牛伏寺へ、前厄のための厄払いにいく。一本道で山をのぼっていったところにある駐車場はただならぬ雰囲気。ものすごく混んでいるだけでなく。なにか透明なからだに悪いものが、空中でとぐろを巻いているような気配。考えてみれば、ここにはいま、厄のついたひとが集結している。隕石がここをめがけて降ってきてもおかしくない。濃厚な厄スープのなかで、自動車はてんでんばらばらな方向を向き、待っているのか帰ろうとしているのか、割り込もうとしているのかもよくわからない。「俺の厄を取れ」「俺のを先に取れ」「わたしが先だわよ」「あんたどこの生まれですか」。空いているときに出直すことにしました。電気屋にいき、石油ヒーターと蝶番式コンピュータを買う。いったん家に帰り、ホテルことぶきの温泉へ。地味なここに現在の天皇皇后が訪れているのは何故だろう。お湯がいいからかな。晩ごはんはポークソテー、ポテトサラダ、モッツァレラチーズとトマトのサラダ、素スパゲティ。食後にラジオをつけるととあるベテランミュージシャンの長い談話番組。「このポップソングはボーイズアンドガールズのために書いたんだ」と堂々と語っていてこころから素晴らしいと思った。こたつに置いて聞いている。食後のため息のようなぬるい風が南から吹きつける。

2006年1月28日(土)

光が飛び回る朝。午前中は創作。石油ファンヒーターの調子が悪く、「換気しろ」「すぐ換気しろ」とうるさい。換気して五分でもう「換気しろ」と騒ぐ。わてのからだ、そんな臭いんだっか。午後から、園子さんとスーパーへ。いろいろと食材を買って帰る。レンコンと豚肉中華炒め、トマト、いんげん、そして焼きそば、いちごを食べる。園子さんこたつクリン。こちらは懐かしいDVD「河内山宗俊」。モノクロの映像と脚本にギョエー。特典映像の動きにさらにギョエー。夜中、崖に落ちたように気温がさがってくる。いま11時でマイナス6度。外のすべてがモノクロになっていく。

2006年1月27日(金)

今朝もマイナス9度。寒がりだった日々を思い返すと微笑ましい。朝から創作。途中でまるいちより、とんでもないものが届く。闘牛のときに武器としてじゅうぶん牛に立ち向かえるほどの巨大あわび。オー美智代さん、ありがとうございます。午後も創作し、白糸の湯へ行く。アワビの酒蒸し、サザエの炊き込みごはん、焼きはんぺん、トマトサラダ、レンコンひじき。去年買ったライフ・アクアティックのDVDを見る。園子さんときどき夢の世界。映像も夢の世界。夢とは無意識のちょうどいい反響。電子メールで懐かしいかたからお便りを頂く。

2006年1月26日(木)

そんなに寒いという記憶はないけれどラジオによればマイナス9度以下。朝からABCイベントのお土産用の本の推薦文。午後からは久しぶりに創作。たががはずれないよう、出過ぎないようにチョロチョロと進める。なかなか安定しない。夕方園子さんと、栃木からもらったいちごをもって猿田さんと本郷先生に挨拶にいく。晩ごはんはカマスひらき、みそ汁、イカと豆腐の煮付け、長芋納豆、春菊のコールスロー風サラダ。食後からだがバラバラなので園子さんに足の裏を踏んでもらう。アリス・ギイの自伝を読む。戦争請負会社という本を読む。

2006年1月25日(水)

日が昇ってからだらりと起きる。今朝方はものすごく寒かったという記憶だけがある。ニュースでマイナス10度以下だったことをしった。冷凍イカのことをしばらく考える。10時から平田治療院。ここ数日、左の膝が痛かったのですが、その理由は腿肉の突っ張りでした。縮んだ筋が膝の皿にこすれて炎症を起こしかけている。膝の下になにか置いて、脚を平らにする訓練をしなさい、とのこと。それから図書館。借りっぱなしの東欧小説を大量に返却。駐車場が混んでいて、園子さんは池の鯉のようにゆらゆらと敷地内を旋回していた。新しく借りたのは哲学の古典と戦争のノンフィクションと文芸評論集と詩論。園子さんは豚についての本をたくさん借りていたので今日は豚料理かなと思っていたらちがっていた。晩ごはんはあんこう鍋。しかも借りていたのは豚の本でなくブータンの本だった。ブータンの織物はうつくしい。あんこうの小骨もうつくしい。胃腸の弱っている園子さんはあんこうをパスし、バターつきパンのみを食しこたつクリン。食後の鍋を呆然と見ながらアンコ型の力士が豚に乗っているところを想像する。頭のなかで入れ替えて寝るまで遊ぶ。

2006年1月24日(火)

朝ザッと掃除機をかけ、園子さんを迎えに病院へ行く。診察もすんで、もう退院していいでしょう、といわれる。丸の内病院でよかった。主治医の先生は、顔を合わせるだけでこちらが安心できるような力をもっていて、看護士、助産士さんたちにも、その力は隅々にまで影響していて、さらにそれが、入院しているひとにも伝染する。またここへ戻ってこようと、甲子園球児のように病院の壁をはがすことはしない。家に帰りついたとたん、足に力が入らなくなる。こたつで伏せって動けない。園子さんもこたつ入。午後に園子さん自動車に乗って、尾久からやってきた両親を駅へ迎えに行く。ホテルで話しているあいだ、こちらはこたつでずっと同じ姿勢のままいる。いっさい動かず、なにも考えない。ここしばらく、これほどものを考えない時間はなかった。気がつくと、園子さんがノシノシ戻ってきて「さ、ごはん行きますよ!」といった。外の自動車のなかに尾久の両親はいた。れいざんというおいしい中華料理の店へ行く。フカヒレスープ、シューマイ、エビチリ、薄切り豚肉の辛子ソース、五目野菜うま煮、ホタテとエビのクリームソース煮、五目チャーハン、オー、皿よ、ここ数日でもっともまともなごはんたちよ。猫とともに叫びながらむさぼる。園子さんも久しぶりに病院食でない夕食。ごちそうさまでした。家に帰ってヘナヘナとエビのしっぽを食べた猫のように崩れる。

2006年1月23日(月)

ものすごい寒さを感じて6時に起きると薄い毛布だけで寝ていた。自分の骨が冷たくなっているのがわかる。各所へ電話や電子メールで連絡するうち昼前になっている。スローモーションの動作で動いていたのでしょうか。病院へ行くと園子さんが寝ていて、熱があるので退院は一日延ばすことになった。早く退院することが目的ではないので、すべて体内の経理のひとに任せ、さまざまな体内のことが自然と安定してほしい。昼ごはんを食べに、教えられたそば屋へ行くと、月曜が定休ということでしまっていた。スーパーでチューリップを買い、シクシク泣きながら病室へ戻り、園子さんに「閉まっていました」と報告して、洗面台の水に入れた。別のそば屋へ。これは病院からさらに近い場所にあるのですが、熱いそばを頼んだつもりがぬるく、おまけにそばもラーメンくらいにぶっとくって驚いた。建築にラーメン工法というのがあるけれど、もしかすると柱を太くする工法なのか。エンエン泣きながら病室へ戻ると園子さんはテレビで高野山の番組を見ていた。ハンニャーハーラー。やがて園子さんうつらうつら。横で新潮文庫のゲラ校正、それにしてもこの病室の平たい椅子はなんと心地よく座れるのだ。看病するひとが居眠りするのにちょうどいいのを、といって特注された椅子ではないのだろうか。からだをほとんど水平にしたままゲラ校正終わる。チューリップを花瓶に生け、宮沢章夫氏の「資本論も読む」を読む。午後6時、園子さん晩ごはん。今日はトンカツだ。まぼろしの猫はトンカツが好き。なのにああ、園子さんは、衣をわざわざ削って食べている。少し腹が痛むということなのでもちろん理にかなった処置です。熱があがらなければ明日退院、ということで、用済みのものなどをリュックと紙袋に入れてスーパーへ。出来合いの惣菜を買って、病室へ戻ろうとしたら、玄関の鍵がかかっていたり、本館からはいってからの通路が迷路だったりと、ハアハア息を荒らげながらようやく病室へ着いた。荷物を抱え、タクシーで家へ。やはりブル寒い。風呂へはいり、洗濯をし、晩ごはんはほうれん草のおしたし、じゃこ納豆、ポテトサラダ、そして惣菜のトンカツ。衣は取らない。まぼろしの猫たちはウン、それでこそトンのカツという風にうなずき、次々にとびかかる。猫ちゃんがゆったりと周りながら天井から見ている気配。

2006年1月22日(日)

起きたら9時半。簡単に掃除をし、お昼前に病院へ。顔なじみになった運転手さんが運転しながら「今日の山すごいですね~」という。そのとおり、本日の空は透明感をもって晴れていて、北アルプスが水晶のようにきれい。園子さん少し食欲がなく、お昼のカレーを半分以上もらう。助産士さんにいって猫ちゃんのからだを収めた箱を個室へもってきてもらう。一昨々日より少し小さくなっているけれど、やはり目鼻立ちはわかる。花を大量に飾り、お護りを入れ、水天宮の戌の帯の印がついた部分だけを切り抜き、からだの上に乗せる。箱の蓋をするととても軽い。タクシーで市営の葬祭センターへ。とてもていねいな応対。箱を台に乗せて焼香。案内された待合いの日の当たるソファで園子さんといろいろなことを話す。一時間後、係のひとが呼びに来る。いってみると小さな骨がちゃんと残っていた。白い小さな瓶に入れてもってかえる。病室で園子さんは着替えてうつらうつら。体温がまだどうも安定しない。ほんとうのお産と同じかそれ以上に負担がかかっているのだ。いま、からだのなかの忙しい経理部のひとが、あちこちの部分の収支をパチパチと弾いて帳尻を合わせようとしているのだ。6時に晩ごはん。園子さんと猫たち同時にガバリ。さばのみぞれ煮、すまし汁、パイナップル、ほうれんそうのしらす和え。食べるのを見守る。7時までいて、猫ちゃんの骨とともに、駅前の中華料理屋へ。酢豚とごはんを食べて家へ。骨をどうしようか。猫ちゃんの気配にきいてもわからない。作業用の小さな椅子に置き、水と酒を置いてみる。もちあげてみると軽い、とても大切な、猫ちゃんの骨。

2006年1月21日(土)

食パンと野菜を食べて新宿へ。東京は雪。あずさ。松本は晴れている。病院で園子さんはおたんこナースを読んでいた。まぼろしの猫たちは看護士さんらの間でも評判になっていた。園子さんと厚着して市役所へ。休日なので中年の男女の当直係が対応。けっこう深刻な状況なのに、男女は書類のことぜんぜんわからず、テレビがつけっぱなし、がんがん電話かかってくる、意味のわからない慌てぶり、などなど、まるで自分の小説に出てくる場面みたいだと思った。城の前でタクシーに乗ると、「おひさしぶりです」といわれ、横顔を見ると骨折したときに何度か乗った、リアル「なぞなぞタクシー」の運転手だった。行き先を告げると「うひょひょ、ひょっとして、奥さん、お幸せに?」「そのはずだったんだけどね~」と園子さんが苦笑すると、アッと口を開き、「いやいやいや、どうもすみません。でもね、きっと大丈夫ですよ。まちがいなくまた出来ますよ、いやほんとうほうとう」。目の前で獅子舞が喋っているようで、拍手したい気分になった。戻って園子さんはうつらうつら。午後6時になり、園子さんの夕ごはんは病院食。ただし、ここの病院は天然だしをとっていて体にはもちろん悪くない。7時半に病院を出て、またもや天ぷらそば。張り切ってエビ天二本にしたら胸が悪くなった。タクシーで家に帰るとどえりゃー寒く、家じゅうのストーブをつけてまわる。大阪から電話がある。かっぱえびせんの絵のエビのように体を内側に曲げてにう。

2006年1月20日(金)

朝から病院へおりていく。園子さんはヘナヘナの笑顔を向けた。昼に近所で天ぷら蕎麦を食べて戻り、それからタクシーで松本駅。あずさで東京へ。資生堂のワードフライデイ。銀座についたら、足下がフラフラと安定せず、いったんホテルにはいって横になった。六時半に資生堂の赤いビルへ。今夜の相手の川内さんと偶然エレベーターで一緒になった。「上へ参ります」といってボタンを押す。写真の展覧会以来だからもうずいぶん久しぶり。控え室でお茶を飲みながらいろいろと話しあう。7時に開演。川内さんの仕事とぼくの仕事がどういう点で共鳴しあっているか、怖いものはなにか、目の前にあるコップの不思議、当たり前に物事があることの不思議。ふたりで言葉を重ねながら言葉にならないもののかたちを積み重ねていく。場内の空気もそのかたちの一部になる。客席には何人も知っているひとの顔が見えた。知らないひとの顔もこのとき全てよく知っている顔になった。9時に終演。控え室に戻る途中、須貝さんと孝典に会う。部屋へもどってからも川内さんとの話はつづく。合奏するうちそれが自然な物音に変化していくような感じ。晩ごはんは資生堂のチキンライスとオードブル。ホテルに帰って、今日、川内さんに会えてよかったと思った。皆さん本当にありがとうございました。

2006年1月19日(木)

朝まぼろしの猫とともに病院へおりていく。園子さんの表情、そんなに変わらないのでホッとする。いろいろ話しながら園子さんは昼食のサンドイッチを食べた。お昼に歩いて花屋へ。花屋のおねえさん、はじめはわからなかったけれど、領収書の宛名をいうとアッと口に手をあてた。おまけの美しいガーベラを別の新聞紙にくるんでくれた。巨大スーパーでパンとプリン、スリッパ、洗剤を買って病院へ戻ったら、病室で園子さん痛がり、苦しがっていた。薬が効いて陣痛がはじまった。さするさする。小康状態と痛みが交互にやってくる。さするさする。3時過ぎに園子さんは車椅子で別室へ。病室の前の廊下をいったりきたり。椅子に座って早く痛みがなくなるよう祈る。三時間経っても変化なし。そのうち。助産士さんが分娩室の中にいれてくれる。園子さん蒼白。冷えたところをさする。助産士さんたちは腰を交代でもんでくれている。猫ちゃんなかなか出てこない。というより、猫ちゃんはもうからだの外にいるので、中にあるのは猫ちゃんの入れ物だ。けれど猫ちゃんでもある。さするさする。8時頃主治医が来る。いったん外に出るよういわれ、8時20分ごろ呼ばれて中にはいる。蒼白以上、透明の顔の園子さん。そして猫ちゃんのからだは箱に横向きに寝ていた。大きさは13センチ少し。けれど目鼻、口などがちゃんとわかる。ことばではないものを猫ちゃんは我々に教える。ことばでなく直に伝える。猫ちゃんよありがとう。助産士さんたち出ていく。園子さんと箱に花を入れる。しばらく経ってから病室へ戻る。ごはんは病院食。園子さんは食べられないのでもらう。湯豆腐は食べられず、ごはんにふりかけと梅干しを混ぜて、とにかく一気に平らげた。園子さんを残して家へ。とても寒いけれどストーブをつければ暖かい。こたつにじっとすわっている。大きなものがこちらへしみこんでくる感覚。自分がここにいることの不思議。闇のなかに布団を敷き大きなもののなかに横たわる。

2006年1月18日(水)

日中は掃除、入院の準備など。タクシーで丸の内病院へ。天井の高い清潔な部屋。窓から北アルプスが見える。夕方遅くに主治医から今回のことの説明があった。ひと目で信用できるのが一流という証し。今夜は園子さんは寝られないだろう。明日の準備だけでもう痛そう。痛み止め、睡眠導入剤ほか、いろいろな薬がでる。しばらく時間外までつきそってタクシーで帰る。晩ごはんは、サムゲタンの残りに茹でた麺をいれた。こたつでぼんやりとしている。去年の秋、孝典に猫ちゃんと三人の写真を撮っておいてもらってほんとうによかった。ありがとう孝典。ぜんぜん寝られず時計を見ると5時。気がつくと布団にはいっていて朝の8時。

2006年1月17日(火)

朝掃除をしていたら園子さんが帰ってきて猫ちゃんのことを告げた。しばらく立ちすくんだあと、掃除機をかけはじめたら我慢できなくなった。うつ伏せて昨年の正月、小野君のしてくれた話を思いだす。最初の赤ん坊が生まれたとき、死というものが、それまでになく具体的に感じられた気がした、という話。そのとき自分は、生と死は別物ではなく、どこかでつながりあったもので、両者の間には通じ合う光の穴があいていて、うまれたての赤ん坊のからだはそこを出てきたばかりなので、この世にいながらほのかな輝きを帯びて見えるのではないか、という風に思った。いま思ったことは、それとそんなにかけ離れているわけではなく、生と死の間には、たしかに穴があり、通じ合っている、ただしそこを通ることはまちがいなくひとのすることのうちもっとも並はずれたことで、通じ合っているという平坦さより、こちらへ、またあちらへ、穴を越えていくことのたいへんさ、重さをこそ、ぼくは今日、この世にうまれてはじめて実感した。ありがとう猫ちゃん。いつかまた会おう。園子さんは明日から物心ついて以来はじめての入院生活。午後から町へ降り、そのために入り用なものをいろいろとそろえる。日ぐれてから美ヶ原温泉。晩ごはんは外食。豚のトマト煮込み、水牛のチーズのパスタ、生牡蠣、マダイのマリネサラダ。園子さんはジェラートの盛り合わせを食べた。ふたりでしばらく互いの家族の話をする。帰ってから入院保証書というものを書く。入院者の欄に園子さんはまちがえてぼくの名前を書き込んだ。布団にはいって暖かいものの上に手を重ねる。ありがとう猫ちゃん。ありがとう園子さん。

2006年1月16日(月)

なんや、暖かいですがな、と高をくくって創作をはじめたら寒い。足先の感覚がずっとない。最近、靴下を二重にはくとわりあい凍えないことを発見したのに、なんですかいったい、と足下を見ると、靴下を二重にはいておらず、しかも穴があいていた。なんですかいったい。穴のない靴下を二重にはいてずっと創作。夕方には陽が射しはじめ、金色に輝く畑のなかを、ビニールの玉のようなかたちで園子さん帰ってくる。晩ごはんはにしんの開き、サザエの壺焼き、ワカメスープ、長芋の梅肉和え。食後はルミエール商会の映画をたくさん観る。園子さんこたつのなかで脱いだ靴下のようにそのままの形で眠っている。

2006年1月15日(日)

朝から創作。その途中大阪より王子肉がとどく。さらに、同じ方角より、すばらしい旗の贈り物がとどき、園子さん立ったまま感涙。お昼は志村先生のお寿司を蒸してさらに感激。午後は街へおりてイシイスポーツ。本屋で写真集と小説を買う。夜は王子の肉ですき焼き。その最中テレビでプリンスのビデオが流れた。純大阪風すき焼きはとてもうまくできた。気象ニュースによれば、明日からまた巨大カッパが来るらしい。

2006年1月14日(土)

朝からあずさで新宿。初台で孝典と合流し、お茶の初稽古へ行きます。社中全員で薄茶を点てたあと、お寿司をはじめ、すばらしい御膳をいただいた。濃茶をいただく段になって、急に辞去することになり、皆さん本当に失礼いたしました。午後五時のあずさに飛び乗る。帰って疲労コンパイセグンド。キューバの歌声のように、足下がめろめろになっている。チャイナスパイスでレバニラ、湯葉と野菜炒め、水餃子、園子さんはごはん、こちらはぬくい紹興酒を飲んだ。園子さんは杏仁豆腐もたべた。最近の天候と、気象ニュースのいいかげんさについて話した。気象予報士のひとたちは、昔は予報がはずれると、近所のひとから「ちゃんと当ててください」と叱られたり、まじめなひとだと自分を責めたりしたものだったけれど、いつのまにか「天気予報」じゃなく「気象情報」と呼び名が変わり、そうするとどうなったかというと、天候について無責任になった。情報を伝えるお天気キャスターだから、まあ、たまには外れることもあるし、外れてもこちらの責任であるはずがない、という態度。理屈はもちろんそうなのだろうけど、天候や気象ってものは、それを読むひとが真剣に向かうのでなければ、でたらめになってしまうのではないでしょうか。この世の事象は遠いところでつながりあっているものだから、とそんなような話。今夜は暖かい夜。気温はプラス4度。

2006年1月13日(金)

やはりマイナス6度。陽が射さないぶんいっそう寒く感じる。風がでてきて余計。朝からこつこつ創作。こつこつの音がグギャーというキャタピラーの音に踏みつぶされていく。昼のラジオ番組で、沖縄は25度、半袖もってこなくて後悔しています、などとはしゃいだ声でいっていて、急にチンパンジーのレインダンスを踊りたくなってきた。午後も創作。なんだか空気がぬるい。「ちはーす、三河屋でーす」といって園子さん帰ってくる。猫ちゃん! 園子さんの腹が熱を発しているかとおもったら、外気温が午後5時にして6度もあった。朝から12度もあがっていることになります。風呂にはいると40度だ。晩ごはんは、豚のキムチ炒め、もずくトマト、チーズちくわ、おからの和え物、そしてサムゲタンを再利用したラーメン。あちあち。寒くない。11時の気温は8度。真夜中過ぎ、レインダンスがきいたのか雨がふってきた。

2006年1月12日(木)

マイナス6度。窓から見える四つ辻のところで道路を掘り返し埋めている。キャタピラーの音が響くなか創作。ゲラがつぎつぎに届く。対談、みずうみ、雪屋ロッス、そして文庫。年のはじめからこんなにいっぺんに出てだいじょうぶか。イカ? と聞き間違えた猫たちがいっせいに振り返る。ダヴィンチの関口くんと雪屋について相談。晩ごはんはまるいち直送の甘鯛煮付け、春菊ときのこごま和え、レンコンと豚の牡蠣ソース炒め、イカの一夜干し、ミニトマトサラダ。イカ? 猫たちいっせいに飛びつき一夜干しを一瞬でたいらげる。

2006年1月11日(水)

1並びの日にようやく気温は11度でなくなった。マイナス4度ぐらいだった。ウワーオ、暖かい朝だなあ。タヒチの砂浜にいるみたいだ。そう思った瞬間まぼろしのタヒチから抗議の通信が送られてきた。朝から創作。野性時代の掌編「ミケーネ」。猫の話ですが、野性時代だからといって、荒々しい山猫の話ではありません。お通夜の席に猫の面をつけたひとが座っているかと思ったら、それは本物の黒猫で、「ミケーネと申します」と礼儀正しくあいさつをした、というはじまり。昼前に猿田さんが来て洗濯機のカランを直してくれる。みかんその他、猫の本などもいただいた。いつもすみません。修理が終わったあと、清水の矢沢医院まで送ってもらう。ここは皮膚科で、冬場には手指が荒れるから通っているのですが、前の患者さんがたいへんらしく、ずいぶんと時間がかかりました。ぼくの診断は10秒ですんだ。薬局の前でタクシーに乗ると、運転手さんが目を丸くし、「ああ! 松葉杖だったひとだ」と懐かしげにいった。「もういいの? 後遺症ないの、若いねえ!」「ありがとうございます」。とこたえながら、じつのところ気づかないだけで、後遺症はあって、明日にも足首がしゅんしゅんと凍みはじめるのかもしれない。悲観を振り払い、午後も創作。夕方に「ミケーネ」終わる。午後五時なのに野山がほのかに明るいのは妙な感じです。晩ごはんは中華料理の薬膳スープ、甘鯛の塩焼き、いんげんとトマトのサラダ、めんたいこ。ひどい倦怠が薄れたようなので、新潮掲載の「残光」をゆっくりと読みはじめ、だんだんと息が詰まりだす。生の、人間の読書。

2006年1月10日(火)

この冬いちばんの冷え込みといっていながら11度。戌年だからブルブルのブルドッグという洒落か。それにしてもなんだろうこの倦怠は。からだ重い。熱をはかってみてもマイナス11度でなくふつうの36度ちょうどで少しだけ安心。なんだかからだの奥底からひっぱられるような、それをこっちのからだで懸命にひっぱり返しているような、これまでにない倦怠感。鬼海さんより電話あって少しオッケー。ブルドッグが駆けだした感じのまま創作。そして対談ゲラ。ゲラおもろい。けれどすぐぐったり。ぐったりしていると「三河屋です、三河屋です」といって園子さん大荷物で帰ってくる。猫ちゃん! おかえり! 去年まるいちに送っていただいた甘鯛がまだ解けておらず、ただそれは手違いでなくてずっと台所が氷点下だったせいで、今日の晩ごはんはアジになりました。追加に菊菜牡蠣湯豆腐、千葉さんの送ってくださった美味ソーセージ、アスパラとサラダインゲン、からしめんたいこ。食べても倦怠は薄れず。オイモイ。まぼろしのろばが悲しんでいるのは洗濯機の水道のカランがはずれたかしらん。管が凍って取っ手のところが破裂していたのです。皆でギエー。

2006年1月9日(月)

尾久の両親にあけましておめでとうございます。そして水天宮名物、安産のための戌の帯。つまりさらし。腹の上にぐるぐると巻かれ、猫ちゃんギエー。三越でまたマナティ、いやマタニティ服。高島屋で電車のなかで食べるごはんを買う。焼き鯖寿司、生春巻きサラダ、カキフライ。帰ったらマイナス5度の世界。台所のお湯が出なくなっていて難儀。「そういうときは、電池をあたためるといいんですよ」(園子さん)。言われたとおりにゴシゴシと暖め、湯沸かしに入れてみるとオー、ほんとうにお湯が出た。「出ましたよ!」と座敷に駆け込むと、園子さんこたつで早くもクリン。

2006年1月8日(日)

朝はマイナス11度。もう毎朝だから驚かない。昼まで創作したあと、あずさで新宿、乗り換えて上井草。午後5時からいわさきちひろ美術館で荒井良二さんと対談。やってきた荒井さんは、黒い上着、カーキの軍パン、白いセーター、黒い革靴、上着のラペルにつけたピンバッヂまでまったく同じ服装だったので互いにたいへん驚いた。出番前に入り口のところで舐めていたのど飴まで同じだった。会場にはすごい塔。さらにすごい数の観客の皆様。話を書くときのアーウー、トトト、ウイーのリズムと、線を書くときのリズムの同質性について、表現は自分だけのものではないということ、荒井さんはダチョウを飼っていて毎朝背中にまたがり町内を散歩してまわる、という話などをした。最後のはウソです。終演後サイン会、ウミウシ細工やお菓子や手紙をくださったかた、そしてはるばる寒いなかをお越しくださった皆さま、どうもありがとうございました。そしてイタリア料理店。無声映画の話をし、電車で尾久の家に帰ったらすごく疲れた。びっくりするくらい疲れているのでなんだこれはと思った。ギエー、ギエー。園子さんも驚いている。こたつでうつぶせのまま動けず、あとはどうなったか全然わかりません。園子さんに抱きかかえられて二階へ運ばれたのかもしれない。「抱きかかえたりしませんよ。シャツの襟首をつまんで、ヒョイヒョイってもってあがっただけです」(園子さん)

2006年1月7日(土)

朝からおだやかにおちついた、というより、なにも動くもののない氷の世界。窓ガラスでスケートができる。朝からモー。そして午後から散髪へいく。美容師の麻田さんと、ひとにはそれぞれ向いているスポーツがあるのかもしれないという話をした。ロッククライミングにだけは向いていたくない。歩いて本郷工房へ。坂をくだりかけたとき、コツコツと音がしたので振り返ったら、乗用車の窓を園子さんがツメで叩いていた。家に帰ってすぐ、園子さんはかばんに荷物を詰めはじめ、そして「では私、実家へ帰らせていただきます」といった。これは夫婦間の不和が表面化したわけでなく、水天宮で戌の帯をもらうため、一日早く上京する、という意味です。タクシーが来る。荷物を抱えた園子さんと猫ちゃんを外まで見送る。いってらっしゃい、猫ちゃん! 東京はこわかとこじゃ、気をつけるとよ! わかったばい、おいどん、いってきますんど! まったく物覚えのいい猫ちゃんなことです。晩ごはんは猫たちと風景カレー。冷えた布団に入り、背中でアイススケートをすることを考える。

2006年1月6日(金)

起きると氷の世界。窓にはつらら。台所に置かれた布巾、流し、洗い物すべて凍っている。窓は真っ白。寒い、とつぶやく気も起こらない。だいたいマイナス12度くらい。毛布で足をグルグル巻きにし、朝からモー。昼は残った寒ゲタン。午後もモー。まったく陽が射さない。ラジオのニュースによれば昼の最高気温はマイナス3.8度。風呂場にあるものがすべてひとつの膜に覆われつながっている。園子さん後ろに手をまわしヤッホーヤッホーとスケートの要領で帰ってくる。郵便受けを開けると、関西のとあるかたより、猫にまつわるすばらしい年賀状が届いていた。箪笥の上に飾り手を合わせる。冷えたせいか腹が痛くなった、といったら、納豆を食べなさい、と園子さんはいった。大阪の人間が納豆を嫌うというのはいったいいつの話ですか。晩ごはんは、茹でブロッコリー、ミニトマト、いか豆腐、すばらしいカレーライス。味に主張がない。おだやかにおちついた風景のようなカレー。そのようにいうと猫たちは「わからんね」という風に首を振り、黄色にまみれてトラ猫になった。ガタン、と音をたてて洗濯機のホースが外れる。園子さんギエー。洗い場にいってみると、ホースの水が凍っていた。

2006年1月5日(木)

寒いよう。寒いよう。マイナス5度は寒い気温だよう。これは猫ちゃんではなくもうすぐ40になるおっさんの明け方のつぶやき。ほんとに5度だったのか。起きてから座敷の窓を見ると内側につららが垂れていたけど。午前中は創作。といっても椅子にただ座っているだけです。午後に書き始め、モーがそろそろと進んだので、安心して野性時代の掌編をはじめる。といって、やはりぼんやり座っているだけ。気がつくと紙の裏へ落書きのように、黒色の猫、ガム、棺桶と書いていた。おそらくは自分のどこかから響いてきた掌編の材料。けれど今のところどういう話なのかまるでわかりません。日暮れに園子さん、自動車を亀のようにあやつりかえってくる。昨日から準備していた鍋に火をいれ、交代でお風呂。そして晩ごはんは寒げたん、いやまちがえた、サムゲタン。鶏の腹に香草や米や朝鮮人参をいれて分厚い鍋で炊いたもの。まぼろしの猫たち、ひとくち食べるや涙目になりつぎつぎと園子さんにとびつく。どうしてこんなものが作れるのですか。ほうれんそうごま和え、れんこんきんぴら、長芋の納豆和え。園子さん湯たんぽを布団にいれて先にクリン。気象ニュースを見てサムゲタンと湯たんぽに得心がいった。予報によれば明日の早朝はマイナス11度。

2006年1月4日(水)

寒いのかそれともぬくいのか。マイナス5度とはそんな感じの朝の気温。たまっていた日記を整理。出していなかった年賀状を書く。園子さんはこたつに倒れている。その間に、電気系統がおかしくなっていたトヨタの自動車が修理されて戻ってきた。晩ごはんは干しカレイ、もずく長芋、サラダ菜とトマト、れんこんのきんぴら、大阪で買った平たい餃子。テレビでパンダの番組を見る。接近するカメラマン。穏やかに横たわるパンダの母と子。感激して涙。黒い画用紙を丸く切ってこたつで寝ている園子さんの目に貼った。デジタルカメラをもってきて、接近して、撮影しようとすると、レンズに霜がついて曇っている。かまわず撮ったら霧の山中でさまようパンダのような写真になった。

2006年1月3日(火)

克典もリエちゃんも体調戻り全員が揃う。午前中、園子さん待望のお好み焼き。今回は広島風で、兄の手腕にひとも猫も呆然。猫ちゃんにとっては憧れの叔父さんとなるだろうか。母の提案で牡蠣を入れてみたら旨みが増してさらに素晴らしい味になった。「好きなものを入れるからすき焼き」と昔祖母がぼくにいった。「ほんなら、お好み焼きとおんなじやん」というと、「へりくついいなさんな」と怒られた。その他、いま思いだしたへりくつにこういうのがあった。「なあ、おばあちゃん、米って一粒ずつに神さんが七人はいってんるんやろ」「そうや。だから、一個でも残したらバチ当たんねんで」「ほんならな、カリフォルニア米ってあるやん。あれは一粒ずつに、キリストさんが七人いてはんのか?」。昼過ぎにみなで池に行く。帰ってきて記念写真。孝典はこういうときだけプロ扱いされる。克典夫婦が出立、つづいて、兄と園子さんとともに、タクシーで西田辺駅へ。ところが兄忘れ物をし、駅から再び実家へかえっていく。新大阪駅で園子さん慌ただしく土産物購入。のぞみのなかで吉田司氏「王道楽土の戦争」下巻を読了。この本を書きあげた吉田氏の集中力と知識、勇気、深い無意識の力に、からだがしばらく、感電したような感じになる。感電したまましなのに乗り換え。上巻をもう一度はじめから読む。六時半ごろ、松本について寒いと思ったらマイナス一度で拍子抜け。しかし外を歩いているとだんだんからだの動きが鈍くなってくる。電光掲示によると気温はもうマイナス4度。駅前の古い中華料理屋で八宝菜と麻婆豆腐、チャーハン。うまいではないか。一昨年松本へ来たときはじめて食べた料理がこの店のチャーハンではないか。暗い畑のなかをタクシーは進む。家の戸をあけると冷えきった空気が黒いゼリーのように揺れた。息をつめ、頭からゼリーのなかへもぐっていく。信州の新春。

2006年1月2日(月)

今度は克典が風邪で寝込んだ。猫ちゃんアワワ。三段重ねの儀式をまたくりかえしたあと、昨日まぐろに驚くあまり食べられなかった雑煮を食べる。テレビでは痩せたひとたちが山を走っている。富士屋ホテルにいったときも思ったけれど箱根にはところどころ、時間が通常のように流れない、エアポケットのような場所がある気がする。それは正月の感じに似ている。箱根は年中を通して正月で、痩せた学生がいつも走っていたり、毎朝初日の出がのぼったりという印象を受ける。なにかの中心があるのでしょう。どっと疲れて昼寝。園子さんとフラフラ散歩に出る。帝塚山は一時にくらべ新しい建物が増えていない。古い店がなくなり、新しい店がはいる、ということはあるけれど、基本はあまりかわらない。万代池はドッグショー会場のようになっていた。ぜいたくな蟹の鍋、雑炊を食べたあと、ゆうべリエちゃんが見ていなかったので、再びミリオンダラー・ベイビーをかける。正月にこれを見る家族はいても、連夜見るという家族はさすがに少ないだろう。母と義理の娘ふたりやはり呆然。父やはりグワー。同じイーストウッドでも「スペース・カウボーイ」を見たとき、母は「とうさんのいびきが、ロケット発射のタイミングにぴったり合ったので驚いた」といっていた。

2006年1月1日(日)

あけましておめでとうございます。戌年であるいっぽう、猫ちゃんの年第一日。家族で列をなし神棚を回っていると克典がおりてきてリエちゃんが風邪だといった。孝典は京都で行方不明。それ以外の家族は仏間に集い新しい酒の儀式をおこなった。お屠蘇に使う三段重ね。小さな盃でまず一周。中くらいので一周。大きなものでまた一周。「これはええ具合や」と父。ぞろぞろとお節の並ぶ食卓へ。今年はまるいちから赤身、中トロ、大トロを複数買ってみました。ゆうべから冷蔵庫で解凍しておいた。これがものすごいまぐろで、特別にいいのを選んでくれたのがよくわかった。兄も園子さんも、こんな赤身は食べたことがないだ、と信州弁になって騒いでいる。のぶさんありがとう。母と園子さん。リエちゃんによるお節、今年は菊の井の村田はん風。れんこんは三杯酢でなく、鷹の爪を入れた酢水に浸す。これが大正解。黒豆も今年はとくにすばらしい。途中でわさびがなくなり、きずしに付属していたおまけわさびを少しずつ分け合う。お酒は松本から送った明鏡止水、黒龍の大吟醸。黒龍の派手な箱に父は感激し、これだけでうまそうだ、と喜んでいた。午後に園子さんと住吉さんへお礼参り。猫ちゃんを連れてきてくれたのは昨年の正月買った住吉さんの御守りだった。二宮は安産に御利益のある拝殿なのでとりわけ時間をかけて手を合わせた。目を開けると夜になっていた。時間を巻き戻し、明るいうちに帰る。そして夜は蟹。尾久のお母さんが築地で注文し送ってくれる蟹。ばら寿司とともにかみやさんのおばちゃんにもっていく。今年の蟹は肥え太っている。園子さんは蟹に詳しく絶妙な加熱加減で食卓へもってくる。家族全員、顔を猫にしてむさぼり、そのうちまぼろしの猫たちにからだを乗っ取られる。食後は一家でミリオンダラー・ベイビー。昨年のエレファントに比べれば、正月に家族でみてもふしぎではない映画。見るのは二回目ですがやはりからだが途中で動かなくなり目玉だけになる。母も園子さんも腰が抜けたようになっている。猫にエビのしっぽを食べさせても腰は抜けます。エンドロールの流れる暗い部屋。父はソファでグワー。