2007年-12月

2007年8月31日(金)

朝から雨。ぶどうの葉を雨粒が叩く音。起きたら七時過ぎで仰天。陽が出ていないと起きないのか。朝顔男。YOMYOMつづき。昼過ぎまで。昨日ユッコが置いてきた自転車を取りにいき、贋自転車、重いものをもちあげる。帰りは向かい風でしんどい。つまり南風が強いということ。帰ってダラー。山手線内回りはすごい小説だった。こうとしか書けないという切実さの言葉。身がねじられて軋む笑い。ノルゲと同じく、読む側も含めた複層の私が重なりこすれあう。ふと廊下を見ると段ボール箱があり、ナニコレと園子さんにきくと、ワイナリーのデラウエアをサービスでいただきました、とのこと。何十箱も注文したので驚いたらしい。晩ごはんは挽き肉納豆レタス包み、ちくわ胡瓜、ひじき、小松菜と油揚げ、海老煎餅にマヨネーズは禁断の味。園子さん宇多田ヒカルをみる。ぶどう、食べてみる。デラウエア! デラウエア! と驚きの声。正岡容よむ。

2007年8月30日(木)

涼しい曇りの日。朝からYOMYOM。午後も。母からベンツの時計の話。大阪のホテルで立食パーティがあり、そこへ父は招かれた。行くとベンツの時計をくれる、という。ホテルでランチでもおごってもらお、と思って母はついていった。パーティはだらだらつづき、父母は飽き、会場から一階のロビーにいった。母はロビーの物陰のソファに腰をおろした。ロビーには自動車が展示されてあった。父はフラッとそっちのほうへいき、誰かと何か話し、そして戻ってきた。母に、決めてきた、といった。母はなんのことやらわからなかった。父は、たったいま、自動車を買うのを決めてきたのだった。母は電話で「結局、エンジンとタイヤがついたベンツの時計になってしもたのよ!」といって僕はとても驚いた。「ロビーで商談してたのは、どれぐらいの時間やってんな」ときくと、母はウーン、と考え、「一分くらいかしら」といった。父、光速の寄せ。三時から本物の自転車に乗り、美ヶ原の運動場にいくと、贋自転車のバイトの青年に、本物の自転車をほめられた。帰ろうと思ったら雨が降ってきて立ち往生。ユッコ困っちゃったナー、と思っていると、園子センパイの自動車が、騎馬隊のようにさっそうと登場したよ。アーよかった。八月もあと一日で終わりデスナー、という話を園子さんにすると「しんじさんは、旅行でもなんでも、「終わる」感じが好きなんですねー」といわれた。尾張名古屋ニャー。五時に風呂にはいり。晩ごはんは、駅の近くのラーメン屋でたべた。園子さんは濃厚しょうゆつけ麺、あたいは塩ラーメンにした。それから松本文化会館のサイトウキネンフェスティバル。園子さん正面玄関をみあげ、カメラもってきたらよかった、というので、まだやってるから撮りにくればええじゃない、といったら、わざわざこれを撮りにはきません、といわれた。中にはいると三谷さんがワインサービスを求めてさまよっていた。七時からハイドンの交響曲「うかつ者」。これは六楽章からなる交響曲。なのに、四楽章が終わった途端、場内のクラシック通とおもわれるおっさんおばはんが盛大に拍手を始め、ホホウ、これぞまさに「うかつ者」、とワシは顎髭をなでたよ。五楽章がはじまるとみんな唖然としておったよ。そして、この交響曲は、六楽章が調子よくはじまった途端、バヨリンが極端にウイーンと音を外し、演奏をやめ、音合わせをはじめる、という冗談がある。ここもうかつ者。指揮者の広上淳一のアクションに笑いと拍手。八時からラフマニノフの交響曲第二番。雲のなかと稲光のような一楽章。駆けてゆく二楽章で、ちょっとつんのめった。三楽章で大きくなにかがまわり、そして整い、四楽章で花火かと思っていたら火山だった。広上氏のジャンプはしようと思わなくてもジャンプしてしまう感じだった。ジャンプというより音符になっているのだと思った。オーケストラの人が皆たのしくてしかたがないという感じで、それはお祭特有の空気と、指揮者のキャラクターが大きいと思った。いってみるものだ。来年から、広上淳一が常任となる京都交響楽団の会員になろうと思った。園子さんはラフマニノフかっこいいレコードほしい、といいながらハンドルをまわし夜の家についた。仁尾の海老煎餅をたべる。園子さん都築響一熟読。あたいは天草のオラショの本。あんめんじんす。

2007年8月29日(水)

朝は曇っている。朝ごはん食べてYOMYOM。午後も。そして三時から走りにいく。ギョエー、走っても走っても薄川の河原ダヨー、とユッコ泣く。気を取り直して競歩で帰る。晩ごはんは、つるむらさきなめこ和え、ジャコおろし、水菜と炒めエノキサラダ、アボカドトマトサラダ、豚の生姜炒め。園子さん小川洋子「海」よんでいる。柳美里「山手線内回り」よむ。イヤー、おも郎。

2007年8月28日(火)

園子さんの夢。京都かどこかの建物に、「とてもおもしろいもの」が見られるから行こうって、しんじさんと行くんです。和洋折衷っていうか、すごい格好いい日本のお屋敷に、洋館がついているみたいな建物。前に広場があって、もうそこにお客さんがたくさん来ていて、山内健司さんとか、町田さんご夫妻とか、有名なスタイリストのひととかもいて、ヒエー、こういう人たちが来るんだから、ホントにおもしろいんだー、ってあたし思うんだよ。みんなソロゾロ、すごい大きな階段を登っていくんだけど、その途中で、お客さんのひとりが、正座したままの姿勢でフワーと宙に浮きだしてー、みんな、ワー、浮いてる! スゲー! スゲー! って叫んで、そして階段をのぼって、お寺みたいなかにゾロゾロ入るのね。そしたらサー、けっこう天井が高いんだけど、お客さんがぎっしり立ってるなかから、ビヨーン! てひとりが天井まで飛びあがって、そしたら、そこいらで人がビヨーン! ビヨーン! っておおぜい飛びあがって、ウワー、スッゲー、スッゲー、スッゲーって思ってたら、正面の壇のところに、なんかその教団のエライ、仙人みたいな人がサー、ゆっくりのぼっていって話しだすのね。その両側に、教団の職員の中年の人がずらーって並んでるのね。で、その中のひとりのおじさんが、急にあたしを見て、「なんやー。またあんたかー、大阪から来たんかー」っていうの。まわりのほかの人もニヤニヤして「あんたまた大阪からかー」っていう。あたし、エー、エー、この人たち、なんで知ってるんだろう、って悔しく思ってるところで、たしか、別の夢になりました。あとおぼえてない。ソレハソレハ。朝から創作。十時頃、諏訪の病院へいく。終わって黙ってウナギ食べる。帰ってから、YOMYOMかく。大町の柏木さんから電話。「おれもさー、生活団だったんだよね」ということで驚く。東京の生活団だった。YOMYOM読んでないというので送ってもらうことにした。晩ごはんは、みょうがと油揚げの煮浸し、カブの和風マリネ、枝豆、ピーマンのおかか和え、さばの味噌煮、もやしニラ炒め。森敦よむ。からだと頭がねじれてビヨーン、ビヨーン!

2007年8月27日(月)

セミが鳴いている。朝からYOMYOM書く。園子さんに、今朝しんじさんは歯の夢を見ていましたね、といわれる。「歯医者いきます、といってるから、そのまま聞いていると、ケース買わんとあかんから、といっていました」。意味わからじ歯の夢。いっぽう園子さんは尾久の家でお祝いをしている夢をみた。なんのお祝いかはわからない。そこへ、お祝いの人がくる。そのうちふたりは、ホームレスで、ひとりは男で、もうひとりは戦災孤児のようなおかっぱの女の子である。園子さんは「アチャー、来ちゃったよー」と思う。「お父さんとお母さんがいるのにー。うちはマズイよー」と思う。ただ、ふたりのホームレスは「ふだん」よりよほど身なりを工夫していて、お祝いをしようという気持ちはじゅうぶん伝わってくるので、「まー、しょがないかー」と思う、という夢。意味わからじお祝いの夢。僕が昨日見てまだおぼえているのは、園子さんとふたりで音楽スタジオみたいなところにいる。そこで園子さんが、しんじさんとはもう別れようと思う、という。あまりに急なことだからか、悲しみも驚きもわかない。しんじさんと別れて、ここにいるミュージシャンの人と一緒になる、という。ミュージシャンとは浮き草稼業やなー、けどまあ、小説家も同じかー、と思う。それでミュージシャンの人とうまくいかなかったら、いまはわからないけど、もうひとり、誰かと結婚してみて、それでダメだったら、もう一度しんじさんと結婚します、と園子さんがいう、という夢。YOMYOM書く。園子さんは首の長い鳥の店へ。そして帰ってきて、「しんじさん、話があります」と切り出した。ヒヒン、もう別れようと思うというのか、ヨヨ、と床に手をついたら、「韓国料理の名前は、ジャン、ではなくて、ジョンですよ! ジャンだと、焼き肉のタレです!」といった。少し考えて、先月、最近の料理の名前は人を馬鹿にしているようだ、などと日記に書いたのを思いだした。ジャンジョン。園子さんと散歩にいく。田圃、葡萄畑。虫取りの子どもと老人。ワイナリーが近くに見えるけれど、なかなか近づかない。「裏道なんてないですねー」といっているうち、よその家の畑の畦を通って、ワイナリーの駐車場に出られることが判明。プチトマトとズッキーニと、ピーマンを買う。帰り道、遠くにストーンサークル。格好いい、と園子さん。ふと見るとそこにもストーンが。まず祠に手を合わせ、地蔵に手を合わせ、見知らぬ人の家族のストーンに手を合わせる。おばさんに挨拶するも無視される。ススキ神社に、僕は一年ぶりくらい、園子さんは御柱のときだから二年ぶりくらいで来て、いやー、ごぶさたしてすみません、ちょっとお邪魔します、といって、ふたり分の賽銭を投げて手を合わせる。猫の分もあるかもしれん。ミギャー! まあ落ちついて。ぶどうの出荷に忙しいおばちゃんらがパートの別れを惜しんでいた。ラジオから坂本九のムスターファが流れていた。風呂にはいり、晩ごはんは、ピーマンのおかか和え、鶏レバーの八角煮、春菊のごま和え、おぼろ豆腐、そしてサンマ初物の塩焼き。ダラーとしていたらのぶさんから電話がある。トナカイにかわれ、といわれ、染料の話を話したかったらしい。なにかをのぶさんも感じ取っているのか。

2007年8月26日(日)

うちで、七時まで寝ていたのだから、相当突かれていた。槍に? ちゃう、疲れていた。朝ごはんを食べて日記整理。書評の原稿を書く。ところで、ここ何ヶ月かの朝食でいつも食べているのが友人のマリちゃんのパンですが、このパンがいまや名人というか、素人がおいしいパンを焼いてみました的な、表現する感じが微塵もなく、もうごく普通の、毎日食べるためのうまいパンになっていて、このパンをもって週一か週二の割りで、玄関先にマリちゃんがみずからのパンをもってきて、ニャー、と叫ぶ。これはマリちゃんがまぼろしにとりつかれたわけでなく、玄関のベルの下に、このベルは壊れて鳴らないので用のある人は戸をあけてニャーといってください、と書いてあるためで、律儀なマリちゃんは毎度そのようにしてくれるのだが、こうした律儀さは、パンを焼くのにプラスに働くのだろうか。できあがったパンを食べるにつけそうかもしれんと思う。パンの天才を友人にひとりもつべし。午後石川淳。湯をはった風呂にはいり、晩ごはんは、蒸しとうもろこし、モロヘイヤオクラ納豆、プチトマトマリネ、エリンギと青梗菜の中華炒め、鰆の西京焼き。園子さん大河ドラマみて、九時半頃寝る。なんやかややっているうち、イヤーモウ、十一時やないですか。

2007年8月25日(土)

朝おきて贋自転車。ユッコおにぎり食べようとしてビニールの開け方わかんなくってメチャクチャになっちゃって・・・デーモたーべた。九時のあずさに乗ろうとプラットフォームでぼおっと立っていたら、いしいさん、と声をかけられ、長身の黒い服をきた男性ふたりだったので、ロバのふりをして逃げようとしたら、今日の昼から松本で取材をうける、出版社のかたとカメラマンのかただった。そしてふたりが自由席のほうへいってしまうと、プラットフォームであずさ号のドアが開くのを待っていたら、ひきずりトランクをもった女性がこちらを見て、口を大きくあけ、アッ、アッ、アッ、といいながら近づいてきて、いしいさん、といったが、僕はこの見覚えのある女性が誰か、思い出そうとしたけれど、思い出すより前にあまりに身近なので口のほうが先に動き、長薗さんは寝てるんですか、などと関係のないことをいった。長薗さんの奥さんのさとみさんは、松本の友人の家に泊まりにいくところだった。おもろい、おもろい、といって、携帯電話をとりだし、ピポパパとかける。出ない。またかける。出ない。車内にはいり、出発前になって、ようやく長薗さん出る。「九時ちょうどのあずさ九号で私たちは旅に出ます」といったらガハハと笑った。あずさ出発。松本まで石川淳よむ。松本つく。改札でさとみさんと別れ、園子さんが運転する自動車へ乗り込む。田舎家。本棚撮影。天草の伝承キリシタンすすめる。夕方石川淳。バカダー、あたい、久々にヤッチャッター、と園子さんが叫んだのは風呂に水を張っていた。風呂にはいってから、体力回復のため、わかりやすい料理焼き肉の明月館。イヤー、馬いないなあ。アタリマエれすよ!牛はおってもウマはおりまへん!イヤー、わしはただ、ウマイなー、といいたかっただけでね。と複雑な拍子で舌鼓をうち、ミノ、レバ、ハラミなど食べた上、園子さんはビビンパを食べた。きのういただいたCDのDVDをみる。すぐ寝る。

2007年8月24日(金)

起きて創作。サイン本作り。お昼に散髪。原さんは若々しくなっていた。博多談義。ジャージ談義。午後、近くの別のタワーにいき、ポルノグラフィティというバンドの新藤晴一さんと談話。若々しく繊細で爆笑な時間。音楽や小説や絵を、音楽家や小説家や画家がやることの背後に、なにがあるか、というような話。ゴー、ゴー、ブロードバンド! 名刺ぎょうさん作ってきてよかった。ホテルに帰り、少し創作。少し寝る。焼きそばを食べ、BAR FLOWで佐藤さんと合流。ギムレットとジンリッキーをのむ。帰ってバタリ。

2007年8月23日(木)

よう晴れておる。半袖で創作。十二時過ぎのあずさで長袖。渋谷駅から半袖。三時半ごろ、セルリアンタワーというタワーのホテルにいくと外人と派手な女性ばかりでロバブルリ。日暮れまで創作。ピンク色のズボンを買いにいき、戻って贋自転車こぎ。山下書店へいく。お酒買ってくる。ところがからだに力はいらず、これは眠いのだ、と思って、頼んだ麻婆豆腐を食べてすぐに寝る。でかいベッド。

2007年8月22日(水)

風強く、曇っているので涼しい。朝から半袖創作。いろいろなものが飛んでくる。午後は贋自転車の遠乗り。そのまま鹿の修理にいく。これはギャラリーエフの社長姉妹の実家で昨年いただいた巨大な鹿の木彫りで、角は、ほんものの鹿である。エフ姉妹の家の玄関に、もう何十年も置かれ、数え切れない来客を出迎え、はじめは木にニスだけだったのが、壁を塗りにきたペンキ職人さんに「塗っといてやったよ」という風に背中に、ちょん、ちょん、ちょん、と鹿目の斑点を描かれ、いざ大掃除、という段になって床に降ろしてみると、腹の板にドワーと虫食いがあり、というのは、木を鹿に彫っただけではあまりにも重いので、中身を下からくりぬき、板で蓋をしておいたのだが、その板が虫食いでベコベコになっていた。松本にもってかえってから、新聞紙にくるんで保存してあったのを、園子さんが余裕ができたので、本郷先生の知り合いの職人さんのところへもっていき、相談することにしたのだった。木彫りの鹿は木工場がよく似合う。帰りにサワサワと雨降ってくる。オー恵みの雨か、と思ったらすぐにやみ、家の庭ふんだらコンクリのように固く屁のつっぱりにもならんかった。というのも今日、大量のぶどう、デラウエアを大和さんよりいただき、今年もデラウエア! と驚く季節がやってきたなー、と猫の背を撫でるような心もちでいたら、大和さんによれば、今年の酷暑、小雨のため、デラウエアの色づきがよくないのだそうで、ぶどう農家はみなタメイキをついているのだった。二杯まるまるいただいて帰る。ハンガーノック。カツ代先生直伝夏のモロヘイヤ鶏シチュー、ホタテにんにくソテーハーブ和え、おくらのごま和え、きゅうり黒酢、蒸しブロッコリー。夜中にドワーと雨。

2007年8月21日(火)

気温は朝21度。朝から半袖で創作とはあと何週間それができるかね、と感慨には別に浸らなかった。十一時に終わり、昼まで、BAR FLOWの連載小説を二本書く。昼は34度シエー。博多の古本屋から、画集「かくれキリシタンの聖画」とどく。スゴイスゴイ。園子さんに受胎告知のお掛絵をみせると、園子さんしばらくみたあと、天使が天狗になっている、と的確なことをいった。午後に贋自転車。帰ってきて、風呂にはいる。早くから起きていると空腹も早よおますなあ。モグモグモグ、と何も食べてないー。晩飯の前には何も食べへんのはうちの家にずっと伝わってきた家訓ザンス。番ごはんは空腹で食べるザンスよ! 晩ごはんは、イワシのカルパッチョ、このカルパッチョという名前をきくたび、どうしても、太ったイタリア人のような人が散髪屋にはいって、髪の毛を滅茶苦茶に切られているところが浮かぶ。誰やねんパッチョって。おぼろ豆腐、茄子入りトムヤムクン、モロヘイヤのおしたし、大阪からとどいた王子の牛肉。栄養のある料理、ザ・世界一周という感じ。夜は美濃よむ。日本の有名なバンドのDVDの前半をみて回転しながら寝る。

2007年8月20日(月)

朝起きたら園子さんが書き置きを残していなくなっていた。一時間ほど玄関の前で体育座りで待っていたら帰ってきた。パンを食べた。午前中創作。肘の少し下側が、両方とも赤く腫れている。きのうの草刈りのとき食われたかもしれん。このまま全身まっ赤っかになったら因幡ダナー大国さん。外を走ろうにも今日は暑すぎる。勘弁しちぇください、といったら園子さんは何を、と慌てたようにいった。家のまわりではデラウエアの旬がはじまっていて、窓や戸を開け放していると、ぶどうの風が吹き込み、クルクルとまわる。その座敷で美濃よむ。スゲーナー。風呂にはいり、番ごはんは、鶏レバーの八角煮、おかひじきごま和え、ゴーヤ味噌炒め、あぶりじゃこ天、岡山のままかり。最近のままかりは美味だが、美味すぎる。もっとすっぱくてよいのではないか。と子どもの頃に食べたままかりをおもいだして考える。焼酎のんだら美濃よめない。園子さん九時過ぎに就寝。ハーンよむ。

2007年8月19日(日)

五時半から近所の川掃除。カマを持っていき、川にはいってザクザク刈る。六時半には終了。帰ったら園子さんが布団干している。今日はたまっている日記を整理しなあかん。と思って始め、気がついたら正午だった。ナス麻婆を食べて、さらにつづけ、二時半になったら頭がスカスカになった。電子オーディオ機器をもって、草を刈った川べりを走りにいく。戻って小島信夫「美濃」よむ。園子さんは土井一家の献立を読んでいる。風呂にはいり、晩ごはんは、ピーマン、蓮根、金時草の葉、みょうが、たまねぎ、豆と芝エビ、金時草の茎とニンジン等かき揚げ、貝柱とタマネギかき揚げ、以上の天ぷら、金時草のおしたし、いか納豆、胡瓜の甘酢煮、胡瓜浅漬け、蓮根きんぴら。園子さん大河ドラマ。そしてフィンランドの曖昧なドキュメンタリー番組。行人よむ。

2007年8月18日(土)

ダラーと起きると六時。かと思って目をつむり、ハッと起きると九時だった。ユッコ二度寝テヘ。シャワー浴び、ちょこっと創作をし、昼は天神の繁華街にでかけ、先日田中さんに教わった「かさね」を食べてみた。ムーまい。二時発の飛行機で松本へ。三時四十分着。空港で園子さんがチラシを読んでいて、声をかけたら、愕然とし、自動ドアの前で待っていようと思ったのにキー悔しい、といった。松本はやはり空気すずしい。郵便物を整理し、風呂にはいり、晩ごはんは、アボカドトマトサラダ、青豆冷や奴、さつま揚げ、ナス麻婆。食べたあと、園子さんに手製の漫画を渡された。読んでいく前に、それがどういうことを描いたものか直感でわかった。

2007年8月17日(金)

ダラーと起きると八時。近くを軽く散歩し部屋でチョト創作シタネ。昼に大竹さんとニラそば屋。天神のほうへ回って、本屋などひやかしてグルリとホテルへ。となりの「トラベルカフェ」でコーヒー。ここがふしぎなカフェで、店内にいろいろ外国旅行のチラシやパンフレットが差しこんであり、棚を見ると、洋書の美術書など並んでいる。ふと見たところに、クルト・シュビッタースの画集があり、引き出して開くと、これまで見たシュビッタースの画集のなかでもサイコーの画集だった。ドイツ語だった。版元をメモして買おうと思った。シュビッタースの住んでいた家にいま大竹さんの知り合いが住んでいるという。メルツバウは、住んでみると、物を置くところが多くて楽かもしれん。画集の隣は「タイガーウッズはいかにプレイするか」という本だった。それから部屋で創作。夕方、道草よむ。日暮れ前に美術館へいったら、熊本からのお客さんに声をかけられた。森村泰昌展にいったのが縁で電子メールの文通をしていた、美術館の皆さんだ。喫茶店でクリームソーダ、ゼリーなど。八時前、入り口のフロアで湯浅さんとかくれキリシタンの話。そしてダブ平ライブ。カーテンが左右にあくとオーという声がするので展覧会を見ていないひともいるのだなと思った。老人が揺れていた。赤ん坊のハンズクラップ。内橋さんの激情の哀愁のギター。イエーかっこいいライブだった。終了後、ぎりぎり間に合った吉住さん夫妻も含めて十人を引率し、ホテルのそばの居酒屋へ先乗りでいく。イカやアジや焼鳥や枝豆。そこからまた天神の博多かどうかわからないレストランバーへ移動し大竹さんらと合流。宇和島から駆けつけた御大将もふくめ。四時くらいまでいた。ホテルの前で解散。博多の夜明けは近い。

2007年8月16日(木)

イヤーまた暑いね。九時発の電車で岡山へ。十時過ぎ発の新幹線で園子さんは東へ。あたいは西へ。サヨナラ、サヨナラー! 涙をふいてユッコ買っておいたちくわをパクパクと食べたよ。久しぶりの関門トンネルだ。提灯アンコウだ。博多はきれいな女性が多いねー。天神のホテルまで汗みどろ。ニラそば屋がしまっていて、近くのラーメン屋で豚骨ラーメン食べる。ふつう。市立美術館で展示見てまわり、五時過ぎ大竹さんに電話。六時前に行くよー、とのことなので、図書室でアメリカの初期映画を借りてみた。居眠りした。六時頃、上にあがっていくと、大竹さん、ナンバさんら、ダブ平の音を調整している。オー桃しろい。飽きないね。七時を過ぎ、音はいっそう大きく、愉快になり、お客さんも帰ったので、受付の机を借りて、ダブ平をビージーエムに創作。八時半頃音合わせ終わり、ライブスタッフみんなでタクシーに分乗、中州でおり、フラフラと繁華街を移動、よさそうな居酒屋へはいり、ヤリイカの姿作り、明太卵焼き、いかシューマイ、げそ炒め、枝豆など食べた。安くてウマイじゃーん。それから赤坂の、ジャズのかかっているバーへ移動。トランペットの飾り方が、ふつうだったらハハと失笑してしまいがちなのが、この店ではごく自然に、そうなってしまってもう長い歴史的な感じで壁にかかっていて、すごいいい店だなとおもった。ジンやウイスキーなどのんだ。ホテルへ帰り、大竹さんに丸亀の芸能人うちわをお土産に渡す。それから部屋で缶ビールを缶のままでマイケル・ナイマンききながら互いの長崎話。シーボルト、ラフカディオ・ハーンなど。部屋もどったらなんと三時でか。

2007年8月15日(水)

朝ごはんを食べ、陽が高くならないうちに墓参り。こちらは母方の登喜子祖母ちゃん。園子さんはもう何度もお参りしたことがあるが今回も念入りに手を合わせている。帰り汗ダラー。これが熱中症というものか。昔、戦艦長門やバイオリン虫に熱中したことがあったなあ、オヤオヤ、走馬燈のようだ。といった風にモーロー体なので風呂場で水浴びをする。まし。タクシーくる。伯母さんと母と園子さんと乗る。詫間から東へ。母はそのまま乗っていき、伯母さんと園子さんと僕は丸亀でおりた。漢字の組み合わせがすばらしい地名丸亀。さらに、美術館の名前も漢字の組み合わせがすばらしく、丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館。見るのははじめてである。オブジェと馬の絵。常設展。奥さんの誕生日の絵がぶっとんでいるがだいたい他もぶっとんでいた。そしてネト。ネトといっても糊や蜂蜜でない。白いストッキングのような袋に、そば殻や、スパイスなどがいれてある。座布団、柱、寝袋、ワンピースの服。撮影大会。ネトで寝とる。という人が何人いたろうか。ネトネト。それからうどん屋さがし。しかしお盆のただ中であけているうどん屋がそうそうは無いのである。商店街抜け、駅のそばで、ようやくあった。三色うどんを三人でたべた。うどんに縁のある日々ですね。うちわミュージアム。丸亀来てうちわミュージアムへいかへんてどないやねん。このフレーズがいいたいがためにわざわざいったようなものだった。が、うちわを実際に作るところが目の当たりにでき、伯母さんも園子さんも喜んでいた。若尾文子、高峰秀子などの絵のうちわ。ふたたび、丸亀市立猪熊弦一郎現代美術館へいき、常設展をすわってみた。電車で十分で詫間。伯父さんの調査で教えられたバスに近づくと、仁尾にはいかん、といわれ、次のバスは五時半や、と一時間も先のことをいわれた。また三人でタクシー。三豊市になってから仁尾のバス事情は我々の側からすればよほど不便になっている。伯父さんに若尾文子。吉永小百合があればよりよかった。タイ塩焼き、太刀魚塩焼き、ゴーヤチャンプルー、わかめ煮、ごま和え、おくずし。ビールと焼酎。頭チカチカで就寝。

2007年8月14日(火)

夜明けごろ起きると犬喜。山道を連れ歩くと、ほうぼうで片足をあげ、大量の小便を、野草などにかける。よほど入っているのだと膀胱の容積に感心する。ときどき山荘からおはようございますーと声がかかる。無言で通りすぎれば通報される気配。犬を連れている人はどうして犬同士をそばに寄せようとするのか。俺はよその犬はきらいや。猫かロバにしてくれ。帰ると園子さん、父起きていて朝ごはんを食べる。なにわナンバーのベンツに乗り、福山市の松永町へ。まずハルイさん。気配も調度品も格好いい家である。松がなくなっていて驚いた。干し柿がおいしかった。新刊を送る約束をした。それからお墓。巨大なクスノキの木陰にずらりと一族の墓石が立っている。初代、二代、三代から、十数代ある。いしいは松永の人である。そしてちょっと離れた新しい墓所へ。美保子おばさん、若いオジさん、そして祖母の石井園子さん。水をかけながら二代目石井園子さんは、ふしぎな感じがしますねー、といって、手を合わせ、念入りに念入りに頭をさげていた。半透明になった感じだった。ハルイさんが掃除しておいてくれたので墓参りはすぐにすみ、薬師寺にあがってご住職にいろいろ近くが変わってきた話をきいた。松永、住まわれたらどうですか、縁もあることやし、といわれた。では、鞆の浦へ参りましょうか。ここは雑誌で鬼海さんが写真を撮っていてとてもよさそうなところだと園子さんと話していたのだが、父は細い道にトラウマがあるらしく、頻りに、細い道に出たらかなわん、細い道に出たらえらいこっちゃ、となにわナンバーのベンツの運転席でつぶやいている。私は助手席で道路標示をみあげ、鞆の浦あっちやん、というのだが、父の車内の恋人のカーナビは、この先、左方向です、斜め右方向です、などと道路標示とちがうことをくりかえし、ハハー、これは情報が古くて、旧街道、つまり父の恐れるところの古い道のほうへ古い道のほうへとこのベンツを誘おうとしているのだな、と端では合点がいくが、ハンドルを握る白頭の父は、道路標示より、カーナビの、左方向です、という声をきくと反射的にハンドルを切ろうとし、あかんて、そっちいったら細い道いってまうて、とあくまでも細い道の影に怯やかされながら私たちは鞆の浦についたのである。安堵したのもつかの間、市街の道がほんまに細かった。対岸の社、遊覧船、熱海と三崎が入り混じったような、あっけらかんとした明るさ。ここは良いところだ。犬問題。日陰の駐車場に入れ、夏の鯛飯セットを三人ともとり、タコ煮、きすの刺身を食べた。凱旋門賞。馬かった。福山まで送ってもらったがなんという暑さですか。アスファルトに婆さんのからだが諸星大二郎風に溶けこんでおるではないか。分厚い感じのごまバナナジュースをのみ、新幹線で岡山、在来線に乗り換えて詫間。仁尾バスがなくなっていて、百円バスに乗ろうとしたら、あと三十分といわれ、タクシーにした。仁尾の家には伯母さん夫妻と母がいた。焼きキス煮浸し、たちうお刺身、エビ天、昆布の煮たもの、焼きたて海老煎餅、これは八月に焼くもので夏場はほんまにおいしい、ゴーヤチャンプルー、トマトのすばらしいマリネなど。インドへの赴任のときの話。母と伯母さんは缶ビールを缶のまま飲むことを最近おぼえたらしい。コップにつぐと泡おいしいねと上品にのむ。それから、お婿さんの青木さんがくださったいい焼酎をのむ。母と伯母さん、オイッシー、といって飲んでいる。酒のむと途端にガクリ。奥座敷に布団を敷き、チカチカ信号が点滅する気配を感じつつ就寝。

2007年8月13日(月)

朝から荷造り。園子さん漫画さん。朝から岩魚くう。松本発十時のしなので名古屋、駅弁と乗り換え、ひかり号で相生につく。駅前で、なにわナンバーのベンツの上で白旗が振られていると思ったら父の白髪だった。父は手を振っていた。車内は犬臭。パチが檻のなかでうごめく。播磨の山の家、というのは、父が三十年前くらいに、週末、山の別荘暮らしもええやろということで購入した山荘で、弟や兄は学生時代わりと利用していたが、僕はほとんど来ておらず、それはあたいの目に鬼太郎のようなものが見えるからでなく、ただ運転免許をもっていないからである。たぶん二十年前くらいに、友人に運転してもらって一度きたような気がする。父の山の家はふつうの、父がひとりで犬を撫で、酒を飲んで過ごすのにちょうどよい大きさです。園子さんいろいろ近くの地図確認。そして急遽、備前にいくことになった。晩ごはんの海産物を食べる日生と同じ方向にあるので都合がよい。夕方四時頃、備前につくと、お盆なのにけっこうお店やっている。園子さんはサンマなどを載せる細長い皿を買いたいのだ。どこにもそれはあるが、作家風だったり、重すぎたりと、いろいろ試した結果、最初にはいった店で、これは、と手に取った皿がもっとも良かったことがわかった。すると、レジにもっていくと、もう一枚ついてきた。若いおかみさんが、これ売れませんからねー、と、同じ皿の置いたらガクガクするやつをサービスでくれたのだ。二人家庭でちょうど二枚。包んでもらうあいだ、ろくろを見せてもらう。土のことなどきく。おかみさんから、それ、いいTシャツですね、とほめられた。大竹さんの「ニューシャネル」を着ていた。備前を出、日生へ向かう道が異様に混んでおり、なんや、なんやといっていたら、のぼりに「海祭」「花火大会」など出ている。ギョエーと転回。上郡でなんかなかったか、寿司屋があったはずや、それでなかったら家で焼きそば焼いてあげる、と父はいった。上郡につき、酒屋にはいって聞くと寿司屋はない、うどんしかない、といった。そこおいしいですか、ときいたら、アー、とてもうまいわ、といった。ほんまかいな。と思ったらおいしかった。三人とも鍋焼きうどんを食べた。山の家に帰ると、犬騒。置いていかれたパチはあらゆる床のものを暴れてずらしており、なかでも、どのようにして、台の上に置いてあった扇風機の首を、扇風機を引き倒さず、台の上のままへし折ったのか、三人ともいまも謎である。空には驚くほどの星。しかも、ビュンビュンと流星が落ちている。しかも、尾がどれも長い。流星群が来ているのか。園子さんと2001年の獅子座流星群を見に、河口湖畔のスキー場へ野外侵入し、寝袋のまま転がって星を見た。まわりは霜で凍り、魔法瓶のウイスキーのお湯割りがからになった。朝焼けの富士山に、ビュンビュン流星が走った。それ以来の流星。キッチンテーブルで父とビール、焼酎のむ。父ニュースとNHK特集みている。十時頃先にガクリ。

2007年8月12日(日)

朝から創作。ええんでんなこれで。十時頃、国立劇場に文楽電話。チケットを取るためにえんえん電話のボタンを押すということをしばらくしていなかった。単純作業は、これだけやっていればこの世にいる意味があるので、とても気が楽で楽しい。十五分後くらいに、携帯電話でかけていた園子さんがキャッチ。ひさしぶりやけどテレクラやね。テレクラといえば、と園子さん。こないだ、ティッシュ配りの人からテレクラのティッシュもらって、よく見たら、ビニールのなかに、十円玉入っていた。町に出て、開運堂で、墓参り用のお菓子かう。本屋で、別役実、漱石かう。家に帰ってダラリ。オー暑。小島信夫よみ、海獣の子どもよむ。風呂にはいり、晩ごはんは、茹でモロッコいんげん、ほうれんそうおしたし、ゴーヤのきんぴら、きゅうりの酢の物、キムチ豚肉炒め、明太子。明日からに備え、野菜を使い尽くそうという狙いがみえる。山十さんの息子さんふたりが岩魚もってきてくれる。ありがとうございます。園子さんが見た鬼太郎が見た玉砕。眠いナー。

2007年8月11日(土)

朝から創作。ええんでっかこれで。園子さん掃除さん。猿に「お乳」をもらって育った子どもの話。午後も創作。午後四時前、あずさ号で矢野さん来る。うちにあがってもらい、ぶどう畑からの風に吹かれてビール。家の良さについて話す。温泉ホテルことぶきで温泉にはいり、アー、さいっこうだナー、と外へ出て歩きだした矢野さんは、駐車場とは反対のほうへ歩いていった。さいっこうだナー。ホテル花月にチェックインしたあと、近隣をめぐり、そのままヒカリという料理屋へいったが、ここは以前、園子さんが連れていってくれた鹿教湯温泉の素晴らしい宿が、松本の市街に出した新しい料理屋ということで、和食とフランチ、いやフレンチ料理があり、矢野さんが来るのを口実に、園子さんと、では行ってみましょうか、ということになったのである。野菜和食のコース。薄暗いなかで差し向かいになって食べ、「ノルゲ」、夏目漱石の話などする。裏庭に蛍がいた。蛍を入れるビニールハウスのようなのに入れているのだった。バー、エオンタにいき、矢野さんと園子さんは自家製のジンジャーエールをのんだ。バー、ウオータールー或いはワーテルローで、園子さんはアルコール抜きのカクテル、矢野さんはウイスキー、あたいはジンをのんだ。心地よいフラフラ感。ここしばらく、十二時を過ぎて起きていたことはなかった。矢野さんありがとう。帰ったら一時である。ふとん敷いて暗闇でガクリ。

2007年8月10日(金)

朝から創作。昼に終え、タイカレー。重いものと贋自転車。家に帰りノルゲよむ。風呂にはいり、晩ごはんは、カリフラワーとニンジンのマリネ、ピーマンのおかか炒め、米茄子柚子味噌田楽、にんじんたらこ和え、豆腐チャンプルー。食後、佐伯一麦「ノルゲ」読了。とにかく素晴らしい小説だった。

2007年8月9日(木)

寝坊して六時ダネ。同人誌のための創作。ええんでっかこれで。午後は重いものと贋自転車。この暑いのに。家に帰りノルゲよむ。晩ごはんは、博多で買ってきたごくふつうの明太子、これは、ごくふつうに、ものすごいうまさをもつ明太子の意味だった。焼き甘唐辛子の柚子味噌和え、豚シャブレタス胡瓜トマトサラダ、アジのたたき、厚揚げの焼いたの。夜もノルゲよむ。

2007年8月8日(水)

平戸の朝景もうつくしかった。海から陽が射し、高台にある平戸城が、下のほうからゆっくりと染まってくる。バイキング形式の朝ごはん会場にはユッコより少し上の年代のお姉さんがジャージはいた長髪のようなお兄さんとたくさんいて、ハー、これがサークル旅行ってモンカー、と思っちゃった。サークルっていったらユッコ、サー牛が来る、とか思っちゃうナー。来ればいいのに。きのう逆光だった寺と教会の見える風景を撮影し、田平教会へいく。煉瓦造り。職人鉄川与助、自信の一作。YOMYOM取材はこれで終了。自動車で高速道路で一気に福岡に戻る。田中さんが、柳橋市場というところに案内してくれる。オー、なんとすばらしい市場。魚屋、魚屋、八百屋、魚屋、魚屋。まるいちの大場さんによれば、日本でもっとも魚文化が発達しているのは、博多だという。大場さんはあるとき、博多の料理屋にはいり、付け出しででてきた、ふしぎな食感のものがなにか、まったくわからなかった。店の人にこれはなにかとたずねると、こともなげに、いそぎんちゃく、とこたえた。スゲーナー。そういう珍味寄りのことだけでなく、とにかくアジやらサワラやサバが、自分がたったいま、漁船の上にいるかのように新しく光っている。こんな市場他になか。田中さんお薦めのめんたいこ屋でごくふつうのめんたいこ買うばい。自動車に乗り、田中さんによる博多ラーメンの説明。だるまという店の前を通るとき、みなさん、窓あけたら、すっごい獣くさい臭いがきますよー、といった。そして一風堂本店で、ここにしかないラーメン(かさね)というのを食べようとしたら行列でガクリ。さきほど通りかかったとき並んでいなかったので、とんこつラーメンの老舗だるまへいく。おっしゃるとおりコテリ。濃厚においしかった。福岡空港に、もくろんでいた通りの時間につき、三日間お世話になりっぱなしだった田中さんと涙の別れ。木村さん、広瀬さんに見送られる。飛行機に乗る。着く。おりる。空港の外はジリジリ暑いねー。松本駅へ向かうバスのなかで五度目くらいの方丈記。五時前家に戻り、郵便物などあけていると、東京の実家へ門の新築の話で帰っていた園子さん六時頃もどってくる。晩ごはんは中華料理のれい山で、シューマイ、酢豚、五目冷やし麺、野菜と牛肉の旨煮。旨煮という名称について考える。旨煮がまずかっても旨煮で、お好み焼きに、嫌いなものが入っていてもお好みである。この辺が方丈記。焼酎のんでにう。

2007年8月7日(火)

夜が明ける佐世保の椀を窓からみた。一階の、非常に野菜が豊富な朝食を食べて、ぐるりのスナック街をまわってみたら、すばらしい店構えアンド店名が並び、やはりここだけで連載がひとつ書けそうだとおもった。田中さんはゆうべハンバーガー屋にいったのかきいてみると、「いきませんでした。すごく、我慢しました」といった。自動車に乗り、まっつぐ平戸へ。観光局の駐車場でガイドの高田さんと合流。地元の山の中の家で生まれ、かくれキリシタン文化を間近に感じながら育った高田さんは、朗らかな印象の女性で、カトリック教徒である。十六世紀のイエズス教会の布教と、明治期のパリ・ミッション教会の布教の違いなど、高田さんからでないと、想像もつかない話だった。高台にのぼり、生月島をながめる。外海、五島、生月という、人の流れ。先代の墓所を掘ってみると十字架がでてきた話し。そして昭和四十年代の、平戸の恋の歌を自動車のなかでうたってくれた。ガイド王道。丸山の由来。宝亀教会。何年も何年も、運がなけりゃできない。フランス寺とよばれていたこの教会は「カワイイ教会」として知られ、ここで結婚式をあげたいと女の子がやってきたり、身をよじらせて写真を撮るアンノン族がいたりと、そういうファンシー感が一応あるが、これとドロ版画をつなげて考えたとき、巨大な光のように頭の天蓋をひらめくものがあった。ソーカー! さらに高田さんは日本の職人芸のすばらしさも指摘していた。大人っぽい、巨大な紐差教会へ移動。鉄筋コンクリート。職人鉄川与助、生涯仏教徒の仕事。与助はドロ神父に教会建築のことを教えてもらったのである。それから木々津教会。キリストの道行きを見おろされながら見る。切支丹資料館を見て、それから、今回もっとも重く、息をひそめるような場所にいった。それは一見、浜に面した、土の盛り上がった土地なのだが、おろくにん様と呼ばれる石の奥に祠があり、ここは、かくれキリシタンとカソリック教徒が、合同で慰霊祭を行う場所である。そばには、八重山並みの美しい海がある。寝獅子の浜。そこに昇天岩がある。橋を通って生月島へ渡り、この橋がなかったから、隔絶された生月にはかくれキリシタンの文化が根付いたのでは、と高田さんにいうと、それもあるけれど、捕鯨などで豊かであったことが大きい、と強調されていた。生月の島の館。ここで、ドロ版画とならんで見たかった絵を見ることができた。かくれキリシタンが納戸神さまをまつるとき、ご神体とする「お掛け絵」。これはすごい。ちょんまげのヨハネが着物を着て、ヨルダン川にいる。高田さんいわく、「みなさん誤解されていることが多いのですが、かくれキリシタンというのは、仏教徒ですから」。よろこび、かなしみ、ぐるりよーざ。こういうお掛け絵はいったい誰が描いたのだろう。こんな強さの絵は滅多にない。興奮のあまりクラクラして、生月の港の集落の日陰を高田さんと歩いた。隙間なくくっついて建てられてある家々。台風のため、また、高田さんの推測では、五人組制度のなごりではないか、とのことで、それにしても豊かだったという話し通り、豪華な正面の家屋敷が多い。それからガスパル様、という、松の根が残っているところへいった。山田教会はすばらしい教会で、ホエーと見ていると韓国の若者の巡礼ツアーが退去してやってきて神父さんは勝手知ったる様子で若者相手にミサをはじめた。さらに、自動車で島の北端、大婆鼻と書いて「おおばえ」という岬にいき、岩をのぞき込んでみたら地球が丸かった。どええらい水平線。ユッコ内股になっちゃう。まるいナー、チキウ。最後にザビエル教会へいき、途中で建築資金が足りなくなり、アシンメトリーになった、という話をきいた。寺院と教会の見える風景、というのにもいった。高田さんに、イヤー、生月に貸家はありますかね、ときくと、ありますよー、私の実家に住むならタダよー、と仰った。イエイエもったいない。すばらしいガイドありがとうございました。自動車で巨大旅館に行き、温泉ホテルということだったので、とりあえず浴衣きて、ひとりで展望風呂いった。あがった。別館の露天風呂にいった。あがった。もう十分だとおもった。六時半に一階ロビーで集合し、近くにある居酒屋晴れたり曇ったりへ、田中さんの案内で、木村さん、広瀬さんといった。長崎の観光協会から、とにかくウマイ魚を食べさせてくれるようにいってあるはずです、と田中さんはいった。その通りだった。おこぜの刺身。さばの刺身、ものすごいウマイ。ウチワエビ、アジ刺身、平戸牛など、出てくるもの出てくるものすべて上手く、店名にかかわらず快晴だとおもった。都合、四人で異様な量の飲酒をした。酔った口調で、最後に、お茶漬けを頼んだのをおぼえている。お茶漬けが自分の前にも運ばれてきたのを見て、木村さんは、もう入りません、といい、田中さんは自分のチャーハンを食べて木村さんのお茶漬けも平らげた。田中さんは元アメリカンフットボールのランニングバックで、食べることがほんとうに好きなのが一緒に食べていてこちらにわかり、またその心情が自然に伝染するので、こちらも食べているものが全ておいしくなるという福々しい人である。いま思いだしたけれど、生月の、高田さんお薦めのかき氷屋さんで、田中さんはかき氷を二種類食べ、高田さんは、かき氷屋で二杯食べるひとは珍しい、といっていた。ここで僕も「ミルクセーキ」を食べた。この食品の名前は知っていたがこれまで食べた経験はなく、また、長崎のほうでは「ミルクセーキ」というのは一種独特な食べ物で、溶けたアイスクリームのようななかにしゃりしゃりの氷がはいっている、と教えられ、ふだんまったく甘いものを食べない僕はおっかなびっくり、ここの名物はミルクセーキだから、と高田さんに教えられたので注文してみたら、こんなにおいしいものかと驚いた。これは二杯食べた田中さんの心情が伝染したということより、この店のご夫婦がかくかき氷が、特段においしいのだと思った。

2007年8月6日(月)

長崎港の夜明け。東側に山があるので街なかに日が差しこむのが遅く、はじめは遠くの海が明るく、そのうち、街は一斉に朝になる。朝ごはんを食べ、七時に南山手。日向にはグワーと陽が照りつける。坂をおりたりのぼったり、木の根に座って新聞をよむ。このあたりが職場の人が早足で通りすぎる。八時に大浦天主堂がひらく。なかをグルーリと見てまわり、昨日のハワイアンバンドの幸を祈る。信徒発見のマリア像にユッコ跪く。フラーと裏手に出たら、「羅天神学校」という表示があり、ナニナニ、と顔を近づけてよむと、その建物はドロ神父が建てたと書かれてあって驚いた。長崎に来たのは、YOMYOMという雑誌のエッセイのためで、そもそも天草のサンタマリア館で、ドロ神父の作ったドロ版画を見て、衝撃をうけ、その流れに運ばれてやってきたのである。フランス生まれのドロ神父はもともと医者だったが、長崎に来て、羅天神学校の設計をし、現場監督をし、それから今日これから訪れることになっている外海にいった。フラーとなかに入ると、いくつもつづく、教室だったらしいところが、ガラスケースのキリシタン関係の展示室になっていて、ここ最近写真で見つくしている「どちりなきりしたん」があったりして、見入ってしまったが、最後の部屋にはいって、グワーと頭をかきむしってノートを開いた。ドロ版画の原版が七枚、そして刷った版画。去年の十月、直島に行く前の日、大阪の母が「石橋のおじさんにきいてみたらええやないの」といったときと同じ驚きとともに鉛筆を動かす。長崎バスで外海へ。わりと混み合ったバスに一時間ほど乗っていると「道の駅」というバス停につき、そこに、遠藤周作記念館がある。記念館でYOMYOM取材隊と待ち合わせしている。炎天下を歩いていると後ろから巨大な黒い自動車がやってきて、ヒャーロバこわい、と屈もうとしたら、窓から木村さんが爽やかに「いしいさーん」といった。記念館の入り口で、今回三泊四日お世話になる九州の達人田中さん、そして、本日外海を案内してくださるボランティアガイドの山崎さんに挨拶をした。山崎さんは早速、外海の人々が苦難の末、角力灘の向こうにある、五島に渡っていったときの話をしてくれた。角力灘の海底に石炭の坑道が広がっている話。いったん近くの食堂で「ドロ様ソーメン」を食べる。山崎さんが、自分の幼いころの不思議な体験を話してくれた。その話のなかで、私は、長崎のセミナリオにいっていて」という言葉があり、もしかしてそれは大浦の、ときくと、「ハイ、羅天神学校です」とおっしゃって、またも驚いた。山崎さんの子ども時代が学校を歩く気配が今朝のあそこにあったのか。それから歴史資料館。石炭を掘るカッター巨大。他に多数のキリシタン資料を見て歩きながら説明をうける。次兵衛岩のまたもや仰天の話。山崎さんスゴイ。ドロ神父の作ったマカロニ工場、パン工場へいく。それを外海のクリスチャンは、船で長崎へもっていって売っていたのだった。マカロニはとてもよく売れたらしい。イワシ網工場の跡に、ド・ロ神父記念館が建っている。当時の制服、左官の道具、メリヤス編み機、重錘動力式柱時計、117年のハーモニウム。シスターのハーモニウム演奏で賛美歌「いつくしみ深き」うたう。暑い中、出津教会へ移動。祈りの家。明治のクリスチャンは如何に働きしか。この地区でいまは220戸、800名くらいのカトリック教徒がいる。自動車のなかで巡礼の目的という話をきいた。山崎さんスゴイ。大野教会へ移動。ドロ壁。ドロ様と左官との冗談の話。石造りの教会は他に五島の大崎教会だけらしい。裏へまわって、こんなにうつくしい石積みの建物は他にないとおもった。安心して脱皮した蛇の皮があった。ほかにもいろいろまだ整理できない感じのことがあった。鉛筆を動かす。新地の集落を過ぎ、ド・ロ神父様が飼った畑のあとにいく。巨大な煉瓦構造に唖然。山崎さんは坂をのぼりながら「驚くのはこれからです」といった。その通りだった。ここは「大手作業所」という史跡で、草がちょうどいい感じで生えているが、山崎さんは「みなさん、ほんと、ちょうどいいときに来られた」ということで、一週間前まで草ボーボー、土曜日に新聞記者がきたときには霧が出て「なーんも、見えんかったばい」とのこと。バスチアン屋敷跡へ。真っ暗ななかへ入り、しばらく目をこらしていると、ボワーッと白い十字架が浮かびあがり、直島の本村の、ジェームス・タレルの作品を思いだした。ド・ロ神父様のお墓へ。その偉業をたずねる山崎さんのすごいガイドツアーはここで終了した。本当にありがとうございます。田中さん運転の黒く巨大な自動車で一路佐世保へ。途中、佐世保におけるハンバーガー文化についてレクチャーを受ける。佐世保でのハンバーガーは、松本でいうオヤキ、いやちょっと違う、大阪でいうお好み焼きのような、地元感を凝集して食べるような食べ物になっている。知らんかった。港のそばのホテルにチェックインしたあと、防空壕を使った洋風居酒屋で、イワシ刺しやソーセージ、ピザ、つくねなど食べた。田中さんのビールのジョッキは数秒で空になった。佐世保の飲み屋街は灯り、並び方、空気、店名など、どれをとっても素晴らしく、この夜の町だけで、YOMYOMの連載書けますよ。といったら木村さんはやりますかといった。やりますよ。二階にあがる、外国の町の名前のバーに四人ではいっていく。意外そうに顔をあげたのは濃厚な色香の若年増の女性。店内にはジャズが流れ、ジャズの写真が飾られているいっぽう、仮面舞踏会に使うような仮面とか、人形とか、ぶらさがっている。きけばご主人がやっていたお店を、ご主人が亡くなってから引き継いでいる、ということで、ご主人のジャズ趣味の上に、ママさんの仮面舞踏会趣味が重ね塗りされているのだな、と思った。田中さん、トンカツ情報。鹿児島のとある店を力をこめて大プッシュ。ママさんは引き込まれ熱心にメモしている。「ヒレ、やめて、ください。ロ・オ・ス! 絶、対、に、ロ・オ・ス!」と田中さん。「ここの豚は、ロ・オ・ス! で、食べてみてください!」。フンフン、とママさん。あなたたち、どこから来たの、といわれ、田中さんがいろいろ話し、我らの泊まっている宿の名前をいったら、ママさんは、「アー、あそこはいまのところ佐世保で、いちばんきれいなホテルだから。ベッドも広いし」と意味深なことをいった。いいバーだった。そのホテルへ向かって歩きながら、時計を見るともう十一時なので、「イヤー、もうこんな時間ですね、ハンバーガー、また今度ですねー」と何気なくいったら、田中さんは街中で狸に話しかけられたような顔になって、「エ、いしいさん、いまからですよ」といって、見れば広瀬さんも木村さんもこちらを見て、この狸人間語しゃべっとるけど意味わからん、というような顔をしていた。ポンポコピー。田中さんによれば、焼いているおばさんが無愛想なので驚かないでください、というその佐世保バーガー屋さんは、愛想に反比例しておいしいのだそうだ。カウンターだけの店にゾロゾロはいる。十いくつのハンバーガーが製作途上で逆さにされカウンターに並んでいる。それは出前の注文らしく、カウンターの向こうでは、職人的なまなざしで店主のおばさんが黙々とハンバーグを焼いている。木村さん、広瀬さん、僕は「普通のハンバーガー」といい、田中さんはウーン、と考えた末、「ベーコンエッグバーガーとー・・・チーズサンド・・・」といいかけ、オー、二個も食べはんのんかスゲーナー、と思った瞬間、店主のおばさんがサッと目をむけ、田中さんに早口で、「前に注文したの、チーズグリルサンドやったよ」といった。ポンポコプー。さらに、我々がビールのんで待ち、できあがったそれぞれのハンバーガーをサア食べようとすると僕と田中さんに目をむけ、ぶっきらぼうに、「グリルチーズサンド、少しもらえばよか」といった。ポンポコナー。おばさんは無愛想なのではなかった。奥ゆかしいのだった。ハンバーガーは奥ゆかしさに比例してベラボーにおいしかった。広瀬さんは、ホテルで食べようと、チーズバーガーを追加した。歩いて帰りながら、田中さん、ウーン、ウーン、と考えているから、ちょっとシャワー浴びて、もう一度いけばどうですか、というと、「それ、考えてます」といった。「でもね、いっちゃうと僕、絶対に、二個食べちゃうと思うんですよ・・・」といった。田中さんはウーン、ウーンと考えながら、一応、ホテルの部屋へ帰っていった。久しぶりに十二時まで起きている。腹ポンポコ。鼻トントコ。

2007年8月5日(日)

朝から創作。夏場は朝が長いからイーネー。昼前に園子さんの運転で信州まつもと空港。食堂でラーメンを食べ、サヨナラ、サヨナラ! またいつか会イマショウ、と手を振って、ぞろぞろとプロペラ機に乗る。福岡空港まで一時間半、日本の地形をながめて過ごす。プロペラ機なのでわりと低く飛んでいるから建物や家が見えやすい。ア、下関で少年がフグ踊りをしている! そうこうするうち着陸し、一時半に着いたのだが、できるなら二時に博多駅発の長崎行きの特急に乗りたい、あわてて行かなくても、空港から博多駅は地下鉄でふたつ目で、同じ電車に乗り合わせた美術評論家風の人も連れの人に「いや、博多の空港くらい便利な空港は世界じゅうにない」といっているくらいで、余裕で一時四十五分に着き、JRの自動販売機群のところにあがって、JRの若い女性職員に、「アノー、二時発の長崎行きはここで買えるんでしょうか・・」と神妙にきいたら、「買えますヨー」と明るくいって、自動販売機の、液晶のタッチパネルをピパポパと触り、「ハイ、ここ押してください」「ハイ」といって触り、自動販売機に札を入れたら、平たい隙間からするっと長方形の券が出、ずるっと釣り札の束が、ちゃりんちゃんりんちゃりりん、と小銭の釣りが出た。そしてプラットフォームにあがり、指定席を探して座っていると、男の小児をつれた博多っこらしい女性がきて、「アノ、すみません、その席・・」というので照らし合わせてみたら、女性のも僕のも2のDである。女性は「アー!」と悲鳴をあげ「さっき、JRの職員の人、すごく慌てとった、間違えたんばい!」といって、ばたばた外へ出ていく。僕は驚き、そういうこともあるのかと思って自分の券を見てみたら、ウオア! わしのん、三時発やないかい! ばたばたばた、と外へ出ていき、さっきの女性と小児をつかまえ、「こっちの職員が間違えてたんです!」といったら、「あー、すいません!」「こちらこそ、すいません!」「すいませ・・」「すい・・」といいながら女性と小児は特急に乗り込み、長崎方面へ旅立っていった。一時間あいた。駅の外に出て、名店街の「メトロ」という本屋にいった。平戸の本と、方丈記を買った。夏のあっつい盛りに方丈記読まんでも。というフレーズをいいたくて買ったようなものだった。大きくないけど静かでいい本屋さんだとおもった。三時、ほんまに三時やんな、と券と時計を確かめ、特急かもめに乗る。特急かもねだったら適当につくが、かもめは正確なので遅れない。四時五十四分、長崎駅着。ホテルの場所がわからず右往左往。とても新品な、ソウルやシャンハイに最近建ったような感じのホテルだった。皆親切だ。500円で路面電車の一日券を買った。先月、長崎を訪れた大竹さんに、おすすめの場所をいくつか教えてもらっていた。まず、中華街の入り口にいるチリンチリンアイスのお爺さんには是非話しかけてみるよう、勧められていたので、中華街のそばの駅でおりて、とてもいい感じの中華街へいくと、入り口というか門がやはり四つあって、そのどれにも、あいにくチリンチリンアイスのお爺さんは見あたらない。来るのが遅かったのだ。ひとり、チリンチリン、チリンチリン、とつぶやきながら、古っぽい飲食街へ。狭い路地を通り抜けていくこと自体に快感があり、この場所は、歓楽街としての呼吸をまだ現役でつづけている、すばらしい通りなのだなとおもった。日曜なので、店の多くは休んでいた。なかに、これも目ざしてやってきたオカユの店もあり、だんだん日が暮れ始めるとネオンの色が化粧のように路地の空気を色づかせ、ここらあたりを歩くためだけに、長崎に住んでもいいかもしれんとおもった。きいたことのある地名のかかれた立て札をたくさん過ぎる。坂をのぼり、おりて、またのぼる。いつのまに又中華街に来ていて、少しうつ伏せたような感じの店にはいり、皿うどんと生ビールを注文した。食べた。のんだ。また思案橋のほうへいき、電車通りを渡り、眼鏡橋のほうへいったら、老人のハワイアンバンドが演奏し、若い女がおおぜいフラダンスを踊っていて、僕はまぼろしを見ているのかとおもった。それはまぼろしでなく、町内のお祭だった。浴衣の大人子供、男性女性、ひとりでハワイアンをきき缶ビールをのみ、電車通りに戻って、路面電車に乗った。おりては歩き、乗り、おりては歩き、しているうち、長崎駅のそばに近づいたようだったので、歩いて、新品のようなホテルへ帰った。ヒヤー汗だくでんな。シャワーを浴び、水を飲む。廊下では時々外国語の哄笑が響いている。十時までベッドで本。夏のあっつい盛りに方丈記読まんでも。

2007年8月4日(土)

なんたる虫の燃えかたか。松本にいるのにこれでは、三崎の家は、根腐れしているのではないか。十時から美術館、図書館へ。ベーコン調べ、といって、豚肉の達人になって髭生やそうというわけでなく、画家のベーコンのことで、またマックス・エルンストの画集もみた。帰ってタイカレー。スイカたべる。とてもおいしい。午後から、佐伯一麦「ノルゲ」よむ。そして明日からの準備。長崎は今日は曇りだった。美智世さんより電話。店先に矢野さんもいるらしい。園子さんによれば、九月の文楽のチケットがぎりぎり買えたとのこと。晩ごはんはホタテの台風それやったら飛ばされるがなタイ風カルパッチョ、あなたは本物の牛肉を食べたことがありますかときかれているかのような王子肉、おぼろ豆腐冷や奴ネギソース和え、刻み油揚げとおろぬき大根。録画しておいたHASのライブ映像を見る。YMOのCUEという曲で、まぼろしの猫が園子さんに、あんたの青春だよネー、と馴れ馴れしくいったら無言でうなずいた。

2007年8月3日(金)

朝から上京しお茶の稽古。東京は想像以上に虫燃えさかる町で、それは信州の空気にからだが甘やかされてさらにそう思うのかもしれない。薄茶手前。桑小棚の総飾り。盆香。茶通箱の途中で時間切れで、新宿駅へ。五時の電車で松本へ戻る。もうすぐ松本ぼんぼんである。ぼんぼんには文句がないし、それどころかこの思い切った名称は、ぼんぼんぼんぼんぼん、とえんえん口にしていたくなるくらいいいものと思うが、町のいたるところで流れているテーマソングだけは、土を掘って頭を埋めたくなるくらい、どうしても合わない。ぼんぼんガンバローよね! とか、ちょっとぼんぼんだからジャナイ! とか、ユッコ、いいと思うのにナー。晩ごはんは、焼きとうもろこし、グリーンカレー、パルマの生ハムグリーンサラダ、にんじんのサワークリーム添え、まぐろとアボカドのポキ。夏の料理、世界一周です、と園子さんはいっていた。それにしてもポキとか、昨日のジャンとか、最近の料理の名前はひとを馬鹿にしとんのか! 別に最近でなくて、前からそうなんか! わし日本人なんじゃ! そして阿久悠の追悼番組。

2007年8月2日(木)

朝からスクラップ。サマーセットの小学校の一学期の終業式で、女の校長が、発売されたばかりのハリー・ポッター最終巻の最終ページを朗読した話。「校長先生はふだんは意地悪なやつじゃないのに」「あたいずっと目をつむって両耳に手を当てていたの」。この学校はええ氏のぼんや嬢ちゃんがきはる学校やさかい「あたい」とはいいまへんな。「うち」でっしゃろ。そして創作。どんどん暑くなる。昼にスイカたべる。とてもおいしい。さすがスイカの里うまれのトシくんのスイカ。天草のオラショよむ。アマゾンの古代魚がぴしゃっと跳ねて瓶を落とす。注文しとったカルヴァドスどす。まるいちの美智世さんへの贈り物なんどす。荷造りしてもっていくと黒猫がとろかった。大竹さんと連絡。お盆の予定変更し、仁尾から電車で博多へ移動することにした。晩ごはんは、韓国料理のジャンというもの、おかひじきと油揚げ、焼きピーマン、笹身としいたけと大葉といろいろのサラダ、かまぼこ、冷や奴、アジの塩焼き。橋が落ちた話におどろく。オラショよむ。

2007年8月1日(水)

五時から畑グアー。大和さん取れたてのとうもろこしもってきてくれる。佐藤さん作品集の文章、神奈川文学館のエッセイ。昼おわる。午後はまた重い物。贋自転車。外でマイルス・デイヴィスをききながら、浴場の屋根とか草むしりのおばちゃんとか山を見ていた。園子さんは駅から自動車でやってきた。尾形さんとうなぎ電話。母と相生電話。ABCと三年電話。よう電話する日でんな。風呂にはいり、晩ごはんは、たまねぎ、ブロッコリーのフリッター、コロッケ、大葉トンカツ、きゅうりわかめ酢、ブロッコリーごま和え、大和さんのとうもろこしスゲー、スゲーナー、キャベツ千切り、トマト。熊本の黒田さんご夫婦に送ってもらったとうもろこしのようなとうもろこしだった。林京子よむ。