2007年-10月

2007年10月31日(水)

園子さん工房へ。ずっとYOMYOM書く。長いネー。アーヴィングとどく。須貝さんすばらしい仕事。「また会う日まで」は今年というかそういう区切りとっぱらって抜群の翻訳小説で、こんな風にに翻訳小説内で驚いたのはグレアム・スウィフト「ウオーターランド」以来だと思った。小説のなかで何かが起こる瞬間が作者に伝わるような感じなのはカズオ・イシグロもそうだったけれどそういう体験的な部分に小説の新しさははいってきているかもしれない。「ノルゲ」もそういえばそうだ。佐藤さんから佐藤巧作品集とどく。もったいなくて開けられない。津田さんと芝居見物の日程を相談し、いくつかの電話をしてから、夕方薄川ランニング。暖かいのでなめて半袖Tシャツでいったら帰りビュービュー寒くってしかも登り坂で泣きそうになった。晩ごはんはほうれんそうと油揚げの煮浸し、かきのスープ、にんじんとごぼうのきんぴら、長芋納豆、ブリの照り焼き。日本酒飲む。焼酎のむ。夜にプレゼン電話。ラジオは太陽のせいでくるっている。

2007年10月30日(火)

園子さん工房へ。ずっとYOMYOM書く。イヤー渋谷。六本木。昼から歩いて運動場。にせ自転車、重いもの。食いだおれ読了。つづけて筒井康隆よむ。ついに足だけこたつつけた。オイルヒーターも朝だけつけています。でも今年はわりとぬくいのではないでしょうか。腰に毛糸のスカート巻きつけて何いうてはんのん。晩ごはんは、ブロッコリーと卵と海老のサラダ、小松菜ときのことちくわの煮浸し、鮭とまいたけのホイル焼き、いくらおろし。ハバナ、ハバナ。

2007年10月29日(月)

日記整理。そして創作。まる一日地味だねー。胃腸が重いねー。十日間転々としていると胃があかんし。北海道行きの計画着々と進行する。別海のウルリー牧場のサイロギャラリーで大竹伸朗さん、湯浅学さんと、トークセッションと名を借りたアドリブな催しをやることになった。寒いだろーナー、別海。でも、広いよナー、ちきう。須田さんも東京から参加することに。他にもいろいろと人が来るそうだ。猫は寒いところは行きません。ウニとかあんのに。シクシク。晩ごはんは、干しエビの白菜スープ、ほうれんそうのごま和え、煎りぎんなん、蓮根の豚肉の炒め物、めんたいこ。園子さんが録画しておいてくれたワールドカップ決勝見る。そうかー。やっぱナー。ブライアン・ハバナは良い選手。ハバナ、ハバナ、と南アフリカ人みな笑う。眠。

2007年10月28日(日)

運ばれて、スッと起きたら快晴。いや、こんな晴れはそうそうない、というくらいの気持ちいい晴れ。段ボール箱とコンピュータ抱ええっちらおっちら歩いているとこの青々した光は自分の外側から来るのか内側から来るのかわからなくなってくる。両方だよ、いろいろだよ、ユッコわかるよ。すばらしい港祭。じゅん君朝から超テンション。のぶさん手ぬぐい巻いて走り回る。僕も大声をだし、まぐろ、干物をあるだけ売る。ほとんど夏のような陽気。イヤー、祭。昼頃、京急線に乗って神保町。静さんと本屋祭。ワッショイワッショイという動きはあまりない、けれど眼光は鋭い。いつも思うのですが、ふだんダラーと神保町をうろついているときより、絶対に古書祭のときのほうが、いい本に当たる。古書は「選ぶ」「買う」ものではなく「当たる」もので、当たったらもう、それはどんなものであろうが手に入れるしかない。静さんの手に取るセレクションはすばらしく森鴎外のうたの本やボナールの画集などに当たられまくっている。アンリ・ミショー全三巻にはひき逃げされて倒れていた。僕は、藤本和子さんのエッセイ集、笠智衆の語りなどに当たり、吉岡実の詩集を渡し、筒井康隆の博物誌、「くいだおれ」を受け取った。午後六時のあずさで帰る。帰りのごはんは電車のなかで巻きずし。電車は停まらなかった。駅前で園子さんが出迎えてくれた。ユッコ忘れられてなくてよかったよヨヨ。十日ぶりの松本はたいへん暖かくて驚いた。家に入るとまたアンタ誰と家がいうので魚祭で何か買ってくればよかったと思った。猫ジロリ。あとの祭。

2007年10月27日(土)

お茶にいく。十時半にいったらもう土曜の皆さんがいらっしゃっていた。先生が新たに入手されたお茶碗の銘をうかがって胸が熱くなった。十一月の薄茶の本番にむけて稽古をつづける。いがらしさん見える。三時半に失礼し、四時過ぎ久しぶりに浅草のギャラリーエフ。四時半に静さんも来て展示見る。妙な鳥である。すばらしい猫である。蔵の裏でニャーニャーと鳴いているところを見つかった。ボロボロなのにさらに逃げようとした。獣医に連れていくと内臓が破裂し足は折れもう助からないからできるだけ楽に過ごさせてあげるようにとアドバイスされた。それがいまイズミちゃんに安楽に抱かれ僕を見ている。ぜんっぜん元気、うちだとピョンピョン跳ねてるよー、とイズミちゃんはいった。弟の尚人が来てダラーと肩に載せてむこうへ歩いていった。幸運のかたまりだ。そして銀ちゃんの話。銀ちゃんとはイズミちゃんの曾お祖父さんで貴金属書をやっていて羽振りが良かった人だが、何気なく名前をインターネットの検索に打ちこむとものすごく古い新聞記事が出て来た。それを見せて貰った。古川ロッパや菊池寛、海野十三ら数十人と賭けマージャンでいっせいに検挙されており、さらにその逮捕された警察署で、とんでもない事件が。イヤーすばらしい。こういうスケールの地を引く人らと友達で光栄だと思った。ひさしぶりに二葉へいく。また「動物の帽子かぶってこねえといしいくんってわかんないよ」といわれる。世界揚げ出し豆腐連盟が世界一と認めた揚げ出し豆腐、はまぐりの酒蒸し、煎りぎんなん、シメサバなど。外へ出るとウワー、大嵐だ。三崎まで運んでおくれ。

2007年10月26日(金)

志村先生と電話。園子さんと電話。兄と電話。ユッコ舌がもふれひゃった。お昼にまるいちへいき、カワハギたべる。煮付けがベラボーにうめーよナー。自分の皮はぎたくなっちまうヨ。あ、脱げた。曇りの日に洗濯。イヤー、からだ重いね。家で捜索。なにを? 永遠という名のねずみを。トトトと天井でうるさい。夕方まで創作し、雨のなか、京急線に乗って東京へ、麻布十番で、国兼さんと群像の須田さん。須田さんとは一昨昨日にもうマッド探偵で会っている。三人で麻布十番の焼き鳥。うめーネー。こんなんじゃ自分で鳥肌になっちまうよナー。おみやのそぼろご飯。そして佐藤さんのバー、フロウへ。僕と佐藤さんの合作、つまり僕の書いた小説に佐藤さんがグラフィック処理したものが二話ずつ、ここでほぼ月に一度連載されている。ハイボールばかり飲んでいる。佐藤巧さんの作品集すばらしく、国兼さん興奮して見入っている。来年の京都の展覧会に一緒に行きましょうという話になる。佐藤さんが、僕の兄に最近連絡がとれない、という話をし、お兄ちゃんはいそがしいんやなあ、と京都弁でいった。どの兄弟もそうでしょう。うまれたての国兼さんの子供は礼智という名前である。

2007年10月25日(木)

朝から東京新聞の短編。昼前に終わる。午後は日記の整理、ゲラ、ゲラ、とゲラふたつとどく。どうしてみなアタイが三崎にいること知ってんだよー、チッキショーメー! 意味なく怒り、淡々とゲラ。松本の朝の気温は四度だったそうな。アー恐ろしい。松本からとどいたピオーネを池田さんにもっていく。こないだのお礼。したら、お兄ちゃん、ピザ食べる? といってダダダと二階へ駆け上がり、いま焼いた、というピザをもっておりてきた。ピオーネがピザに変わった! イタリアン物々交換。夕方本の雑誌原稿。終わる。ピザもってまるいち。リフレッシュ休暇のためか美智世さんが以前のようなツヤツヤな感じになっていて嬉しかった。のぶさんは素股、性感マッサージ手ぬぐいを頭に巻き、包丁を使っていたが、オーいしいさん、見てみなよこれ、というから見てみてぶっくらたまげた。鮭である。性別はオス。相模湾であがったらしい。「前は一年に一匹はあがってたけど、ここ何年かはねえなあ。さばきかた、忘れっちまったヨ」といいながらサッサッと白子を抜き、テンテンテン、と生鮭の切り身にする。「そういや、いしいさんのファンが股来てんべ、ヨーヨー」といって、のぶさんはニヤニヤしているが、食堂に顔を出してみると、月あたまに宴会した、カボシャール常連の小林さんとご主人だった。ヨ、と互いに手をあげる。もうあらかた食べている。鯛の塩焼き。かさごもらう。ワインなどの酒盛りになり、やけに酔っぱらう。店で踊る。

2007年10月24日(水)

ホテルのロビーで待っていたら、YOMYOMの木村さんが別の女性ふたりをつれて現れ、香港映画風に三人がまっすぐに近づいてきて、ブルルッ、ロバこわい、と頭をかくそうとしたら、そういうことでなく、作家のかたと、編集者のかただった。作家のかたは木村さんが原稿の話を数日前にしたばかりのひとで、編集者の須田さんは明後日僕が会う予定の女性だった。そして四人が全員いまから同じ香港映画を指定券でみる。東京磁石。ジョニー・トー監督のマッド探偵。ウアー、外で遊ぶロイという少年、おんもロイ。ギャグでなく、まじめに世間的に気が違っている探偵の話。ドワーと大拍手。木村さんと、あとで来たおふたかたと、映画館の横の店でスパゲティ。昼からは、成瀬巳喜男のあにいもうと。京マチ子。畑を歩いていく人間。そして三崎へ。のぶさんらは三日間のリフレッシュ休暇中。まるいちの前でスグル君に会った。生まれたばかりの流佳くんを触ることができた。でかい。薄暗がりのなか掃除機と雑巾がけ。ア、とおもったら八時だったのだ。牡丹の出前でレバニラと餃子なのだ。焼酎のむ。電話でインド映画情報。ボリス・バルネットもお茶の水で見られる。

2007年10月23日(火)

朝は階下のシアトルのコーヒー屋でパンを買いモグモグたべる。ホテル一階で写真家の佐藤さん、木村さんと合流。渋谷撮るもんありまへん。六本木もありまへん。北千住に移動し、飲み屋街にはいって、定食屋のにおいがただよう定食屋へはいる。佐藤さんはまぐろ丼、ラーメンのセットを注文したが、ふたつの丼を下で支える四角い容器が、あきらかに丼のサイズに合っておらず、がくがく揺れるのだが、それでも倒れることはない。ふしぎな器だった。商店街を散策してから「旅芸人の記録」。ドヒャー。横綱映画だ。これは映画祭とは関係なく昼日中の一時から四時間以上上映されるのだが、木村さんとぼく以外に客が五人いた。いい映画館で、いい映写機だった。映写のアシスタントを急募していた。吾妻橋に住んでたらやるのになー、ユッコ、苦学だけど、映画も見れるしー、トクじゃん? ホテルへ帰り、ファックス出す。小林さんと合流し渋谷なのに大島渚の新宿泥棒日記。紀伊國屋の田辺茂一と横尾忠則が紀伊國屋書店で芝居している。それだけでオー。田辺氏がなにかいうたび爆笑するひとがふたりいた。晩ごはんは、トラウマリスにいき、ピザとチーズ。鉄割の戌井さんの噂をしていたら、ドアをあけて鉄割の戌井さんがあらわれた。安心して呑むと猫が出るね。ここトラウマリスで12月の末、戌井さんと僕で、新作の小説などを読み合う朗読会をやることになった。

2007年10月22日(月)

朝は渋谷の文化村のそばのなつかしい喫茶店シャルマン。おはようございまーす、といって皆はいってくる。おばさんは静かな口調で「はい。いらっしゃい」という。午前中は小津安二郎の東京暮色。ガヒーン。名作。コワイよー、ユッコ室蘭へ地獄行きだよー。外でパンを買い、階段のそばの黒い台にすわってモグモグたべる。午後は黒澤明の野良犬。ウヒー、トンカツ定食に唐揚げつけてあげるわ、ぐらいのこってり感。ヘナヘナとホテルへ帰り、とりあえずの創作と感想書く。インターネットの画面が100円で10分見られる機械がある。これで電子メールを見るとインタビューとかエッセイの依頼が嘘かとおもうくらい入っている。ホテルにいるとどうして仕事が多くはいるのか。東京磁石か。陽が暮れてから、六本木のABCで小林さんと合流し、東京のそばを食べてから、六本木ヒルズの映画館でフランソワ・オゾンのエンジェルをみた。アララ。見終わった後、小林さんが「いしいさん、気持ち悪くないですか」といったその顔は非常にキモチ悪そうだった。

2007年10月21日(日)

博多でいい明太子を買って東京へ。東京は祭だった。東京国際映画祭。YOMYOMの仕事で、お祭りの東京を歩きまわることになったのです。天気のいい日曜日の夕方に「素晴らしき日曜日」見るのは素晴らしきことである。東京の映画祭を東京の小林さんとまわるのも東京の祭っぽいことである。とはいっても渋谷はいつも通りの普通のにぎわい。年がら年中映画祭やっているようなものだからね。素晴らしき日曜日は途中で女優さんがこっちを振り向き、「拍手してください、わたしたちみたいなお金のない恋人たちを励ますために、拍手してください」というのが有名で、以前二度みたときはシーンとしていたのが、この日は館内じゅうで拍手が起こって、これも祭っぽい、あるいは、東京の感じだと思った。晩ごはんは蒸しマツタケ、焼きはんぺん、さつま揚げ、焼き椎茸、焼き茄子、きのこマリネなどなど。ペット屋から逃げた少年が駆けまわる夜。

2007年10月20日(土)

グリーンホテルで起きて歩いてにらそば、というこの夏からのパターン。体がアルコールでたぷたぷで、ウワー、ギャーと叫んで駆けだしたくなって、そのまま天神の運動具屋に飛び込み、ジャージ上下と靴下と帽子と靴を買い、若い店員さんにお客さんなんかよっぽど走りたいってオーラ出てますよ、といわれ、トトト、とホテルへ帰り、さっさと着替えて大濠公園のランニングコースを走りに行った。五キロくらいだった。落ちついてホテルで創作。本屋で岡本太郎、映画の本、日本語の本かう。六時から日仏学館で文学DJ。準備していると「イシイさんー」と聞き覚えのある声がしてふりむくとナラだった。周囲の目気にせずキャイキャイ中学生のように騒ぐ。三崎の家の危機をすくってくれた岩村さんは広島からバスでやってきた。実家が神社のそばのもみじまんじゅう屋さんで、そのまんじゅうをいただいた。前半は三崎、松本、新宿、渋谷などのスライドショー、後半は場内に文学ディスクくばって文学DJ。博多のお客さんは、自分から踊ろうという身体になっていてとてもやりやすく、こちらも考えずに話していて思いがけないほど遠くまでいけた。ユッコ、のろのろ、あ、マチガエタ、ノリノリ。やっぱイーよねー、ハカタ。晩ごはんは和洋折衷のような居酒屋さんでゴマサバ、牛肉、卵焼きなど。フランス人のとてもきれいな副館長さんと映画館談義。東京に住んでいたころは、ぜーんぜん、ろくな映画館がなくてパリが恋しかった、というので、それは十年前、いまの東京の映画事情はきちがいじみています、といっておいた。岩村さんはそのあと「ネコフェ」マチガエタ「ネカフェ」へいった。はじめは心配したがまったく普通で、よく考えたら僕も二十代のころは路上や植え込みのなかで寝ていたのだった。

2007年10月19日(金)

日中兄宅で創作。エッセイ。静かによく進んだ。夕方、中目黒のそばからのバスで運賃の払いかたマチガエタ。ちゅん。大崎までいき、羽田にいき、ヒューンと飛んで福岡についた。出てくるのが一時間おくれ、空港職員は、テロの情報がはいったんやなかと、といった。訓練かもしらん。日仏学館で皆さんと対面。明日はヨロシクおねがいだよ、ペコリ、とユッコ口調。長崎のときにお世話になった、ごはんをおいしそうに大量に食べる田中さんに電話したら、もう「もつ幸」にいるということで慌ててタクシー。学館の女性陣、西南大学の西垣先生。幸せのモツ煮。それから、有名な俳優がここがいちばん好きだといったらしい、鉄鍋餃子屋。みな食べるし呑むし、ユッコさー、博多っ子純情ダーカラー、ドキドキしちゃったよネー、オ・カン・ジョウ。日仏チームは解散し、田中さんとバーへ。モスコーミュールをYOMYOMの木村さんに勧められたので。それを飲むとウメー。そしてマティーニ。バーテンダーの女性と「マティーニの味というのはそもそもうまいのかまずいのか」という話になり、「デハ、うまいマティーニをください」と漫画か何かのような展開でいったら、ホントーにうまく、そのまま何杯も。結局四時までかい。おまえさん、そんなに博多がいいのかい。

2007年10月18日(木)

いやー、曇りですな。寒いですな。しかしマー、東京とのギャップがこりゃまたたまじゃらねん、って、それどこの土地やね。午前中創作。そしてフィガロ。今年読んでおもしろかったトリッピーな小説「ノルゲ」「山手線内回り」「また会う日まで」について。やふやふ締切のたぐい遠く失せにけり。昼過ぎ、園子さん自動車で送ってくれる。サヨナラ、サヨナラーセンパイ! あずさ号のなかでユッコとしてパンパクパク。新宿から代官山、兄の家で布団敷き、講談社のひとと面談し、そのまま目黒駅へ。晩ごはんは、イタリアの野菜、かきスパゲティ、鹿よ、つのじかよ、ケーン、ケーン! 歩いている途中、アッ、と声をあげて見とれた。アートコーヒーのネオンがアートしている。トリッピー。中目黒駅の居酒屋で、焼きはんぺん、なす、じゃがバター。ユッコさー、冬眠前みたいじゃんヨー。まるまるだヨー。腹。

2007年10月17日(水)

朝からクロワッサン、午後からは創作。工事の車がグワー、ドドドド、ギシャー、といってるのもまったく気にならなかった。大人ダネー、とユッコ。ユッコは大人とコドモ、三分の二ダヨ。昼過ぎランニング美ヶ原。ウーッウー。悪魔を憐れむよ。ウーッウー。アクアをあわわわわ。晩ごはんは、トマト野菜スープ、めざし、れんこんと豚肉の炒めもの、ほうれんそうおしたし。園子さん復活す。テレビを見て麻生太郎のように笑っている。付き合ってるのか?

2007年10月16日(火)

早朝から創作、そしてクロワッサン。気がつくと思ってもみないことを書いていた。まーヨシ。気がつくと園子さんダウンしている。「からだがちょっと寝込めよー、と合図してる」と複雑な自己診断。ウエブで飛行機チケットを買い、そしてランニング。重いものをもちあげる。晩ごはんは、笹かまぼこ、野菜スープ、うるめいわしのめざし、さやいんげん、納豆。来週いく映画祭の日程を電話できめる。

2007年10月15日(月)

早朝から創作。園子さん麻生太郎とデートする夢。向こうからだみ声で「付き合ってくれ」っていっているけど、園子さんは「エー、どしよっかなー」と思っている。実践女子高から学生寮まで「送っていく」と麻生太郎がいう。「歩いていく?それとも、タクシーでいく?」とすごくやさしい。そして急に、別の夢にかわった。園子さん鉄格子を組みたてている。エー、ユッコなんもしてないよーい。午後は薄川ランニング。子どもを抜かすとぐんぐん追いついてきてこわかった。入浴してデュシャン伝記。まだ半分くらいなのにもうチェスしかしていない。晩ごはんは、ほうれんそうごま和え、油揚げ納豆はさみ焼き、ほんもののまいたけのホイル蒸し焼きすだち添え、五目おから、そしてカワハギの煮付け。こんな山ンなかで三崎のカワハギくえるってよー。と泣いていたら猫パクリ。

2007年10月14日(日)

早朝から創作。昼過ぎ昼寝する。薄川五キロランニング。帰ってデュシャン伝記。晩ごはんはすき焼き、笹かまぼこ、蒸しブロッコリー。ラグビーはイングランドがフランスに勝つ。ウーン関脇。さらにパリ~トゥールでペタッキが勝つ。頭突き大将に爆笑。日本橋バビロンよむ。

2007年10月13日(土)

朝のあずさ号で昼過ぎに松本。出迎えてくれた園子さんと福祉センターへ。「べてるの家」交流セミナー。会場は混んでいた。ふしぎな独特の熱気。ロビーでべてるの昆布やべてるのDVDや本が売られていた。医師の向谷地せんせい、べてるの家の松本さんと下野さん。松本さんは五才のときから「ガンバレ、ガンバレ」という幻聴がきこえ、それに従って一日マラソン20キロ、腕立て伏せと腹筋1000回、素振りなどやり、王貞治を超えてやると思って野球にはげみ、高校では甲子園大会までいき、ドラフトにいつかかるか、いつかかるか、と思っているうち数年経ち、飲み屋街でバットを振っていたら「救急車がスカウトに来ました」。それ以来「病気のスター街道まっしぐらです」。「分裂病は友達ができる病気なので皆さんよろしくお願いします」。下野さんは「あぶない人です。病気なんで、オーラが出ちゃってると思うんですけど、なにを投げつけるかわかんないんですけど。酒・・薬物・・暴力とか・・。七月、酒飲んで警察がきました。カラオケボックスで、リモコンで、殴っちゃったみたいで。毎年一度はあるんですよ。今年もありましたね。来年もあるんですよね。監禁したほうがいいと思うんです」。川口恭吾という歌手と友達である話。べてるの家がある浦河町はさびれるいっぽうなこと。べてるのメンバーだけは増えていること。社会進出という「妄想」をみなで抱いていること。海産物を売る会社組織であるべてるのキャッチフレーズは「コンブ売ります。病気も売ります」「安心してサボれる会社」。今年のべてる祭の幻聴幻覚大賞は、住居施設のなかに透明人間がいるか、という話をはじめたら皆ほんとうにいる、ということになって、どこでどんなのを見聞きしたか、とえんえん広がっていった、という話。キヨシさんのお見合いに、松本さんがかわりにいった話(タイプじゃなかったんで断った)。松本さんは野球を32歳までつづけ、そして、よし、今日は引退試合だ、と思った。やることはやったし、もう思い残すことはない、と。そしてその引退試合で、九回裏、場外ホームランを打った。その瞬間、まつもとくーんって声がした。まわりが光った。このために野球やってたんだ、とわかった。そのとき病院で会ったのが、いまの彼女なんです。三年間つづいてます。向谷地先生がマイクをとり、「松本くん、あとで聞いたらそれ、ファイルだったんだよね」。松本さんのホントにやりたいこととは(あんまり野球はむいてないんですよ)「北の国からをつくる」「イチローを育てる」「ダウンタウンにギャグを提供する」「川口恭吾を生み出すこと」「べてるをつくること」。被害妄想依存という言葉。べてるにいる女性が、向谷地先生にいつもいつもいっている。私の暗殺計画が刻一刻とすすんでいます。どうしたらよいでしょうか。そしてそのあと、被害妄想をいっていると、何となく安心する自分がいるんです。妄想が「カタルシス」になっている気がします、と。病気が治ると困るのだ。後半は、松本在住のべてる的なかたが二名くわわり、場内からの質疑応答。壇上の全身に麻痺のある車椅子の男性は、笑っているかのように顔を歪ませ、「さっき・・控え室で、まつもとさんと、はじめて、あったんです。まつもとさん、僕のまえで、じっと僕を見て、『苦労が、顔に、出てますねー』っていってくれたんです」「僕は、こうして、端に座らされているけれど、からだが、うごかないだけでね、僕だけ、精神病でないのはなんだか、仲間はずれにされた、きもち、です」。松本さんは最後に「病気があると地球を遊ぶということができる」といった。向谷地先生は締めの言葉として「浦河町はさびれる一方。べてるは、ずっと地域密着でやっています。このまま何十年も経って、ああ、そういやべてるとかいうとこあったなー、とか、なくなってしまったって聞いたら、見事な密着ぶりだったと思ってください。オワリ」といった。人間。あまりの巨大な感激にまっすぐ家に帰れない。大きくカーブしてチャイナスパイスに寄って、レバニラ、春雨と野菜、麻婆豆腐。べてるがこの世にあってよかった。ユッコも。

2007年10月12日(金)

朝からお茶。先輩のいがらしさんいらっしゃる。来月の護国寺茶会での強力な助っ人。薄茶を本番風にひと通りやり、それでもまだ間違うかと唖然とする。午後いったん代官山。そして渋谷で簡便な打ち合わせ。打ち合わせは立ったまま路上でやるに限りますな。そして池尻。大橋とはいったいどこにあるだろう。川はどこに流れているだろう。ア、そこかー。甘鯛の西京焼き、蓮根のはさみ焼き、ジャコと豆のサラダ、きゅうり、トマトとシラス、蓮根のピリ辛煮。ヤン。文学DJ予行演習。ユッコって女子高生だけど、苦学してるからー、ヒトの苦労もわかるんだよねー。ワカルよ。排水溝のことトカー。

2007年10月11日(木)

早く起きて創作。タッタカター、と駅へおりていき、あずさ号で新宿。ワタリウムで熊楠きのこに再会。またはじめからノートに線を描く。描けば描くほど、この世にきのこを描くほど楽しいことはないのではないか、という気になる。前回は展示物がそろっていなかったけれど、今回は映像、そして粘菌もいた。標本もあった。淡水藻の標本がすさまじくいのちだった。本もすばらしいけれど熊楠関係の実物はスゲー。スゲー、とぶつぶついいながら代官山。兄宅で布団を敷き、渋谷の犬の前で小林さんと待ち合わせ。シメサバを焼く店。肉じゃが。馬刺し。豆腐。ものすごく酔っぱらった中東顔の店員が誕生日をむかえていた。客につぎつぎと酒をもらって酔っぱらった顔になり、酔っぱらったった顔になり、酔っぱらったったった顔になっていった。そして本の誕生日。ハハ、フフと笑う。

2007年10月10日(水)

が体育の日でないのは変な感じだ。朝から創作。まるいち突然段ボール。いや発泡スチロール。猫ウワーンと号泣しすぐに顔ペロリ。昼前に松本駅でVISAカードの取材陣を出迎える。田舎家は新そばになっていた。カードをもてない人の話をしたあと、エスノミュージックの話をした。最近どんなのきいてますか、といわれ、生月のおらしょのCDと、ごぜ歌のCD、曾根崎心中をかけたら、目の前で犬がかっぽれを踊りはじめたような顔になった。ちゅん。近くの田圃で撮影。松本駅へ送っていき、本屋で大麻の本、現代思想、地図帳、ブルースの本、吉田秋生の漫画購入。地図は良い地図帳を買った。一家に一冊はよい地図帳がないとね、フツー。まるいちからのスチロール箱をあけると、猫何百匹と増えたり、一匹にまとまったりする。車海老網焼き、ヘダイ塩焼き、にんじんたらこ和え、ほうれんそうごま和え、厚揚げといんげん、そしてあわびの酒蒸し。すべてにスダチ。気づくとあたいも園子センパイも猫になっている。オレ、海老になりてーなー、ホラ、後ろむきにー、跳びはねるー、エ・ビ・に・サ。などとつぶやきながら車海老くらう。ヘダイもなりてー。食後呆然とし徐々に人の形にもどる。うまい魚を食べるのはブルースに似ている。え、ジャズじゃないの? やっぱ浄瑠璃でしょう。

2007年10月9日(火)

サーテ、と灰色のりんご本の電話相談。もしもしー、あたいのりんごが明るくならないのー。アーそう、一度強制終了して、TとRとコマンドとオプションのキー押しながら、で、再起動してみて。エー、あたい手がそんなに数ないからー。などといいながら切ったりまたかけたり二時間。結局会社でひきとってもらい、電灯を交換してもらうことになったが、イヤー、昔、阪急ブレーブスという野球のチームに代打ホームランのチャンピョンがおったけど、あれ、なんちゅう人やっけ。エー・・長池ー? ちゃう。大熊ー? ちゃう。ア、そっかー。高井かー! とまわりくどく驚いてしまうほど料金が高い。入山辺の郵便局へ歩いていく。一週間前に描かれた三崎の絵葉書が今日転送されてきて、よっぽどのんびりした絵葉書だと思ったよ。描かれていたのは長さんの絵だった。晩ごはんは、豚汁、秋鮭のきのこソース、ほうれんそうおしたし、笹かまぼこは昨日の朝父が仙台から電話してきて送ってくれたものだった。笹かまぼこというのはおいしいのだなと初めて思った。長谷川四郎、別役実よむ。

2007年10月8日(月)

朝からクロワッサン。自動車のことを書く。午後は創作。創作は捜索というより短冊に、ちゃう、探索に似ている。北海道に帰っている池田さんからじゃがいもとどく。箱あけたらフワッとじゃがいもの存在感がたちのぼる。千葉さんからトマトジュースとどいている。のんでみると、腰を抜かした。あたい、こんなもの飲んじゃいけない。あたい、そんなムスメじゃないんだよ。といって後ずさるようなトマトジュース。向かいの大和さんおろぬきもってきてくれる。皆さん本当にありがとうございます。晩ごはんは、おろぬきとちくわの和え物、サツマイモ照り炒め、長芋とウインナーときのこの炒めもの、芋と茸のすまし汁、イシモチの韓国風蒸し。ラグビーのワールドカップたいへんなことに。準決勝四試合みた。ワラビが踏まれ黒が黒にまみれた。そしてどうなるのだ?

2007年10月7日(日)

とてもよく晴れている港町ほどすばらしいものはあまりない。まるいちは今日も混雑。魚と人と猫の踊りあい。ヨットなど泊まっているデッキで刺身、ビールプハー。しかし早く抜けださないと午後には動けなくなってしまう。道をよく知る運転手さんのおかげでスムーズに三崎口。眠い午後の京急、山手線で新宿。午後五時のスーパーあずさで旅にでますゴトン。行き先は諏訪だった。鉄割の襲来。つまりライブハウスで鉄割アルバトロスケットの公演があるのだ。諏訪の人は時計を断つべきだ。戌井さんと雑談。タランティーノの新しい映画を見ない人生を送っていたらと思うとぞっとしますよ、といって脅す。戌井さんも、ほうぼうから薦められていたが、機会を逃していた、とのこと。鉄割の前に出ていた女性ふたり男性ひとりのロックバンドの演奏はよかった。そして鉄割。観客はじめは驚き、その反応で大爆笑していたが、だんだん、びびってくる感じがよかった。ささくれだつ空気のなかで、本当に波長があって、涙を流して笑っている男性がふたりいた。幸いなり。終演、電車ギリギリ。ライブハウスから走って諏訪駅から松本ゴトン。園子さん出迎えてくれる。松本の晩ごはんはきのこごはんと茄子麻婆。長谷川四郎よむ。

2007年10月6日(土)

朝起きて兄にタランティーノ感想。「見ない人生を送っていたと思ったらぞっとするわ」といったらうなずいた。ゆうべ園子さんから電話があった、何時でもいいからかけてほしいといってた、というので電話を借りてかけてみると、とある人から仕事のことで電話があった、何時でもいいからかけてほしいといってた、というので、一応8時まで待って、その兄の電話でかけてみると、イヤー、そりゃー、イヤー、あきまへんなー、というような話だった。日比谷にいって昨日にひきつづいて仙厓みる。仙厓とは禅のお坊さんでその絵の展覧会。度肝抜かれる。きのこと同じく、ノートに描いてしまう。そこにある時間がこちらの時間とくっついては離れ、離れてはくっつく。ウワー、スッゲーナー。芭蕉飛びこむ水の音だって。猪でたって。爆笑の津波にのみこまれ溺れるひと。しかしまわりは誰も笑ってなく、龍も猫ニ似タモノも笑ってもらわないと立つ瀬がない。そして丸ノ内で雨かと思ったら雲間から陽が射してきてすばらしい。鳩が居るという店でおばさん軍団が渦巻いていて鳩も猫もはいれない。京急で三崎。ちょうど日没のときにつき、富士山のかたちが徐々に濃くなっていく。のぶさん、大場さん、疲労コンパイセグンドの顔。日曜だからネー。小林さん切ない皿洗い。矢野さんもやってきてしばし宴会。オキアジ、めといかの刺身プラスすだち。矢野さんのかんぱち丼ひと口もらった。家で焼酎。ぶつぶつと詩を朗読す。仙厓風に猫に似てくる。

2007年10月5日(金)

イエー、いい天気。十一時お茶の稽古。昼過ぎに出て、ワタリウムで熊楠のきのこ図譜をていねいに見る。一枚ずつ写してしまう。実物のこの力はなんだろうか、と思って見つめると、時間がここに貼りつけられている、あるいは、熊楠が感じた生命のかたちそのものが、ここに貼ってある、という風に見えた。淡水藻の標本などそのものだ。いったん兄の家。会社員風の姿の人とタランティーノ「デス・プルーフ・イン・グラインドハウス」みる。いやー、みてよかった。これは自分が見た映画のなかでもっとも素晴らしい映画ではないかと思った。終わりに近づくにつれカーレースのようにまっすぐになってくる。これをみなかったら、これからずっとこれをみない人生を送ってたかととおもうとぞっとするわ。渋谷のホテル街の入り口にある居酒屋で焼酎のむ。挟みはんぺん。茄子の味噌和え。代官山の兄宅へ歩いて帰る。

2007年10月4日(木)

やっと晴れただ。一日洗濯と創作だ。掃除機がぶっくらたまげてるだ。時々とまるだ。カボシャール常連組うちにやってくる。お茶をだしたあと、晴れた三崎をガイドツアー。猫の多さに皆おどろく。猫は別に驚かない。五時過ぎ、まるいち食堂へ。カボシャールはまるいちナイトをやっていたので魚はおなじみだが来店ははじめてで皆魚の多さにおどろく。魚は別に驚かない。宴会はじまって大場さん大奮発。付け出しがとこぶし、まぐろの醤油煮、するめのワタ、とでてくる。すだちだけのめといかに皆絶叫。カマスやいさぎも恥じらう声。アジはエライ、と。矢野さん合流。ダツとタチウオの塩焼き対決。そしてあら汁。オー我ら猫の友である。五女さんという人と大阪の話に。「ぼく大阪生まれです」「へー、私も。大阪のどちらですかー?」「住吉です」「え、私も住吉です。最寄り駅は?」「帝塚山」「え!」「チンチン電車の帝塚山」「私もチンチン電車の帝塚山! 駅は三丁目、四丁目?」「うーんと、中間くらいやね」「私も中間」「四丁目から歩いて、どう行きます?」「市場抜けて」「抜けて」「酒屋左曲がって」「曲がって」「ずーっとまっすぐいって・・」「ひょっとしてあの、万代池の手前の、左側の?」「そ、そう!」「ドワー!」うちの裏やん! 五女さんと次男呆然。五女さんの家は僕の実家の真裏にある年急にできたそれはそれは立派な家で、犬の散歩のときなど「どんな人が住んでんのやろ。プロレスかな」などと思って見あげていたりした家だった。あそこで五人姉妹。こちらは四人兄弟。驚いて急に酔っぱらって急にさめた。また酔った。タクシーをひらうために夜の港の道を走った。

2007年10月3日(水)

曇っている。朝起きてりんご本をあけると画面が灰色で何も見えない。ショガナイネー、とうたうアキラの心境。午前中ぶつぶつと創作。午後はゼーバルトよむ。こんな豊かな灰色もある。ボニーによれば、大学時代はナボコフが英語のテキストの横綱という感じだったのが、ゼーバルトを読んでからは、たぶんドイツ語からの翻訳のはずなのに、ゼーバルトが小説の文章の横綱になった。fiction-non-fiction-memoir-travelogue。ダニエルの妹さんはゼーバルトに文学を習おうと決めてイーストアングリア大学の院に進んだ。その半年後、ゼーバルトは自動車事故で亡くなった。五時にのぶさん、美智世さんが自動車で迎えにくる。そして、せいちゃんにお線香をあげにいった。写真が大きいのですぐそこに座っているようだった。もしかしたら2001年の秋はじめてひとりで三崎にやってきてウロウロ歩きまわった挙げ句灯りを見つけて寄っていってはじめて言葉を交わした三崎のひとはせいちゃんだったかもしれない。のぶさんだったかもしれない。どちらでも同じだ。灰色の煙が踊りながら立ちのぼる。仲崎の料理店松風へ。ここはせいちゃんがよく行っていた店。茶碗蒸し、キンメの煮付け、天ぷらをたべた。のぶさんは日本酒をのんだ。三崎で日本酒を飲むのぶさんを初めて見た(いつもビール。「メチャクチャになってまうからよー!」)。それからバーの扇にいった。時代。涙は俺が拭く。美智世さん。そして歩兵の本領。行進してそのまま松本家にあがりこみビールをのんだ。三人でいろいろと経営会議をした。

2007年10月2日(火)

天気地味。屋内も地味にひたすら創作。夕方るな「しんださーん」とやってくる。柱に登ろうするがもう六年前のようにはいかない。椅子もぐるぐるまわらない。時は過ぎたのだよるな。でも階段の穴はまだあいている。家じゅうの湿気とれぞうくん二十五個を交換し、プラ容器にたまった水を捨てる、という複雑な作業を手伝ってくれる。ありがとうなるな。「しんちゃーん!」という声がするのでトトトとおりていくと、やはり佐藤さんがいて、巨大なビニール袋いっぱいのおろぬき大根を「洗って食え」とくれた。もっと、もっと、と袋に詰めようとするので、ひとりなんでそんなにいらないよ、というと「俺ももらいすぎて困ってんだ」といって舌を出した。夕方まるいちでビール。のぶさんに大竹伸朗作「素股・性感マッサージ」手ぬぐいをプレレントする。さっそく頭に巻く。素股手ぬぐいを宇宙一巻きこなせる大人。納豆、いさぎの刺身、牡丹の叉焼。おろぬき大根おしたし。夜の家じゅうで湿気がとれぞうくんに吸いこまれていく音。

2007年10月1日(月)

尾久を出て、三崎に午後着。日暮れまで創作。気がついたら真っ暗だった。飯島耕一の詩集を読んでいるときのような感じだった。まるいちへのろのろ出かけていき、大場さん絶妙のサンマ焼き。そして生しらす、めといか刺身。もちろん両方ともすだち絞るだけ。生しらすなんてよくあがりましたね。どこで。さー、わし知らず、とのぶさん。ビールのんだあと、のんちゃん、のぶさんと、扇というバーへ行く。すげーんだよ、ここのママさんはよ、歴史上の人物なんだよ、とのぶさんはいった。偉大なオーラがじゅんさいのようにからだを取りまいているママさん。きけば、幼いころ、横浜にヘレン・ケラーが来たのを間近でみた。さらに、2・26事件の日がユキだったことを、窓の外をのぞいていたことを、たしかにおぼえている。ラジオがかかってたんでしょうねえ、とママさん。スゲーナー。のぶさん裕次郎うたう。アントニオ古賀うたう。まぼろしの猫ゆれる。最後に、歩兵の本領をうたいながら、三人で行進して外に出る。いろいろ詩集よむ。