2008年-22月

2008年2月29日(金)

移動距離でいったら過去最長だろう2008年2月が今日で終わる。この分だともう一日のびて30日ということになってもおどろかない。朝から創作。あったかいねー。夕方ひな人形買いにいく。ニューヨークへ送るといったら三人男がていねいに梱包してくれた。みな株屋のような感じの風貌のおっさん、でも扱う品はひな人形、というのが松本っぽい。松本ぽいといえば自動車の運転。ムチャクチャな右折車やウインカーつけないで曲がる運転のしかたを「松本方式」というくらいで、この日もギュンギュン割り込んでくる自動車をみながら、園子さんは「ぜんぶイージス艦みたいとおもっちゃった」といった。反省せよ。晩ごはんは、蓮根の挽き肉の挟み揚げ、わかさぎの唐揚げ、ほうれんそうときのこのおしたし、わかめとネギの吸い物、コーンとキャベツといろいろなサラダ。「プルーストと身体」よむ。

2008年2月28日(木)

台所で高島屋の袋を頭に載せて園子さんに文金高島屋といったら少しうけた。朝から創作。やきうかー。うにょーんうにょーんうにょーん。ソーコーするうち南米のとても水量の多い大河からCDなど引き揚げられる。ノエル・アクショテ、メデスキ、坂田明など。ぶおーんぶおーんぶおーん。晩ごはんはキャベツとトマトと砂糖ザヤのコールスロー、アボカド納豆、濃い味の鮭の薫製水菜添え、クリームシチュー、王子ハンバーグ。園子さん手製の「全景、ナノ?」完成の宴。だから豪華に泡の立つワインをのむ。

2008年2月27日(水)

朝からクロワッサン。寝起きのことは寝起きのときに書くに限るね。午後もクロワッサン。おんどれ一日じゅう寝起きなんか! 午後はゲラ。創作一行目かくと「オー、これこれ」という感じ。クレイジーケンバンドひさしぶりにきいて猫と踊る。晩ごはんめかぶ納豆、水菜ときのこのサラダ、しじみ汁、湯豆腐、めざし、オータムポエツと豚肉のオイスターソース炒め。ずっとSOUL電波というレコードを愛聴していますがなかでも「路面電車」は最高。本牧の電車通りから宇宙に伸びる線路をぐるぐるぐる走り回る電車。時間を折り曲げて過去と未来をベタンと貼り合わせる。それがイマの音楽ということ。

2008年2月26日(火)

腰ヤバイとおもっていたら芸術新潮できた。よかった。近くの平田医院に電話し午後から腰みてもらう。鍼。平田さんは自分の指でつぼをさぐり「ここ」というところにハリをうつが、うったあと、「気になるところを自分の指でおしてくれんね」といって、そして僕は「ここかな」というところを親指で押し、すると平田さんはそれを指でたどっていき(目がみえないので)「アー、ここだかね」といってそこにハリをうつ。「人のからだはひとそれぞれちがうだからやる相手の感じもきかねえとなかなかピタリとはいかないでねえ」。プロ。立ちあがるとからだがまっすぐ伸び180センチあるような感じになっている。園子さんスイーとむかえにくる。晩ごはんは、砂糖ザヤとブロッコリーとマカロニのサラダ、イカ納豆、ニラのかき玉汁、うどの鴨味噌添え、うどのきんぴら、春キャベツとアサリのアンチョビ炒め。自由という名のアニメーション番組をみる。穂村弘「短歌の旅人」よむ。

2008年2月25日(月)

朝から芸術新潮。ひたすら。他はなにもなかった。鳴門の渦潮をみると人は集中力が増すのでしょうか。というより書いていることが渦っぽいからちょうどよかったのだな。晩ごはんは、ほうれんそうおしたし、いか豆腐、鶏の生姜焼きと水菜、新じゃがと砂糖ザヤという豆。砂糖ザヤはこの時期にしかでまわらないふしぎなオマメ。吉田城「プルーストと身体」よむ。

2008年2月24日(日)

恐怖の強風。というのも新宿駅についたら風のせいで中央本線停まっている。いちおう電車の席は予約し園子さんの知っている駅の近くの喫茶店にはいり園子さんは桐野夏生、僕は吉田健一をよむ。二時半くらいになったら来てみてといわれていたのでいってみると八十分遅れでスーパーあずさは出発した。この電車以降運転とりやめになった。松本も風つよかった。タクシーで家に帰り、晩ごはんは自動車でれいざんにいき、中華風鍋とピータン豆腐をたべた。有名なアニメーション番組をみてしまう。

2008年2月23日(土)

朝ごはんたべてまたナルちゃん。自分のドアミラーにみとれるくらいせえよナルちゃん。ムリですよー俺クルマだもん。展望台までタタタと駆けあがり双眼鏡で渦潮みる。ウオー。風つよいなあ。アアア、そーのーこーさーん、といっていると空中からまた風に戻され園子さん展望台にもどってきた。日本一長いエスカレーターというのに上から片道だけのってみた。長かった。おりたら300円と書いてあって150円払わなかった。次払います。鳴門から高速道にはいり淡路島を通りまた明石大橋。ピカピカですなー。風ホンマつよいなあ。また子午線135度を通り、西明石駅でレンタカーかえす。時間があるので駅前で明石焼き食べたらこれがこれまでの明石焼き史観をかえざるを得なくなる明石焼きだった。園子さんたこ口に。ドワーとこだま、のぞみと乗り換え、品川で恋の山手線だよ、アッキラー! ツートトツートトと六本木。森美術館でトラウマリスの住吉さんらが主催するガイドツアーに参加する。総勢30人くらい。学芸員のかたによるインカムの生解説付きでまわっている途中からよそさんのおばちゃん三人組がワシャワシャワシャと参加して最前列でハー、ハー、ハー、とうなずいてかぶりつきで作品みているその様が現代美術だった。中国の台湾のもう廃棄された工場に昔そこで女工をしていた老婆を集めて椅子を噴いたりミシン台の上にただ立っててもらったりする、という映像作品がきれいだった。また、別のこれも中国のひとらしい映像作家の、現役の電球工場で働く若者に将来なりたいものをきき、後半ではそのなりたいバレリーナやギタリストの格好で工場のなかで踊ったりギター弾いたり作業をしたり、という映像作品もペカペカでたのしかった。麻布十番におりていきそば屋で兄と合流。兄に「おまえ今日トラウマリスで朗読やるんやろ。もう時間ちゃうんか」といわれ驚いた。そんなこととは。皆でトラウマリスへぞろぞろと。隅から隅たいへんな盛況。知っているひとも知っていないひとも。トラウマリスがこのように終わっていく。いちおう即興小説&朗読はやりました。バーの隅で紙を開き、住吉さんを呼び、その場で書いていきながら小声で読みあげた。題名は「場所」になった。トラもウマもリスも。

2008年2月22日(金)

九時のしなので名古屋へいき、名古屋から新幹線で新大阪、こだまに乗り換えて西明石。たいへん空腹で猫が実体化して騒いでいるが今日は大潮でそして干潮の時間に大鳴門橋公園でどうせなら渦みたいじゃん。園子さんレンタカー屋でネゴシエイト。その間になんでも売っているコンビニでおにぎりを二個かう。小さなレンタカーでおにぎりを頬張り、運転のできないわたしは助手席へ、できる園子さんは運転席へ。エーエムラジオをつけると神戸弁の女の人が料理屋のうわさ話をしている。国道から第二神明。オー、135度の子午線をいま自動車とぼくと園子さんは通過していくよ。チカッと光った。それは子午線かピアノ線か。ふれあいトンネルというおっそろしい名のトンネルを慎重に過ぎ、光の台形のなかへ飛び込むとそこは明石大橋の上。グワー、たけーなー。そして淡路島。島の北から南までただひたすら高速道路を走り、そして大鳴門橋をわたり、徳島県にはいって、そして渦潮のみられる公園へいく。小さいとききて船で渦をみた。いまは橋の途中まで車道の下に歩いていける遊歩道が300メートルついていてしかもその歩道のところどころ床に強化ガラスの窓が開いていて足の下45メートルが宙ぶらりんで海面は大潮の渦だ。ごうー、と逆巻いている。そうかー、渦は同じところで回り続けるのでなく、たえず動きながら無数にあらわれ、そして消え失せ、ひとつとして他と無関係にまわるのでなく、すべてが大きな運動体のなかにあってけれど渦それぞれのエネルギーはそれぞれの地点でふくらんだりちぢんだりしている。こないだ買った小さな双眼鏡を目につけてのぞくともうからだの内側の肉がきしみをあげて渦の揺れ動きにシンクロしていく。つまり眼下でくりひろげられているのはふだん目にはみえず言葉や絵のむこうにそれがあると感じられればオーアみてよかった、と小説や絵にふれたときおもう大きな運動が「目に見える」ようになった、というような仮象だ。静電気まみれの猫のように全身が逆立ったまま遊歩道を徘徊する。大潮の勢いが弱まってくるとかえって渦のかたちは渦らしくなってくる。海底から螺旋状にあがってくるエメラルドグリーンの渦のかたちまでみえる。遊歩道をでて架橋記念館というところへいって渦のしくみの映像を見、世界の渦、というコーナーをみて、そして鳴門の渦潮を見に訪れた文学者、というところで園子さんが「ホラしんじさん」といって指を差しなんだろうとおもったら正岡子規の句だった。渦はまわる。屋外の展望台を三つまわり、もっとも見やすいのは高台に階段でのぼっていく展望台であることがわかった。今日は大潮の干潮なので橋の南側に渦ができたが明日の朝は満潮になるので橋の北側の渦が巻くところを見に来る。暗くなってきたのでレンタカー。名前つけなきゃね。じゃーシンプルにナルちゃんといくか。アーイ、とこたえるナルちゃんのアクセルを園子さんは踏んづけ徳島市内へ。夕方六時頃だからか市内へはいる道路はたいへんな混み具合で徳島じゅうの人が自動車で集会しているみたいだ。駅につづいているホテルにはいりすぐに徳島の町へ。道が広く飲食街が広大。きけば人口に対する飲食店の数が日本一多いのが徳島市。園子さん猫の鼻でよさそうな料理屋をみつけるけれどよさそうだけあって満席だった。ちゅん。なおも鼻を鳴らして三階のカウンター料理屋にいくととてもいいところだった。牡蠣、ホタテ、豆腐サラダ、鶏のマスタードソース、たこわさび、もずく、いろいろ丼。栄町のバーを紹介される。カフェバー、という感じの店。そのそばにあるバーの戸が気になりはいってみると地元の老人が洒落た格好で集まり高校野球の話をするというバーだった。ヨイヨイ。いーとこだなー、徳島。ユッコ、引っ越しちゃおっかなー。

2008年2月21日(木)

サーテ、とおもったらアララもう終わっていた。「考える人」の「白痴」のエッセイ。しかしコンピュータのワープロソフトの変換で「白痴」がそのまま出ないのはどういうこったね。「気違い」もでないし。オメーラ日本語の単語を差別するなよ。関さんから芝居のことで電話。明日から鳴門いくというと鳴門いいナーといわれる。渦潮いいナーといわれる。そんなに渦潮すきだったのデスカ。流体力学の本よむ。子規の句集よむ。晩ごはんは鶏と海老団子の白菜スープ、牛肉とアスパラのオイスター炒め、南瓜の煮たの、もずく酢。

2008年2月20日(水)

マイナス9度、ヘ。目薬びたびた。芸術新潮つづき。アナタいったいフランス語を読んだことあるんですか。イチオー。ひさしぶりに読むフランス語は声にだそうとしてもつっかかって気弱な秋田弁だわ。そうこうするうち自然にフジタの家の分も終わってようやく芸術新潮の旅はエッセイもふくめて終了した。まぼろしの園子さん伸びてきて「校了までまだあるでしょう。遠足は靴を脱ぐまでが遠足」。アイ。ドストエフスキーのこと考える。そして双眼鏡かいにいったらたくさんあるどれもとても小さく、そして性能が進んでいた。ストレッチ。アンドレ3000というアメリカのミュージシャンの子どもアニメ番組のサントラ「クラス・オブ・3000」というのをずっときいている。アンドレ3000が学校の先生として赴任し生徒のさまざまな悩みや問題にヒップホップでたちむかうという番組で日本では放送されていないがアメリカでは大人気だ。放送一回ごとにアンドレ3000は一曲新曲を発表して子どもらと歌う、というのが実にヒッピーホッピー。園子さんセイイエーとクッキング。晩ごはんは野菜の炊き合わせ、湯豆腐、ほうれん草のおしたし、豚の生姜焼きにキャベツの千切り。園子さん王道の味。ホホホホホ。

2008年2月19日(火)

マイナス8度、ホ。早朝に鬼海さんと電話。ニューヨークのインターナショナル・フォトグラフ、センター略してICPという機関で5月に鬼海弘雄の個展を開くことになった。鬼海さんは写真のレクチャーもやる。ボニーやダニエルそして年末に生まれたふたりの子ルルに会うことも考えていたので園子さんとニューヨークにいくことになる。ずっと芸術新潮。フジタの家へボンジュール。午後はドストエフスキーのことを考える。そして目医者。最近夕方に仕事をしていると西日のせいか目がくらみスーッと暗くなっていきしばらく見えない、ということがあるので、見てもらうと、とても乾きやすい目なので頻繁に目薬をさしなさい、目が乾くと眼球やあちこちの反応が遅くなり目が見えにくくなる、ということを教わって、ソーナノカー、と感心した。涙は潤滑油でもあったのか! 薄い青の目薬とピンク色の目薬をだしてもらう。青いのをさすと大人に、赤いのをさすと赤ん坊になる、というわけではない。赤いのには栄養がはいっている。青いのはふつうに、目が乾いたとおもったらガンガンさす。晩ごはんは、サニーレタスとわかめのサラダ、ホタテと牡蠣のクリーム煮、麻婆豆腐は王道っぽい。家庭の特徴があるというのでなく麻婆豆腐のイデアといったようなもの。「泡宇宙論」よむ。たぶん五回目。

2008年2月18日(月)

マイナス10度、テ。ずっと芸術新潮。バルザックの家とフジタの家について書くのですがまずバルザックの家にいったときのことを歩きながら描いた線などみながらからだのなかでいろいろ反芻しその感じのまま書いていくと思いもかけず学生時代はじめてパリにいったときのことなど出てきてオーと目をみはる。ここしばらくジー、ズワー、ドッドッド、と遠い耳鳴りがするので、とても格好いい外観で有名な宮島医院へ。聴覚検査などし、外耳が少し腫れているがとりあえず様子見、ということになる。コワイ。晩ごはんは、しらすおろし、おぼろ湯豆腐、春菊の茎のきんぴら、鮭の粕汁、回鍋肉。宇多田ヒカルのすばらしさについて園子さんと話す。漱石と子規の書簡集よむ。

2008年2月17日(日)

マイナス8度、カ。芸術新潮出だしだけ。急遽、徳島のことを考える。創作。いろいろ電話たいへんレス。晩ごはんは、ボルシチ、コールスローサラダ、アボカドえびサラダ、クレソンといかソテー、チーズ、馬のワイン。馬のワインとは園子さんがパリでノムちゃんとえらんだもの。馬のワインのおかげでパカラパカラ、ウィヒヒーとパリの勢いがつく。ボルシチは回数を重ねるごとにおいしくなっていく。子規よむ。

2008年2月16日(土)

秋田空港までの道路は雪がサッパリなくてさすが秋田の道路だとおもった。まわりはただ真っ白の世界なのに。また細っこい飛行機。ブワー! 小牧空港からバスで名古屋駅、しなのに乗りつぐのは前と同じ。松本駅についてアルプスに声をかけるとさすがにアンタ誰とはいわなかった。アーンド。風呂にはいってもゆうべの竹打ちの音がパシパシ耳のなかで鳴る。夜空に噴きあがる炎、降ってくる雪、そして竹の打ちあう音は、目に見える表面としてはちがうようで実は同じもののこの世への三つの表現じゃないのか。目をつむっておもう。晩ごはんは、おいしいいわし、蕪の葉のきんぴら、焼き厚揚げ、納豆アジごま和え、レタスと蕪サラダ、しじみのみそ汁。料理が口のなかへの表現としてあるように。目をこすって正岡子規の随筆よむ。

2008年2月15日(金)

早朝松本駅でバハハーイ。やけに学生さんが多いなあとおもっていたらあずさ号でなく大糸線で各停で平日だったからだ。長野で乗り換えて新幹線。大宮で秋田新幹線こまちに無事乗り込む。それにしても一週間で二度の秋田て飽きませんか。飽きませんね。犬っこにつづいて横手のかまくらはブルーノ・タウトが来たので有名で、そしてなにより六郷の「竹打ち」というのを見なければならない。横手は曇りで全体が灰色だったけれど、前回に見た橋の上から見る河原のちいさなかまくら群は前回とおなじくこの世ならぬ風景だとおもった。今日と明日とあるので明日のほうが人出が多いかも知れない。七時過ぎ、タクシーを呼んで六郷村へ。竹打ちについて運転手さん曰く「ワタシも六回ばかやったけど、ありゃー酔っぱらってやんのでねと、おそろしくってできねー」とのことで、事前に調べたり読んだりしたのだと竹打ちとは六郷村の北軍と南軍に分かれ、長大な竹竿を頭上高くでパシパシぶっつけあって押し合い、三回勝負で北軍が勝ったら豊作、南軍が勝ったら米の値段があがる、という祭だとおもっていたら、大筋はそれで正しいのですが、ただ運転手さんによると竹竿を頭上でぶっつけあうのでなく、竹竿を互いにがんがん振りおろして闘い、プラスティックのヘルメットなど簡単に割れる。現場にいくともうくっきりと決闘の空気。場内アナウンスが「六郷のかまくらは文化的な行事です、ぜったいに素手で殴り合うのはやめてください」とか叫んでいる。サイレンが鳴るやもう竹の音がバシバシ耳を破らんばかりに響き竹を捨てて素手で殴り合う若者もいて、風景も興奮してか途中吹雪になる。オー、スゲーナー、六郷のかまくら。日本でこれだけ勇壮で野性で生のままの祭はそうそうないのではないか。三戦目で山と積まれた注連縄、天筆を焼く。高々と炎があがり、そしてサイレン。ウワー、燃えるナー、ユッコうちまたになっちゃうヨー! 花火があがるので逃げるようにタクシー。横手にもどって運転手さんの知っている居酒屋で熱燗。湯豆腐とつくねとだし巻き。雪だけの町を歩いて宿へ帰る。

2008年2月14日(木)

短編かく。書き終わってちがうなーとおもい短編箱にいれる。これはちがうなと思った短編を入れておくといつのまにかちょうどいい具合に熟成しすばらしい短編になっているという夢のような箱ではむろんなくただ使わないのを入れておく箱。大竹さんは全景展カタログをうまれてから五十年分の作品集として作りそれで全景展が終わってから十ヶ月くらいかかったが僕のこの一年間は全景nano? としてまとめられた。パリで園子さんが隠し撮りした数々の写真をみせてもらう。座敷のそこらじゅうにごろごろ抜かれた度肝が転がっている。それは猫とロバとパリとパリジアンとパリジエンヌの記録。水着母娘のサービスカット付き。アルプも。天草四郎についておいで! 晩ごはんは、コーンスープ、蒸しいんげんと南京、ポークソテーねぎソース、おいしいグリーンサラダ、ワインとヤギのチーズ、カルヴァドスにつけこんだチーズ、白パン、ヨーグルト混ぜパン。まぼろしの母猫の宇和島のほうに叫ぶ声がする。タケロー! ラブー! ムーチョー!

2008年2月13日(水)

毛糸スカートぐるぐる巻きで朝からクロワッサン。フランスを歩きまわってできた線のことを描いた。そして日記の整理。さらに文春の短編かんがえるうちハッとして夜になっている。晩ごはんはしじみのパクチースープ、カブと厚揚げ煮、春菊の炒めもの、鶏とネギの中華炒め、ほうれんそうおしたし。猫的にはロバ偏重。クロワッサンの連載にも毎回ロバの絵がついているし。

2008年2月12日(火)

ボーとしている。やっぱ松本はさむいれすね。朝創作。そしてクロワッサン少し。白いものにとりまかれたような一日。園子さんは座敷にとじこもって何かしていてこちらが近づくとふすまの前に立って気配をうかがっているのがわかる。ロバの罠か。そして晩ごはんは白和え、かぶのカニサラダ、菜の花のおしたし、サバのしゃぶしゃぶ。なめこ納豆。タウトを中心とする雪問題について考える。その全体像は書きながらでないととても触れることはできない。

2008年2月11日(月)

素晴らしい熊谷さん家の朝ごはん。秋田弁で唄われた歌のCDのことが波紋よぶ。まるでシャンソンのようにひびくらしい。お父さんの運転でタウト日記に出ていた小泉潟というみずうみへ。日記には「豪農の美術コレクターの屋敷にいったらお茶を一杯くれた。私たちは暑い中を重い荷物をもって汗だくでものすごく疲れてその家にたどりついた。それなのに食べ物は一切だしてくれなかった」などと書いてあって爆笑だ。小泉潟をタウトが訪れたのは五月でいまは二月なので季節がちがいしかもみずうみは全面凍結している。そこに白鳥がいて遠くにカラスがいて熊谷さんは「白い鳥と黒い鳥だねー」といった。文化財になっている博物館の施設があるというので看板をよくみるとそれは古民家でしかもタウトが訪れたのと同じ名字だった。テユーカ、そのゴハンださなかった家ジャーン! ユッコタウト発見。いってみるとつららの付き具合がいかにも豪農といった感じで豪勢である。こんな立派な家の人も「待たされた。ごはん出してくれなかった」と後で難癖つけられたと知っておどろいたろう。いまはタウト日記とか読むひといないからイイケド。小泉潟の凍った湖面におりてゆく。熊谷さんの前に白鳥があつまりカラスは遠巻きにみている。でかい白鳥急降下で飛来しホワーッホワホワホワホワと白鳥たち小パニック。おばさんたちはパンを投げる。熊谷さん娘子に空港まで送っていただく。ほんとうにお世話になりました。しかし細っこい飛行機だなや。飛ぶんかい。ブワー! 飛んだー! そして愛知県の小牧空港。バスで名古屋駅へいって、そして特急しなの。近づいてくる近づいてくる。そして松本へ4時着。いやー、ずいぶん。ひさしぶりだねー、とアルプスに声かけるとあんた誰といわれる。ちゅん。松本駅で東京から帰ってきた園子さんと合流。家に帰っても家にあんた誰とはいわれたくないですよね。郵便物は郵便受けに芸術的な手つきで差し込まれてあって園子さんは驚き「メルツバウ!」と叫んだ。晩ごはんは、肉だんご牡蠣あんこう鍋。めかぶ納豆、ニンジンサラダ、フランスで買ってきたチーズだよ! チーズっこだねー。秋田弁では名詞に「っこ」をつけてカワイラシイことをあらわす。犬っことか、家っことか。じゃーさ、秋田じゃユッコはただの「ユ」じゃんヨー。ちゃう。ユッコっこ。ユッコっこっこっこっこ。鳥。にう。

2008年2月10日(日)

7時45分浜松町で真夜中の熊谷新子さんと待ち合わせて秋田へ。秋田空港で熊谷さんのお父さんが出迎えてくださる。豊かなり秋田弁。まずお宅へうかがい、たいへん美しいお母さんにお目にかかる。そしてラーメンをごちそうになり、平野政吉美術館へ。呆然。仰天。というのも入り口に実業家でありコレクターである平野政吉氏がフランスの家を訪れたときの写真が飾ってあり、この家の玄関なんかみおぼえある、とおもってよくよくみたら、四日前にいったフジタの家だった。宇宙からほつれた糸にグングンからめとられていくよ、ユッコ。大きな本屋にいくと「いしいさんですね」と男性に声をかけられた。二時ごろお父さんと合流しお父さん運転の自家用車で湯沢へ。チョー運転。熊谷さんは「チョー」を斬新につかう。前の座席で熊谷さんとお父さんが会話しているがフランス人と韓国人が話しているみたいだよ秋田弁は。湯沢警察署の署長さんに挨拶。そして犬っこ。うわー、チョー犬っこだ! 犬っこ祭とは湯沢の広場に雪で犬の形を作り雪の「お堂っこ」をつくって拝む、という湯沢独特の雪のお祭である。場内に二十か三十くらいある。犬っこは昔は地味でちんまい犬っことお堂っこに地元の人っこがお参りするような行事だったのが近年だんだん犬っこは巨大化し赤ん坊や子供を背中に載せて写真を撮るようなものになり品評会もでき広場にはずらり飲食の屋台が出てつまり完全に観光イベントになってしまった、と湯沢の人はため息をついているらしいがけれどやはり雪の犬はきれいだ。それは秋田の人の感覚の繊細さが犬っことお堂っこの芯にまだ宿っていてじわじわと発散されてくるせいだ。老人が背の低い犬っこをこてのようなもので作っていた。ノートを開いて鉛筆で線をひいていたら犬っこについて教えてくれた。犬っこは秋田犬なので秋田犬の特徴さそなえていなけりゃならね。それは踏んばった前脚とつんと上をむいた鼻先そしてくるんとまわった尾っぽである。この尾のくるんがどうかで品評会の成績がちがってくるのは秋田犬の品評会もおんなじだ。ホホー。そして日が暮れるとろうそくの灯に犬っことお堂っことユッコが浮かびあがる。お父さんのチョー運転で熊谷家へもどり、そしてたいへん豪華でおいしいごはん。お刺身、きりたんぽ鍋、しょっつるなどなど、すべてしみじみとおいしい秋田のお母さんの味。お父さんはつぎつぎと日本酒をあけてくださる。イヤーおいしいわ秋田の酒。お父さんとふたりで日本酒三本。いや四本だったか飲んでしまう。ほんとうにほんとうにごちそうさまでした。ア、頭ぐらり。犬っこばかりの日本になるという夢をみる。

2008年2月9日(土)

朝から中央図書館へ。タウト日記三冊だしてもらい熟読。ページめくるたび大発見の連続。渦の資料もっと読みたかったけれど時間が遠ざかっていく。ダッシュで御徒町。雪のための厚い底の靴を買い、ダッシュで浅草。松屋で園子さんと合流し、並木藪へ。2008年冬の「そばの会」。関さん、奈良さん、網野さん、理加さんがもう来ている。ビールのんでいると、千葉さん、長薗さんも合流。焼き海苔とわさび芋、板わさでひたすらぬる燗。そして二葉。揚げ出し豆腐、焼き鳥、鶏皮など。奈良さん一杯だけビールのみ皆おどろいて拍手。つぎつぎと調子よく銚子たおれる。三軒目、バーリーというバーにいき暖かいラムのカクテルグロッグをのんでいるうちダメになる。それをグロッギーというのである。まだ体半分ボンジュの国に置いてある感じ。

2008年2月8日(金)

一日とんで飛行機のなか。吉田健一が書いているようにはいきませんな。機内食。サバの竜田揚げ。フランス帰りの皆さん、サバ、という洒落でしょうか、と園子さん。アンプティプー。ついたらやっぱ原監督しかめ面でタクシーに乗り込む。やっぱり渋滞。尾久の家に四時半頃帰り着き、お茶をのんで、田端の図書館で四国の小説のしらべものをした。晩ごはんは湯豆腐、漬物、おいしい海苔のつくだに。園子さんごはん大盛り。

2008年2月7日(木)

晴れた朝。バルザック邸再訪。やはり仕事場の感じが特別。あと寝室。昼から自由行動ということで、ノムちゃん園子さんをゆうべのベトナム料理店につれていく。ワインのむ。サンジェルマンをいろいろ歩き猫の店にいき、籠やナイフを売っているところへいく。三時半にもどり、タクシーで空港へ。ノムちゃんが最後まで手助けしてくれた。ほんとうにどうもメルシー。たった三日の、ボンジュ、という間のフランス滞在だった。ノムちゃんと大きく手を振り合ってわかれ、帰りは三つの席にふたりで、楽に乗ることができた。原監督熟睡。

2008年2月6日(水)

原監督が泣いている。シクシク。ちゃう、わし虎キチやで、ただ腹イタイだけや! シクシク。薬のんでおさえタクシーきょうはストライキのはずなのに二台来てかちあう。はじめてパリにきたときは地下鉄のストだった。今日はフランス全土のタクシー18000台がストに参加しているらしく、じゃあいまアタイらが乗ってるこのタクシーは何だい、スト破りかい? パリから一時間ちょい離れた郊外の村に、画家レオナール・フジタの家がある。二階建てとおもっていたら庭側に地下室がありそこからも出入りができる。バルザックと同じ、ちがう高さにふたつの戸口をもつ三層構造の家。地下一階は天井の低い台所、食堂、あがっていくと一階が玄関、居間、寝室、そして二階がアトリエ。フジタは皿も服もクロスも壁も自作している。食器はテーブルにセットされ、たったいまちょっと席を立ったばかり、という感じで、1960年から68年までフジタと君代夫人がここに住んでいたが、68年にフジタが亡くなったあと、ひとりで89年まで君代夫人が住んでいた。そして91年に県に寄贈し、キュレーターはほんとうにふたりが住んできたときのまま屋内を保ち、そしてロープも柵も敷居もなんにもしていない。もちろん住んでいたときロープなんて張っていないでしょう? アトリエにはミシンやちょんまげかつらや石ころやスポンジや大工道具やフジタがつくった孫の手やいろいろあって、僕はアトリエの床に寝転がって天井をみた。フジタもこうしていることがあったにちがいない。庭に出てみると斜面の感じも素晴らしく、村の離れた場所へ歩いていくと、中世のものかもしれないとおもうくらい古い石段があった。画家ということを越えてこんなにも愛情ということをおもう屋内施設はないとおもった。そして全国のストを見に市街へもどりポルト・マイヨー。来たよ。車道には凱旋門まで上のタクシー灯を隠したタクシーがぎっしり。ぎっしりおもろい。スト断然。昼食は原監督と相談してスープだけのむ。園子さんは別行動。モンマルトルの階段のぼる。サティの家にいく。サティっていってもスーパーじゃアリマセンよ! 金のプレートがかかっている場所だった。外壁にもたれ、犬のためのぶよぶよした前奏曲を口ずさむ。でかい給水塔が建っていて、洗濯船に洗いものの水をジャブジャブ補給していた。ジャナクッテサー! バスのなかで、なにが食べたいですか、と天野さんにいわれ、原監督の指示をあおいだら、ブロックサインで「ベトナム料理作戦」と指示がかえった。ヒット、エンド、ラーン、じゃ食い逃げジャン。とてもおちついたおいしい店で椎茸の釜飯に鳥の照り焼きがのったものをたべた。スープもおいしかった、フォー。園子さんはノムちゃんと和食屋で食べてきた。ワインとチーズをオミヤにぶらさげて。

2008年2月5日(火)

朝ごはんは部屋でせんべいを食べる。早クモ逃走デスカ。九時にパッシー地区のバルザック邸へ。パッシー地区の坂の道を数歩あるいたら初めて学生でパリにきたときこのパッシー地区の通りを歩いたことを足もとからたちのぼるように思いだした。行きの飛行機の隣にすわっていた女性とトロカデロ広場で待ち合わせてここにきたのだ。女性は飛行機のなかで話しているうちよく泊めてもらっている先輩のもと恋人であることがわかったのだ。地図を広げながらパッシー地区の坂をあっちへこっちへと歩いたのだ。そしてバルザックの家は三層構造で螺旋階段を何度ものぼったりおりたりした。歩いているうち、はいってくることがある。それは言葉としてでなく内側にたまるものとして外側からはいってくるけれどその外の外側はまた内なのかもしれない。「夢がたまる」みたいなもんか。バーンと手でたたけるようなところにバルザックのほんとうに使っていた机が置いてあるのはなにか大切なことだとおもった。三層構造ということと同じくらい大事だ。有名なコーヒー道具が置いてあったが一日四十杯六十杯いた百杯のんだ夜もあるという割には新品同然にみえどのように修復したのかわからない。一八四〇年代ですからねえ。小雨ふっている。市役所のそばの食堂でサンドイッチたべる。芋がうまい。コニャック・ジェイ博物館。たいへん豪華な感じ。しかしバルザックの家のような空間の入れ替わりは起きる気配がない。小雨ふっている。古すぎて閉鎖されたという噂のある百貨店の建物の前を過ぎ、レアール地区でパッサージュなど探してあるく。帰り着いて少し書き物。ノートにぐるぐると線を引く。天野さんは優秀な料理屋さんを発見していた。生牡蠣、白ワイン、鮭のタルタルステーキをたべる。タルタルソースとタルタルステーキはタルタル人が作ったということで共通しているのか。そうだとしてもタルタル人とはいったいどんな人だね! 頬がタルタルしているのかね!

2008年2月4日(月)

二度目の2月4日。飛行機のなかにいる限り永遠に2月4日から抜け出せないのか。機内食。穴の機内食は北東という名前のやに比べたらましだとおもったけれどやっぱネー、ユッコお寿司つくってもってきてヨーカッター、て、まぼろしのお寿司じゃん! 虚ろに見つめているとパリ、シャルル・ド・ゴール空港にシャルルルルと到着。タクシー乗る。市街への道路渋滞している。事故だろうか。やっぱり事故。天野さんと園子さんとともにバスティーユというところのそばのドアが自動ドアのホテルへ、とわざわざ書くのはドアが自動にあくというホテルにパリで泊まるのはこれがはじめてだからだ。これまでのホテルのドアはなんか木ばっかり。園子さんの友人パリ在住のノムちゃん合流。シーザーのサラダ、モッツァレラトマトサラダ、イカめしのラタトィユ、海老のリゾット。ホテルの部屋で目をつむり、目をあけたら園子さんが起きていて、ア、もう朝ですねといったらあたしまだ寝てません、といわれた。瞬時にそれだけ深く眠っていたのだ。

2008年2月4日(月)

ベチャ積雪。ゴロゴロとトランクを引きずってニポーリ駅。スカイライナーで成田に近づくにつれドンドンドコドンドンと厄払いの太鼓がひびいてくる。そこに滑走路からのエンジン音がゴーゴゴーと重なってまったく成田あたりはアキラ的なニギワイですよ。空港はお祭だよ! 11時芸術新潮の天野さんと合流。昼過ぎの飛行機でウワワワガーギゴギーウー、と離陸。でもサー、ヒコーキなのにー、「穴」って呼び名ちょっとこわいよネー、ゼンニックー。出発で機内食。ずっと白痴よむ。前に読んだのは高校か大学生のときだったけれどこんなにもおもしろい小説だったのかと愕然とする暇もなくザクザク気持ちよく読んでいく。ずっと鉛筆をもって読んでいて文庫本の余白に驢馬や小鳥や光や波の模様など描いていてそれがときどき字の印刷された版面にもはいりこんで全体がそういうかたちの小説として自分がいま読んでいるのかと目でもってわかる。隣で園子さんマージャン牌の山から同じ模様のパイを消す、というテレビゲームを前のめりになってやっている。三人掛けの真ん中にすわっていると暗い飛行機のなかはほんとうに「穴」にいるみたい。ただのワインのんで白痴よむ。途中でバルザックの文庫本もよむ。カツ丼をおかずにうな丼を食べるようなものだ。

2008年2月3日(日)

うーんカッパだね。すばらしい朝ごはんを食べ、西日暮里から表参道。前から思っているんだけどこの西日暮里という地名はロシアにもありそうだね。イワン、どっからきたん。え、おいら、ニシニーポリから。美容師の原さんはあいかわらずかわいらしくその服をみて園子さんは「あー、あの、名古屋の森の・・・ピッコロ!」といった。それはキッコロ。原さんは飛行機が苦手で電車でいけるところはあくまで電車でいきますよ、といっているけれどパリへ行くには新潟を出航しナホトカについてシベリア鉄道に乗り、サマルカンドやキエフ、ニシニーポリを通っていかなければならない。それでは〆切に間に合わないので、あたいらサッサと飛行機でいくヨ! 池袋へいき日本みやげのカレンダーや向こうで使う仕事用のノートや鉛筆削り買う。そして薄型テレビを買いに行く。これは尾久の家のテレビがときどきブラックアウトするようになったため、いまのうちに薄くて大きいのに買い換えておっくのです。そして毎度電気製品には猫の目を光らせる園子さんは買うつもりのテレビの型番を書いた紙を握りしめてまず大きな写真機という名の店にいった。そのテレビをみつけると十五万いくらだった。売り場のひとを園子さんは呼び、「これはいくらにさがりますか」」「少々お待ち下さい」タタタ、と去っていった売り場のひとはまたタタタ、と戻ってきて、「十三万八千円までさがります」「あ、そうですか」といって園子さんはフンフンとその金額を紙に書きとめ、僕は「そんなまけてくれるんだったらいいじゃないですか」というと、園子さんは「え、まだですよ」といって、エスカレーターで一階へおりた。外は雪がふっていた。園子さんがむかったのは隣の電器量販店で名前はドカベンの主人公のキャッチャーと同じである。園子さんはテレビ売り場にむかい僕もあとからついていった。売り場に置かれたその型番のテレビについた値札は「十三万八千円」で、園子さんはそれをしばらく見たあと、売り場の人を呼んだ。別にドカベンのキャッチャーには似ておらず痩せたひとだった。「これはいくらにさがりますか」「ハイ」と売り場の人はどこへもいかず即答した。「十一万六千円です」。園子さんさえ驚いたようだったが僕はショックをうけてそのあたりをしばらく徘徊した。なににショックを受けたかというとその強烈な値引きぶりでこれでは他の商店はもうダメだということにショックをうけたのだった。テレビ購入。よろよろと雪のなかを尾久へ帰り日本の豪邸の食卓。抜群の茶碗蒸し。たいへん豪華なお寿司。園子さんが語るには、ドカベンの店で売り場の人が「十一万六千円」っていった瞬間、慎二さんがさーっと薄くなったのがわかりました、とのこと。

2008年2月2日(土)

8時のあずさで上京。けっこう寒いやないですか。全国的に大陸からはりだしたカッパがのし歩いているのだ。雪のかきすぎかもしれん。渋谷にはピクニックのシルヴィア・バタイユの写真ばかりはりだされていて頭がくらくらした。ジョルジュ・バタイユはあんな理屈の本を書いておいて結局なんや面食いなんやんけ、とあの嫁さんの写真みるたびおもうなあ、とよく仏文科の先生がいっていた。神保町でタウト探索。建築専門の書店で稀覯本を発見したがまだその時期じゃない。昔の鳥がエーと鳴く。白木の和食屋で雪祝い。すると夜中にみぞれが降ってきた。半分白くなって尾久の家に帰る。風呂ザブリ。

2008年2月1日(金)

マイナス10度。もう慣れちゃったヨー。ユッコは「岳」を読んでるので寒さに強くなった気分。各方面へEメールをだし連絡先など伝える。岡さんから電話。塩浄瑠璃のコピーを御守りのように持ち歩いていたとのこと。モッタイナーイ。熊本現代美術館より電話。5月の頭にイベントをやることになった。またアレやろーかなー。午後から荷造り。いよいよ明後日から洋行である。飛行機代を払わないでいく有名な画家はだーれだ? ハーイ、横尾忠則。洋行ただ乗り、れーす。晩ごはんは、アスパラ菜と豚肉の炒め物、大根スティック鴨味噌和え、アボカドまぐろ海苔サラダ、アーうまかったなーあの納豆、という意味の回想ではなく海藻納豆。ラマを飼いたいという園子さん。ロバ騒然。ファッツ・ドミノのトリビュート盤きく。何度も湯浅さんの解説よむ。ピンターよむ。