2008年-19月

2008年5月31日(土)

朝yomyom。そして創作。シトシトトトト雨降っている。荷物まとめるとグワー重く、ニューヨーク栃木東京の合計の重さを思い知る。新宿駅の改札口で待っていると、マスクに帽子に眼鏡の女が改札を出てまっすぐに、グングングンとこちらへ近づいてきてブルルルッ、ロバこわい、としゃがみ込んだら園子さんだった。高島屋の地下食料品売り場は繁盛していた。最近百貨店の地下食料品売り場を「デパチカ」というそうだね、というと園子さんは「それは最近でなくずっと前からだし、そもそも百貨店という呼び名を使う人がもう東京にいない」といった。あくなき探求。俺は百貨店の地下食料品売り場といいつづけてやる、エーエンニ、ナッ! あずさ号は早くも冷房満開で、松本でおりたら肌に暖かかくてほっとした。タクシーで藪のなか。というのは庭が藪。雑草のむこうで懐かしい家が涙を浮かべ救助を求めている。がんばったなー、三週ぶりダモノ。猫たち皮ばかり。晩ごはんはほうれんそう水菜豚しゃぶ。「木村さん」というひとが作ったらしいデラ甘いトマト。ミニきゅうりというきゅうり。奇形の波、といって悪けりゃ驚きの品種改良。イタリアの自転車レースは最後の山だった。山で見る山。夜の松本の空気がからだを浮かせる。

2008年5月30日(金)

園子さん風邪っぴきで動けず、松本は明日もどることに。午前中yomyom。鬼海さんにニューヨークでの写真のキャプションをおくってもらう。昼からウングワレー展再訪。イヤー、ほんとうにすごい。シスコ、スマもそうだけど、絵を描くことの起源に自分がいま立ち会っているという感覚。時計見たら4時でミギャー。ダッシュでホテルへ帰ってヨムヨム。晩ごはんは部屋で中華弁当。ジャズの本などよむ。夜は創作。その後酔っぱらう。

2008年5月29日(木)

朝から創作、午後はヨムヨム。午後三時、乃木坂の新国立美術館へ。エミリー・ウングワレー展。度肝ぬかれる。抽象画といっているがこれは風景画でしかも宇宙とか命とか夢とか、そういうのを全部ふくめた人間が感じる風景の絵で、つまりただの絵画なんていうものでなく、キャンバスの上で色や点をつかって宇宙と共鳴する儀式をやっている。それがまざまざと目にみえるかたちですぐそこにある。ウングワレーとはアボリジニの女性で八十歳くらいではじめてキャンバスに絵を描きそれから亡くなるまでの八年間で三千から四千枚の油絵を描いたが、キャンバスに描きはじめるずっと前から砂や同じ村の女性の肌に点や線を描いて宇宙と共鳴するということをやっていた。それがキャンバスに絵の具で定着しているにすぎない。ウングワレーがここにいて、自分がむこうにいる、それが絶えず瞬時にクルクル入れ替わっているという感覚に駆られる。とほうもない展覧会。フラフラと地下鉄に乗り銀座でお菓子かって浅草ギャラリーエフ。七時より孝典の写真展「エディルネ」のオープニングパーティ。孝典の大勢の知り合いが大集合。また、池田さん、栗田さん、鬼海さん、ヤッコさん、レオナルド、三崎三人娘のうちのふたり、住吉さん、せいちゃん、長薗さんも来てくれる。孝典、蔵のギャラリースペースから出て来ず。孝典もこの夜はウングワレー的な光をからだの奥で感じられているにちがいない。立ったまま、パンとワインとお菓子と野菜スティック。午前一時ごろ、長薗さん、孝典とタクシーに乗り、お茶の水でひとり降りる。

2008年5月28日(水)

朝から創作。午後はヨムヨム。夕方、何度かいったことのある整体治療院にいくと、ひどいといわれる。しかし整体とはようわからんもんれすな。「整体」といういいかたがもうずれとるのやないか。終わってから、都営地下鉄で、ちょっとエフにいってみると孝典は準備万端だった。あと二階の照明をちょっと試してみるけどマーもう大丈夫かなと孝典は早口でいった。孝典が早口で喋るのはアマテラスオオミカミが岩戸に駆けこんで暗くなってしまって以来のことだ。トルコの男たちの裸はアマテラスにアピールするだろうか。お茶の水のホテルへ帰り、晩ごはんは海鮮ピザ。夜も創作。深夜、評判がいいというマンガ読んでみるが投げ出す。

2008年5月27日(火)

朝は二階。昼からお茶の水のホテルへ移動して創作。ランケーブルというものの意味をはじめて知るラン。六時半に新宿三丁目の鼎という居酒屋へいく。「あたらしい図鑑」完成の宴。キャナリー・ロウ読んでいると、津田さんと長薗さん連れだってやってくる。まさか長薗さんの本の帯を自分が書くとはおもわなかった、というとガハハと笑った。もずく、焼きあなご、アスパラ焼き、芋とアスパラサラダなど。ビールと日本酒。教育者やゴリラや詩の話などする。外を出て歩きながら、ふと見ると見覚えのある店で、それは亀谷さんに縁のあるバーだった。「あたらしい図鑑」を亀さんも一緒に祝わせろよといっている気がした。二時まで飲む。長薗さんとタクシーで帰る。

2008年5月26日(月)

朝から葬式。花輪の缶詰、というのは池田進吾さんもいっていた、葬式の花輪の真ん中にビール詰め合わせや醤油やみりんの瓶や缶詰などを置いて葬式の会場に立てる、という風習で池田さんは函館の男だから栃木と函館はなにか風土的なつながりがあるのか。花輪にはいっているのは本物だと重いのでビールとか一升瓶の写真がコラージュされた作りものの箱。十時からお寿司という風習もめずらしい。たいへん大勢のかたが参列し故人の大きさはたぶん栃木の大きさ広さに通じるにちがいない。生前に一度うかがおううかがおうとおもっていながらこの日になってしまった。けれど、美保子おばさんのときもそうおもったが、人が亡くなるときその亡くなった人は、この世にまだ生きている人たちのそれまで離れていた縁をこのように、同じとき、同じ場所で結び合わせる。いいかたは変だけど充実した、光の詰まった式だとおもった。天台宗の読経はいろいろハイブリッドだった。お清めはエビチリ、お寿司、天ぷら。正面にすわった竜之介くんとバカギャグ合戦。おじさんも呆れているだろう。田舎の家にあがり口琴びよんびよん。墓参りの帰り、夕立の雲がむくむくと西の空にあがる。石橋駅から宇都宮線で尾久へ。駅前の中華料理屋でねぎラーメン、もやしラーメンなど食べた。たてつづけに風呂。青木淳「原っぱと遊園地2」すばらしい。

2008年5月25日(日)

アサから家の二階であぐらかいて創作。昼頃、園子さん、両親とも栃木の田舎へ。午後yomyomちょっと。気がつくともう暗くなっていた。晩ごはんは、出前をとっておいてくれた鰻屋の鰻重ひとり正座してモグモグ。戸締まりをしてバスに乗る。宇都宮線の尾久駅で狼狽。嘘バッカつくなー、とユッコ泣きながら電車に駆けこむ。赤羽で乗り換え、石橋で園子さん、努さんが出迎えてくれる。栃木の夜の道。交差点で渋滞、かとおもったら信号がぶっ倒れていて、交差点の真ん中で自動車が大破していて、うしろからワーンワーンとユッコ的に救急車がやってくる音。努さん躊躇せず自動車を切り返し反対車線に出て鵜飼い、バタバタバタ、ちゃう、迂回。さすが自動車の運転が盛んな栃木の人だとおもった。おじさんの家にようやっと到着。外で立ってするあること、手と息を使ってあるものを飛ばすこと、鬼怒川を泳ぐ、焼き場のからだをひっくり返す話、などなど驚愕。栃木は大きいところだとおもった。

2008年5月24日(土)

テクテク日比谷図書館。休日になるとすいているのか。午前中創作。昼はきつねうろん。午後はyomyom。銀座の有名な服飾品展に入り、立っているひとに「アノー、ワイシャツ買いたいんれすけど」というと口だけで笑い、うちはキャージュアルなシャーツがオーイですかりゃー、おーキャク、サ、マ、のお求めにナラララレッル、シャーツはー、オ、イ、テー、ゴザイマシェーン、といわれた。ちゅん。トボトボ。ジャージと雪駄。でもアタイ、ワイシャツを買わないといけないんだよ、アシタのために。くるっと振り返って同じ並びの別の店にいったよ、シタラ若いメガネのアンちゃんは顔は困りながらもちゃんとフツーのワイシャツを出してくれて助かった、あんがとよ光線。浅草にいき、エフの二階で孝典の写真選びに立ち会う。九十枚近くを選びその配置を決めていく。がなかなか決まらない。コーヒーをもらいもうひと仕事。やっと決まる。決まったらふしぎなもので最初からそうでしかあり得ないように収まる。孝典と釜飯の二葉へいき、揚げ出し豆腐、かれい唐揚げ、いか納豆、カニサラダなど。展覧会のオープニングまであと五日。孝典の顔がとがったりふくらんだりしている。電車を乗り継ぎ尾久の家。茶の間でワイシャツ握ったままパタンとたおれる。園子さんは火の用心と拍子木を打ち鳴らす。

2008年5月23日(金)

テクテク日比谷図書館。よく晴れてる。クロワッサンのエッセイにきのうまでのニューヨークのことを書いた。平日の昼間っからよく混んでいるンえ。ゆうべ兄と電話で「んじゃ1時に赤坂サカスで」といわれ「なんやそれ」といったら「知らんのはたぶんいま東京にいる人間でおまえだけ」てイワレタ、ちゅん。霞ヶ関から地下鉄で赤坂へいくと、サカスは探す必要もないほど巨大だった。昼休みのサカスのロビーをきれいなオーエルやチョイ悪のいけめんの兄ちゃんがいきかう。アタイはジャージに雪駄に字の書いてあるTシャツに手ぬぐいを首に巻いている。アタイ透明人間。けど兄はさすが兄だけあってすぐわかりコーヒー屋へいった。六月の家族集合の話をし、黒服を借りた。戻ってクロワッサンつづき、そして日記整理。なじみの地下食堂でかき揚げそば食べたらかたかった。午後は創作。もーろうとしてきて外みたら夜だった。尾久の家に帰り、まぐろ刺、アジ刺、ほうれんそうしらす和え、めんたいこなど食べた。

2008年5月22日(木)

起きて、ぐったり。帰国。ぐったり。ヒヨヒヨヒヨズンズズズンゴ、ゴワーゴゴゴゴワーウィユウィユーン、と着陸。傾城スカイライナー、じゃ吉原につっこんんじまうよ、京成ライナーで日暮里、舎人ライナーで尾久の家に帰ると園子さんが寝ていた。ニューヨーク、ちゃう、入浴。晩ごはんは、たまねぎと牛肉。ほうれんそうおしたし。にんじんのきんぴら。トマト。アスパラ。日本酒てうまいナー、とユッコ初夏の目ざめ。栃木の田舎で不幸があり松本には帰らずしばらく東京にとどまることに。

2008年5月21日(水)

パン食べる。ディズィクッションの上でくるりとベーグル状に丸まりまったくこちら見ない。出発するのがゆうべからわかったいたのだ。トランクを提げ、ドアのすき間から「またなまたなまたなまたな」といいながらゆっくりとドアをしめ最後にさっと猫の光る瞳が見えた気がした。さらばトンキニーズのラッパ猫。タクシーでジェイ・エフ・ケイ国際空港。出国のときには指紋とらないんだね、ホッと。売店の本屋でスタインベックかう。山極さんに薦められたキャナリー・ロウ。日本で生まれた感じの人が多いジェット機のなかへ。帰りも行きと同じ列の同じ窓際で席をかわってあげる必要のある誰もそばにいなかった。非常口席のひとつ後ろというのは普通より狭くなかでも中央の席はもっともきついときいたが本当のことか? ズゴゴゴグワーイエユゥーン、と離陸。客室乗務員はみな背が高かった。機内食はチキンのソースちがうものがでた。スパークリングワインをのんだら睡眠薬がはいってるんじゃないかとおもうくらいストン、眠りの穴に落下した。

2008年5月20日(火)

小雨降ってるネー。10時まで創作し10時半にボニー宅で合流しタクシーでペンソルヴェイニア駅へボニーとルルを送りにいった。緑色の券をもっているとソファのあるラウンジみたいなところで待っていることができる。入り口で守衛のおっさんがオーめっさカワイイ赤ん坊やないか、と話しかけてきて、じゃー君にこれやろう、とペンソルヴェイニア駅のジュニア警官隊のシールをくれた。女刑事ルル。そして12時の電車で母娘はリダ、ネハル、ソララ、そして猫ら(ムーンブーツ、ポッキー、タロウ、マイティ)が待つボストンに出発した。バイバーイと見送り、そしてアタイは20年ぶりにモマにいこうとおもったんだヨネー、モマってサほら絶滅した鳥ジャーなくてトルネード投法ジャーなくて。それノモ。で、いったらチョー休みだったよホイサッサ。火曜日定休だって。シャーネーってことで隣のアメリカン・フォーク・アート・ミュージアムいった。フォークを投げる技術を競う場所でなくて。で、いったらヘンリー・ダーガーの企画展をやっていた。真夜中。てゆーかボニーの中。ダーガーはこちらではダージャーと発音するジャ。DARGERIZMっていう題でダーガーの作品とダーガーに影響うけてるニューヨークの若い美術家の作品が混ざって並んでいてはじめはダージャーだけでいいジャーとおもってたらその若手の作品もすごいのがあった。ユッコさー、コユーメーシーがよくおぼえらんないんだケードー。でもモマっといたよアレ? メモっといたよ、Amy Cutlerってゆうひとの絵とー、Anthony Goicoleaっていうひとの映像がー、ジンジロゲーにオモロかった。オミヤゲコーナーもオモロかったから尾が壊れそうな猫の置物を買った。外は雨降っていました。猫がたくさん濡れていました。ブルックリンの猫ディズィはボニーのアパートで濡れてなかった。ンナー飯くれよといった。飯やり、アパートの鍵をしめて、雨上がりの夕暮れの坂道を歩き、前に通りかかったとき異様なオーラを放っていたブルックリンハイツの古本屋へいった。はいったらもう異様な空気でアタイここで働きたいとおもっちったよ。閉店までいて小説本とジャズ本と詩集など買う。陽の暮れた坂道を戻りながら不動産屋のボードを見るとエレー高い。タッケーナー、とおもってショウウインドウに手をついて見つめているとこれはあの例の有名な楽器を見る子供の絵柄ぴったりだ、とおもった。ディズィの名前は有名なトランペット吹きにちなんでいる。晩ごはんはきのうのタイ料理のあまり。ワインのんだら眠くなった。ベッドにはいるとディズがよじのぼってきてンナー腕だせよというので腕だし、顎を載せたので、これではぜんぜん眠れない、デハナイカ、とおもううちスーと寝ていた。

2008年5月19日(月)

朝創作。青空と雲が半分半分。12時半ごろボニーんちで集合し、目玉焼きとベーコン、イングリッシュマフィン食べる。ルルを連れてパークスロープへいくことになった。ベビーカー押しながら、途中で鍵屋へ寄る、というのは明日からボニーらはリンのリダのところへ行くので(育児手伝いのお母さんが日本から来られなくなった)明日の夜ボニーのアパートでひとり泊めてもらうことになっている、その合い鍵。いつも降りている跳ね橋が上がっているのを見、外見おんぼろのライターズクラブの建物の前へ。ブルックリンにはライターが多く家で仕事がしにくいひとは登録すれば日中ここで書き物ができてコーヒーや辞書もある。過ぎると棺桶問屋、薄暗い倉庫にずらーっと棺桶が立てかけてある。あるいは運送のひとに白昼堂々と運びだされる、亡者がはいっていなければただの箱、カ? パークスロープとはその言葉通りブルックリンいち大きなプロスペクトパークのそばの坂の多い住宅地の呼び名で日本でも翻訳がたくさん出ているライターが何人も住んでいる。キャロルよりにぎやかでそれぞれのひとが何か起こそうとしている活気の町という印象。ブルブルッ、クリクリクリン! ルル押してプロスペクトパークへはいるとその広さ無人さにおどろく。ダンのお父さんヘンリーの出世話に驚く。また、ヘンリーが生まれた町の名前をボニーが英語でいって、これ日本語だとエート、といっているのですが、僕は驚いてぽかんとあけた口を動かし、ケーニヒスベルグ、いまはカリーニングラード、といったらボニーが驚いた。「ヘンリーは、自分のうまれた町を誰も知らない、ってぶつぶついってたのに」とボニー。ケーニヒスベルグはカントの歩く町だしそれ以上にこないだ連載のはじまった「真夜中」の小説にいきなり出てくる。ダンのお父さん、お母さんのスゴイ話はまた。ルルがウイウイいいだしたので坂道を駆けて826NYCという本屋、というか施設にいく。ユッコ胸ギュイン。だってここ、ヒーローになるグッズ、透明人間のクスリとかマントとかそーいうの売ってて、裏の教室みたいなとこでは子供が小説を書く、っていう子供ライターズプログラムをやっていて、もともとは作家のDave Eggersのアイデアでブルックリン在住の作家がいろいろ手伝っていて、たとえば書き出しの部分をある作家が書いて子供はそのつづきをみんながバラバラに書く、というようなことをやる。他にもいろいろセッションのしかたがあるみたい。アンソロジーも出ててはじめのアイサツをリチャード・パワーズが書いてた。ナンテーカ、既得権益みたいのがネーのね、作家に。アンソロジー本を買うと、取っ手のついたドアをあけてなかに本を入れてしめる。なかでガタガタガタ、と音がして、上の方から「何十何ドル入れなさい」というので入れるとまたガタガタガタ、するとまた上の方から「誓いの言葉を!」といわれるので、なにか買ったひとは大人でも子供でも「わたしはここで手に入れたアイテムをヒーロー的なことにだけつかいます、邪悪なことのためにはつかいません、これからもエレーかっこいいヒーローヒロインになることをチカイます。ユッコ」という風にでっかい声で宣言し、したら「ドアをあけてみよ」というのであけたら袋にはいった本とお釣りとレシートが置いてあった。ルルにびよんびよん。タクシーでスミス通りに戻りボニー愛用のクッキー屋へいきボニーが尾久田村家へのプレレント買ってくれる。ルルを押してアパートに帰ったら鍵開かずに往生。合わん鍵やん。鍵屋再訪し作り直し。しかし二個目もあとで使ってみたら合わん鍵やった。イタリア人しかはいれなかったイタリア組合のあとにできたバー、モッツァレラチーズを作って売る爺さんの店、窓にテニスボールや工具が積みあがっていて奥に爺さんがすわっている「なんでも屋」の前などとおる。キャロルのあたりはつまり100年前はイタリア移民の街だった。ケード晩ごはんはタイ料理、出前で。グリーンカレー、鶏の香草炒め、春雨サラダ。ボニーはよく食べるけれど短時間でつめこむのですぐ満腹になる。まーその時間で食べないとルルの世話ができないのでムリない。ボニーは漢字で書くと母乳。出前のタイ料理じゅうぶん屯田兵。馬飼った。

2008年5月18日(日)

しずかな曇り。朝は創作し、午後一時、なんだかしょっちゅういっているドゥランスィ駅でおり有名なハンバーガー屋の前でボーと立っていると「イシーさん・・・」と声をかけてきてくれたのはマギ子さんと中村さんだった。マギ子さんは兄の仕事を越えた仲間でニューヨークいくんなら絶対連絡とってみろお前と気が合うから、と兄にいわれていた。ずっとニューヨークに住んでいる中村さんと結婚し先月日本からこっちへ引っ越したばかり。住んでいるのは通りに面した中華物屋の上のアパートでとても狭いというがふたりはとても楽しそうだ。中村さんはコンピュータなどで映像を作る仕事をしている。ロウアーイーストサイドのこのあたりは物騒なところだったのにいまはオシャレーな人らが越してきて流行の町になっている、と解説をきいているそばからオシャレーな風の野ざらし喫茶や畳を立てかけてあるような画廊があった。モデルが写真を撮られていた。デ、こういうことだらけだからもういちいちユッコ驚かないケードー、マギ子さんと中村さんが住んでる愛の小鳩の巣はー、「苦学の友」のヴィクトリアちゃんの住んでるあのアパートの大通りはさんではす向かいにあったシ。グングン中華街はいっていったらもうここ中華街じゃないよ中華シティ、神戸や横浜とワケちがう、もうちょっといったら植木んとことかにぜったいパンダ住んでる。スキー場のリフトみたいなエスカレーターでー、金ぴかの通路をあがってくトー、ユッコさー帰宅部だしバレー部とか憧れてるだけダケドー、すっごい飾り付けの体育館テかんじのだだっぴろい場所で、中国のヒトが五千人くらいヤムチャたべてた。ユッコヤムチャって知らなかったんだけどおばちゃんが手押し車でお皿とか運んできてそれこっちが取ってくんだね。スモーとりみたいなおばちゃんがいて片手でセイロ三つとかとって肉まん両手で食べててヤ、ムチャとおもった。中村さんの家族の話、マギ子さんの兄話などきく。ふたりとも小柄で一見中華シティのヤムチャ軍団とかにふみつぶされそうなんだけどガビョーみたいにピンととんがっててユッコカッコEとおもった。いいナー、ニューヨーカー。ユッコ今晩もニューヨージのオモリだよ。苦学苦学。外の雨は強くなり、地下鉄でふたりをICPへつれていった。僕はスーとなかにはいったらふたりは後ろで入場料とられていた。アタイまぼろし? ふたりとも鬼海さんの写真の前で鬼海さんの写真のようになっていた。モデル、アーバス、アヴェドンのポートレイトがならんでいる展示があって鬼海さんのはどう考えてもこっちだろう。雨あがり、地下鉄で駄菓子屋カフェみたいなアメリカフェにいきビールやカクテルを飲んで雑談して地下鉄の駅でわかれた。マギ子さんは兄へのメッセージを僕に託した。晩ごはんはボニーの家に押しかけボニーの手料理。おくら納豆、スモークサーモンの焼きめしなど食べる。ルル唖然。

2008年5月17日(土)

オー晴れている。グッゲンハイム美術館へ蔡國強の展覧会みにいく。らせん状の空間に花火の自動車。花火の虎。花火の流れになったオオカミの群れ。絵画や置物のあいまに蔡先生がこれまでやった屋外花火プロジェクトの映像が見られる。ヴァレンスィアでやったBLACK RAINBOW の映像スゴイ。スバラシイ。グッゲンハイムの展示として入場者数がピカソ展を越えたという話でおもしろいだろうとはおもっていたけどその10倍くらいおもしろい催しで東京でもやればいいのに、とオモイマシタ。すっごい中国だ、とおもった。ミッドタウンでタイ料理屋にはいると、周囲に三組日本語の席があってそれがまったく違和感がないのがいまのニューヨークのユカイなところだ。ロックフェラーセンターのそばの店で園子さんへの縁起物のオミヤゲかう。オミヤゲをなかなか買い慣れないのでアワアワしい。土曜日午後のマンハッタンはたいへんな人出。三時前にICPにいくとまだ若い芸術家の集団レクチャーの途中でテーブルで田村さん木村さんとしゃべっているとルルを腹に抱えたボニーが階段をおりてきた。三年前「ぺるそな」を送って以来ボニーは熱烈な鬼海ファン。三時からスライドを使っての鬼海さんのレクチャー。鬼海さんがスライドを八十枚くらい写しながら写真について話す。暗闇でルルうはうはと遊びたがる。ボニー腰をかがめスッと場内をでていく。半分ぐらいきいたところで僕もスッと会場を出てボニーとルルのとことへいった。ルルうはうは元気。レクチャー終了後、アメリカの鬼海マニア写真集をもってサインをもらいにくる。外に出るとまたたいへんな混みようで、タクシーでいこうにも歩行者天国でタクシーが来られず、すなおに地下鉄F線でブルックリンへ移動。鬼海さん、奥さん、木村さん、田村さん、全員でボニーのアパートへ。ディズィ呆気。シカシすぐ落ちつく。ボニーのアパートの同じブロックにいまニューヨークでもっとも評判の高いピザ屋がある。数年前店主の兄ちゃんが手製の窯をこしらえ看板も出さずにピザを焼きだした。近所なのでボニーとダンは毎週のように食べに行きウマイウマイといっていたらニューヨークのレストランを点数で評価する辛口の集団が30点満点中ほぼ満点の評価をだし話題になり平日の夕方でもブルックリンの住宅地なのに行列ができていて、先だってボニーとダンがふつうのわりと空いている日にはいってピザを食べ、何気なく隣をみたらビヨンセとジェイZがピザを食べていた。当然この日も行列ができていたのですが常連の特権でテーブルが空いたら電話をかけてくれることになっていた。かかってきた。ルルも含め全員でいった。イヤー、これがピザというもんか、わし、はじめて食いましたわ。わしがいままで食うたとおもてたピザはヒサいうかピザの出し殻だんな。ここはお酒を売っていないので飲みたきゃ客は勝手に買ってきて飲む。僕は中座してワイン屋にいき、「いまあそこでピザ食べてんねんけど、えらいピザだんねん。あっこのピザにあうワインをくらはい」というとオヤジはオーウ、といってひと瓶もってきて「試せ」といった。駆けもどって皆で試すとオーウうまかった。外は暗くなり小雨ふりだす。ボニーとルルは先に帰り、サー、ごちそうさま、とお勘定をたのんだらボニーがもう住ませていたオーゥマィガッ。ごちそうさまでしたアーといっていたらまぼろしの猫が航空便で届きすっからかんの皿をみてフギャーと吼えた。

2008年5月16日(金)

アパートのそばにプレジデント通りというのがありクリントン通りというのがあり、交差点にあるクロスした表示を見あげると「クリントン大統領」になる。のはさておきプレジデント通りをキャロルの地下鉄駅に向かっていると小雨が降ってきて手ぬぐいでほっかむりして歩くと行き交う人が悲しそうな顔でこっちを見る。ぼっとしてると下りのホームに降りてしまう。いっぺん改札を出て上りホームにいこうとすると改札のサインが「使用済み」「使用済み」とばかり出てミギャーとなって駅員にいったら一日とか一週間の期間じゅう使い放題のカードはつづけて何人もがインチキ使用しないよう、一度使ったら八分後でないと改札を通れないようになっている。マジれすか。昨日につづいてドゥランスィ駅でおりると雨がタパタパ降ってきて意を決して生まれてはじめて折りたたみ傘を買うと4ドルだった。三回さしたら骨折れた。オーチャード通りのホテルのロビーで木村さん、田村さんと合流しはす向かいのテナメントミュージアムへ。二月に飛行機で秋田にいったとき機内誌でみて「これは」とおもっていた移民博物館。1860年以降の移民が住んでいた集合住宅を補修し当時の暮らしのまま再現した部屋をみることができるが、なにより素晴らしいのは事前に申し込む特別ツアーで、客は20世紀初頭ニューヨークに上陸した移民になりきり、このテナメントに住んでいるセンパイの移民に移民としての心得をきいたり、炊事や洗濯のしかたを教わったりするというなんとユッコ的な。ユッコわくわくして説明きいてたんだケドー、ヒゲのオジサンによると今日の設定は1916年ってことで、その頃は日本人バッシングで日本人アメリカへ入れなかったカラー、今日はみなさんロシア人の一家族ってことで、ってゆわれた。パルナスだよピロシキだよ。ユッコがオトーサン、田村さんが奥さん、木村さんと博物館のふたりはその娘、ってことになった。一階の奥の戸をヒゲのオジサンがタタタンタタタン叩いたら、ほっかむりの女の人がマーって感じででてきて、ア、このヒトがセンパイだってユッコすぐわかっちゃった。スゲー服。ヒーラヒラ。ユッコ英語の点わるいケドー、センパイもスゲーなまっててアイコレンデスジュドララオウーなんちってスペイン人みたい。センパイの名前は「ヴィクトリア・コンフィーノ」できいたらホントにスペインにいたユダヤ人の家族でユダヤ教から改宗しろってゆわれてンジャーってことでご先祖トルコににげてそんでニューヨークにいく船に乗ったんだってー。ヒゲのオジサンが、ユッコたち家族を大家に会わせようとしてでもヴィクトリアちゃんは大家がどこか知らなくてオジサンはじゃこの部屋で待たせてやれよっていって、したらヴィクトリアちゃんはエーいまお菓子とかなんもないし掃除の途中だしってごねてウワーユッコもそういう面倒なのヤなんだよねーっておもって、でもヒゲのオジサンがいろいろいってくれてアタイらは結局ヴィクトリアちゃんの家族の部屋に入れてもらうことがデキマシタ。なんでもきいて、ってユウからー、まぼろしの猫とかロバのことあるからー、ユッコ手をあげて「動物とか飼えます?」ってきいたら、ヴィクトリアちゃん笑って「わざわざ連れてこなくってもここサ動物だらけでよ、ネズミとかノミとかシラミとかサ」っていった。「猫はネズミとってくれっからイーケド、他はエサとかネーベ。よゆーネーベ」っていってた。ブルルッ、ロバ働かなくちゃ。ヴィクトリアちゃんの家族構成とか仕事とか学校とか、給料とか、ゴハンとか外のお店とかいろんなこと教えてもらって、蓄音機でレコードかけてそれで踊った。ヴィクトリアちゃん、初対面苦手だけどウチだとチョー明るいタイプ。ヒゲのオジサンがまたノックしてここでヴィクトリアちゃんとはお別れだけどイヤーすごいオモロイ。他にもドイツ人家族バージョンとかイタリア人バージョンとかあるらしいけど設定が複雑で、たとえばヴィクトリアちゃんの場合このあたりにはロシア系のユダヤ人ポーランド系ユダヤ人は多くいて、ラテン系のユダヤ人は少なかったからその自分らのカルチャーを模索中っていう設定で、たぶん他の家族でもそういうマニアックな事情がいろいろもりこまれてる。ニューヨークにいくヒトは何人でも一度は絶対いったらいいとおもった。 1910年代にはもう日本人の移民もけっこう来ていてその多くが庭師だったのだバーカボン。昼ごはんは近所のKATZというチョー有名なユダヤ系料理の定食屋にいってー、魚のつみれスープとパストラミサンドの半分サイズをタベマシタ。壁じゅうに写真が貼ってあって広くて明るくてでも50年くらい内装ぜんぜん変わってない。白ヒゲのジーチャンがテーブルまわってくるからアー哀れ系ッテおもったらぜーんぜん違くって、オーナーのカッツってジーチャンだった。雨ジャンジャン降ってくる。図書館へいって田村さんにマイクロフィルムの操作を教わり、木村さん田村さんは帰り、僕はニューヨークタイムズの1880年頃のや、1941年の年末のマイクロフィルムをぶんぶん回る機械にかけて読んだ。チョー目ーまわったー。晩ごはんはー、ボニーん家で出前とって食べることになった。スミス通りの、四年前にもはいったスシ店はスシ店といっても焼き鳥とか春巻きとかなーんか「ニホン」て感じのものをいろいろそろえ、イスラエル人とネパール人のカップルが経営していて、店の名前は「OSAKA」いいます。支店の名は「SHINJUKU」です。ところでボニーが出前でたのんだ「OSAKA」オリジナルの巻キズシは、サーモンをごはんで巻いたのにハラペーニョソースとフライドオニオンとモッツァレラチーズが載っていて、字で書いてみると「SUSHI OF GARI」とそんな変わんないように見えて実際もあんまカワンナイ。ボニーん家にあった赤ワイン一本のむ。トンキニーズ猫テーブルに乗ってみている。ヘンリー通りのアパートに帰るとまぼろしの猫ほっかむりし、まぼろしのサーモンにくらいつく。

2008年5月15日(木)

起きたら6時。近所のおかず屋でサンドイッチ作ってもらう。店のなかごっちゃごちゃでも態度も味もすばらしいのはそれは客商売だろう。ヘンリーストリート、キャロル、コートなど散策。10時にドゥランスィ駅の交差点で待っていると信号のむこうで田村さんが手を振った。アストリア。ここもアスター一族に縁がある、という名前だけれど田村さんんいよれば村に助成金をもらおうとおもってアスターの名をつけたけどもらった額は十分の一程度だったというがそれでもめちゃくちゃじゅうぶんでしょう。ここにギリシア人街があるので来たが、最初に学校と教会をみた。正教の教会だから遠くでもよくわかる。セントデメトリオス教会だよ。歩いてみるとたいへん治安がよく暮らしやすそうで日本人が割と多く住んでいるらしい。兄土産にDVD買った。おっさんは言葉もわからないのにコメディ映画を買う意味がわからないようだった。あたいもわかんないシ。クイーンズにはいろいろ移民街がある。なかでもギリシア人はサ、地中海の人らだから魚食べんじゃん、でサ、はいった魚屋がまあ驚きだったワケよ。アジ、タナゴ、サバ、キス、エボダイ、ニシン、whiting、ウナギ、tile fish、イカ、タコ、ムール貝、ハマグリ、アサリ、シャケの頭、タラの頭、イワシ、スズキ、red millet、シマアジ。まるいちがアストリアかというくらい。田村さんがパン屋にはいりうまい料理屋情報をきいてくれて、入った料理屋のシマアジの炭焼きが、裏から大場さんとのぶさんが出てきそうなくらいうまかった。ナスのペースト、ポテトサラダ。地下鉄でニューヨークの地図の北から最南端へ降りていき、ブライトンビーチへ。ここはソ連がなくなってからウクライナを中心にスラブ系の人らが移民してきてリトルオデッサと呼ばれているが、いってみて一目で驚いたのは、リトルどころかほんものよりでかいのではないか。ブライトンビーチは保養地でもあるらしく、老人ホームから散歩している男女とロシア人が入り交じって東ヨーロッパの海岸みてーじゃん、いったトキねーけど。モスコウという屋台で「ホットドッグ」と「パニーニ」を売っている。海岸を防風林でへだてた公園に老人らが集結し、野外テーブルごとにひとだかりがしていてなんだろうと近づいていくとゲームしていて、ドミノ組とカード組にわかれていて、ドミノ組のほうが生活に余裕がありそうだった、というか、カード組のほうが賭けへの熱中の度合いが強いのかも知れない。ケータイ電話の老人もめだつのは胴元とかに連絡しているのかもしれない。どこまでつづくのかといった商店街を歩いてときどき商店をのぞくとかたつむりの人形かたつむりの花瓶かたつむりの皿などやたらかたつむりが多い。ロシア人はかたつむりが好きなのか? 地下鉄でミッドタウンへ行き、ブライアント公園でお茶をのんでいたら、一角で四十人くらいでヨガをやりだしてえらいもんやなとおもった。いろいろな足のかたち。そしてICP。会場はえらい混みようでどこに鬼海さんの写真が飾ってあるかなかなかわからない。あった。奥さんいた。オメレトウいやおめでとうございます、というと、言いたいことはありげでもやはり晴れやかさはにじんでいて仙人のようだ。鬼海さんはニューヨークはじめてでどうですかときいたら、イヤー、意外にいいね、地面に立ってるとおもった、といった。年長の来場者ほど鬼海さんのをじっと見ている。そしてキャプションを見て、もう一度写真に帰り、そしてふっと笑う、普遍のヒューモーア。こんなおおぜいの人が鬼海弘雄の写真を入れ替わり立ち替わり見ているというのはそれだけで世の中が循環し空気がよくなっていく感じだウラーウラー。晩ごはんは、ニューヨークでも人気の高いお寿司屋さんにいったら、ここが技を使う店で、石窯焼きのオイスター寿司、カンパチのハラペーニョソース寿司、稚鮎の天ぷら寿司、サンタバーバラ産のウニ焼きの寿司、アオヤギのにんにくグリル寿司などと、ふつうの中トロやひらめの昆布締めもあった。いちばん謎なのは店の名前で「SUSHI OF GARI」というのだった。

2008年5月14日(水)

小雨のなか、園子さんが日暮里まで見送ってくれる。サヨナラ、サヨナラ! ひとりで外国いくのは考えてみたらひさしぶりでアムステルダム以来かもしれん。フィジーもアイルランドも中国もなんや誰かおったもんな。セキュリティのゲートをくぐってもヒヨヒヨヒヨと鳴らず一発で通過。ウイスキーかい、定時から20分おくれて飛行機のなかへ。園子さんが押さえてくれたのは窓側で前のほうだった。隣の席、つまり三人掛けの中央にメチャクチャ足の長いクモのようなアメリカ人のおっさんがすわる。通路側には人のよさそうな、娘がアメリカ人と結婚して住んでいるその家をはじめて訪ねていく(孫が生まれたんで和解)といった感じのおばちゃんがすわっている。マーぐっすり寝ましょうかとおもっていたらクモのおっさんが前の席のヒトと椅子の隙間からささやき声を交わし、誰かと思ったら別にクモの女性ではなく小学校高学年くらいの女の子で親子らしいので、ベルトサインが消えてからクモの父に前の娘と席を替わるよといったら女の子にきいてみて替わることになった。すると左の隣つまり窓側はチョイチョイ悪という感じのオヤジでシラス次郎の伝記みたいのを読んでいて、右隣はずっとモニターを見つめているおばちゃんだった。最近の飛行機は映画と称して椅子の背もたれの裏にノートより小さいモニターをつけて上客にじっと見つめさせて陰でアハハと笑う、かどうかはしらないがそういうモニター式で映画やゲームやさせるようになっているがアタイはあれがだいっきらいだ。あんな小さなもののなかでモンスターが暴れたりウエディングに失敗したり犬が走ったりを見るようには人間の目はできていないとおもうし客をなめているとしかおもえない。やっぱり陰で「アハハ、あんたらこれぐらいのサイズでじゅうぶんよ、アハハ」と笑っているのにちがいないのです。とはいえ今回乗った全日空の乗務員はインド系のおっさんや国籍不明のおばちゃんのクレームやわがままにこたえる態度だけでなく機内餌を配ったりワインをもってきたりという普通のサービスや表情など、ものすごく気持ちのいい旅館とか料理屋にいっているのと同じくらいすばらしいとおもった。東京ニューヨークの路線は特別チームを組んで特訓しているのか、とおもったけど、そういう、特訓とか気張りとかがそもそもなくてたいへん自然にやってはるのが驚きでありまたすばらしいともおもった。帰りはどうだろう。千葉さんにいただいたピート・ハミル「マンハッタンを歩く」よむ。移民とは固有名詞を獲得しそれを集積していく作業、だろうか。寝たり寝なかったり、起きたり起きなかったり。13時間は割とすぐだった。そしてJFK空港でこれまで経験したことのないミステリー空間にはいってしまった。ハッハッハ、わて、指紋おまへんねん。人ダカリして「こうやったら読み取れる」「いやこうしてみたら」と大騒動。指紋読み取りに30分くらいかかった。ヨムヨム木村さん、そしてニューヨーク在住の田村さんが出迎えてくださり、タクシーでヘンリーストリートといって、ブルックリンは環境がいいところで、なんて話していたらすごい荒れ果てた工事現場みたいなところで、よくみたらノース・ヘンリーストリートなのでぜんぜんちがう、急いでいるときはインド系のタクシーに乗れ、というらしいですが。メチャクチャ荒い、というか下手。ようやくついて、ボニー、ルルと二週間ぶりの挨拶。ジェニーのアパートの広さはひとりでは心細いくらい。ひびの食堂でサンマ。ディズィがトンキニーズだったしかもスパイ猫だったというまた強烈な真夜中的な。また、ヘンリー・ダーガーこっちではダージャーの部屋、つまり都築恭一さんが編集したアタイの愛読書「DARGER`S ROOM」の英語から日本語への翻訳はボニーがやっていたオマイガッ。アッメイズィン。それからダンボに行き携帯電話レンタル、ここはとても印象のいい日本人の女性が働いていてアーそうか今日はそういう日か。地下鉄に乗ってユニオンスクエア。野菜市があってにぎわっているそうですが夕方に来たのではもう結構店じまい。野菜が麻薬を駆逐する。喜んでリンゴ三つかう。晩ごはんは、なんか外国で初めていくような天井の高い洗練されたレストラン。しかも雪駄。キノコスープ、タコグリル。田村さんは名前は忘れた魚の味噌グリル、木村さんはソフトシェルクラブをたべた、日が暮れるとサムイコサムイ。裸足やし。地下鉄F線でキャロルまで帰り途中でボニー宅へ寄り、ルル遊び。ディズィ遊び、そしてジャージと五本指靴下かしてもらう。帰ってウイスキー少し。ピート・ハミルよむ。ただいま12時37分。

2008年5月13日(火)

朝起きると兄が携帯電話を見ながら「いちおういうとくけどたまさんからメールきてて、きのうしんじさんといっしょにきたかた、上着と鞄と携帯電話、わすれていかれました、て」。藤井くん真夜中化。もう浮かびあがっているだろうか。兄の家で少し創作。ミズマ・アート・ギャラリーへおりていき、そしてまた「隠れマウンテン&ザ・ロッジ」にのぼる。あらためて、驚愕。いやこれはすごいどんなひともいますぐにでもみにいったほうがいいとおもった。山手線で新宿で園子さんと合流し、川口駅へ。兄情報のシスコの三人展をみにきたのだ。「川口駅におりることがあるとはおもわなかった」といったら「わたしがいまこうしてあるのは川口駅のおかげです」と園子さんが驚くようなことをいう。きけば、二十代のときお母さんが同窓会にいったら同級生が川口にある自動車教習所のえらいさんになっていて、お母さんは家に帰ってきて「園子あんたあそこで免許とりなさい」ということで、とてもイイ先生に毎回ついてもらって「見事イッパツで合格したのです」と園子さんは自分でいった。展覧会場はちょっと歩いた公園にあった。なんかもう外にモワーとたちのぼるものが。シスコ、すげー、すげーよう! しかしシスコもたじろぐほどの画家がこの世にいた。丸木スマ。シスコがビートルズとするとスマはロバート・ジョンスン。日本人の絵をみてこんなに感激することはなかった。イヤー、なんか世界が透き通る感じになった。尾久へガタンガタンと京浜東北線。二十代の園子さんがドアの前で熱心に試験問題集を見つめていた。三つ編みだった。尾久の家ですごいお刺身、そしてすき焼き。日本出発の前に最高の日本人の芸術をたくさんみて最高の日本人の食事を猫とロバと山と。明日はジェットストリームだ。

2008年5月12日(月)

朝からギーガシャン。テホレ寒いね。日記整理。園子さん午前中病院。猫とろばと山としばし別れに。鬼海さんと電話で挨拶。写真集「いま作ってるって」って14日オープニングですよ時差あるけどライジョーブなのか。園子さんより一足先にあずさ号に乗り新宿、とおもったら高尾で人身事故とかで大月で停まり、八王子ではブザーが鳴り、走りだしたら緊急停止警報が鳴って無法に各駅停車。魔の中央線。代官山の兄宅に荷物おいてタタタと駅にもどったら熊谷さんと藤井くんが待っていた。ナツメというおいしい和食屋で晩餐会。刺身、鶏レバーカツ、豆腐などなど。熊谷さんは「雪」のいちおう主人公というか背景なのですが秋田につづいてまた実在の場所と小説の「真夜中化」があった。こういうのが書きすすめるためのアカリ。熊谷さんにギャラリー、シスコを強く勧め、手を大きく振っていってきます。藤井くんとタクシーで青山のたまさん飲み屋へ。ウイスキーのむ。たまさんに兄のからだのことをいうとヤッパネー、という。というのは兄は最近めまいがするようになり医者にいったらなんとか神経炎だからアルコールは控え暗いところから急に明るいところへでたりしないように、といわれ、つまり「映画と酒禁止」になってしまい白い灰。藤井くん激しく酔っぱらい激しく笑う。兄宅へ帰ると布団強いてあって闇に手を合わせる。

2008年5月11日(日)

朝から小雨。ヤッパ寒いね。寒いとヤッパ進むね。午前中は創作、午後から美術館の「アンカー展」みにいく。たいへん奇妙な画家。空気と平面。少女を書いているのに幾何学的。あと服への執着。帰って簡単な荷造り。スカスカでどうしよう。孝典の写真展に家族全員集合する電話。酔った父から電話ある。いま名古屋の克典んとこや。母の日なのでかわってもらうと母もボワーと酔っている。電話をきり、ホテルのことで克典に確認しようと電話すると克典もめちゃくちゃに酔っている。リエちゃんご苦労さま。晩ごはんは、アボカド納豆サラダ、ちくわと長芋、蕪の葉のおしたし、アスパラときゅうりと笹身のごま和え、ブリ塩焼きのバルサミコネギソース和え。あさりのみそ汁。

2008年5月10日(土)

朝から雨と創作。シカシ寒いね。寒いと進むのかね。園子さんは台所で活躍している。インドシナ関係の古書とどくけれど開いてみるとみな帯に短し。ここ数日自由学園を出て晴れて大学生になったユッコ的な女性から毎日ハガキが届いていて返事書こうとおもいながらちょっとタメをつくる感じで待っている。兄は早速シスコを見に行ったらしくそれは川口市でしかも三人展で他のふたりもすごかったといっていた。出発前の火曜日にいこうと。「仏領印度支那研究」よむ。晩ごはんは豆腐のみそ漬け。しじみみそ汁。サバの味噌煮。湯豆腐。あと四日でニューヨーク。

2008年5月9日(金)

朝からスーパーあずさ。お茶は風炉になっている。花のこと。薄茶の中じまい。お菓子は重いものをむこうに軽い物をこちらに。午後四時に辞去し、花が咲いているなあ、とおもいながら新宿、猫が編集長という本をオミヤゲに買ってあずさ号。道中、ジョルジュ・ペレック「エリス島物語」よむ。園子さん自動車で伏せて待っている。晩ごはんは、ごま豆腐、たまねぎスライスとおかかのツナサラダ、鶏レバーのしょうゆ煮、ゆでアスパラ、回鍋肉、長芋のすり流し汁。イヤー! この大葉めちゃくちゃうまくて死ぬね! あんた、オーバーだわ。ひさしぶりに八時過ぎて晩ごはんたべると勘くるう。園子さん猫の編集長本ゲラゲラ笑う。よかった。知っている人が別の名前で写真で出ていたりする。兄にシスコ情報。ボニーから移民情報。「マルグリッド・デュラス愛の生涯」よむ。

2008年5月8日(木)

朝から晴れてクロワッサン。マーなんですかTシャツですな。熊本のシスコのことを書き、午前中におわる。午後にまず花屋にいき母の日の花を予約する。今年は中国が話題なので餃子を食べている楊貴妃というイメージでお願いしておいた。すぐ近くの本郷先生のところに熊本土産の豆腐のみそ漬けをとどける。図書館にいって●グリッド、ちゃう、マルグリッド・デュラス関連本を、用意しておいてくれた素晴らしい司書のかたからうけとる。目医者にいって目薬を受けとる。フーおしまい。また昨日のコースを走りにいくと40分かかってたのが30分で帰ってきてしまい驚いた。もう一周イキマスカ。猫に人間はフシギだといわれる。午後六時半の晩ごはん。冷や奴、めんたいこ、豆腐みそ漬け、小松菜とあぶらげの煮浸し、しじみ汁、長芋とベーコンのバルサミコソテー、アジの塩焼き。園子さんレースに夢中。光るからだごと布団に飛んでいく。猫と夜更かし。「電報」の本よむ。

2008年5月7日(水)

朝から創作。マー、流れていくけんねえ。よく晴れている。園子さんは恩返しに熱心な鳥の店。午後まで書いて、今日も走り。入山辺の農協のほうへ、田んぼのなかの道。オー、帰りは水の張られたばかりの田んぼがきれいじゃないかー。近寄ったら泥まみれだけどサー。家に帰り着いてサン・ハウスきく。といって博多のロックバンドでなくていやそっちでもいいのだけど今日のは20世紀はじめのブルース・シンガーの。晴れた農村の夕方ダヨーヨヨヨゥ。風呂はいり、ゲラに難儀し、晩ごはんは、ブロッコリーとアスパラのごま和え、もずく酢、鶏レバーのしょうゆ煮、にんじんとしめじのきんぴら、かつおの刺身、かじきまぐろのバルサミコソテー。午後七時の晩ごはん。ミュージックミーム4のDVDをみる。園子さん鎌倉イーナーとつぶやいて猫ちぐら。

2008年5月6日(火)

最後の休日で天気よくてよかったね皆さん。朝から創作。午後から図書館。インドシナ関係の本借りる。司書の男性がものすごくてきぱきしていて親身で感激した。家に帰ったらすぐ電話があり、大判の本だったので見落としていた、こちらで用意しています、地下の書庫に関連する本があったのでそれも合わせておいてあります、とのことでいっそう感激。アー、アアアー。青木淳さんから「原っぱと遊園地2」が届いていて百歩いやヒャッホととびあがる。ひさしぶりに走りにいった。美ヶ原温泉の上のほうへいくと息が切れた。フー、ハー、ひさしぶりだからきついのか、それとも知らぬ間に誰かが傾斜をきつくしておいたのか。誰だ! フー、ハー。晩ごはんは、めずらしく午後六時から。明るいうち。窓の外はまだぶどう畑が紫色にみえる。豆腐みそ漬け、めんたいこ、ほうれん草なめこ和え、さやえんどうごま和え、切り干し大根の梅マリネ、ゆでアスパラガス、焼き餃子。アスパラガス瑞々しくて驚くが、冷凍してあった餃子さらにうまくなっていてより驚く。インドシナの本をめくりながらヤン富田ミュージックミーム4をきいていたら本をめくるどころでなくなる。すばらしい音。DVDとCDと本のセットだけれどこのパッケージはなんか結晶という感じがするナー、三角形の。本をめくってみるとめくるどころでなくなった。ヤン富田を中心にいとうせいこう、高木完、小山田圭吾、おおぜいの人のはりめぐらされた縁がこの結晶の形だとわかった。それは読まれ、きかれ、みられているいま、さらに刻一刻と結晶化していく。

2008年5月5日(月)

ガキの日か、なんて外でゆうたらあきまへんよ。朝ごはん食べ、もう一度シスコ。朝っぱらからシスコ。売店でくまむし買う。小雨の熊本をバスで空港までいって、こんなとこでもやきうやってんのか。飛行機揺れて子供泣く。オーイエッ。名古屋着いたらどしゃ降りじゃん。名古屋の空港の名前が小牧から変わっていた。けっこー好きだったのにナー、コマキクーコー、って。名古屋駅までバスでいき、するとしなの号は混んでいて緑色の席しかなかった。マーいいか。緑色。高島屋の上階の寿司屋でさよりやあじ、あおやぎメーと啼く。園子さん猫笑い。緑色に揺られて帰宅すると郵便が段ボール箱に山になっていたザンス。よじのぼって分別。ボニーに電子メールなど書いて送る。ツートトツー。

2008年5月4日(日)

ボヘー。頭がもうろうとしており、午前中ヨロヨロ創作。12時半に美術館で冨澤さんと合流し、そのまま本屋さんへ移動し、ついているスタジオでラジオの公開放送。本のこと、小説のこと、手を振ると外の人も振り替えしてくれる。自分がおもちゃ屋の毛の生えたものになったような。それからサイン会。猫の多きこと。太った中年女性という題の素晴らしきかな。ラーメン徒労。徒労ラーメン。カウンターの喫茶店で上品に玉露のむ。夜は焼酎バーとなるらし。それからまだ見ていなかった「ピクニック、回遊」を見る。最初から爆笑。広がっていき、狭まっていき、奥へ、表面へ。流れというか、空間を過ぎていく感じが、その時間そのものになるという、全体の作品感があり、置かれている作品がたがいにシンコペートしているというか、次に移るジャンプ台になっていて、それは逆戻りしてもさらにそうなる。なかで、ぜんぜん知らなかった、塔本シスコの絵に、巻きこまれる。笑いながら倒れる。園子さんはシスコちゃん呼ばわりしている。1912年生まれ。2003年没。83才のシスコ、5才のシスコ、あらゆるシスコ。ウワー、宇宙の花だー。体温をあげて外に出る。冨澤さんに報告。これはいろんな人にすすめて回らんといけない。7月までやってますから。ゼーーーーッタイ損しない。熊本へいきましょう。それから教わった焼き肉屋へ。馬刺し、はあるけど、馬焼きトハ。ミノとはこんなみのだったのか。夜の市街地を園子さんと散歩。そして素晴らしい予言。ボニーもシスコもクマも鉄割も。ホテルに帰ってモールス信号の本、九州の町の本よむ。ツートトツート、宇宙へ信号おくる。

2008年5月3日(土)

イヨー、といっているあいだに羽田、から熊本。橙色の新しいトランクで。ホテルに荷物おき、去年もかよったターピーエンの店へ。ターピーエンとはふしぎな透明の麺にタンメンの具のようなものが載っていてそしてそのスープがうまくて驚くという熊本のこのあたりでしかアタイは名前をきいたことがない料理。きっと知らないだけだよアタイ無知のチーポンだもん。現代美術館に顔をだして冨澤さんに挨拶。部屋にもどり、ラジオにでずっぱりらしい湯浅さんにリクエスト。マルディグラ・イン・ニューオリンズ、バイ、長髪先生。おとなしく明暗よむ。夏目漱石の小説が西日本にいると読みやすく感じるのは最初によんだのが四国だったせいだろうか。うどんを食べていたからそんな感じなのかな、などと考えていたらもう五時前。ソファの置かれた優美な灯りの図書室で朗読テユーカ文学DJ。暗いのと字がちっこいのでアタイ最初あせっちったオーイエー。小説を書く感じのことをすこし話しそれからじっさい見てもらおうテーンデその場で小説。「クマー、クマー、何度わたしが呼びかけてもクマはふりかえらない、クマがあたしの家に来てもう長い年月が経っていて、それはおもいだすとあたしが生まれた翌年だから十五年前のことで、クマは家で飼われているからもちろん本物のクマではなくて黒い雑種犬の名前だ」と、だいたいこんな風にはじまって、だいたい30分ぐらいで終わりになったので前の吉祥寺のときよりは早くすんだ。驚いたというか、すばらしいことがあったのは、今回は美術館の企図でトークショーのあいだ真横に手話の通訳の女性がつき僕が話す内容を手話に置き換えていくのですが、ふつうの素で喋っているときはまあふつうの通訳だけれど、小説を作りはじめたときふつうではなくなった。通訳の女性は途中で交代するので三人いた。プログラムが終わったあとその女性たちに伺った話だが、はじめのクマー、クマー、というのを横できいて、彼女は「クマ=熊」だとおもい、鼻をとがらせてウオーという感じの動物の熊の手話をした、それが途中で飼い犬の名前とわかりあわてて変更し、「ク、マ」と発音するふりのような手話に変えた。そんな風に一直線に進んでいく小説を手話に置き換えていくうち、彼女らは変な感じになった。たったいま隣で書かれ、読みあげられている小説の話の少し先が、「こうではないかしら」「きっとこうなるわ」という風にわかるようになった。わかる、というのは正確でなく、小説の進行にともない、手や顔やからだが勝手に動いてしまい、僕がまだ書いてもいってもいないことを先だって外に表現してしまうのだ。そして、アア、しまった、とおもってきいていると、僕の書く小説が、彼女らが「そうなる」とおもっているとおりになった、ということが何度もあったという。これは一直線に進んでいたにみえた小説がじつはそうではなく、円を描くか、あるいは三角形の回転か、らせん状か、とにかくまわっているということにちがいないのですが、そこにいた人でないと実際の感じはわかりません。そして小説の最後も「クマ」は犬なのかそれとも熊なのかわからなくなっていくという風になるのだから、通訳の女性がはじめにした反応は予言だったことになる。終わったあと美術館の皆さん、昔の後輩本田くん、園子さんらと近くの郷土料理居酒屋。館長の桜井さんはロンドンッ子のような感じでその話す感じが誰かに似ているなとおもった。本田くん焼酎ソムリエ。辛子れんこん、馬刺し、きびなご、タケノコ、その他いろいろ。本田くんに案内され、音楽のいいバー、そして女性がつかず離れずというバー。どこも人だね。さすが石垣の町。

2008年5月2日(金)

ラララ小雨の日比谷図書館。かすかに虫焦げる匂い。毎年いっていますが「虫焦げる」とか「虫燃える」というのはこの日記のなかでは「蒸し暑い」ことをあらわす隠語なので。小説「雪」にあらわれた場所についてある資料ぜんぶよむ。知らんことばっかでわてアホやった。無知のチーパッパ。午後三時、有楽町で園子さんと合流し「アイム・ノット・ゼア」みる。ノーディレクション・ホームとか見てないひとにはたぶんエレー長いけど、これ。犬が走る場面にはいつも膝をつくワタシ。ローリング・サンダー・レビューが頭でガンガン鳴る。原宿へいって三日連続の鉄割、今日のプログラムはA。兄が初日にみたらみんな青くなっていたというけれどその後兄の「デスプルーフにしたら」というアドヴァイスにより改良を加えられこの日はとても広々とした北海道っぽい稚内までとどきそうないい芝居だった大根。中嶋兄さん風に吹かれて。内倉さんは立っているだけで大自然の悪人だ。終わってすぐ天現寺のお好み焼きへ向かい、雨のなか待っているうち兄が来た。中谷さんも来た。兄鉄板の人。九条ネギの名前の謎トケル。兄の焼くお好み焼きを焼かれるそばから食べるアタシたち。馬籠。馬鍵。馬河馬。恵比寿でタクシーからおろしてもらい山手線でグルッと田端へカエル。

2008年5月1日(木)

12時15分上野駅公園口。ボニー! ダンー! ルルー! 仕事で東大のほうへいく途中の千葉さんも待ち合わせ場所に立ち寄り赤子ほめ。公園は初夏の陽ざし。しかしルルは元気でときどき泣く。四日前より確実におおきくなっている。ダニエルは動物園のそばの売店のソフトクリームが過去にたべたなかで最高のソフトクリームだ、クリームの濃さがすばらしいといった。また、坂道を乳母車をおしていきながら途中のスタンドで桜ソフトクリームをみつけこれは10点満点中7点といった。中華街のは6点だとか。俺はソフトクリームの本を書くんだ、と吼えていたら観光客っぽいハゲのおっさんにそんなの誰も読まないとかいわれダニエルは牛の糞といった。牛の糞ソフト。ニホンにきて毎日四個以上ソフトクリームをたべているらしい。アメ横をちらっとのぞき釜飯の「春」。トリ釜飯、タケノコ釜飯、焼き鳥うまい、揚げだし豆腐も。泣きそうになるとビヨンビヨンで顔が耳。あるいは口琴の音で揺れる空気がみえるといった顔。午後三時、上野駅でサラバ、サラバ、再来週、ブルックリンで! というのも妙な感じだ。新宿へいき、オレンジ色の旅行カバン買う。園子さん上半身に着られる空を買う。今日いっしょに鉄割いくはずだった湯浅さんから電話。来られなくなった、ということでタカノリに電話したら「エ、ヒマ」とのことで来られることになった。あかんにゃん。リトルモアで集結。鉄割のプログラムはC。みなの出来はそれぞれよかったが公演の真ん中あたりのせいか細かいところに不可抗力のズレが生じていた。音が消えるところとか、声と光の具合とか。終わったあと小雨のなかタクシーで阿部ちゃんに会いにいく。ドン・チッチョ。前菜いろいろ、うにのパスタとトマトのパスタ、豚に野菜を詰めて焼くというシチリアの郷土料理。ワインと蒸留酒のむ。個展を月末にひかえた孝典がギャラリーエフの室内のジオラマを自作していて仰天した。やる気ダン吉。タクシーで尾久へカエル。