2003年11月
2003年11月30日(日)
朝からすごい雨。道路がへしゃげるようです。きくところによると台風が近づいているのだとか。引っ越してきた当初モチクの佐々木さんがいったことば、「三崎に台風はこねえよ。ここだけ避けていくだよ」を懐かしく思い返します。お昼にサバ味噌煮を片づけ、午後は集中して創作。一回ずつ書く分量が多くなってきました。ぱたぱたと舞台装置がかわるように話がすすむ。書いていて寒くはないのですけど、雨とくもりなので、なんだかだまされてでもいるような気分です。夕方、まるいちにでかけると、なんとキンキの開きがあった。こんなのはじめてです。それとちいさな槍イカの群れを買いました。晩ごはんは、キンキの開きに大根おろし、槍イカの煮付け、サバ味噌の残り汁で煮詰めた大根プラスねぎ。園子さんからの講演会情報。とある有名ジャーナリストの講演会にいったそうなのです。松本のみなさんはまじめですから、居眠りするひとなどおらず、それどころか熱心にメモまでとっている。講演がおわり、出版社のかたが、お買いあげいただいた新刊にただいま先生がサインをいたします、といったそばから、いままで聞き入っていたひとびとはどうと立ち上がり、わきめもふらず押し黙って出口にむかったそうです。いかにも松本らしい話だとしきりに感心。
2003年11月29日(土)
雨だときいていたけどくもり。窓や戸口をあけ家じゅう風をいれる。そんな寒くはありません。10時ごろ、テレビの撮影隊到着。TBSテレビのBS・CS放送で作家にいろいろ本の話をきく、という番組がある。それに出るのです。てきぱきとした大阪弁の、毎日新聞社高木さんは、住吉高校の先輩にあたることが判明する。二階のちゃぶ台をはさんで(最近このちゃぶ台大活躍です)キャスターの小沢さんと本の話、三崎の話。おもいでの一冊というコーナーで、ぼくは松本の猫たちにも敬意を表し、「吾輩は猫である」をすすめたのですが、とりわけおもしろい部分を朗読するように、といわれ、非常な醜態をさらしてしまいました。新潮文庫版なら56ページ、苦沙弥先生の訳した「巨人、引力」を選んだぼくは、しかし、二行ほど読みすすんだだけで、ゲタゲタと突っ伏せて笑ってしまい、なかなか最後まですすめません。NGの連発です。カメラのかたは、オッケー、とおっしゃっていましたが、まったく恥ずかしいかぎりです。それから小雨のなか、まるいちと本港の岸で撮影。船をなんとなく眺めてる風に見渡してください、といわれ、灯台のようにゆっくりと首をまわしました。仕事のあと、近所の居酒屋で昼ご飯。「本と出会う」というこの番組は、12月の13日、14日、JNNニュースバード、BS−iという局で、それぞれ放映されるそうです。ぼくの醜態が映し出されます。午後から創作に手をつけようとしたけど、どっと疲れがでてこちらも進みません。家じゅうを掃除。細かな汚れもにがさない。晩ごはんは、フフ、いいサバの味噌煮。まるいちでいいサバを買ったのです。はじめに熱湯で身をかたくしておけば、煮汁のなかでコトコト長時間煮付けても崩れない。それと片栗粉がこつ。あまった半身はまたしても西京味噌につけておく。それとムール貝のワイン蒸し、ねぎのぬた。焼き豆腐。夜中、鬼海弘雄さんからすすめられた「悩む力」(みすず書房)読了。ことばがありません。五年に一度の読書でしょう。しばらく本はこれだけでいいかもしれないとさえおもった。夜にジャンジャカ景気よく雨がふりだす。いろいろ本にまつわることの多い一日でした。
2003年11月28日(金)
くもりで寒いけどゴミ捨て。セーターの丸首をもちあげ耳たぶに引っかけているので、遠目には首のない妖怪のようです。のろのろと創作。目をこするともう午前八時。ちょっと掃除をして、のりつぎの悪い京急バス、京急戦で恵比寿へ向かう。二度目の歯医者です。口のなかをしゃーっしゃーっとやったあと、海藻ペーストを歯ぐきに塗り込む。三分間でこちこちに固まってしまいます。歯ぐきとの隙間にまたしゃーっ!とスプレーをかけて、ぺりりとペーストをはがす。つまり歯形をとっているのですね。途中でわかりました。歯が自由になったのできいてみます。「先生、そのしゃーってのは何です」「これはただの圧搾空気」。ぼくはまた、軽い麻酔薬とか消毒液のたぐいが吹きつけられているのかとおもっていた。また、もういっぽうのスプレーは、吹いているのでなく「吸っていた」、つまり唾液を吸いあげていたのですね。ぼくの頭のなかの歯医者に関する暗闇につぎつぎと光が当たる思いです。それから何枚か写真をとられ、次回までにいろいろ調べておくから、といわれた。みなさん、お楽しみに。JR、京急と乗り継ぎ三崎へ。朝起きたときはさばを買おうとおもっていたのですが、つい忘れてしまい、いわしを買いました。晩ごはんは、長いも千切り梅肉和え、いわしの梅煮、牡蠣の中華スープ。梅肉がしょっぱすぎた。梅をもっと薄めないといけないようです。中華スープには酢をいれすぎた。酢をとりすぎるとぼくはすぐ眠くなってきます。園子さんに電話し、「歯医者でウイーンウイーンと歯を削るのをやってもらず残念だった。あれがたのしみだったのに」とついもらすと、「信じられません」とずいぶん驚かれた。
2003年11月27日(木)
朝から薄日がさしていて、おもったほど寒くありません。二階のちゃぶ台でミーツのイラストを描く。ボブ・ディランの似顔絵です。見たいかたは次の号のミーツ・リージョナルをごらんください(関西在住でないひとも、大きな本屋さんにはきっとおいてありますよ)。それからいそいそと創作。今日も順調にすすみます。進みすぎたと心配することもなく、たんたんとふつうに書いてました。夕方目が疲れた。こないだの太刀魚のお返しにニューバッカスへ高級洋菓子をお届けする。石川さんがもってくださったものですが、いっしょに太刀魚をたべたのだから、これは失礼にはあたりませんね。外へでると鼻の先が冷たい。夕方、とうとうこたつを組みたてました。去年にくらべて、わりあいに遅かったのではないでしょうか。晩ごはんは、漬けておいた甘鯛の西京焼き、まるいちよりいただいたまぐろ切り落としの山かけ、おくら納豆、大根の葉のきんぴら。ずるずると熱燗をのむ。こたつの電気はまだいれません。
2003年11月26日(水)
すばらしい天気。朝から洗濯。そして創作。どんどん進み、終わってから、進みすぎたのではと心配するくらいでした。三時半に諸磯まで走りにいく。海がきらきらと西日に輝いています。海外(「かいと」と読む)の交差点でさまざまな犬がくんずほぐれつしていた。ときどきダッシュなど入れながら往復40分。シャワーを浴びてまるいちで甘鯛、小鯛の薄くひらいたもの五枚を購入。おまけにまぐろの切り落としいただく。松本の長芋がまぐろに変わった! 合わせて山かけです。うちへもってかえり、小鯛は軽く塩をし、甘酢に漬けておきます。甘鯛は半身を煮付けと刺身、さらに残った半身は三つに切り分け、西京味噌に漬けておく。晩ごはんは甘鯛煮付け、小鯛の酢の物、おくらおしたし、納豆。ごはんに炭をいれて炊いてみると、気のせいかもしれませんが、みずみずしくなったようにおもいました。小鯛の酢の物は身がしまりすぎていた。酢に漬け置く時間はもっと短くていいのかも。あるいは、塩をする時間を長くとるようにするか。いっそ素揚げにして、中華風南蛮漬けという手もあるかもしれません。晩に今朝がた書いた長編をざっと読み直してみます。なにも間違えてはいませんでした。
2003年11月25日(火)
どしゃぶりの雨。ちょっと創作。歯はもうおおむねだいじょうぶです。チューインガムの幽霊が奥歯にとりついているくらいにおさまってきた。ただし、白根先生の正確な絵によると、ぼくの親不知は横様にはえすすみ、いちばん奥の奥歯に横向きにぶちあたっている。抜くためには、親不知をとちゅうでまっぷたつに切断し、上部をまず取り去る、そこにあいた穴から下部をつまみだす、という、土木工事みたいな手法をとるそうです。図解をみているとわくわくしますが、自分の歯ぐきの話だと思いなおすとぞっとする。まあ近々抜くでしょう。夕方三時ごろ小学館の石川さんと装丁家の池田さん、雨のなかこられる。石川さんは以前からお声がけいただきながら、ぼくの体調不良や松本行きなどで、なかなかお会いできずにいたのです。遠いところをお運びいただき恐縮です。池田さんは「BOOKDESIGN」という雑誌をもってきてくださいました。池田進吾特集があり、そのなかでぼくの二冊の長編をデザインしたときの裏話が紹介されてある。ほかにも池田さんの仕事ぶりが俯瞰できてとてもおもしろい。雑誌自体もきれいな見栄えの本です。二階のちゃぶ台でいろいろと本のはなし、落語のはなしなどする。石川さんはしきりにメモをとっています。日が暮れかけたころ、「しんちゃーん」とバッカスの佐藤さん、太刀魚(!)とさんまの刺身をもってきてくれる。太刀魚はいいのがはいって、しかもすぐじゃないと、なかなか刺身では食べられません。佐藤さんが直々にさばいた太刀魚は、なんとおいしかったことか! 三人で猫のように両手でむさぼる。雨上がりの夕暮れ、まるいちへ松本からの長芋をもっていく。近所の居酒屋で、巨大きんめ、小めといか沖漬けなどをつまみながら、まだいろいろと本の話などしながら熱い焼酎をのむ。
2003年11月24日(月)
ゆっくりと起き、お昼から渋谷。外の街路には出ず、本屋で園子さんがもどるのを待っています。バスで広尾の聖心女子大へ。何年か前、ここに特別講師として呼ばれ、つくり話講座をやったのをおもいだしました。今日は日本ホーメイフェスティバルなる催しがひらかれる。お昼にはシンポジウムがあったらしいのですが、我々は夜のコンサートを見に来たのです。時間まで、隣接の軽食コーナーで、トゥバ産の「ボルシチ」「乳茶」をのむ。塩っぱくてはじめは「なんだ?」とおもいますが、ふた口目からはとてもおいしい。あったまったところで音楽堂へ。四人編成のホーメイ精鋭部隊の演奏、すばらしい!すばらしい! ミェンミェンミェー、とふしぎな響きが地声の上にあらわれるホーメイは、からだのなかをぶんぶんと震わせてくれる。あの市振の石みたいだ。二時間ほどが夢のようにすぎた。そして四人の演奏家は、年齢問題や演奏の腕前などで複雑な人間関係の上にいるようでした。ほんとうにおもしろいフェスティバルだったです。恵比寿で園子さんとわかれ、三崎へもどる。そこにはまたポパイ食堂が待っている。またもやワンタン麺をゆるめにつくってもらいます。強風に家がぶるぶる震えている。寒い寒い寒い。ミェンミェンミェー。
2003年11月23日(日)
うってかわっていい天気です。午前中に少し創作をする。お昼にまるいちでまぐろ、いさぎ、あおりいかを受け取り、東京の園子さん実家へもっていく。早朝落語をみてきた園子さんと合流し、つながらなくなった松本コンピュータをもって秋葉原の対面修理センターへむかいます。日が暮れると地面を裏返したみたいに寒くなる。対応してくれたのは、むかし山登りが好きだったぞんざいなおっさんで、「松本からわざわざきたのかよ!」とあきれていました。でも非常に親切で、ものすごくシンプルな理由でつながらなくなっていたコンピュータを、一時間ほどでてきぱき修理してくれました。いろいろと無料サービスもしてくれた。それにしても園子さんは、アップル社の製品がこんな簡単にこわれることにショックを受けていました。数日前「コールセンター」というところに電話をして、「どういう理由でつながらないのでしょうか」ときくと、その相談を受けるにはお金がかかる、いろいろ手続きをふんで申し込んでください、といわれた。園子さんのお母さんは日本電気のコンピュータをつかっており、少し調子が悪くなると、ていねいにアフターケアをしてくれる。もちろん無料で。「なのにアップルはお金をとるんですか?」「そういうことになっております」園子さん怒りました(去年のコジマ電気みたいに)。「わたしはパソコンの初心者です。アップルはTVコマーシャルで、どんな初心者にも扱えるような風にいっていて、なのに一年経たずこわれたものを、どうしたらいいか相談するだけで、お金をとるんですか? あのコマーシャルは嘘っぱちなんですか?」「そう思われたなら残念です」「あなたはひょっとして、わたしのコンピュータのどこをどうしたら直るか、知っているかもしれない。もし知っていたとして、いまこうして電話で『困ってます』ってユーザーがいっているのに、それでもお金を払わないと教えないっていうんですか? アップル・コンピュータって、そんなにお客さんにつめたい、ひどい会社なんですか?」「そう思われたら残念です」。園子さんがなにをどういっても、相手は「そう思われたなら残念です」とお経のように繰り返すだけだったそうです。「この女めんどうくさいな、はやく切らないかな」と考えているようでもあったらしい(園子さんの印象)。秋葉原の対面センターで直してもらったあとでさえ、園子さんは「わたし、これからもうぜったいアップルのコンピュータは買わない」と断言していました。コールセンターに電話し、そういう気になったお客さんは他にも多いような気がします。本社で開発している製品が悪いと、ぼくは思いません。ただアップルの日本法人は、少し考えかたをあらためたらどうか。晩ごはんは、うなぎの蒲焼き、まぐろ中トロ、あおりいか。おかあさんのロールキャベツ、ステーキ。松本に残されてきた猫たちの恨み節がヨーホヨーホと天井からひびく。
2003年11月22日(土)
日中はミーツ原稿。とっても寒い。そして歯が痛い、というよりむずがゆい。痛み止めはのまず、ひたすら抗生物質をのみます。洗濯をして簡単に掃除をする。ミーツは家にたまるいっぽうのLPレコードのことをかきました。まるいちで牡蠣、むつを買う。ゆうべより歯は少しましになった気がしてきました。夕方にワールドカップの決勝を見ます。ラグビーのおもしろさ、重苦しさ、残酷さががすべて詰まったような試合でした。オーストラリアの前半のトライ(スタンドオフの長いキックパスを長身のウイングがインゴールでキャッチしそのままトライ。カタカナばっかりだ!)は呆気にとられるほどきれいだった。80分戦ってスコアは14体14。延長戦後半のラスト一分、ウイルキンソン選手のドロップゴールで、イングランドチームが勝利を収めました。イングランドのフォワードは全員立派な顔をしていた。大会でもっとも立派な顔だったのは、アイルランド代表のフッカー、キース・ウッドだとおもいます。ともかく最初から最後まで胸の熱くなる大会で、四年後がいまから待ち遠しいです。晩ごはんは牡蠣のスープ、むつの煮付け。親不知のない左の頬だけで食べる。なんだか食べた気がしません。
2003年11月21日(金)
高速バスで松本から新宿。着いたらすぐ、園子さん紹介の歯医者に電話し、今日みてもらえませんか、と左頬だけでもごもごと相談しました。「いまも痛みますか?」「ふぁい」ということで、夕方の四時、恵比寿のその歯医者さんに予約がとれました。ところで、ぼくが歯科医に行くのは、中学生くらいのとき以来ですから、およそ二十五年ぶりになります。そもそも、歯医者ってのはだいたい悪者が多くて、患者の歯になにか「しこんでいる」のではないか、という疑念をもっていました。まだ会社づとめだったとき、行き先を書くホワイトボードにずらり「歯医者」「歯医者」「歯医者」と七つほど並んでいるのをみて、いくらなんでも変じゃないか、とおもったのです。そんな全員が全員虫歯になるだろうか? きっと前回「痛くなる種」をしこまれたのにちがいない、と、そのときはおもった。しかし現金なもので、いざ自分が通う段になると、ぼくも「おねがいしますおねがいします」と頼みこんでいます。夕方まで理論社にいき、サイン本を80冊つくる。歩いているうち、血のめぐりがよくなったせいか、歯がまたギリギリと痛くなってきました。恵比寿の駅前に立ちすくみ、「痛いよう、痛いよう」とつぶやいてみる。もちろん痛みはとれません。早めにいってみると、その歯科医院はたいへんいいところで、少しざっくばらんな先生の口調に、こころから安心しました。ほかはどうか知りませんが、この歯医者さんはすばらしい歯医者さんだ。まちがいない。「お、親不知だな」とすぐいわれました。抗生物質ではれをおさえ、痛みがやんだら治し方を相談しよう、といわれる。もごもごとお礼をいって、外に出て、痛み止めと抗生物質その場でのんでしまう。それにしても親不知とは! さきおとつい、新潟の親不知子不知海岸で、気取って写真になど撮られた罰があたったのでしょうか。お賽銭でも投げりゃよかったかな。品川から京急で三崎。毎日新聞より留守番電話。中央公論より留守番電話。みなさん、しばらく不在でほんとうにすみません。晩ごはんは、園子さんのアドバイスもあり、ポパイのワンタンメン。親不知で、というと、麺をやわらかくしてもってきてくれる。人情がこころと歯にしみる。
2003年11月20日(木)
雨がふったりやんだり。松本市美術館で調べものをしながら、たまたまやっていたモネと印象派展をみる。黄色いアイリス畑と、花瓶の花、巨大なむずかしい名の花の絵がよかった。牛の肉が大阪からとどく。箱にはほかに九条ネギや水菜もはいっています。園子さん肉をみながら涙ぐむ。晩ごはんはすきやきです。加賀の井さんのお酒、やはりたいそうおいしい。園子さんもびっくりしています。そしてまた、大阪の牛の肉がおいしかった。王子商店街にこんな肉屋があるなんて頭の外でした。「いまあなたたち食べてるのはこの牛の肉だよ」と箱に写真と認定書のコピーまでついている。園子さんは関西風、関東風とりまぜ、見事なすき焼き造りの腕前を披露しました。長野だから中間なのかな。食後満腹をかかえぼんやりしていると、とつぜん、奥歯がぎりぎりと痛くなってきた。猫たち心配げに遠巻きにみている。痛い痛い痛い。どんどん弱ってしまい、お酒も飲めません。頭をななめに床につけうなっています。地球がぐるぐるものすごい速さで回っていることが実感できる。
2003年11月19日(水)
ホテルで起床。糸魚川市内の名物あめ玉屋さんに見学にいく。現場をはじめてみましたが、肉体労働の流れ作業なんですね、あめ作りというのは。ものすごく古くからつづく酒蔵「加賀の井」をたずねました。ぼくのあんぽんたんな質問に(大吟醸の米を炊いたらどんな味ですか、など)社長さんはいちいちていねいに答えてくださる。とてもわかりよい説明で、これまでピンときていなかった酒造りの過程が、少しずつみえてきました。ぷつぷつとガスをあげる麹をみるとき、社長さんの目はキッと真剣でした。研修できていた中学生ふたりに「ねえ、お酒のんだことある?」ときいた。「秘密にしとくから、どう?」顔をみあわすふたり。真っ赤な顔で笑い「うん」とうなずいた。すばらしい酒蔵で、また訪ねたいとおもいました。中江津にもどり豪華なお寿司屋で昼食をとったあと、自動車で妙高高原へ。きれいな高原だろうとおもって期待していたのですが、そのまままっすぐ公民館のような建物のなかへはいり、外を歩きまわることができず残念。ここでも笹寿司をつくります。おばさんたちは、ぼくが手慣れたふうなのを見てとり、そこは任せたよ、とのっぺい汁を作っています。ほかにもおばさんがたのかぼちゃ、漬け物など、すべて美味。おいしいおいしいとくりかえすと、おばさんは鉄砲漬けと福神漬けをヴィニールにつつんでくれました。出発のとき、外へでてずっと見送ってくださっていた。新潟の取材では、ほぼすべての皆さんが、どんな夜でも、寒くても、立ち去る我々を外で見送ってくれたのです。感激でした。長野駅前で取材班とわかれ、ぼくは電車で松本へ。各駅停車で一時間半。なんだかものすごく時間がかかったようにおもった。猫たちと再会。晩ごはんは箱いりの笹寿司。大根と鶏の味噌煮。水菜おしたし。それから、大吟醸酒は、加賀の井さんに帰り際いただいたものです。お酒の強い味のする大吟醸酒に猫たち喜びいさんで宙を舞っています。
2003年11月18日(火)
朝からすばらしい天気。真っ青な空に、遠くの雪峰がくっきり突き刺さってみえます。七人乗り自動車で糸魚川市の博物館へ。ひすいにまつわる興味深いおはなしをいろいろときく。海岸でひすい拾いする、という話は以前から知っていましたが、ぼくは海底からひすいが流れ着くのかとおもっていた。ちがうのです。糸魚川上流の鉱床から水流によって転がってきたひすいの鉱石は、いったん海へ出、それから日本海の荒波によって、このあたりの浜へ打ち寄せられるのです。何ともダイナミックなイメージにわくわくします。ひすいのとれる場所は、日本、ニュージーランド、マヤ(メキシコ)、中国と、環太平洋地域に渡っているそうです。ぼくは学芸員のかたに質問しました。「太平洋沿いにひろがっているんなら、どうして日本では日本海側ばかりでとれて、太平洋岸にはぜんぜんないんですか?」若い学芸員のかたは意を得たりといったふうに微笑み、「それは、日本海側と太平洋側で地質の古さがちがうからです。太平洋側の地質は、ひじょうにあたらしく、ひすいができる年月にくらべてもぜんぜん若いのです。だから日本の太平洋側で、ひすいは見つかりません」「そんなに年代がちがうんですか?」「ええ、太平洋岸のプレートは、全部あとから『つけくわわったもの』ですから」。たまげました。つまりカリフォルニアの西側、オセアニアの北側、マレー半島の東側(どうかな?)など、太平洋岸の地質は全部あとから「つけくわわったもの」だったのです。なんと壮大な! それからひすい「翡翠」という漢字の由来について。「翡」はかわせみのオス、「翠」はメスをさす字なのです。川をとびまわる宝石のようなあの鳥にちなんで、中国のひとびとが翡翠と呼んだのでしょう。たいそう勉強になりました。お昼は親不知子不知という断崖絶壁で撮影。よくぞこんな難所を渡ったものだと呆れるほどですが、この日の海は特別おだやかで、親も子も手をつないで通れそうでした。ドライブインのような食堂で今日も「たら汁」。きのうのより少し塩っ気が強い。労働の味ですね。午後は「一つ家に遊女も寝たり萩と月」と芭蕉が詠んだ市振をたずねました。こぶりな港町で、どこか三崎に似ています。取材班のみなさんに無理をいって、ここでおろしてもらう。露地をうろうろすると、とてもかわいがられている風の真っ白な野良猫が二匹の子猫とともに箱にはいっていた。手をだしても怒らないのでよほどひとに慣れています。露地を抜け船着き場にでる。使い込まれた日本海の漁船が五、六艘うかんでいる。海岸にでます。ひさしぶりの日本海。足下にはまん丸く大きな石が敷き詰められ、これは波が荒いので、小石になる前に打ちあがってくるのでしょう。ザブン、ザブン、と波が石の浜を洗っています。と、波音にふしぎな音が混じっているのに気づきました。耳をすませば、高く、低く、その音はころころと小気味よく、あたりじゅうに響いてます。なんだろうか、と考える間もなかった。しゃがんでみるとすぐにわかりました。丸い石の音です。打ち寄せる波が、海へとかえっていくとき、たくさんの浜の石を引っ張っていく。石はたがいにこつこつと水中でぶつかりあって、このふしぎな音楽を響かせていたのです。ぼくはずっとしばらくしゃがんだままでいました。こんなすばらしい海岸ははじめてだとおもいました。市振のこの浜は、ぜったいにコンクリートや砂で整備しないでほしい。丸い石同士のたてるあの音は、ひすいと同等かそれ以上の宝物です。すばらしい漁師町市振をはなれ、糸魚川市にもどる。ここから「塩の道」というのが内陸へのびています。塩や海産物を背中にしょって、山を越え谷を越え、運んでいったそうなのです。その終点が松本だというので、またもやたまげました。ここをまっすぐいけば、まぼろしの猫たちが待つ(日本海の魚づくしを恨めしげにおもっている)松本に着くとは。「歩く会」の先生に誘われ、山村や奥山を歩きました。自然にできた「ウトウ」というくぼみ路に、落ち葉がたまり、そこに初冬の陽ざしがさしこんで、うっとりするほどきれいでした。それから自動車で根知という集落へ行き、おばさんたちに教わって、笹寿司をつくり、そばうちをした。笹寿司は近場の職人さんがつくった箱に笹と酢飯をつめ、上に佃煮やおぼろなど、おばさんたち手製の具をふりかける。そしてふたで押す。はじめは慣れませんでしたが、そのうちなんとか形になってきて、おばさんたちも「あれあれ」と驚いていました。別れぎわに、なんと笹寿司用の箱までくださいました。入門の証書兼宝物のつもりで恭しくうけとる。今夜の宿はホテル。ぼくはまた部屋でイラスト、ゲラ校正。連日のごちそうをおなかにおさめ、ふかふかのふとんでにう。玉石の転がる音が、ずっと耳の奥でひびいています。
2003年11月17日(月)
8時に家を出たら鍵かけるの忘れていた。鍵かけてバスにのったら今度はバスカード忘れていた。ほうほうの体で東京駅八重洲口。ダヴィンチの関口くんと合流。今日から二泊三日で新潟取材です。各地で郷土料理をいただきながら話をきき、それをあとでエッセイにまとめる、という仕事。越後湯沢で乗り換えのとき、中江津までの乗車券がないのに気づいた。新幹線に落としたようです。愕然となって関口くんに平謝り。しかし新潟の駅員さんはやさしく、いっしょに来てるんならそのまま通っていいよ、と各所でいわれた。みなさんありがとうございます。撮影班や他誌編集部のみなさんと合流し、みどり色の海に面した市場食堂でごはん。怒濤さかまく日本海をみながら、たら汁定食をたべました。おみその具合が絶品だった。能生の地のベニズワイとともに写真撮影。カニはサバやタコをえさにして捕るのだそうですよ。サバやタコになりたくない。それから歩いて、海の博物館へ。漁につかう道具や、むかしの船の模型などが展示されてあり、また、近海地魚(「キツネ」や「ガンコ」)の剥製もあって、目をひらいて見入ってしまう。接岸された元・実習船「第三越山丸」が見学施設になっていました。あきらかに元・漁師のおっちゃんが解説員をしている。昔はインド洋やタヒチ沖でマグロ漁の実習をやったそうです。「ふうん、じゃあ日本海からどういうルートで太平洋へ?」するとおっちゃん、まっすぐに地図を指さし「そのころは船、ずっとここに留めてあったんだよ!」。そこは三崎でした。おっちゃんの指先は、見なれた三浦半島の突端を示していたのです。びっくらたまげました。夕方は近所の神社で文化財をみる。また、わら細工職人さんの仕事場で注連飾りをつくってみる。みごとに失敗しました。それにしても、わらとはいいにおいを放つものです。においを吸いこむだけで、からだのなかが青く透き通るような感じがします。すべての仕事を終え、一同、温泉旅館へはいる。ぼくだけが洋室にひとり、イラストとゲラの直しをした。晩ごはんはものすごいごちそうで、えびや鯛の刺身、ひすいたまご、笹にのせた笹寿司、つみれだんごなどをいただきました。新潟の夜はおそろしく寒く、からだのあたたかいうちストンとふとんへはいります。
2003年11月16日(日)
朝四時半に起きてしまう。やはりものすごい好天です。気温は二十四度くらいまであがった。なんだかバカにされたような天気、しかも強風。すだれを締め直した。創作、トーハンの原稿。掃除と洗濯、ふとん干し。明日から新潟へ行くので、きれいにしておこうとおもって。クラムボンというバンドの原田さん来られる。本とレコードのつくりかたのちがいなど、いろいろ話して散歩。それにしても好天の日でよかった。かますの干物、加熱用牡蠣をかう。ワールドカップ準決勝第二戦は、フランス対イングランド。どしゃぶりの雨ですが、近代的なスタジアム、しかもテレビ観戦なので熱気が薄く感じられる。イングランドがキッカー、フォワードのハンドリングの差でゆうゆう勝利。キックばかりで退屈、といえばそうかもしれませんが、そういわれるのがわかっていて、淡々と得点を重ねるウイルキンソンは、憎らしいほど格好よかった。来週土曜はいよいよ決勝戦。イングランドよりオーストラリアのラグビーが魅力的とおもいますが、なにしろ決勝でみるにはぴったりの組み合わせとなりました。オーストラリアは昨夜の戦いができれば勝つとおもう。イングランドは今夜の戦いをすれば勝利がかたいようにおもう。晩ごはんはかます開き、牡蠣のスープ、大根サラダ。明日は早いので早め早めににう。
2003年11月15日(土)
ひじょうに寒い(けどまだ暖房はださない)。カーテンをしめて創作。モノマガジンのイラスト。サントリーから上等なお酒がとどきました。ありがとうございます。まるいちで牡蠣をすすめられ、炊き込みごはんにしたら、といわれたけれど、ひとりではちょっと・・・甘エビ、ひこいわしを買う。お風呂に入り、ラグビーのワールドカップ準決勝、オーストラリア対ニュージーランド戦を見る。下馬評ではニュージーランドの貫禄勝ちとみられていましたが、オーストラリアが胸のすくようなプレイでそれをくつがえす。フォワード陣の、最後までのがんばりがすばらしく、放送していたアナウンサー陣もいたく興奮していました。いやあ、つくづくいい試合だった。晩ごはんは、甘エビの刺身、牡蠣の中華炒め。納豆。大根サラダ。時間に正確な三崎の猫、甘エビのしっぽをたべて、びくん、と後ずさる。
2003年11月14日(金)
恵比寿から笹塚へいきお茶の稽古。口切りです。ふくべの初炭点前。底抜けに忘れていました。お昼におにぎりをいただき、新茶のお濃。たいへんおいしかった。三崎へは午後四時半着。真っ赤な夕日がおちていて、このくらいの時間に帰るのがいちばんきれいだなとおもいました。まるいちでさんまのひらき。帰って晩ごはんはシメサバ、さんま、ほうれんそうおしたし、納豆とシンプルなメニュー。
2003年11月13日(木)
けっこうなお天気。銀座でモノ黒田さんと合流し、映画ポロックを見る。よく飲み、よく喫い、よく描くという映画でした。エド・ハリスという役者がポロックの描きかたを嬉々として真似ていた。それからダヴィンチのインタビューを植田真さんと受ける。なつかしいリクルートビルの応接室。ここで昔よく受付のおねえさんに熱いおしぼりをもらって「おはよう」なんていわれていたっけ。当時はまんざらでもない気分でしたが、いま思い返せば、あのときはみなさん、相当腹をたてていたのでしょうね。すみません、すみません。インタビューの写真は孝典が撮りました。みんなで浅草ギャラリーefへむかい、レオナルドの個展オープニング会にでる。ギャラリーエフのみなさん元気。ディディさんもナオトも友吉さんも変わってなく安心でした。レオナルドの娘「たら」ちゃんは出席者一同のこころを奪っていました。それから柿の木坂孝典邸へ。焼酎飲みにう。
2003年11月12日(水)
晴れて心地よいので洗濯。朝からダヴィンチ。バスケットボール選手の話おわる。午後からマオ原稿と、新潮「考える人」の原稿を書く。すべておわったので、夕方通り矢まで爽快にランニング。出しなに、タカトから「遊ぼうね」といわれるが、帰ってきたら姿みえません。振られてしまった。まるいちでうまそうなサバをひきとり、ジャバジャバとお酢で洗い、三杯酢で締めます。昆布の掛け布団を母親のようにかけてやる。ときどき寝返りを打たせてあげるのは、爺さんの床ずれを心配するおばあさんの心境かもしれない。晩ごはんは、シメサバ、ほうれんそういり中華スープ、納豆。シメサバに拍手。尻が寒いのでタオル巻いている。喉には手ぬぐいを巻いている。
2003年11月11日(火)
寒い寒い寒い。カーテンをしめて、腰にタオルを巻きダヴィンチ。暗く寒い家のなかで書くのは、アメリカのバスケットボール選手が主人公のはなし。ただし中国人で、身長が3メートル近くあります。夕方まるいちへ行くと、松輪サバがあがっていてうらやましい。うるめいわしを買ったけれどうらやましい。羨望のあまり一尾買って、明日まで塩で締めておいてもらうことに。明日はシメサバだ! 晩ごはんはサバと焼き豆腐の味噌煮込、豚バラとタマネギの中華スープ、ほうれんそう、真いわしの塩焼き。昨日となにがどうつながっているかわかりましたか?
2003年11月10日(月)
9時過ぎまで寝ていました。すごい詩人になった夢をみた。月夜の芝居小屋の舞台裏にいて、即興で詩をつくっていくのですが、そのつくるべき詩句が勝手に文字として空中に浮かんでくる。ああ、なんてすごい詩だ、書き留めておかなくてはと思うのですが、その詩句はタンタンと流れ、虚空に消え去ってしまうのです。あほですね。起きたらすごい寒い。雨が降っています。身をちぢめて角川の短編「肉屋おうむ」という話を書きおえる。午後からダヴィンチの原稿を書きはじめました。晩ごはんはとてもうまくできたサバの味噌煮。溶いておいた味噌を加えるとき、片栗粉をひとさじ加えるとよくなるようです。ほうれんそう、牡蠣とねぎの中華スープ。晩は望月峯太郎とツール・ド・フランスの本を読みおえる。まだはじめですが「悩む力」とんでもなくおもしろい。精神病やアル中のひとがあつまって、会社をつくったりするルポルタージュ。せりふがいきいきとしていて興奮します。すごい詩人の詩句はこういうものだったかもしれない。
2003年11月9日(日)
急に寒くなった。灰色のくもりです。着物類はたたんで置いておいてもらう。孝典は尾張小牧号で名古屋へ。ぼくは新宿の青山ブックセンターへ、待ち合わせを一時間まちがえ早くいく。園子さんニャーと合流。ものすごい話をききました。昨日、白い猫をかばんにいれていたのですが、実家へ帰る途中ニャーニャーとしきりに鳴く。なんだろうとあけてみると、ワインの小瓶から中身がもれだし、背中が真っ赤になっていた! 「ああ!」園子さんはハンカチで押さえようとしましたが、ハンカチがみつからないので、猫をとりあげ、背中の汁をちゅうちゅうと吸ったそうです。すごい。家で洗って事なきを得ましたが、まったくすごい光景だったろうと感心しました。下北沢にでかけ、村松利文さんらの「午後の男優室」公演。短いテレビ風のコントが多かった。よく理解ができないネタもありました。でも盛況だった。ストーリーのある長いもの、テレビ風じゃないものも見てみたかった、と個人的には思いました。新宿に戻り「つばめ」という店でハンバーグ、牡蠣焼き、サラダなどたべる。ツール・ド・フランスの本、万祝という漫画、鬼海さんにすすめられた「悩む力」(みすず書房)という本を買う。
2003年11月8日(土)
四時起床。もうろうとした手つきで袴をはき(左、右)、孝典運転の尾張小牧号で笹塚の先生宅へ。道具類をトランクに積み、護国寺へゴー。みなさん揃っていらっしゃって、前掛けをつけ、せっせと手際よく準備。陽がまっすぐに廊下を照らしだすころ、お茶会がはじまりました。ぼくは三番目に点てた。あやふやな手つき。なんとかアップアップでおわる。それから案内係(正客をおねがいする)。孝典のストロボ、バスッ、バスッ、と音をたてて光る。みなさん落ち着いてお手前をされ、ひじょうに和やかでいい雰囲気だったそうです。陽ざしがなによりの味方でしたね。暑いくらいの小春日和に、諸先生がたの頬も自然の花のようにゆるまれたのではないでしょうか。午後三時の予定が、午後四時近くまで。あとで孝典は「みなさん感激してはったみたいやで。おれにまで挨拶してくれて」といっていました。荷物片づけ、みなさんでご挨拶。都内は渋滞していて、先生のお宅までずいぶんかかりました。荷物をおろし、都立大学で、孝典とお疲れ様の韓国料理。柿の木坂で過去の作品集をみせてもらう。インテリア写真やミュージシャンの照れるような写真など。焼酎を飲んでぎりぎりとにう。
2003年11月7日(金)
いい天気です。しかしなぜか頭痛い。明日のことで無意識のうち緊張しているのでしょうか。鬼海弘雄さんより年末テレビのドキュメンタリー番組に出るという電話がある。ちょっと創作をしたあと、角川原稿のつづき。お昼に三崎を出て、恵比寿から孝典に電話。都立大で合流し、おいしい中華料理屋にいく。タンメン、茄子の味噌炒め、炒飯をわけてたべました。カウンターにホーメイの大家がいらっしゃっていた。孝典宅へ帰り、軽く焼酎をのんだあとすごく早めににう。
2003年11月6日(木)
朝から創作。雨はお昼前にやみました。マオリーダー佐藤さんより次回の原稿依頼の電話。テーマはバッグ、つまりかばんです。それから、須貝さんから電話。ちょうど創作が一段落ついたところだったのでうれしかった。お昼をたべ、角川のつづきにかかる。三時ごろ、ポプラ社の鎌田さん、鈴木さん、絵描きの植田真さん(実物)やってくる。いよいよ絵のお披露目です。一枚目をみておもわず「オー」と吐息がもれた。本文中のせりふではないけれど、ほんとうにすばらしい絵でした。ほんとうの絵描きにしか描けない絵でした。なにかを説明するのでなくて、もうどうしようもなく、そんなふうに描いてしまう絵なんですね。「絵描きの植田さん」(本のほう)は十二月の初頭にポプラ社より発売される予定。カバーも真っ白なキャンバスを模してあってほんとうにすばらしい。ぼくはいつも装丁に恵まれすぎています。なお、この日記を読んでいるみなさんに、さしでがましいようですが、ひとつだけ申しあげておきます。この本は、事前になかを、パラパラとめくらないほうがいいです。もちろんめくっていただいて、価値が半減するとかいったものではありませんが、最初から律儀にページを繰っていったほうが、よりこの本をたのしめるとおもいます(それでたのしめなかったらぼくの話がだめだったということ)。絵をすべて拝見したあと、めといか好きの植田さんに、ゆうべ煮付けたいかをごちそう。鎌田さんはしおからときいて猫のような顔になっていた。みなさん帰られたあと、ジンダ南蛮漬け、いさぎ塩焼きで晩ごはん。野球の日本代表対台湾代表の試合をみかけましたが、アナウンサーが「ほう〜」「なるほど〜」とうなるのが耳障りですぐ切りました。夜は植田真さんのこの数ヶ月をおもいながら「ブロンド・オン・ブロンド」のLP二枚組をかけた。
2003年11月5日(水)
朝から天気良し。ちょっと創作して、病院へ喘息の検査にいく。前回の予約を忘れてしまったのです。二ヶ月ぶりの佐藤マサミチ医師、このままで行きましょうか、と薬をだしてくれる。ところが、家にお金忘れてきました! 歩いて十分のローソンまで引き出しに行く。帰りのバスも、乗り継ぎが非常にうまくいかなかったものの、天気よかったのでオッケーです。午後から調子よく創作。それから諸磯までハアハアとランニング。お十夜の夜店、まだ商店街にでています。まるいちで、ジンダ、ちびめといか、いさぎを買うと、「これたべる?」と韓国チヂミがおまけについてきました。おかみさん、いつもスミマセン。きのう韓国の話題がでためぐりあわせかもしれない。晩ごはんは、チヂミ、めといか煮付け、いかのしおから。テレビでタンタンの大冒険をみる。タンタン、ものすごい正義漢です。はじめてフランスにいったとき、喫茶店でひげのはえたおやじに、「オーララー、きみはまるでタンタンのようだ」といわれ(ナンパされ)、彼のアパートに連れていかれたのを思い出しました(なにごともなかった)。夜中、ものすごい雨がふりだす。屋根をパチパチとたたく雨音がうちじゅうにひびいています。
2003年11月4日(火)
朝からオレンジ色の陽ざし。洗濯、掃除、ふとん干し。角川の短編を書きはじめる。さまざまな家畜の口まねをする肉屋の話です。午後からは創作。夕方、また諸磯まで走る。途中やっぱり歌舞島公園はなく、山くずし工事が進展中だった。祟りやなんかないのだろうか。それから走っている最中、あちこちに東京でみるような長細い犬がいてぎょっとした。こないだまで三崎には、野良犬に荒縄結わえたような犬ばかりだとおもっていたのに。海沿いにはおおぜいの釣り人。北条湾の岸壁に、「けえきや丸」という船が新造されていて、おじさんらがそのまわりで祝杯をあげていた。かえってシャワー、お十夜の夜店をひやかしながら散歩。ニューバッカスの佐藤さんが「しんちゃん、しおから食べるか」ともってきてくれた。「北海道のいかだ。はらわたがちがうだぞ」。晩ごはんはジンダの南蛮漬け、ほうれんそう、いかのしおから(溶けそうにおいしいです。佐藤さんいつもいつもありがとう)。年末、韓国にいくかもと松本の園子さんと猫一族から電話がかかる。しおからのことは秘密にしておく。
2003年11月3日(月)
昨日とは一転してくもり空。昼には雨まで降り出します。午前中、サントリー・クオータリーのエッセイを書く。ニューバッカスとモチクのお酒についてです。午後からは創作。夕方、ひさしぶりにスメタナ四重奏団というひとたちのレコードをきく。LPならではなのか、音に暖かみと厳しさの両方が感じられ、一気に両面きいてしまいました。商店街にはたくさん夜店がならんでいる。お十夜という寺の行事だそうです。今日は早めにまるいちへでかけると、のんちゃんが復帰していてびっくりしました。ぷりぷりのカマス、そしてジンダを買う。それから、おかみさんに、本マグロの切りおとしをおまけで(!)もらう。いつもいつもスミマセン。松本の猫たちよ許してください。晩ごはんは、ほうれんそうおしたし、かます塩レモン、めといか納豆、そして本マグロの網焼。うちの猫は三度腰が抜け三度よみがえった。気温はあったかいようだけれど、油断すると寒い夜です(まだ暖房はださない)。
2003年11月2日(日)
朝からいい天気です。洗濯をして創作。午後早くに、浜諸磯までランニング。すごい人出で、埠頭のバス通りに渋滞ができているなんてはじめて見ました。走っている途中、大ショックなことがあった。富士山の見える高台、うたの町の歌碑が建つ「歌舞島公園」がなくなっていたのです。山を半分くずし、そのあとに、マンションみたいな茶色い建物ができつつある。山の上の赤い魚の賽銭箱の、あのかわいらしい観音様はもはやみえなくなりました。公園の前半分はお稲荷様もふくめあとかたもない。なんという所行でしょうか。役所もまあよく許したもんだ。夕方まるいちへいくと、もう魚がほとんどない。イワシとめといかを買います。晩ごはんはイワシの梅煮。いか納豆。梅煮とともに煮たネギがおいしい。酔っぱらって歌舞島のことを考え、つい泣いてしまう。およそ二年前、あそこのお稲荷さんに白い動物のかげを見かけ、なにかのお告げかもとおもって、ぼくは引っ越しを決めたのでした。
2003年11月1日(土)
朝から着物大騒動。孝典に手伝ってもらい、角帯を一文字に締めるまで数十分かかりました。昨年の失敗があるので、はかまはもう間違えない。志村先生に教えていただいたのですが、はかまに入れる足は、左、右の順番がただしいのです。お茶は万事、左、右という順序なので。諸先輩がたにいただいた草履をつっかけ、左、右、とちょこちょこ歩いていきますが、これがまたのろくてのろくて。お茶の稽古には三十分ほど遅れて着きました。護国寺の茶会はいよいよ来週です。着物での点前に慣れようとおもったところ、からだのサイズに合わせてつくったものはぴったりからだに貼りつくので、なにも問題がないと判明。つまり失敗したら、ぜんぶ自分のせい、ということですね。五時ごろ辞去し、またもや柿の木坂へ。洋服に着替え東横線、京急線と乗り継ぎ三崎へ。晩ごはんは、学芸大学前で買った鮭弁当。そば茶をすすりながらかっくらう。
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