2006年4月

2006年4月30日(日)
11時半ののぞみで園子さんと大阪へ。なんば駅のコインロッカーに荷物をいれ、千日前から御堂筋をいったりきたり。園子さんはたくさん毛糸の玉を買った。猫ニヤリ。子どものような服屋でシャツを買った。父の早めの誕生日祝いに甕入りの焼酎を買った。家に帰るといつもの犬パチが短い足で乗ってきた。晩ごはんはタケノコのフライ、コーンスープなど。夜10時ごろ、タケノコのフライを食べるために兄が来た。仕事で博多にいっていてその帰途だそうです。おみやげの辛子明太子は一粒ずつ数えたくなるような明太子で、母と園子さんは明太子屋の名前を急いでメモしていた。父は最近足が痛いといっているけれど「焼酎はしょうちゅう飲むのがうまいんですよ」ともいっていて少し安心した。母は果物の絵を描く喜びを見いだしていた。

2006年4月29日(土)
曇りの朝。紋付き袴で笹塚へむかう。お茶の相伝。薄暗いなかに浮かぶ赤い光。ゆっくりと動く空気の気配。柿伝の板前さんが先生の厨房にふたりはいった。驚いたことに、ベテランの板前さんが、若い頃一度こちらへうかがったことがあります、といった。途中で嵐のような雨が降ったけれど夕方にはあがった。自分のなかに特別な薄暗い小部屋ができたような印象の一日。6年前先生のお宅へ突然うかがったことや、先生、先輩がたの言葉を思い返しながら一歩ずつ尾久へ帰る。晩ごはんは豚しゃぶ、牛しゃぶ、ほうれんそう、中華風サラダなどなど。

2006年4月28日(金)
オー晴れた。日中は創作と日記。日記というより紀行文というくらい長くなってくる。午後から上京し、外苑前のベルコモンズで園子さんと合流。地階がうろついて見るのは楽しいけれど実際なにも買わないという感じのインテリアショップになっていた。鶴と鹿の絵が描かれたコップを買った。何百万円もする石のテーブルがあった。重そうだった。先日買っためがねをそばの眼鏡屋にもちこみレンズを入れてもらう。ぼくが三年前に買い、あまりに妙なかたちなのでレンズを入れず自転車のときのほこり避けに使っていた眼鏡にもレンズをいれてもらえる。園子さん検眼。この字は見えますか、青と赤の部分でより濃く見える線はありますか、などという問いに、「辛うじて見えるというのと見えづらいというのの中間ぐらいですね」「一本目の線と二本目の線は濃いみたいですけど、濃いか薄いかって意識しないとわからないぐらいです」とものすごく正確なこたえを返していて驚いた。ひとの検眼をよこで観察するという経験はこれまでありません。やがて自分の番がきて、「見えない」「る」「見えない」「ふ」「め」「見えません」「赤が濃いです」とものすごくシンプルなこたえを返していたら、検眼していた店員さんヒャーと驚き、「すごく悪いですね」「え?」「いや、こんなに悪いとは思わなかった」と不吉なことをいう。自分ではわからなかったけれどとんでもなく視力が落ちていたらしい。園子さん流に「それは、悪いかいいか、意識しないとわからない程度の悪さではないのですか」「いえ、意識してもしなくても悪いです。0,05とかですから」。ムキュー。二時間以上眼鏡屋にいて、夕方6時ごろ尾久の家に帰る。晩ごはんはうなぎの蒲焼きやすばらしい手料理の数々。園子さんはテレビを見ている。テレビを見ても見なくても目は悪くなる。

2006年4月27日(木)
朝から雨と創作。昼前に東京新聞の稲葉さん来られる。エッセイ、美術の話など。タクシー乗り場へ送っていく途中、またブシブシと雨がふりだす。トコブシを予約し、そのかわり、届いている郵便物を受け取る。もうすっかり私書箱だ。まるいちのみなさんすみません。午後は旅行中の日記を整理しはじめ、五月の締め切り表をみて唖然とする。これにトークショーや、取材、対談などが加わるのか。ぶーん。五月のことは五月になってから考えよう。晩ごはんはトコブシ刺、ゆでブロッコリー、トマト、セロリ。おくら納豆。そして鰆の西京漬け。ちょっと味見してみようかと思ってムキュー。食べてみるとやはりまだ浅漬けだった。ただこの青い風味もオッケーらしく、まぼろしの猫たちはサバサバビョンビョンととびはねる。園子さんと電話。ラジオで阪神の試合中継。三連勝を飾り猫咆哮。ベイスターズに勝ってばかりいる。イルカ親戚としてシュン。

2004年4月26日(水)
朝から創作。電話いろいろ。ということは松本へじゃんじゃん電話がかかり、風邪で猫んで、間違えた、寝込んでいる園子さんがいちいち起きて、三崎の電話番号を教えている、ということになる。ムキュー。昼前に矢野さんがきてキーマカレーの店へいく。奇妙な空間。細野春臣のボンボン歌。考える人の話について考える。園子さんと電話。三崎の電話番号をモーローとして間違えて教えてしまい、ぜんぜんつながりませんという返事が返ってきたこと。オーシャンフロントの社長はやはりまっとうだという話。だんだん寒くなってくる。やはり4月なのにしかも三崎なのにストーブは必要なのか。キューバ以外どこもか。晩ごはんはクロのソテー、セロリとトマトのごまサラダ、豆腐納豆、石鯛のあらのみそ汁。トトトトト。

2004年4月25日(火)
ひんやりと晴れ。6時から創作。昼前に終わる。文庫の解説、トークショー、随筆、書評の依頼などが電話で転がる石のようにやってくるボブ。みなさんありがとうございます。昼にまるいちで鰆がありまるまる一尾購入。おとついいっておいたクロの切り身もあった。少し昼寝したあと、午後は短編の創作。矢野さんと電話。東岡のヨコサンで買い物。帰ってまたいろいろ電話。電話の多い日でんわ。そして西京漬け用のみそを造る。味噌500g、酒とみりん大さじ5。コンクリートミキサーのように長くゆっくりと混ぜる。眺めの塩をしておいた鰆を酒で洗い、ガーゼがないのでキッチンペーパーでくるみ、宝物を埋め込むようにタッパーに味噌をはさんで漬けていく。一尾分で大きめのタッパーふたつ使った。紙包み式にすると食べ頃は一週間くらいあとだろう。味噌くさい手でまた電話で話していると矢野さん来る。ふたりで買った魚を分け合って食べようということで。かます、めばる刺身が矢野さんパート、昨日のひこいわし、クロ塩焼き、ほうれんそうおしたし、トマトセロリアスパラのサラダがいしいパート。するめいかのワタ(ゲソ入り)は合作。ふたりいるといろいろ味わえていいよねえボブ、と話す。焼酎もう一杯。こんなにいろいろ味わうふたりはあまりいないザーマスよ。ひぐれるとやけに寒く、あわててストーブをたく。キーマカレーの噂を残し矢野さん東岡へ闇の坂道をのぼっていく。

2004年4月24日(月)
朝から創作と掃除。よく晴れてよかった。玄関先に菖蒲を飾る。別に勝負を挑んでいるわけではなく、昼前に、文藝の吉田さん、坂上さん、尾形さん、写真家のトニーさんこられる。尾形さん以外、三崎の町ははじめてということで、路地や銭湯や木の電柱に猫の目で興味。トニーさんは「家賃はどれぐらいですか」と早くも真顔でいっていて、そういえば、川内倫子さんもはじめて来たとき同じような反応だったし、鬼海さんはここから船に乗って帰ってきたのだし、三崎とはもしや、写真家の目を引きつける場所なのだろうかと思った。まるいち、海南神社、高野湯の裏。お寺の下の階段。ベンチでおばあさんたちに捕まって記念写真。高い縁に腰掛けたりしたので腰のあたりがフニャフニャになって溶けた。昼ごはんはまるいちで盛り合わせてもらった石鯛、まぐろ、かます、釣りめといかなどの刺身でみなムキャーと仰天。店屋にはいるよりこうして食べるほうがそら新鮮やしうまいわなあ、ムキャームキャー。坂上さんは魚を食べたら小アジをつかみトトトと猫のように帰っていった。撮影はさらにつづく。畳で猫転がりする様をグラビアアイドルのように撮られたりした。ユッコ困っちゃったよ。簡単な打ち合わせをすませ、吉田さんと尾形さんも帰って行く。トニーさんは高野湯にはいり、あとから帰った。日暮れてからのぶさんとビール。晩ごはんは小アジの干物五枚、叉焼ネギいため、ほうれんそうのおしたし、ひこいわしとシソのオリーブオイルサラダ。なかなかバラエティにとんだ食卓となった。まぼろしのグラビアアイドルが暗がりから転がってきた。口がやけにとんがっているムキュームキュー。なんだまぼろしのイルカじゃないか。

2006年4月23日(日)
しくしくと小雨。これでは鉄火巻きが外で作れないではないか。あさから創作。自給自足という雑誌から注文をいただいた短編。題名はのこぎり。途中でるな、あんず、りんごの闖入がある。座布団や布団をでたらめにしていった。牡丹の前を通りかかるとちょうど叉焼ができあがったところだったので迷わず購入した。午後も創作。今日は三崎の商店街全体が、戸外で作る鉄火巻きの長さの、世界記録に挑戦するという催しが予定されていた。いくつか決まり事があって、巻きおわったのを端から端までいったん持ち上げて保持しないと鉄火巻きが完成したことにならない。そんなのよそに記録があるのかね、といったら船のひとが「焼津から電話がかかってきて、いきなり記録のばしすぎだよ〜っていってたってよ」。焼津のもっていた記録は300とか350。この日三崎で巻く鉄火巻きは500メートル。屋外で作ったなら、海南神社の参道を抜け、さくら屋の角をまがり、グレートチェーンからお菓子屋さんの角を左に曲がってえんえん商店街を過ぎ、紀の代の前の信号の手前までテーブルが置かれ、トイレットペーパーのような特別仕様の海苔、酢飯、細長いマグロを使った、鉄火巻きというか冒険的な新種の手巻き寿司が作られたことになる。朝からヘリコプターが飛んでいたのはそれを空撮するつもりだったらしい。おそ松くんに出てきそうなエピソードだ。しかし、小雨のせいで屋外巻きは作れず、卸市場の一階で、ぐねぐねと蛇のようにテーブルを置いて鉄火巻きを作ることになったらしい。見に行くつもりだったのが、仕事が終わったのが日暮れ頃で見られなかったガーンのこぎり。まるいちへいき、いまから野菜を買いにいくというと、うちにあるのもってけばといってくれた。厚かましくてすみません。7時ごろスグルくんがいかと野菜とトランク荷物を届けてくれた。ありがとうございます。晩ごはんはめといか刺、ホウボウとタケノコのだしで煮込んだゲソ、水菜とミニトマトとキュウリのサラダ、蚕豆、ネギのいためもの。阪神タイガースが読売に勝つゲソ。鈍い勝ち方。でも勝ちは勝ちゲソ。ところでゆうべ襲われた軽いショックというのは、まず、サンティアゴのカサ・デ・ラ・トローバで買った、ものすごい音圧でルンバをやっていた男ひとり女性ふたりがフロントのバンドのCDが、きいてみると女性ふたりだけが歌で、しかもその歌がフラダンス用だったこと。それから、トリニダーで買ったドミンゴじいさんらのCDが、45回転のレコードを33回転できいたみたいにダメダメだったこと。こんなのひとにプレゼントできまへん。あきらめてもう一度きく。キューバ音楽というよりのろのろ這いまわるタコのような吸盤音楽。これほんまにあいつらの演奏か?

2006年4月22日(金)
断然掃除。一階の台所を主に。風が強く、このせいで干物がよくできるのだ。電力も起きるし凧も飛ぶし電信柱も高いのだ。ビュゴゴゴゴー。などとひとりつぶやきながら一階と二階を雑巾がけ。朝も昼もタカラヤのパン。米屋さんへ空き瓶かえしにいくと、タケノコいる? ときかれた。よそで買った酢の瓶がとりたてのタケノコに変わった! 諸磯でとれたタケノコらしく、米屋さんなので糠もくれた。いつもすみません。まるいちで世間話をしながらホウボウととこぶしを買う。午後は創作。夕方またまるいちに出かけると、矢野さんが噂のさなかにおりてきた。なんだかいろいろと購入している。こちらの晩ごはんはホウボウの刺身、ホウボウの塩焼き、ホウボウのあらでとっただしで、あく抜きをすませたタケノコを煮る。水菜にトマトと大葉とアスパラを混ぜオリーブオイルとバルサミコを別にかける。蚕豆。タイガースはギャヒンという負け方。猫と虎がホウボウに駆けまわっている。夜になると寒い。ではさて、とキューバで買ったCDをかけてみる。軽いショック。

2006年4月21日(金)
とりあえず晴れた。昼前に山手線のなかで園子さんと、誕生日祝いの話をしていたら、急にめがねの話になったのですぐに電車をおり、新宿の、めがねもうっている高級服飾店へいった。青いザーマスめがねをすすめたのですが、冷静な園子さんは流されず、薄桃色のを買うことになった。でもザーマスではある。恵比寿の資本主義な服屋へ行き、民芸調のだんだらジャケットを購入。鮫のひれを出すというたいそうな中華料理屋で鮫のラーメンを食べた。かまぼことはちがう味だった。とうとう別れのとき。明日から園子さんは松本、こちらはひとりで三崎へ。さよなら、さよなら! アスタ・ルエーゴ! 園子さんは猫背を丸めてソニー・プラザへはいった。ぼくはシャッシャッシャと歩いて品川から京急。三崎の家はひとが住んでいる気配をとりもどしていた。まるいちで小アジの干物を買い、のぶさんにビールもらう。いつもすみません。晩ご飯は水菜トマト叉焼サラダ、蚕豆、小アジの干物。阪神タイガースの試合中継をラジオできく。愕然となるような負けかたザーマス。

2006年4月20日(木)
朝から雨だ。今日の遠足はとりやめだ。小学生ならそれでことはすむけれど、インナー小学生、アウターおっさんのぼくはそういうわけにいかない。嵐のなか田端駅、豪雨におびえつつ山手線で渋谷。するとスルスル雲がとれて日差しがのぞく。オー猫の神よ。いわしといかを捧げよう。タクシーでNHKへいき、週間ブックレビューの収録。今日のゲストは自分のほかに蜂飼耳さん、篠井英介さん。薦めた本はゼーバルドの「目眩まし」。蜂飼さんの「文盲」篠井さんの「大江戸歌舞伎はこんなもの」もすばらしい本。収録が終わるや河出書房へ行き、文藝の特集のうちあわせ。編集部に一本葉巻をさしあげた。考えてみると煙草を吸わないひとが増えた日本への土産にハバナ葉巻というのはピントがずれきっていた。まったくハバナ男だよ。五時半になったので、NHKでもらったタクシーチケットを使って木場へ。霞ヶ関まで10分とあったので高速道路にあがったらものすごい渋滞で霞ヶ関まで30分かかった。みんな葉巻になってしまえ! 東京都現代美術館の前で、小刻みにふるえる園子さんと合流。日が暮れるとものすごく寒くなった。園子さんは薄着でおしゃれしてきていた。カルティエ財団の現代美術展のオープニングパーティ。川内倫子さんのお招き。葉巻の似合いそうなひとたちがたくさん、というより、驚くほどおおぜいのひとがこんな不便な場所の美術館にいる。なんですかいったい。みなそんなに現代美術に興味があるのか。それともカルティエのさくらがいっぱいはいっているのか。これではとても倫子ちゃんと会えんなあ、シュン、とふたりで背広と香水の波をかきわけて歩きだしたら8歩目くらいで「あら!」と倫子ちゃんに出くわした。互いの肩に手をまわし女子高生ユッコとしてキャイキャイ。園子さんもそのようにしたあと、そしてキューバでの最終日の夜、停電したあとに見た夢について倫子ちゃんに語った。「今日はそれを伝えるためにやってきたんですよ」と園子さん。すべてをきいた倫子ちゃん驚き「いまのところそんな予定はないけど、園子さん予知とかできんの?」「たまに」と猫顔で園子さんうなずく。明日から沖縄へ行くという彼女の無事を祈り、手を振り合ってひとごみのなかへ。知事のスピーチはすごかった。黒いねばねばしたものが会場にまかれたようだった。せっかく来たので展示を見て帰ろうと三階まであがり、サッサッサと流していく。ひとのほうが多い美術館でなかなか美術鑑賞はできない。けれど、ある写真を見、その横の穴蔵で移されていた映像作品に心底驚いた。「狩人とシャーマン」。アマゾンのインディオたち。緑。粉。光。なによりその顔。言葉を失った。ひとが見てはいけないもの。それが見られてしまうといいう状況自体が現代美術なのかもしれない。この作品をみるためだけに現代美術館へ足を運ぶ価値がある、というより足を運ぶ必要がある。東京に行くたび時間をつくって見に来よう。外はいっそう寒い。寒いときにはおでんだよ。新橋お多幸のおでんだよ。おでん盛り合わせ、焼き鳥、甘鯛の塩焼きを食べた。帰り着くと大量の疲労がステージで披露された。ヒーロー万歳。ぐたっとして首筋を園子さんにもたれて布団まで運ばれていくひと。
2006年4月19日(水)
ウー、いい天気。早朝は創作。正午に上京し、園子さんと表参道で合流。子どものような服屋、首都の名のついた服屋へとまわり、Tシャツ、ジーパンなど購入。ジーパンのGとは何だろうか、という疑問が昔あった。ジーンズにはGの字がはいっていないのに。気になっているのでいつもジーパンといってしまう。珍しいパンジーをチンパンジーと呼ぶようなものではないか。ジー・・・。夕方、新潮社へ行き、須貝さんとうちあわせ。矢野さん、阿部さんにキューバ土産を渡す。ふたり顔を見合わせ、ハバナ、ハバナ、といった風に笑う。そうこうしているうちに早川純子さん、装幀室の田中さんも来られ、みなですばらしい中華料理屋へいく。「トリツカレ男」文庫化のお祝い会。早川さんも田中さんもすばらしい装填をしてくださった。ありがとう、ムーチョありがとう。園子さんみなに深々と頭をさげ、「もうしわけありません、キューバで買ってきたお土産を忘れてしまいました」。オーそれはいったい何だろうという話になり、須貝さん超能力捜査官のような能力を垣間見せる。つぎつぎと運ばれてきたのは、スープ、ホタテの蒸したものなど、どれも得体が知れないほどおいしい。キューバの中華スープに感激した自分が遠くなつかしい。チャーハンがまたおいしい。杏仁豆腐は白い舌をなめているようだった。いやん、ユッコエッチ。まったくトリツカレ男のうちあげにふさわしいトリツカレ料理店だった。タクシーで帰るうち、疲労が披露されてくる感じ。どういう感じかというと、披露目のステージに出ると、暗い客席から不揃えの疲れ切った拍手がきこえてくるような感じ。尾久でギュー。

2006年4月18日(火)
キューバに近い陽気。といっても23,4度くらいだけど。朝から「西の旅」の原稿。香川県のひとびとは白く長く細いうどんに似ているかもしれないということを書いた。書き終えたらまるいちへ行き、春っぽいものは何かなとさがすうち、貝とひこいわしを買った。午後は創作。そして週間ブックレビュー用の、橋本治氏の大江戸歌舞伎の本を読む。熱中。気がつくともう8時ゴーン。晩ごはんはさざえの刺身、とこぶしの煮付け、ひこいわし酢の物大葉和え、水菜とゆでアスパラ、蚕豆。ずっと大江戸歌舞伎。

2006年4月17日(月)
昼過ぎに三崎へ。昨日ほどではないけれど寒さはつづいている。キューバ帰りだからそう思うだけか? のぶさんとスグルくんへ葉巻届ける。タイにいったわけではないけれどタイを買った。のぶさんはビールをさしだしながら「こいつでキューバしのぎだ」といった。坐古家に顔をだすとめいがでかくなっていて驚いた。うちの階段をグルグルまわっていたときは小三だったのがいまは中一になっている。ゆうは職業婦人になっている。由美ちゃんと「変わんないのは大人だけだね〜」といっていたら、玄関先に帰ってきたるなだけがカナヘビをスリッパに入れたり握ったりした。こいつもあまり変わらない。晩ごはんは鯛の塩焼き、めといか刺、水菜とトマトサラダ、蚕豆。

2006年4月16日(日)
どういう風に座ってもからだが安定しない。サンティアゴから出たバスのなかで見つけた、豆になる極意が飛行機では通用しない。頭のなかで、与太郎しりとりというのを考案し、ひとりでやってみる。「ええとまず、しゃみせん・・・おやあ、おいら負けちまってるよう」「ええと、おかみさん・・・あれえ、又おいら負けちまってるねえ」。寝られない。そのうち映画のダーティハリーがはじまる。「お前がいま、何を考えてるかわかるぜ。俺の銃に、あと何発弾が残ってたか、考えていやがるんだろ。正直いうとな、俺も数えちゃなかったんだ。さて、どうするね。空っぽのほうに賭けるか、それとも、もう一発残ってるってほうか・・・」。ちょっと寝た。フットボール場の場面を見逃したのが悲しかった。イヤイヤヨー。イヤイヤヨー。そんなにイヤイヤいってちゃイヤイヤ園にいれますよ。ガクガクと飛行機揺れ出す。あまりにばからしいことばかりいってたせいで罰がくだったのだろうか。ヒヒーン、ロバこわい、と頭を抱えていたら、園子さんが膝を揺すり、「しんじさん、もう着きますよ。シートベルトをおしめください」。キリキリゴーと着陸、停止。日本は冷たい雨が降っている。モーローとした頭で通関を抜け、ヨロヨロとエスカレーターにつかまり、京成電車の特急で日暮里。タクシーで尾久宅。揺れながら家にはいり畳の上に倒れる。お湯がからだにしみるのはサンティアゴの湯あたりがまだ抜けていないせい。キューバ帰りの困憊セグンド。晩ごはんはあごの干物、まぐろ山かけ、納豆ごはん、みそ汁など、身震いがくるほどの日本食。猫気絶しては食べ、気絶しては食べ。園子さんは箸を両手にもってごはんを食べている。いつのまにか無事に遠足が終了している。

2006年4月15日(土)
シャトルバスで空港。待ち時間にはいった本屋で日本のガイドブックとゼーバルトのCanpo Santoを買った。機内の映画は魔女の家政婦が嫌みな子どもたちと無体なことをするという映画だった。キューバで学んだことをいくつも思い出す。ラッパもギターも打楽器だった。水曜日の夜はみんな早く寝る。赤く染まったお湯で風呂にはいると全身がだめになる、などなど。カナダエアの機内食は鶏のトマト煮だった。ノートに絵が残っている。ところどころから線がでていて、「鶏の首筋みたいな部位」「米のようなもの」などと書いてある。トリニダーにいたとき「今日のごはんは鶏煮ダー」というせっかく思いついたせりふを園子さんにいわなかったことを思い出し、激しい後悔におそわれた。飛行機のなかは寒く狭い。

2006年4月14日(金)
出発の日の朝ごはんは昨日と同じ果物サラダとパンと卵と鶏を煮たものと豆。外はギラギラと晴れている。園子さんと海沿いの公園や白い歩道を散歩。ヒップホップの若者たち、釣り船のおっさん、柵に囲われた児童遊園の巨大なビニールの虎や羊。その並びにちょんまげ姿の日本人の銅像がある。江戸時代にキューバに来た仙台のひとらしい。こういうのがあるから日本人はまだみんな陣羽織を着て歩いていると思われるのかもしれない。あちこちの広場で、白人の旅行客の人口密度が日ごとに増えているのはイースター休暇のせい。もっとも密度の濃いカテドラル広場で、園子さんが「デハ、キューバで最後の一杯を飲みましょうか」といったので、近くにある観光名所的バー、ヘミングウエイが鮫のかまぼこを売っていたというラ・ボデギータにいってみる。モヒートの聖地。カウンターの向こうで、腕の太いおっさんが、カチャカチャ、キュッキュッ、カチャカチャ、キュッキュッとリズミカルにモヒートを作っていく。カチャとグラス並べ、キュッとミントつぶす。三崎の磯料理屋の色紙のように大勢のサインがあって、オー、これではどれがヘミングウエイのかわからんなあ、と思っていたら、園子さんがスッと指さし、「あれですね」といった。モヒートのおっさんのすぐ上にそれはあったドヒー。サインには「かまぼこ作りたて」などとは書いておらず単純に「ボデギータでモヒート、アーネスト・ヘミングウエイ」とだけ書かれてある。園子さんとモヒートでサルート。ひとくちすすって、これまで飲んだモヒートのなかでいちばんおいしいのに驚いた。名物にうまいものなしは日本でのみ通用するいいまわしだと得心。ホテルへ戻りチェックアウト。荷物をもって隣の店に行くと、店長やウエイトレスの皆さんがオーと出迎えてくれた。「ヴィクトールたちは」「まだ来えへんな。昼からは来てると思う。お前らも夕方来いや」「うーん、それは無理。来年来る」「そうか、じゃあ、アスタ来年」「アスタ来年」。タクシーで空港へ。前に乗ったときも思ったけれどキューバの運転手はものすごく飛ばすけれどまったく危険はなく、メリハリが効いていて、たとえば道路を渡るひとやロバがいるとひゅっと停まって待っていたり、踏切はどんな小さなものでも必ず確実に停まる。そしてまたブロロロ。キュッキュッと筋肉を伸縮させる、運動神経抜群のドライブ。ハバナの空港で最後のブカネロビールを飲んだ。園子さんはなぜか待合室に何羽もいるスズメを見ていた。まぼろしの猫とロバが外を見て手を振っている。さらばハバナ、さらばむしごはん、さらば音楽のひとたち、さらば停電! 「みんな無事でよかった」というと、園子さんは「遠足は家で靴を脱ぐまでが遠足」とこたえた。飛行機ははるか彼方いやまちがえたカナダへ。着いてすぐ前回と同じホテル。なぜか部屋が格段に上等になっていた。シャワーのお湯もザバザバ出た。晩ごはんはバーカウンターでスモークサーモン、ベーグル、トマトスープ、それにウオルドーフサラダというものを食べた。キャベツ千切りの周囲にキュウリとトマトが並んでいるものではなかった。ドレッシングのまんべんなくかかった光るレタスをフォークでつつきながら、日本へ作ったらあれを作って日の光のなかで食べてみようと思った。

2006年4月13日(木)
朝から細かな雨降り。晴れたり曇ったり降ったり。朝食の場所は中庭っぽい場所で珍しくミュージシャンがいない。ポテトサラダ、鶏の香草炒め、チーズ各種、ハム各種、トマト、果物。「生かされていますね」と園子さん。「私たちはホテルの朝食によって生かされていますね」。同じ社会主義の国で、ベトナムは観光産業によって生き返った。園子さんによればそれは元来の繊細さと勤勉さ、そして外国資本の上手な取り入れ方によるらしい。キューバのひとはリズムには世界一繊細だろうけれど、外国資本とのつきあいとか、めちゃくちゃ不器用そうだ。音楽というのは国の資産でなく個人同士の楽しみだから、いまのように世界の音楽好きが勝手にキューバへやってくるのが自然な気がする。部屋に戻り園子さんはカメレオンのための音楽を呼んでいる。ぼくはお湯につかった。ここ数日、足首とか背中とか、ふつうはできないような場所に蜘蛛に食われたようなできものが生じ、「むしのたたりですかね」と園子さんにいったら、「いやー、サンティアゴのホテルのプールの水、すごい薬っぽかったでしょう」と即座に診断。あるいは、ホテルでものすごく火照る湯にはいったあのお湯が、やはりだめだったのかもしれない。マルサの家が停電でお湯使えなかったのは、じつは幸いだったかもしれない。ハバナは水ましなようなのでぬるま湯で全身を洗う。そのうちお湯の表面に透明なむしが浮かんできたギャヒー。まぼろしの猫たちに食べてくれよといったらヘヘンと全員肩をすくめた。昼からは晴れ。葉巻工場にお土産の正規の葉巻を買いに行く。近くの路地では、そこらじゅうからコヒバ、ハマキ、マツイ、と声をかけられる。前にいたガイドのおねえさんが、園子さんを見て「ウワオー、戻ってきたのねー!」と喜んだ。ほこりっぽい街路を抜け、くねくねといくつも広場を抜けて、有名なパエリア屋へ。店内はまるでスペイン村に来たよう。行ったことないけど。大会で優勝したこともあるというパエリヤ、ワインともにとてもおいしい。「スペインに行きたいな〜」と園子さん。スペイン村でなくて本物のスペインのことにちがいない。園子さん、帰りに編み物の白い帽子買う。ホテルで昼寝でもと思い部屋に戻ったけれど、隣の食堂から聞こえてきた音楽が素敵な感じだったので、ついまた降りていってしまう。老若混成の七人組。セプテート・ヴィクトール。演奏の合間合間に、カラテ! ミフネ!と手を振られ、やがてバンドメンバー全員と乾杯することになる。マラカス爺さんヴィクトールは園子さんをダンスフロアに連れ出しヨレヨレと踊り、園子さんはつくづく老人のミュージシャンにもてることだと感心する。葉巻をくれたので酒おごる。八人目のメンバー、というか、彼らの友人らしいジョン君と長く話す。ジョンはあきらかにええ氏のぼんで、服装が普通のハバナの若者っぽくなく、ジーパンやシャツなどはニューヨークのラッパーのようで、髪の毛もくるくる巻いてあり、けれども笑った顔はソフトボール選手のようにおぼこい。クラブカルチャーに興味があるそうで、日本にもヒップホップな男女はいるし、音楽もはやってるよ、というと、信じられないといった。「まさか日本語でラップやってるのか」「よう知らんけど、ラップのようなものをやってる」「そういう雑誌とかあるんか」「たぶんあるよ」「送ってくれへんかな」「ええよ」。ぼんぼんジョンはリアルな日本を知りたい、と真面目な顔でいった。サムライとかカラテとかしか、自分たちは知らないけど、日本にはそういうひと以外にも普通のひとがいるはずだ、普通の建物や、普通の山や、普通の川があるはずだ、そういうのを見たい。「わたしも日本へ行きたいな」と店の主人がやってくる。やたら体格がいいなあ、と思ったら、キューバの元カラテチャンピオンらしい。ヴィクトールは揺れている。ボンゴ叩きのあんちゃんが、ぼくのことをチノ、チノ、と呼ぶのを、ぼんぼんジョンはさえぎり、「このひとはチノとちがうぞ」「え〜、まあおんなじやんけ」「ちがう」とジョン。「俺やお前がもし、USA行ったとするな。そこでは俺らは、『ニガー、ニガー』としか呼ばれへん。それでええんか」みたいなことをいっていて、さすが普通の山や川を見たいというだけの若者だと思った。いったんホテルへ帰り、8時頃また店にいってセプテート・ヴィクトールのディスクはないんか、ときくと、アスタマナーニャもってくるといった。ホテルの部屋でそういうことを園子さんと話していると、フワ、ガタ、と空間が揺れて真っ暗になった。オー停電。これがマルサの家のように隣の家がいきなり夜の9時に工事をはじめたからではむろんなく、理由はわからないけれど、テラスに出ると、ハバナビエハ、つまり旧市街全体が真っ暗でこれは街ごとの停電。ウワーオ満月。自動車のヘッドライト。園子さん大喜びでグングン猫化していく。バシン、バシン、オーレレレと闇のなかから聞こえてくる意地の太鼓はおそらくヴィクトールたち。それだけでなく、真っ暗なかたまりになった雨上がりのハバナから、歌い終わった歌手のしめった吐息のような夜風が吹いてくる。ホテル内は非常用の発電機があるらしくすぐに明るくなった。街全体が復旧する決定的瞬間を見逃したくないといって園子さんはずっと猫化したままテラスで爪をといでいる。非常階段で一階へおりてみると、白人の旅行者たちがなにも起きていないように白い机と椅子で酒を飲んでいて驚いた。ホテルから外へ出る。ラジオのサルサが鳴っている。黒く甘いにおい。歩いてくるひとの姿がヘッドライトに浮かぶ。またもや非常階段を通って屋上へ。高いところに出ると、ハバナビエハの闇の形がわかった。遠いいろんなところで打楽器やギターが打ち鳴らされていた。闇のなかでも踊っているのだろう。部屋に戻り、机に向かっていると、背後で園子さんが「アッ!」と叫んだ。つづいて街じゅうで「オー」という歓声。テラスに出てみる。むかいの建物の部屋のテレビがついていて、犬の保安官のテレビマンガが流れている。隣の建物の暗い蛍光灯。まばらな街灯。さっきより増えた光はだいたいそれくらい。電気が復旧しても、街全体の印象はほとんどかわらない。「こんなに変わらないとは」と園子さんも驚いている。キューバ最後の夜はこのように街の灯りが消えそしてついた。ハバナ、ハバナ、と園子さんと笑う。

2006年4月12日(水)
7時起き、といってもまったく寝られなかった。今日バスのなかで眠れるようにからだが起きていたのか。園子さんはマルサから渡された勘定書を見て感情をあらわにしている。バスターミナルまでは歩いて15秒。ハバナまでは5時間半。冷房の利き具合はサンティアゴ→トリニダーの比でなく、これは西にいくほどアングロサクソンのひとの乗車率が高くなるからかもしれない。ドイツ人カップルもそうだったように、トリニダー〜バラデロ〜ハバナの三角地帯に、ヨーロッパからの旅行者は多く集まる。最初はすいていたバスに、途中でどんどん乗ってくる。椅子で豆になることもできやしない。12時間バスを体験しておいたから6時間足らずは早く感じた。ハバナの外気にあたった途端、冷房で固まった皮膚がハランハランむしのようにはがれるかと思った。乗り合いタクシーで旧市街へ。前回のイザベルからそんなに離れていない、海に近い「オファリル」というホテル。ジャズ・ミュージシャンのチコ・オファリルにちなんだのか、と思ったら、ポーターのおっさんは、ここはもともとオファリルの家やんけ、といった。ほんまやったら豪邸。チェックインしてすぐ、園子さんと、東部旅行中ずっと念願だった露天の中華屋に行き野菜スープズルリ。ロバホロリ。キャベツとキュウリとトマト以外の野菜を食べたのはいったい何十年ぶりのことだろうか。隣の席のふくよかな男女が互いに写真をとりあっていたので、シャッター切りましょうかと声をかけたら感激された。アイスランド人。アイスランド生まれののふたりと日本のふたりが今キューバの中華屋に。園子さんは北欧好きなので「いつかアイスランドへ行きたいと思いマス」というと、ふくよかな女性が「じゃあ、来たらうちへ来てね」といって、ナプキンに名前だけ書いて、ふよかに笑いながら外へ出ていった。アイスランドでは実際、名前だけでうちがわかるのかもしれない。ホテルに戻って昼寝。気づいたら日が暮れている。「船乗りが集まる店」というスペイン食堂にいくと、バンドの演奏するフラメンコが、どこか社会主義行進曲風にきこえ、いったいどういうわけだろう、とよくよく見たら、あードラムがいるからか、と得心がいった。スネアドラムとフラメンコってつくづく相性わるいと思うね。そのうち鉄板焼きのようなステージに女のひとがあがりひとりフラメンコを踊りだした。フラメンコほどめしどきに向いてない踊りと歌はほかにないと思うね。食べたのは焼き豚、魚スープ、いも、ツナ社会主義サラダ。ごはんはおいしかったけれど、ワインブフォ。ドレッシングかと思った。ホテルのバーで飲み直すことにし、ぼくはラム、園子さんはカクテルを注文。ハバナクラブの15年、というとバーテンは「高いぞ」といった。園子さんは短大の文化祭にまぎれこんだユッコのように「えっと、果物のー、軽くてー、飲みやすくてー」といっている。カウンターの向こうでは混乱が起き、というよりウエイターとかみんな暇なので、厨房から顔を出して、園子さんのスペシャルドリンク作りに協力する。スイカとかオレンジとか「これ使えよ」という感じでもってくる。結局できあがったのは、しぼりたての果汁と果物が何層にも積まれたほんとうにスペシャルなロングカクテルで、ひとくちすするや園子さんはたぶんこの旅行中はじめて心の底から「プハー」といった。よかった。

2006年4月11日(火)
旅行中のノートの4分の3くらいのページにドミンゴおやじの自筆メモが残っている。「CLACE NO.1」とある下へ順に、「1 Chachacha 3×1」「2 Son 2×1」「3 Merengue 3×3」「4 Afro Cubano 2×1」「5 Bolero 3×1」とこのまま10までつづいていて、つまりキューバ音楽の基本的なリズムパターンの名と、拍子の合わせ方を記したもので、これを見るとドミンゴおやじが、わりと真剣にパーカッションを教えようとしていたように見えるかもしれない。朝から工事。マルサの家の隣の家の壁を補修している、とはいってもマルサの家と隣の家は壁を共有しているので、家の外壁をハンマーで殴っているのと何ら変わらない。壁を打つのはクラーベのリズムでということはまったくなくただ一直線にうるさい。2日つづくと飽きるマルサの朝ごはんを食べ、早々に宿を出てカサ・デ・ラ・トローバにむかった。あたりをうろついているうちやがて10時になる。誰も来ない。けれどこういうことは別に珍しくなく、キューバで何時からといってもだいたいみな普通に30分くらいは遅れるので、のんきに待っていると20分も経たないうちビニール袋をさげたドミンゴおやじがやってきた。オー、まあまあ正確やん、と感心していたら、オラーよう来た、こっち来い、といってずんずんカサ・デ・ラ・トローバから遠ざかる。正確ちゃうやん。1ブロック先の狭い土の小屋へドミンゴははいっていき、そこには昨夜のメンバーが集って楽器の音あわせをしている。ほかの生徒は? というか、パーカッション教室って、ここあんたらの練習場所でしょ? そういう疑問にはこたえず奥からボンゴを出してきたドミンゴ爺さんは園子さんにクラーベを叩かせ、ぼくをボンゴの前に立たせ、ソンはこのリズムで、メレンゲはこうで、と叩きかたを教えはじめる。教えてはノートに、リズムの名と数字を記す。つまり一応熱心には教えてくれる。カサ・デ・ラ・トローバで教えるというのはちょっとホラ吹いたね爺さん。ホラていうな、いちおう待ち合わせはあっこでやったやないけトローバ。ほかのメンバーたちに持参の口琴をきかせると「スゲースゲー」と笑っている。「わしらのバンドは外国へもツアーしたんや。パリとか、ローマとかなー」ドミンゴの指さす壁にはメンバーたちの笑顔の記念写真が貼られてある。フーンと見ていたら、横から園子さんが、「しんじさん、これ、全部カサ・デ・ラ・トローバの中庭で撮った写真ですよ」「え、だってエッフェル塔とか、コロッセオとかあるやん」「だってそれは、土産物の絵はがきを並べて貼ってあるだけですよ!」。ギャヒン。一時間半で、ふたりの受講料合わせて10ペソ。話のタネをもらったのでまあ納得。一度ホテルに帰って着替え、昼ごはんはいかにも観光地的なイタリア料理屋にはいり、園子さんは「大冒険デス」と宣言してスパゲティを注文するも、やはり溶解した虫の巣のような皿がきた。「巣パゲティ」と名付けよう。サラダは社会主義国策サラダ。巣パゲティにもキャベツの千切りが大量にはいっていて、これ何かに似てるな、とよくよく考えたら、失敗したお好み焼きの具にそっくりだった。タクシーでビーチへ。せめて一日だけでも園子さんにはカリビアンシーでカクテルプハーをさせてあげたい。白砂のビーチは強風。傘の下に寝ころぶサングラスのリゾート客。園子さんワーイと水着になり、おいらちょっくら泳いでくるぜといって、浜をおりていった。こちらはビニールの上に寝ている。風に背をむけて寝るので、海など目に入らない。15分ほど経って、ピヒャーと海からあがってきた園子さんに、寝かたをほめられたそのとき、ポツ、ポツと小さな音がして、たちまちドバシャーンとすごい勢いで雨粒がふってきた。ゲルマンもラテンもモンゴリアンもダッシュで野外バーのテントへ。雨足はものすごく海がへこむほど。そのうち酒を飲み出すもの、ポーカーをしだすもの、水たまりで踊るもの、ゲイのもの、猫のもの。雨小降りになるけれどまだ風は吹いているゴゴー。帰りましょう、と園子さん。もう私気がすみました。嵐にならないうち早く町へ帰りましょう。まぼろしの猫たち立派だオロンと猫泣き。タクシーはもうひと組のイギリス人カップルと乗り合いになり、中央にすわったぼくの半ズボンの両足の外側がぬれた。帰ったらハンマーの音やんでいて昼寝。停電はあいかわらずで、電気が通らないとシャワーの温水もでない。5時過ぎたころ、カサ・デ・ラ・トローバへ行き、キューバ産のおいしいブカネロビールを飲んでいたら強烈なスコールが来た。それでも雨宿りしながらの演奏はやまない。キューバ西部を自動車で回ってきたというドイツ人カップルと話す。「ハバナでも、サンティアゴでも、キューバのどこへいっても、ドイツからのひとが仰山おったたけど、ドイツとキューバってなんか深い関係があんの?」「いやー、どうやろ、ドイツ人ってや、世界のどこにでも仰山おるていわれとうからな。旅行好きやし」と青年。インテリ風の女性いわく、「日本人が旅行で行くところと、ドイツ人が旅行で行くところって、なんとなく被るんとちがうやろか。理由はわからへんけど、センスていうか、好みていうか、そういうのが似てるような気がすんの」「そうかね」「そろそろ新鮮なにんじんを食わせてください」最後のはまぼろしのロバ。雨があがったので、夕焼け好きな園子さんと高台へ上ろうとしたけれど、そもそも日が出ていない。また小雨が降ってきたので広場まで駆け下り、タオルで首を拭いているとキューバ少年にふつうに「そのタオルくれ」といわれた。あーげない、とこたえた。マルサによる晩ごはんは昨夜の小エビが魚に変わっただけのものだった。食後、珍しく入場のチャージをとる野外バーで、非常にうまいルンバのバンドの演奏を聴いた。角ひげを生やしたボンゴのおっさんがかっこいい。売りにきたCDを買い求めるほど気に入ったけれど、バンド名はSepteto Son de Cubaという、ものすごくいいかげんなものだった。そういえば園子さんは昨夜、ドミンゴのバンドのCDも買ったのだった。今夜の締めに、と、昨夜の空き地を訪ねると、けっこう大勢の客がすでにいて、切り株のようなベンチに座っている。演奏もはじまっていてメンバーはそのままだけれど昨日にくらべ明らかにガタガタ。フィドルの音は古びた輪ゴムのよう。ドミンゴはすごい硬直した顔を真正面にむけ、ギッタンバッタン機械のように肘から先だけ動かして太鼓の皮を叩いている。「飲んじゃってる!」と園子さん。「午前中いい稼ぎがはいったから、今日はもういいや、って飲んじゃってるよ!」。適当な感じで数曲やったあと、ドミンゴゆらりと立ち上がり、みずからマイクのうしろに立った。いったい何をするつもりだと切り株の皆が見守っていると、キーンとマイクがうなりをあげ、ムニャムニャな声がひとこと「・・ぼれろ」とつぶやいたかと思うと、老パーカッション教師ドミンゴは、まったく合っていないリズムでいきなり、「・・・べ〜さめ〜」と唄いだした。ギターのひげ男が適当に弦をはじく。ドミンゴ絶叫。「べ〜さ〜め、む〜ちょお〜お〜お〜う」。園子さんムーチョ爆笑。かつてこの世でこれほどベサメでムチョムチョな歌がうたわれたことがあったろうか。ドミンゴの目はめっちゃ真剣。けどどこも見ていない。ただの空き地。すぐにこの空き地の主人らしいおっさんが裏から現れ、揺れるドミンゴに駆け寄り、大声でなんか怒鳴った。ドミンゴ雑草がしおれるようにマイクから離れ、バンドの演奏もやる気なく中断され、恍惚のベサメ・ムーチョはフニャフニャの尻すぼみに終わった。まわりを見渡すと客は半分以上いなくなっている。園子さんが、最後に写真を撮ろうと声をかけても、「オー、セニョリータ、音楽のために1ペソくれまへんかな」などとモーロー体な笑いでいっていて、昼に教えた生徒の顔さえ見覚えていないドミンゴ爺さん。頭パーカッション。猫ゲラゲラ。

2006年4月10日(月)
史上最悪の寝心地。いくらからだの向きを変えても位置が安定しない。リクライニング椅子よ、何も触ってないのにカチャカチャと動いて、急にガタンと倒れて舌を噛ませるようなことをするなよ。あたしのせいじゃないわ、それは道路よ、道路が穴だらけでバスが跳ねるからよ。後部を振り返るとみんな動かずうつむいて寝ている。この椅子は外人の背や尻にはちょうどいいのか。というより、白人たちよ、君らクッションのついた椅子の背もたれじゃなく、車体直結のガラス窓に頭や背中をつけて寝ているから、豆のようにピョンピョン跳ねているじゃないか。起きないのか、痛くないのか。セーター二重のからだを折り曲げて何度も寝返りをうつ。そのうち、だんだん慣れてきたのか、それとも、椅子のかたちがかわったのか。左の腹を下に足を丸めて豆のようなこころもちで横たわれば安定することがわかった。コツは豆だった。豆になれば安らかになる。ありがとう、豆、豆、豆、と念じていたらキューバ人の車掌が「着いたどトリニダーやみんな起きろー」と怒鳴った。豆コロン。バスを降りるとホテルのシャトルバスやタクシーの運転手たちが待ち受けている、そのなかに、セニョール&セニョーライシイと書かれたプラカードをもってマルサの女がいた。といっても海を越えて税金を取り立てにきたのでなく、マルサという名前なだけ。ビーチ沿いのホテルがとれず、町なかの民宿に泊まることになっている。その民宿の名も「マルサの家」。中世っぽい石畳を踏んで歩く。ターミナルから15秒で民宿。高い天井、部屋はピンク色のカーテン、妙なにおい。マルサにはぜんぜん英語が通じない。豆の眠りが浅すぎたので、10時まで寝ることにした。その間園子さんは旅行者の残した訪問ノートのようなものを熟読。「泊まって後悔するというほどではない」「食事だけはいい」などと微妙な表現が多い。起きて食べたごはんは卵とソーセージと麩のようなパン、得体の知れない乳のようなものがはいったコーヒー。背筋が伸びたので、トリニダー散歩。町ごと「世界遺産」になっているらしい。あちこちの石壁が崩れている。ここも犬、犬、また犬。馬車が荷車を引いていく。そのなかにロバがいた。「あ、ロバ!」と園子さんは追いかけたけれど、どこかの角を曲がりいなくなった。歩いてみると町のなだらかな起伏がわかる。海に近い下町から丘をのぼっていくようなかたちでトリニダーはある。ここにもカサ・デ・ラ・トローバはあり、ただしサンティアゴにくらべ、より観光向きに作られていて、演奏もなんとなく上品で、カクテルの味も甘い。園子さんは唄う爺さんに誘われ猫ダンスを披露した。近くにあるカサ・デ・ラ・ムジカは、やはりリゾート地のサウンドシステムのような店で、それよりは坂をくだっていったところの文化センター、あるいはコンゴ系ダンスの店などがよさそうと思った。夕暮れに博物館の塔にのぼる。周囲には高さのそろった褐色の屋根の波。むこうにはリゾートホテルがふたつ並ぶ砂浜。高いところから全部見渡したからといって、全部にいった気になってはいけない。いけないけれど、全部にいった気になる歴史の町トリニダー。園子さんと目を合わせ、互いにうなずき、明後日のハバナ行きのバスの予約便を、午後遅くから早朝発に変えてもらうことにした。急に腹が痛くなってきて夕方まで寝る。松本の石川医院の先生にキューバ行きの話をしたら「何かあたったかなと思ったらこれ飲むだ」とくれたその薬を二種類飲む。抗生物質と漢方薬。外で豆が暴れている。園子さんと窓を覗いてみたらスコール。旅行社のひとは「キューバに雨具? いや、雨ふりませんから」とこともなげにいっていたけれど、ほんとうにもう空の穴が破れたようなどしゃぶり。雨のトリニダーもまた、乙なもんですなあホッホ、と園子さんといいあっていたら停電になった。石畳の道を川のように雨は流れ、まるで洪水に襲われた町のよう。停電になると雨音もひとの声もよく響く。今夜はろうそくかな、と思っていたらプシュンと灯りがついたので少し拍子がぬけた。晩ごはんは電灯の下でキューバの伝統料理をたべた。小エビ、揚げバナナ、白米、そしてサラダは、もちろん例の、しばびたキャベツの千切りの周囲に、キュウリとトマトを並べたもの。なんでハバナでもサンティアゴでもトリニダーでも一緒なんだ? キューバ政府が、サラダについて国家レベルの規格を決め、国じゅうで講習会を開いているのか? それにしてもマルサの台所は充実している。炊飯器があり、圧力釜があり、電子レンジまである。別に査察の仕事で儲けたわけでなく、なんでもマルサの旦那が有名なシェフで、民宿の利用案内にコック姿の写真が張られてある、マルサ自身も料理をするのが好きなので、優先的に調理器具をそろえていったのだろうけれど、それにしてもキューバで電子レンジはたぶんものすごい高額品だ。旦那は、相当力のあるシェフなのかもしれない。ただ、ぼくらの食べているこの料理を作るのはマルサなので、つまりこの宿のめしは、旦那の顔が貼ってある箱にマルサが入っているようなもんだ、といったら、園子さんにその通りとほめられたテヘ。腹を撫でながらもう少し休む。トリニダーのトイレは一応水洗だけれど、ことがすんだら、外に置いてある瓶をもちこんでザーッと自分で流す。また、紙は分厚いので水に溶けず、ぜったいに便器に流してはならず、脇に置いてあるバケツに積んでいく。このような便所問題からしてキューバ東部の水事情はけっこう悪く、だからこそ私たちはミネラルウオーターしか飲まないわけですけれど、と園子さんはいった。さっきもマルサが屋根にあがって雨水をためていましたよね。しんじさんの腹が痛いのって、モヒートやカンチェンラーラ(カクテル)にはいっている「氷」がやばいからじゃないでしょうか。オーなるほど。さすが浄水器や電子レンジを自在に使いこなす猫のひとだと感嘆。これからトリニダーでは、買った水以外の飲み物はビールかラムのストレートだけにしておこう。午後10時、音楽の本に紹介されていた、コンゴのダンスシアターというのにいってみる。ハイチ風の音楽が終わりかけに入場、腰掛けたらけったいなダンスショーがはじまった。ビキニのキューバ女性数人と、馬に似たキューバ男性数人で、手を振ったり腰を回したり組み体操をやってみせたりする。そのうち、白いTシャツとズボンの少年がひとりで出てきて、カラオケをうたいはじめ、それはホホウ、キューバにも音楽に向かない人間がいるんですなと感心してしまうくらい歌がへたな少年だった。つづいてまた妙なダンス。つづいてまた別のカラオケ。いったいどうして我々ははるばる日本から来て、半裸のやる気の失せた男女が壇上で揺れているのや、白衣の少年がさまざまな意味で悲しい歌を歌う様を見ているのか。園子さん目がドナドナ。再びさっきのハイチ風のバンドがステージにあがる。酔っているので演奏ソカソカ。雨上がりの空に月が出ている。夜のトリニダー散策。カサ・デ・ラ・ムジカの前では、リゾートホテルに泊まっているらしい白人おおぜいが、現代風キューバ音楽のDJと、ラップ風のかけあいなどやっていた。カサ・デ・ラ・トローバでは、店の奥のよく見えないところで、暗い女の三重唱がキサス、キサス、キサス、と唄っていてこわかった。宿の近くの、工事現場みたいな空き地で、老人と若いミュージシャンの混成バンドが東部風のソンをやっていて、これこれ、これよ、と昂揚し、置きざらしのベンチみたいなのにビール片手の先客らに混じって座ったら、2曲で時間切れになり終演でシュン。拍子木のようなクラーベを前のめりで叩いていた園子さんに(持ち歩いている)、ボンゴを叩いていた爺さんが歩み寄り、明日の朝10時からカサ・デ・ラ・トローバでパーカッションの教室がある、先生はわしや、みっちりしこんでやらんとな、といった。園子さん「名前はなんですか」「ドミンゴじゃよ」と爺さん。こうして園子さんは明日、ドミンゴ先生の音楽講義を受けることになったクラーベ。

2006年4月9日(日)
朝からダラー。バスタオルのように寝ている。床を這ってバスタブまで行き、ひさしぶりにお湯につかる。あがったらものすごくからだが火照る。ホテルのお湯だからかな。やはり豪華な朝ごはん。昼の分までゆっくりたべたあと、チェックアウトして荷物を預け、タクシーでまたカサ・デ・ラ・トローバへいった。日曜の昼っぽい中庭で、日曜の昼っぽい民謡。はじめはギターと歌。そのうちクラベスが加わる。園子さんが身を乗り出しリズムに合わせて揺れていたら、鳥顔のその爺さんが近づいてきて、クラベスが好きなら売ってやる、これで練習しなさい、といった。園子さんリズムに乗ってうなずき、金を払って大事そうに受け取り、へその前で、カチ、カチ、カチと打ち合わせはじめる。江戸っ子なのでかたちがどこか「火の用心」に似ている。鳥顔の師匠はマラカスを振りながらときどき目配せをして新たな女弟子のリズムに修正を加えている。そのうちにラウルが来る。真っ赤な顔をして、胃がきもちわるい、飲み過ぎた、という。そのうちに中庭にはほかのお客さんもやってくる。94歳という精霊のようなおばあさんも杖をついて音楽をききにくる。テーブル席にひとり、きもちよいほど傍若無人な中年の女旅行者がいて、両側にお気に入りそうな運転手を座らせ、演奏するミュージシャンには「気に入った、これあげる」「吸いなさい」「飲みなさい」とズバズバたばこやビールを与えている。ニスを塗ったように日焼けしていて、園子さんによればこれは西洋の中年女性にとって金持ちのステイタスシンボルなのだそうだ。ビールまではよかったものの、もちこみのラムの瓶を周囲にふるまい始め、カサ・デ・ラ・トローバの軽食係と悶着をおこしていた。だんだん復活してきたラウル、ぼくのノートにわりと精密な絵を描き出すので、なにかと思ったらそれは携帯電話で、その絵を指さしてラウルがいうことには、今度キューバに来るとき、あるいは近々友達が来る予定があったら、日本で携帯電話を買ってきてくれへんか、代金はまちがいなくあとで払うから。彼が使っていた携帯電話は水に落として使えなくなってしまったらしい。ようは知らんけど、日本の機械こっちへもってきて、そのまま使えんのけ。だいじょうぶや、とラウル。四角い銀紙のようなのをサイフからつまみ出し、おれにはこれがあるから。なんやねんそれは。ふふふ、コンピューターのチップや、これ差したら一発や。ほんまかいな。ラウルは希望の機種、自分の社会保障番号などもノートに書いた。純な社会主義の青年ラウル。園子さんのチェックのハンチング帽をかぶり、ほら、似合う? 似合う? などとはしゃいでいる。ものの値段が安い店で買った帽子だったので、園子さんはラウルにハンチングをあげた。光を発散するかたまりのような表情になり、それから一瞬たりとも帽子を脱がない。夜7時30分発の深夜バスでサンティアゴを発ち、明朝、中部の古都トリニダーにいく行く予定。ラウルが、きれいでおいしいというレストランへ連れて行ってくれた。ところがゆうべのカサ・デ・ラ・ムジカのように入り口に鎖が張ってあり、ラウルが必死に交渉しても現地人であるラウルをやはり受付の店員はいれない。そこであっさり別の友人がやってる料理屋に行こう、とはならないのがラウルの正直なところで、知っている顔の店員を見つけ、いろいろと話しこむうち、やっと三人ではいる。中庭の席につき米や海老や鶏を食べた。たしかにホテルの外にしてはとてもおいしい。サラダはもちろん、当然、キャベツ千切りとトマトとキュウリだった。ラウルと乾杯。ラウルに乾杯。午後の強い日差しのなかカサ・デ・ラ・トローバに戻り、クラベスの師匠、巨体の切符もぎ、ビール運びのあんちゃん、売店の美人姉妹らとつぎつぎに抱き合う。三日続けてここに来たやつは、一生ここに戻ってくる運命にあるのだ、とクラベスの師匠が鳥顔でいった。ホテルの支配人の挨拶より得心のいくことばだと思った。入り口がさわがしいので何だろうとみんなで出てみたらつば広帽子で有名なミュージシャン、エリアデス・オチョアがふらっと遊びに来ていた。近所のみんな顔見知りらしく、オラ、オラ、と手をあげている。こちらもオラ、オラと手をあげ、そしてオチョアと入れ替わりに、アスタルエーゴといって店を出た。ラウルとクラベスの師匠は園子さんとぼくがタクシーに乗るまで店の外でずっと手を振っていた。VIAZURのターミナルには一番乗り。あとからドイツ人の若男1若女2、オーストラリアっぽいカップル、スーパーバックパッカーなどが続々と集結。7時半、銀色のバスに乗り込み出発。これから朝7時までずっとこのバスのなか。強烈な冷房と強烈な振動。生涯で最悪の寝心地かもなと予感。そんな予感、当たらなくてよかったのに。薄暗がりにニョイーとテレビ画面がおりてきて何だろうと思ったらパットモリタのカラテ映画がはじまった。5分ほど見たあと、空いた椅子に横になって目をつむった。

2006年4月8日(土)
ホテルの朝ごはんすごい。むしの翌朝だからそう感じるというわけでなく、ビュッフェ形式のおかずがどれもいちいち充実していて、卵コーナーなどには、オムレツをその場で焼く名人のおばちゃんがいる。果物をたくさん食べてからだに新鮮さをとりもどす。10時に旅行案内係に行くと、きのうの顔のとがったおばちゃんがニカニカ笑って立っており、そのうしろに頑丈な壁のようなからだの、一見寡黙な男性がいた。彼が寡黙でないことは五分後に判明する。タクシー運転手のレオン君。英語を流暢にしゃべれるので、旅行者を乗せ、半日サンティアゴをぐるぐる回るのにぴったり。レオン君によれば、昔は学校でふつうに英語を教えていたのが、何年か前に教育の方針が変わって教えなくなった。そもそもあまり英語の習得にはみんな熱心ではなかった。アメリカが好きでないから。自分は仕事で外国の本を読むので自然に英語をおぼえた。レオン君の仕事はタクシーの運転と自動車のレストア。「1930年代のアメリカ車に、パワーステアリングや四輪駆動を入れたりするんです。おもしろいですよ」という彼のタクシーはトヨタの新車。新車が買えるのだから、公的に、よほど優秀な人物と認められていることになる。まずはサンティアゴ市内の、革命に関係する場所をいくつかまわる。米西戦争の終戦の署名が行われた「ピースストリート」、チェ・ゲバラが国を出る前最後に演説をした広場、巨大な馬のモニュメントが建つ革命広場、大砲の並ぶ記念碑。シエラマエストラを望む高台において、園子さんVSキューバのピーナッツ売りの戦いが繰り広げられた。石碑をホエーと見ていた園子さんに、三人ばかり「コニチワ」「コニチワ」「イチロー」「マツイ」と近寄ってきて、アミーゴアミーゴいいながら、すりきれたペソ札を外人用の貨幣CUCと交換してくれという。ずいぶんな損なので、園子さんは断固拒否。すると愛嬌のある顔の爺さんが、ポケットからあるものをとりだし、これ土産にいいから是非買いなはれ、とすすめる。それは、南京豆のむいた皮にマジックで「CUBA」と書いてあるようなものだった。「要らない」といって園子さんがタクシーへ戻ろうとすると、三人はあわててそばにきて、「おれたちは悪いきもちはない。セニョリータが買わなくって、ぜんぜんかまわない。おれたちのことを悪いやつらなんて思わないでくれ。キューバのいい思い出を日本へもってかえってくれ」などと口々にいった。レオン君はハンドルを回しながら、「簡単な問題ではないです」といった。タクシーは革命前までの金持ちの住宅地にはいっていく。どれも豪邸だけれど、いまはほとんどが空き家で庭など荒れ放題。維持にかかる金だけで、キューバ市民の収入ではとてもおぼつかない。よほど大きいものはいまは学校か、観光者向けの店になっている。「ぼくたちの社会は社会主義ですから、国じゅうのみんなの収入はだいたい同じレベルで、差はほとんどありません。貧富がない、というか、みんな『貧』なのです」といってレオン君は笑った。「そのかわり教育費はかかりませんし、失業者も存在しない。あらゆる社会保障が無料なんです。そういうのはキューバのいい面です」。タクシーは市街地から郊外へ、キューバの信仰の中心エル・コブレへむかう。キューバでは社会主義とカソリックが共存し、黒人と白人と中国人が共存し、ボンゴとトランペットが共存する。レオン君はさらにつづけて、「昔は砂糖でしたが、いまは貿易がまったくだめなので、政府は観光産業に財源を求めるようになりました。ヨーロッパから、カナダから、直行便が飛んできます。けれど、ここサンティアゴにはあまり来ません。リゾートのバラデロと、ハバナだけです。それは、彼らが望むのが『ビーチ』だからです。青空に白砂、そよ風と小波の音がきこえる、気分のいい『ビーチ』。ヨーロッパのひとはそれを求めてカリブ海に来るのですが、バハマなどに比べ、キューバはとても安く、家族連れなどで来るにはいい場所です」「ジャマイカの若者が、以前はほんとうに大勢きていました。ナイトライフと、ドラッグ、そしてガールを求めて。安いですからね。ところが、3年前から政府が「クリーンアップ」をはじめました。きわめて徹底したもので、売る側も買う側も、国籍、老若男女の別なく取り締まったのです。それでジャマイカの若者は来なくなりました。ぼくは、それでよかったと思っています。あなたがたにもよかったでしょう? キューバは、『ビーチ』のほかにも、売り物を手に入れたのです。『安全』です。キューバはいま『ビーチ』と『安全』を売っているのです」「キューバで銃をもっているひとは、軍人と警官以外、ひとりもいません。どの町をどんな時間に歩いていてもまったく身の危険は感じないと思います。アラスカからホーン岬まで、全アメリカ大陸でいちばん安全の保証された国がキューバだといわれています。あなたがたもそう感じますか?」「自分はサンティアゴで生まれました。ハバナまでしか来ない旅行者がほとんどですけど、ヨーロッパ人、そして日本人で、文化のこと、社会のことに関心のあるかたは、サンティアゴまで来ますね」。タクシーはやがてエル・コブレへ。サンティアゴ市民は全員、生まれてすぐここで祝福を授かる。レオン君も、もちろん、とうなずいていた。真っ白い階段に、赤ん坊を抱いたたっくさんの巡礼者。あかいTシャツを着た少年・青年たちがそこここに散らばり、来場者の手をとったり、道案内をしている。聞くと、ヴェネズエラからの留学生で、医大や工科大での学費をエル・コブレが出し、そのかわり休暇のあいだ、ここで巡礼者の案内をするのだそうです。1階にはイエス像、2階には有名な黒マリア。きのううまれたばかりのような赤ん坊がいる。爺さんも婆さんもきもちよさそうに座っている。猫ちゃんもたぶん今ここに来ている。わけへだてなくひとをそちらへ向かわせる小さなマリア像の置かれた明るい部屋。園子さんとともに、外で買っておいた巨大ひまわりを供えた。階段をおりる園子さんに、赤いTシャツの学生たちが駆け寄り、いっしょに写真撮ってください、と笑った。送ってほしいとも、見せてほしいともいわず、グラーシャスといって階段を駆けのぼっていった。駐車場に戻るとレオン君が「さて、次は砦に行きましょう」といった。山道を下る途中、気温30度くらいの日差しが照る砂利道を、エル・コブレのほうに歩いていく若夫婦がタクシーの窓から見えた。タクシーで30分かかるのぼりの山道を、夫は巨大な日傘を妻の上にかざし、妻は胸に赤ん坊を抱え、しずしずと歩を進めている。ふたりはときどきうつむきながら遠目にもはっきりわかるくらい笑っていた。信仰は我ら盲目者の杖だといった誰かのことばを思いだした。モロ要塞という観光地を歩いていたら、ガイドの女性たちが園子さんのかばんのなかをのぞき、あら、これいいわねえ、と取り上げる。このタオル赤ちゃんにいいからちょうだい。このジャケット子どもが似合うからちょうだい。この猫ふとんにいれるからちょうだい。猫ミギャー。サンティアゴは大きな町だけれど、それでもハバナほど都市化されていないので、その分ひとの性質もすれてなく、純に社会主義というか、他人のものと自分のものとの垣根があまりない。手癖が悪いというのではなくて、あ、ちょうだいね、といって、もってってしまう。様々なものをもっていかれた園子さん、アワアワと両手を前に出して散らばっていくガイドたちから様々なものを取り返す。「なんで?!」と、ショックをうけた風のガイドたち。「なんでくれへんの? フツーくれるやん? おかしいやん? ね、どういうこと?」。それから建国の父ホセ・マルティの墓へいった。墓参りにいったわけでなく、墓を護衛している兵士三人が別の三人と交代する儀式を見にいった。暑いのに、重たそうな軍服を着て、カツン! カツン! とかかとを地面に打ち付けて兵士たちは歩く。1時間に二回ずつ、この交代の儀式はあるらしく、キューバの軍人のやるべきもっとも大事な仕事になっている。膝をまったく曲げず棒のようにしながら歩いていくのは社会主義の兵士の特徴なのだろうか。正午過ぎ、すばらしいガイドだったレオン君と別れ、またもやホテルのプールへ。プールサイドで鶏料理を食べる。やはり朝ご飯と同じくたいへんおいしい。4月8日はお釈迦さんの誕生日であると同時に園子さんの誕生日でもある。部屋に戻り、旅先なのでろくな贈り物もできず、ここ数日夜なべして作った手製のものをプレゼントする。手書きの革命の本。園子さんは「チェ」とはいわずに喜んでくれた。よかった。夜に備え昼寝。起きたら10時でヒー。一階のイタリアピザ屋へ行き、おずおずとスパゲティを注文してみる。運ばれてきたのはオー、ちゃんとしたトマトソースの魚介スパゲティで、これで前夜のむしのかたきがとれた。メリアホテルに着いたとき、「オーナーからの挨拶」をフフンとあしらったぼくですが、撤回します。一度ここに泊まり、外のごはんとなかのごはんを食べ比べたひとは、それが日本やヨーロッパからの一般の旅行者であれば、やっぱりまたここに泊まると思う。10時半、タクシーで市街へ。カサ・デ・ラ・ムジカへいってみる。受付のあんちゃんが目を配り、旅行者や関係者だけ入れている。地元の若人は入り口に集まり、「おれがこの観光客つれてきたんや。連れなんや。いっしょに入れてくれや」みたいなことをいっているけれど、あんちゃんはぜったいに入れないという雰囲気。ガラス戸の向こうから流れてくるのはサルサ。「おまえのほうがサルサ」という意味なのか。回れ右して、きのうのカサ・デ・ラ・トローバへ行く。2階へあがると、きのうダンスフロアで派手に動いていたあんちゃんがすごい喜んだ顔で飛び跳ねてきて、園子さんの手をつかんで、ぼくには来いよ来いよと目配せをよこしながら後ろむきに走り出し、そうして我々を最前列中央のダンスフロアの真ん前に座らせたドヒー。音楽はものすごく早いルンバ。編成は七人。巨体の女性ふたりと巨体の男性ひとりがフロント。押し寄せるすさまじい音圧は昨夜以上。さっきのあんちゃんが注文もしていないのにモヒートを二杯もってきてくれる。赤いタンクトップの胸に青い字でCUBAと書かれてある。演奏が休憩にはいると、ベランダの通路をあけて、ぼくと園子さんを関係者がたむろする舞台裏へいれてくれた。名前はRAUL。英語がものすごく少しわかる。「日本語の字も知ってる」と自慢そうにし、紙と鉛筆を渡すと自信たっぷりに「ウ ラ ル」と書いた。それ山脈やで。ラウルはカサ・デ・ラ・トローバで働いている。ミュージシャンの世話や場内の整理や、マネージャー仕事のようなこともしている。園子さんとぼくを、周囲の地元民全員にていねいに紹介していく。ルンババンドの巨体メンバーにも、7つくらいの小さな女の子にも。園子さん写真バシャバシャ。そのうちに音楽が再開された。園子さんはラウルにつかまりずるずるとダンスフロアにひきずりだされた。しかしいざとなると園子さんは腰が据わる。腰を左右に振り、手をくにゃくにゃと交互に揺らす猫踊りにラウルも唖然。ピタピタの衣装を付けた女の子が飛び入り。つづけてドイツ人が飛び入り。7つの女の子も、その父も飛び入り。ダンスでサルサ。みんなでサルサ。親子もサルサ。みんなどうせサルサ。最後は世界じゅうのどこでもやるように全員が汽車のようにつながってフロアを行進した。拍手と握手。そして片付け。ラウル、ダニーというおっさん、少年、園子さんとぼくの5人で、近所のバーへビールを飲みに行った。こちらが払おうとすると「ぜったい俺が払う。俺が払う」とラウル。五本のビールをおごってくれた。またもや野球の話。家族の話。楽器の話などなど。二本目はこっちがおごる。あいた瓶はダニーがかばんにいれて持って帰りどこかで売る。「イチ! おれはイチが好きや! イチ!」と叫ぶのでなにかと思ったら座頭市のことだった。居合い抜きのまねをしたら非常にうけてうれしかった。だんだん腹チャプチャプになり、広場に出てタクシーをひらうとこれが大古。クラシックUSA。ドアをあけるとなかはもっとクラシックだった。メリアホテルの近所に住んでるというラウルも乗せてガウン、ガウーン、バキン、など様々な音を出しながら自動車は走り出した。レオン君とラウル、トヨタ車とこのタクシーの絶妙な対比。お釈迦さんとマリアさんも本日の対比だった。ガウン、バキンと正面玄関に到着。手を振るラウルに手を振りかえし、ホテルの部屋までにじりにじり。ベッドへふたり、ガウン、バキン、と倒れる。どうせみんなサルサ。猿かロバか猫さ。

2006年4月7日(金)
朝起きてガラゴロ。朝ごはんのとき顔なじみになった二人組のひげのおっさんに「今日サンティアゴに行く」というと、たいそう残念がり、サンティアゴの歌だ、といって二重唱を聴かせてくれた。チェックアウトのとき、非常に太ったポーターのあんちゃんが真剣な顔で近づいてきて、「葉巻を買わへんか」といった。「じつは、おれの母ちゃん、葉巻工場で働いてるんやけど」。ハバナの若い衆の母親は全員葉巻工場で働いているのか? エンリケの呼んでくれたタクシーで空港へ。国内線の発着ターミナルはぜんぜん違う場所にあり、あわててシャトルバスのようなものに乗ったら、干物のような肌のじいさんはのんびりのんびりのんびり運転し、滑走路をぐるっと回って、同乗したスチュワーデスをまずは宿舎へおろす。園子さん破裂しそうになり、急げ、急げといっても「ハハ」と意味通じない。そこで園子さん、ぼくの手首をひねりあげ、ひ、乱暴されるかと思ったら腕時計をパンパンパンとたたき、「ノータイム、ノータイム!」と叫んだ。運転手「オー!」と驚き、着火された花火のような勢いでターミナルについた。よかった。飛行機にギリギリかと思ったらじつはそうでもなく、出発時間が過ぎてもみんなのんびり寝ているような動きで、やっと一時間くらいすぎたところでゾロゾロと乗った。プロペラ機。けれど機内の設備は何にも壊れていなくて、これやったらカナダエアーよりよっぽどましやないかアミーゴ。3時間くらいかけて東部の町サンティアゴ・デ・クーバに到着。ハバナが東京としたらここは大阪みたいな位置づけらしく、首都への対抗心とともに「音楽やったらうちやで」というプライドのようなものをもっている。そのプライドはとても熱く、飛行機をおりた外気温も28度というけれど余裕で30度はある感じ。タクシーで着いたのはいかにもヨーロッパからの旅客ナイズされたスペイン資本のメリアホテル・サンティアゴ。外見は工事現場のよう。「オーナーからの挨拶」というのに、「一度メリアに泊まったひとは必ずまたメリアに泊まる」と書いてあったフフン。室内のエアコンがすごかったけれど、旅行案内係のおばちゃんのとがった顔はさらにすごかった。市内の音楽施設の今日明日の予定を教えてくれたあとに、「明日、タクシーを半日雇って、サンティアゴをぐるぐる回りなさい」「別にぐるぐる回らんでもええんやけど」「いや、あのね、サンティアゴはだらだらーっとむやみに広いしね、暑いし、歩くのには向いてないから、タクシー雇ってぐるぐる回りなさい」。おばちゃんにがぶり寄られて明日の午前中タクシーを雇ってぐるぐる回ることになった。「得よー」とおばちゃんは叫んでいた。まだ日が高いのでプールに行くことにした。もともとバラデロというビーチリゾートで、寝ころび本を読みながらカクテルプハーをやりたかった園子さんには、サンティアゴのプールで妥協してもらおうと思った。泳いで、プールサイドでカクテルプハー。非常に弱い感じの太った青年が仰向けに寝そべりながらぼくたちを見て「コニチワ、コニチワ」と両手の指を広げた。プールのバーテンダーもフロア係のおっちゃんも一生懸命客商売を覚えようとしている最中なのだなというのがすごく伝わってきた。日暮れ頃、市街中心部へタクシーで行くと、すべての店からなにかしらの音楽が聞こえてきて、食べ物に不満げだったまぼろしの猫たちもタクシーに乗って踊っている。ロバも踊っている。カサ・デ・ラ・トローバという施設をのぞいてみると、会場は一階の教室みたいなフロア、中庭、そして二階の大フロアと三つあって、時間をずらしてだいたいいつもなにがしかの音楽をやっている。たまたま日暮れ頃は休憩で、それではと近くの白くて大きなホテルのレストランにはいった。「軽食はできますか」「シー、スパゲティとか、サンドイッチとか」「じゃあサラダと、この、スパゲティ・ナポリタンというのをください」。このときの記述がノートに残っています。「これはなんや」とある。「むし、いや、めし食べた」と書いてある。ケチャップうどんとしてのスパゲティ・ナポリタン。フォークでもちあげた途端ハラハランと自然に崩壊する。サラダは、いいかげんに気づけばよかったのですが、やはり、いつ切っておいたかわからない乾いた千切りキャベツの周囲に、キュウリとトマトが並べられてある、というサラダだった。猫ミギャー。ロバヒヒン。むしハラン。気を取り直してカサ・デ・ラ・トローバへ戻ると、ちょうど一階のフロアでトローバのおばちゃんとギターのじいさんのコンビが演奏をはじめた。つづいてボンゴとギターを従えた二人組のおばちゃんらが、キューバ民謡を切々とうたう。ハバナの料理屋での演奏と何が違うといって、まず音の響きが違う。誰もそばでしゃべったりしてないし、そもそも料理屋じゃないので「ながら聴き」でない。音楽が好きな人がぞろぞろ集まり、かたや演奏、かたや拝聴、最後はみなでフロアに出て行きワーワーと踊る。それがカサ・デ・ラ・トローバ。おばちゃんらのあと、二階に場所を移して始まった演奏がすばらしかった。中年男性六人編成のルンバ。声も楽器もいっしょになって、ものすごい音圧できいている側へと押し寄せ、こちらは全身バンバン殴られているような感覚になる。ギターはまさしく打楽器で、トランペットは金属を叩いている音がして、パーン、カーンと鐘みたいな音で、この楽団はクラベスを使っていなかったけれど、トランペットはそれを兼ねているんじゃないか。前列の三人、ギター、トレス、マラカスもったボーカル、この三人の足さばきがまたすさまじく、リズムの変化ごとに三人で完璧に複雑なステップをきざみ、まるで足下で波が起きてしぶきがあがっているように見える。あるいは三人がフライパンで弾ける意志をもった豆のような。人間の足はすごい。みなワーワー。隣で園子さんカクテルスー。11時頃ホテルへ帰りそのままスー。寝る前にしばらく連夜の夜なべ。まぼろしの猫たちは意志をもった豆を食べればよかったと話し合っている。むしハララン。

2006年4月6日(木)
鳥と楽器と台車ガラゴロで目が覚める。そのなかにギターの音。園子さんとともに朝ご飯へおりていくと、昨日と同じ爺さんが手を振ってテーブルに来る。「キューバはどうや?」「音楽がすばらしい」「どういうのが好きや」ときくので古いソンの名をいうとすぐに唄ってくれた。「おまえは音楽をやるんか」「ポキート」といって、モンゴルの口琴をとりだすと、なんやその変にねじまがった釘は、という風に見ている。ビヨビヨ鳴らすとたいそう驚き、ふたりで手拍子と、ギターのカッティングをはじめる。ビヨビヨビヨ、ポコポコポコ。いろいろ鳴らし終わって一礼すると、「いや、おもろかった、おもろかった」といって、キューバのひとが使うコイン、チェ・ゲバラの顔が彫ってあるやつを一枚くれた。グラーシャス。チェつづきで革命博物館へ歩いていく。途中で小学生の女の子の列が手を叩きながらラップみたいに唄っているのと並ぶ。「イエイエイエ、キューバはいい国、あたしたちは大好き、アメリカなんていらない、お父さん、お母さん、あたしたちはおじいちゃんやおばあちゃんと同じくらいキューバが好き、イエイエイエ」のようなことをたぶん唄っていたのだと思う。彼女らが身振り付きで唄うその踊りを園子さんはまねして一緒に唄っていた。革命博物館はものすごくシリアスな展示で、ここはたぶんキューバの田舎のひとや、あるいは教師が、「オー、同志よ、オー、革命よ」とこころをふるわせながら勉強する場所で、園子さんは「外国人がきてもあんまりおもしろくありませんね、チェ」と舌を打っていた。20人くらいしか乗れないのに80人の革命の志士を乗せて、船酔いの嘔吐物まみれで荒海を渡ってきた、伝説のボロ船「グランマ号」が補修されて屋外に展示されてあった。警備のひとが立ち、社会見学にきた中学生に、空き缶を拾いなさい、芝生に座ってはだめだ、と身振りで指示している。グランマ号にはふしぎな偉大さがあった。それは見上げるひとたちの視線によって煙のように生まれているような気がした。キューバの革命は50年前に起きた夢のような出来事で、それによっていまの国民が暮らす現実が下支えされている。キューバのひとたちは国作りの「箱船」神話を、リアルな歴史として、現実の夢として、深く実感できているのだなと思った。それにしても写真に残されたチェ・ゲバラの顔はどれもこれもほんとうに立派でした。それから徒歩で、ガルシアロルカ劇場へ公演情報をききにいったところ、いかにも野球しそうな背の低いあんちゃんに声をかけられた。痩せたかわいらしい女の子を連れている。音楽が好きだといったら、ブエナビスタソシアルクラブのメンバーがしょっちゅう出る場所に連れて行くという。ガヤガヤした中華街を抜けると、たしかに映画のなかに出てきたような店に着いた。四人で乾杯。ところがメンバーぜんぜん来ない。ひっきりなしに旅行者が連れられてくるところを見ると、やはりブエナビスタをうたい文句にした客引きか? ルイという名のそのあんちゃんは、もうすぐだから、もうすぐだから、と時計を見上げつつ複雑な笑みをうかべ、リマネッタという連れの女の子は園子さんと複雑なことばで会話している。「うちの母ちゃんは葉巻工場で働いとる」とルイ。「おれらはここのすぐ裏に住んでる。メンバーが来るまで、うちのなか見せよか?」「うん、暇やしな」といってルイとふたりで外へ。ほこりっぽい四つ辻を渡ってすぐに穴蔵のような家。野球のペナントとか貼ってある。ルイは地元の少年たちのチームで野球のコーチをしている。椅子に座って小箱を取り出す。なかには葉巻がはいっている。「これはうちの母ちゃんが作った葉巻や。工場で売ってるもんとまったく変わらん。工場で買うんやったら俺から買うてくれ」。えー、どっしょかなー、ユッコ葉巻よりハマチ食べたいなー。とはいわずに、「いらん」といった。するとルイは床にひざまずき、「キューバのおれたちは金がない、いつも腹を空かせている。リマネッタのからだを見たやろう。何も食えへんからあんなに痩せている」。リマネッタは、あたしバレエやってんねんとさっき自分でいうていたぞルイ。「キューバを救ってくれ」となおもルイ。「おまえがキューバの俺たちにじかに金を渡してくれると、それだけじかのキューバが助かる」「葉巻は買うてもええけど、そんな箱入りのでかいのいらん。明日飛行機乗るし、小さいんやったら買うわ」「そうか」と残念そうに、ルイは十数本束の女性向け細巻きを取り出した。ひもで結わえてあるのは、ルイの母ちゃんが、工場でがめてきたのを自分で縛ったのだろう。ブエナビスタな中華バーに戻るとまだ楽団きていない。「変やなあ、遅れてんのかなあ」と時計みあげるルイ。「あたし、ダンスの練習あるから」といってリマネッタは先に出ていった。リマネッタにノマレッタ。ルイやにわに立ち上がり、「ちょっと聞いてくるわ」とカウンターへ歩いていき、ふんふん、ふんふん、とうなずいて、でかい声で「あと10分やて!」といって、ひらりと外へ出ていった。さすが野球のコーチだけあって、敏捷な動き。しょうがなく園子さんがカウンターへ行き、店のおばちゃんに話をきく。オー、とか、リアリーなどと大仰な表情であいづち。トトト、と戻ってきていうことには、「しんじさん、ここは本当にブエナビスタのひとたちが演奏するバーなんですって! たまたま今日は、レコーディングでメンバーがそろわないんでやらないんだって!」。あと10分、と叫んで出ていったルイの心中やいかに。「たぶん、途中で、あ、今日はやらないんだな、って気づいたんでしょうねルイは」と園子さんは分析。「それでも、何杯も注文していたでしょう。自分では、嘘ついておごってもらって、よくないことやってるってすごく自覚してて、すごい後ろめたいんだけど、でもキューバのためっていうのは本気で、でもやっぱりこれはよくないことだよなっていうのがわかってて、でも途中でやめられない。そんな感じの顔でしたね」。顔といえば、ルイはテーブルで野球や日本や子どもの話題をふりまいたり、ぼくや園子さんの似顔絵を描いてくれたりした。いまもノートに残ってるそれは、似顔というより、目をつむって鉛筆を動かしたらできた抽象的な顔のようだった。園子さんと店の前で記念写真を撮った。ブエナビスタでノマレッタ記念。すごい工事現場を抜けてヴィエハ広場へ。そこらじゅう犬、犬、犬。こないだ野良猫がいたビアホールでハンバーガーを食べた。こないだ小銭がなくてトイレのおばちゃんに失礼した。その分のお礼もいって小銭を渡すと逆さにひっくり返したような笑顔になった。ホテルで昼寝。見知らぬ婆さんに「私たちが炉端になっても生きていかれるのかね」と詰問される夢から覚めると、園子さんは先に起きてせっせと身支度を調えていた。ひらひらとした青白ストライプのワンピース。こちらも同じ青白ストライプのシャツを着て、てくてくとガルシアロルカ劇場。開演15分前の当日券でバルコニー席の斜めから見やすい席を買った。場内はガラガラにすいている。といっても今夜はガラ公演ではなくドニゼッティの「ランメルモールのルチア」をやる。最前列のまばらな客がオーケストラピットに身をのりだしケラケラと来やすくしゃべっている。全然気負わないオペラ。演奏がはじまる。なにも最初から最後までキリキリしぼったテンションでなくても、徐々にあげていけばいいじゃない、という感じの演奏。けれどだれているわけでなく、非常に尊敬されている感じの指揮者、楽団、少ない客もみんなキューバらしく非常にまじめ。質素すぎるくらいの舞台でいっそうそれがきわだつ。ルチア役の気の狂ってしまう女の子はとてもよかった。ユッコあこがれちゃうな。終わると11時過ぎ。木曜なのにどの店も早じまい。ホテル正面の広場の店で鶏の焼いたの、ツナサラダを注文。サラダはしなしなのキャベツの千切りの周囲に、キュウリとトマトをならべたその上に、ツナのほぐしたのを振りまいた、というようなものだった。鶏はおいしい。鶏の肉の野生にあふれた風味がする。キューバでは鶏も鶏としてまじめなのか。ホテルに帰って園子さんネコロガッタ。二時間ほどひとりでヨナベッタ。

2006年4月5日(水)
鳥の鳴き声。ひとの足音。話し声。皿の音。エンジンの音。そして遠くや近くの楽器。町じゅうがこの日最初の音合わせをしているような朝。豆をまくような音もきこえるがなんだろう。園子さんは先に起きて屋上にあがり戻ってきた。まぼろしの猫たちとホテル一階のテラス食堂へ。そろいの麦わら帽をかぶり、そろいのバンダナを首に巻き、ちょっとちがうひげをはやした二人組の爺さんがそれぞれギターをもち席をまわっている。ベサメ・ムーチョ、キサス・キサス・キサスなどの有名曲に、ときどきソンの名曲をはさんでいる。律儀な園子さんはいちいち拍手。すると二人は池のふなのようにこちらへ近づいてきて「どこから来た?」「日本から昨日来た」「スペイン語しゃべれるんか」「ほんの、ほんの、ほんのちょっとだけ」。すると爺さんのひとりがハバナ、ハバナ、というような声で笑い、「そういうのは、ポキート、といえばええんやで」と教えてくれた。そしてチャチャチャの名曲を熟練の二重唱で聴かせてくれた。ムーチョすばらしい。犬用のパンをポケットにしまい、部屋で着替えて町へ出る。地図は園子さんがもっていて、あっちがカテドラル、あっちが要塞、あっちが新宿末広亭、という風に案内してくれる。ホホウ、キューバにも寄席が。とても立派な修道院があり、金を払うと参観できるというのではいってみる。イエズス会の本気の修道院。ここからたぶん、南米各地へ、数多くの布教者が散らばっていったのだ。十字架が高い天井から吊され、磔刑のイエスが宙に浮いているいるように見える。中庭を横切り、階段をのぼると全フロアがギャラリーになっていて、「食文化と芸術」という企画展が開かれていた。何百の皿に、一枚ずつちがう絵や粘土の彫刻があったり、砂糖だけで作った町の模型だったり、エビや豚などのフィギュアだったり。キューバは美術がさかんで、商店街にもアトリエやギャラリーが自然にとけ込んでいて、こういう修道院や砦、旧議事堂などの大きな観光地には、必ず現代の美術家が作品を展示する施設が設けられている。清里風の失笑アートでなく、おだやかなユーモアをふくんだ、いいものが多く見られる、といったようなことは後から知ったことで、とにかくこの食文化の展示はおもしろかった。ギャラリーを出ると、ガイドのねえちゃんが寄ってきて、「鐘突台の上まで行けるよ。のぼる?」「のぼる、のぼる」と即答したのは園子さんで、ぼくはものすごく狭くしかも下が丸見えのはしごみたいな木の階段をのぼりながら、気を失わないよう数を数えていた。てっぺんまでいくとハバナの旧市街全景が見渡せ、園子さんは猫たちと写真を撮っていた。おりるのがまた災難。宙ぶらりんになったイエスの姿が目にうかぶ。無事に地上へたどりつき、ハアハアと息を荒げながら町なかを歩く。そこらじゅう工事している。失業者ゼロというのが社会主義のうたい文句なのでとにかく仕事をつくって無職者をなくそうとしているようにもみえる。昔の国会議事堂へいくとたいそう巨大。天井を見上げていると今度はガイドのおばちゃんがやってきたので、不要です、といったらグングン追いかけてきて弱った。園子さんとあわてて逃げて暗い扉をドスンと抜けたら薄暗い場所で、目が慣れるにつれおそらくは立ち入り禁止の議会の議長席にいきなり出てしまったことがわかった。議員たちの座る席の並ぶ外側に観光客がいてこちらをなんやあれはという表情で見ている。まぼろしのひげをはやし、カストロばりの演説をできればよかったけれど今はまだポキートの身。身をかがめて退場する。それから裏の葉巻工場。工場といってもここははとバス並の観光名所で、ひと組十五人くらいの英語ガイドツアーが一日に52回行われる。葉巻はキューバ名物であるとともにポキートながら財源でもある。ここで働くのは役所に勤めるようなもの。撮影は禁止。ガイドのおねえさんはどういうわけか日本びいきで、いくつか日本のサルサバンドの名前をあげながら、日本のひと質問は? 日本のひとこっちきて、と世話をやいてくれる。逆に、オーストラリアから来たおっさんたちにはものすごく乱暴に「勝手にそっちいかないで」「チッ」などとやっていた。それからヘミングウエイゆかりのホテル、アンボス・ムンドスへいき、ピニャ・コラーダとダイキリをのんだ。園子さんはバーテンに「ノー、ストロング、ノー、ストロング」と懸命に説明し、バーテンは慇懃に「シー」とお辞儀したものの、もってきたピニャ・コラーダはめちゃくちゃ強かった。すすっては咳しながら「なんだか、ストロングのところだけ、伝わってしまったみたいですねー」と園子さん。ここで食べた芋はおいしかった。正確には、芋につけたケチャップがおいしかった。サラダというとやはりしなびた千切りキャベツの周囲にトマトとキュウリを並べたものが出てきた。ひどく暑くなってきたのでホテルで午睡。雨のようなむくどりの声。黄色い日差しがモザイクの床に落ちているスー。どれくらい寝たろうか、ふいに窓の外の広場で、すばらしい、きいたこともないようなリズムの音楽が鳴っているのに気づき、裸足でテラスに出てみると、石畳でおっさんが台車ひいてた。日が沈むころ、服を着替え、旅行会社に教わっていた、「パッと見信じられないけどじつはびっくりするくらいおいしい中華料理の店」にいく。駐車場に屋台とテーブルを出したような店。ところが中華スープをすすってみると、ほんとうにおいしくてルンバを踊りそうになった。もやしやねぎ、香草など、野菜が豊富にはいっていて、野菜欠乏症になりかかっていた園子さんとぼくは、ガツガツと競い合うようにスープを食べた。豚と野菜炒めもふつうにおいしかった。からだがおかしくなりそうになったら又ここにきましょう、と園子さん。あたりが暗くなるころ、タクシーで新市街の集会所に行く。ここにときどきセプテート・アバネーロが出る、ときいていたのだけれど、15分ほど走ってついたのは教会みたいな薄暗いところで、園子さんをタクシーに残して、白いダンダラな服をきた受付の爺さんにきいてみると、「それは昨日の晩や、音楽は火曜だけや、サヨナラ」といわれ軽くショック。では、と有名なライブハウス、カサ・デラ・ムジカへいってみると、まだ早すぎてあいていない。ほんなら、とインテルナシオナル・ホテルへいってもらい、中庭でソンをきこうとしたら、背の低い目のぐりぐりした赤花の老ドアマンが「うちのショーみなさい。ハバナいちでっせ。最高でっせ」と手招きしていう。ほかを探すのも面倒くさくなったので、ドアマンの誘いにのって、強烈に冷房のきいた、キャバレーみたいな会場へ案内される。まわりには白人白人白人。ショーの名前はどういうわけか「パリジャン」。なのに舞台へ登場したのは、めっちゃキューバなひらひら服を着、めっちゃキューバなとんがりひげを生やした若手シンガーと、若猫が卒倒しそうなくらい肌を露出した美人の踊り手たち。マンボやルンバ、サルサなどをバンドが演奏し、それに合わせてダンサーが踊り、男女三人の歌い手が、キューバらしい、ピカピカの笑みをふりまきながら、トランペットのような声でうたう。法華の太鼓のような盛り上がり。最後に出演者全員がステージに出て踊る様はフルーツバスケットが跳ねまわっているようだった。満足してホテルへ帰り、園子さんギュー。こちらは夜なべ仕事、それにしてもあれのどこがパリジャンなのだろう。

2006年4月4日(火)
なにかに追いかけられる夢を見た、といって起きると、園子さんはまったく寝ていなかった。目がトロント。ホテルでいかにも北米大陸っぽいベーコンなどの朝食を食べ、シャトルバスに乗って空港へ。チェックインは一瞬、出発までは二時間。この「二時間前に空港にいっている」という経験は、これまでのひとりでの外国旅行ではあまりなく、たいていぎりぎり、早くても15分くらい前にいって、無駄なく飛行機に乗り込んでいた。それが、一昨日の成田、今日のトロントと二時間以上前についてみて、なるほどな、と思ったのは、だからこんなに仰山、いりもしないものを売る店屋が待合いにあるのか、ということだった。二時間前に来いという旅行社あるいは航空会社は、こういう店屋と結託しているのにちがいない。中くらいの飛行機に10時半に乗る。通路をはさんだ席に、80くらいの爺さんがすわっていて、ハバナに友達がいるんだ、わしは日本にも友達がいる、横浜にも京都にもいったことがある、旅館のめしが少なくて向こうの間違いかと思った、などとまくしたて、ハーハーとうなずいているうちスーと寝てしまった。飛行機は北米大陸を南下し、4時間半かけてカリブ海、そしてハバナへギュイーンと降下。三半規管の弱い園子さんクラクラ。外へ出ると気温27度。キューバはだいたい一年中これくらいの気温らしい。タクシーでハバナの旧市街へ。途中、フォードやシボレーのものすごい古い形式の自動車、流線型だったり尻にウイングがついているようなのが、グワーと音をたててタクシーに追い抜かれていった。革命以来、自動車がはいっていないので、それ以前の車を何度も修理して使っている。否応なしにそうなってしまった結果のノスタルジーは三崎に通じる。海が見えたと思ったらひとのごった返す通りに出て、そのまま歩いていくと、観光のひとや子どもや絵描きが集結している有名なアルマス広場に出た。ここに面したホテル・イザベルにチェックイン。ハバナでももっとも格式の高いホテルだそうです。スペインによる植民地時代の建物をそのまま生かしている。エンリケという兄ちゃんが荷物はこんでくれる。ペラペラペラとスペイン語風の英語で野球の話。ヤキュ〜、ヤキュ〜というのは日本語。こないだ開かれた世界大会について「日本のチームはいい野球をしていた。プロではナンバーワンだ。けれどアマチュアならキューバがナンバーワンだ。日本とキューバで次回もアメリカをぶったおそう、イチロー」。葉巻がほしいなら俺にいえ、と言い残してエンリケは去った。園子さんは三半規管のことなど忘れ旅先ハイになっているララ〜。広場からのびる商店街には外国人があふれている。この時期、キリスト教の国ではイースター休暇にあたっていて、みんな旅行するのだ。ドイツやスペインから、キューバのバラデロというビーチに直行便が出ていて、みんなそこで優雅に過ごし、ハバナへも足を伸ばすのだ。そういう旅行者はほぼ全員、ヘミングウエイゆかりのバー、フロリディータへいって、フローズンダイキリを飲むのだ。我々もいった。カウンターの端に、真鍮製のおそらく実物大と思われるアーネスト・ヘミングウエイが立っている。遠巻きに見ていたら、太ったおっさんおばはんの団体客がウヒャウヒャやってきて、「お、おるおる!」といった顔でヘミングウエイに近づき、顔面を胸に抱きしめたり、髭を引っ張ったり、自分の煙草をくわえさせたりとてんでん無茶をしながら、バッシャンバッシャン写真を撮りはじめた。アーネストされるがまま。テンガロンハットのおっさんに額を張られたときはちょっと動いたようにも見えた。ダイキリは巨大で、値段も大きかった。誰がために金はらう。店よさらば。石畳をふらふらと歩く。あらゆる店やら、建物の上のほうやら、地中から、ひっきりなしに楽器の音が聞こえてくる。さすがキューバ。地中は嘘だけど。ガルシア・ロルカ劇場という建物の偉大さに激情。明後日オペラをやるそうなので当日券ではいりましょうと園子さんと相談。さらに町を徘徊し、ソンの演奏がきこえてきたのでそちらのほうへいくと、ビール屋がテラスに席を並べ、その前で六人編成のバンドが聞き覚えのある民謡を演奏していた。六人編成はセステート、七人編成はセプテートという。そうすってーと、これはつまりセステート。ビールを飲んでいると足下にニャーと黄色い猫が来た。オー猫ちゃん。抱き上げて背中をかいてやるとされるがままにダラーンと垂れている。キューバの町なかには犬ばかりいて、それはすべて野良なのですが、こちらと目が合うと「おっ、なんかくれまんのか」という顔でトトトと寄ってくる。なにもやらないと「へ、それくらい、最初からわかってましたんや」という風にあっさり遠ざかっていく。野良猫は珍しい。ダラーンと垂れ下がったのを地面に置くとそのままトカゲのような足さばきでテラスの背後に消えた。地図によるとここはビエハ広場という場所で、バンドつきのレストランがほかにいくつもある。こちらの演奏がとぎれてすぐ広場を横切った店に移動。やる気があるのかないのかわからない七人編成の老人バンドが古いソンを演奏している。ここで晩ごはん。小エビをケチャップで煮込んだようなもの、うなぎをギトギトの油で炒めたもの。サラダというと、いつ切ったかわからないキャベツ千切りの周囲に、トマトとキュウリを並べたものをもってきた。ロバヒヒン。音楽は、気合いがはいる瞬間とそうでない状態が素人耳にもききわけられる。はいっていないときの演奏も、ふつうに歩いているひとの歩調を見るようにごく自然で、これはもう60年、70年近く、同じ楽器を同じようなリズムで、腕を振るように叩きつづけてきたからかもしれない。叩くということでいえば、セプテートのトランペットも打楽器だということがよくわかった。ラッパ吹きの息が金属に叩きつけられる甲高い響き。メロディはあくまで、その金属音にバラエティを与えることが役割で、キューバでのトランペットはあくまで吐息によるパーカッションなのだと得心。帰り道、すれ違うキューバ人たちが「イチロー!」「ハマキ!」「マツイ!」などと明るく声をかけてくる。葉巻をほどいたような顔の爺さんが向こうからよろよろ近づいてきながら「サヨナラ! サヨナラ!」と笑った。それはまちがってる。けど、いいたいことはわかる。

2006年4月3日(月)その2
オールド・パーの眠りから覚めるとまたごはんのカートが回ってきた。ハハーンのひとが「チャイニーズ、ランチー」といい別の男性が「シャケ、ベントー」といっているのは実は同じものだった。機内食に文句をいってはいけないけれど、このシャケベントウについては驚愕のあまりモーローとした頭でノートに克明なスケッチを残してある。絵からところどころ線が伸びていて、「米らしい」「ブロッコリーのなれの果て」「不明(黒い)」「呪われたもの」などとあり、隣にシャケらしき魚が泡を噴いている絵が添えられてある。「猫おびえる」とも書いてある。エンジョーイ。カナダのトロントまではおよそ12時間の飛行。トロントした頭でまわりの機内を見ているうち、ガキッ、ウゴー、グガガガと飛行機は無事滑走路におりた。外に出ると寒い。強い風が吹きまいている。タクシーで近くのホテルへ。園子さんは巨大なバックパックを背負っている。ホテルのカウンターでクラムチャウダーとニース風サラダというのを食べる。暖房をつけっぱなしにして毛布でウゴー。猫がこたつを探しじゅうたんの上を歩いている気配がする。

2006年4月3日(月)その1
早くも予定変更。強風のためか、飛行機が飛び立てず、午後3時発が午後8時発へ。しょがないね〜、と唄いながら、余った時間をあまり感想など強いられそうにない映画で埋めることにした。園子さんと相談した結果それは、ライオンがしゃべるというディズニー映画に決まった。上野公園は錯乱のひとでいっぱい。映画館は松本並にすいている。見終わるとちょうどスカイライナーの発車時刻だった。5時過ぎに成田空港ターミナルについて説明を受けると、飛行機の部品を届けるのが遅れて出発時間がずれたらしい。お詫びにと渡されたのは、空港内で今日しか使えないという食事券。プロ意識の高い女性がやっていてそれ故に注文に応じるのが遅いバーで全部お酒にして飲み干す。去年のアメリカ行きのときのように、飛行機のなかで、しかも冷凍庫のようなクーラーのなかで待たされるよりはよほどまし。8時過ぎ機内へ。8時半離陸。9時前いきなり機内食。チキンカレーを食べた。食べているさなかに映画がはじまったので、彼らもプロ意識が高く、出す予定だったものを時間を切りつめてガンガン出しているのだな、と思った。映画はめがねをかけた少年がぼろい服を着て宙を飛んだりして活躍するというようなもので、隣で園子さんは早々に飽き、もってきた文庫の阿修羅ガールを読みはじめた。こちらはもとより映画など見ていない。乗る前に買ったオールド・パーのハーフボトルを飲むにはコップが必要だ。「飲み物はどうですかー」とカートを押してきた乗務員の女性に「あ、すんません」「イエース、ビア? ジュース?」「プラスティックのコップをください。からのままで」「から? ハハーン?」背の高いその女性は、いったいこの阿呆は何をほたえておるのだ、ハハーン、という顔をし、結局また、口に出してハハーンといって、からのコップを椅子の背に付属した、プラスティックのテーブルの上にピシッと置き、「エンジョーイ」といって去った。

2006年4月2日(日)
外へ出ると外のほうがぬくい。納豆、おしたし、鮭などの朝ご飯をすませ、ひとり新宿トーキューハンズへ。ぼくの旅行鞄は古い外国製のトランクで、ガチャッと引き出す引きずり用の取っ手もころもついていない、自分でもって運ぶ鞄。10年くらい前、叔母さんから「しんちゃん、あんた、寅さんやがな」といわれた。これの留め金が最近ユルユルになってきて、飛行機での移送は危ないので、ガムテープで留めることにした。テープ売り場へ行き、使いたい事情を説明し、「芯のないガムテープというか、旅先へもっていくのに重くない粘着テープみたいのはありますか」ときくと「ないよ」とすげない答え。しかし旅行グッズのコーナーへ何気なくいったら、あるやん、旅行にもっていく用、どころかトランクを固定するとか専用の芯のないガムテープ。さらに文具コーナーで探し、「そういうのはこのメーカーでは作ってませんね」とまでいわれた、昔使っていたヘナヘナのノートが、別の同じような店でちゃんと売られていた。まったく話通じてない。私ひょっとしてもうスペイン語でアブロしてまっかヨラテンゴ。地下道でラーメンを食べ、ジュンク堂で辞書と本を買う。赤瀬川源平氏の「四角形の歴史」ギリシア変身物語集「メタモルフォーシス」など。昨日にひきつづき錯乱したひとで混乱。ひとの顔が巨大なハチに見える。さっさっさっと尾久に帰る。猫ちゃんの骨を仏壇に預ける。晩ごはんは揚げ春巻き、蚕豆、大葉とザーサイと豆腐サラダ、鶏の唐揚げなど。ボエーもハチもきこえない。なのに寝られない。外が明るくなっても目をあけている。時差の調整をあらかじめからだが勝手にしているのか。からだ、よくできているなあ、と我ながら感心していたら、園子さんに「しんじさんは旅行が嫌いだから緊張しているんですね」といわれた。

2006年4月1日(土)
そういいながらまだいっていない。これは別に今日が嘘の日だからというわけでなく、出発の前、東京で一日過ごすことにしたからです。出発は明後日の午後。こちらが原稿を書いているあいだ、園子さんは郵便を停めに行くなどてんてこまい。そしてひと足先にあずさで出発。最後のものを書き終え夕方に後追い出発。キューバ行きの荷物はクロネコがくわえてもっていった。戻ったら家の前はどんな地面になっているかな。あずさで三時間。新宿駅のプラットフォームで公衆電話をさがしうろうろしていると、後ろから「ユッコ〜」と声をかけられふりむいたら園子さんだった。女子高生を待ち伏せ。そのまま新大久保のタイ料理屋クンメーへ行く。よくもまあこんなにクンメーと思うくらい混んでいる。隣には若人十人あまりの集団。全員嘘しか話していなかったらおもしろいのにな。生春巻き、鶏の辛いの、海老のバジル・レモングラス炒め、細い野菜の麺。外へ出るとそこは楽器の町大久保。誰かがオーボエを吹いているのかと思ったら、オー、ボエーと唄っていた。ホームも山手線のなかも花見のひとでいっぱい。この寒いのに。陰気なのか陽気なのか。みな桜で錯乱している。ボエー。ハチが飛んでいる。

ごはん日記でおなじみの
「まるいち魚店」
▼新刊 発売中▼

●「三崎日和-いしいしんじのごはん日記2」新潮社より発売中

いしいしんじ

【PROFILE】
作家。大阪生まれ。現在、三浦半島の三崎と信州の松本に在住。著書に小説『ぶらんこ乗り』『トリツカレ男』『麦ふみクーツェ』『東京夜話』(新潮文庫)『プラネタリウムのふたご』(講談社文庫)『ポーの話』(新潮社)『みずうみ』(河出書房新社)など、エッセイ・対談『その辺の問題』(中島らも共著/角川文庫)『人生を救え!』(町田康共著/毎日新聞社)などがある。お酒好き。魚好き。メカおんち。きれい好き。
【最近の仕事 11/13更新】
▼ 出版予定 ▼
●単行本
「四とそれ以上の国」
(文藝春秋)2008年11月下旬
●文庫
「ポーの話」
(新潮文庫)2008年9月下旬
「うなぎのダンス」
(河出文庫)2008年10月
「白の鳥と黒の鳥」
(角川文庫)2008年11月
▼ 出演・催し物など ▼


●「四とそれ以上の国」刊行記念
ABC初「その場小説」の会
場所:青山ブックセンター本店
日時:2008年11月30日(日)
14:00〜15:30(開場13:30〜)+サイン会
定員:120名様
入場料:500円(税込)
電話予約の上、当日ご精算
電話予約&お問い合わせ電話:
青山ブックセンター本店
03-5485-5511

●大阪市図書館フェスティバル
いしいしんじの大阪のライブ
日時:11月24日(月・休)
14時(開場13:30)
開場:大阪市中央図書館 5階大会議室
定員:300人(当日先着順)

▼ 連 載 ▼
●「真夜中」にて長編小説「雪」
●「読売新聞」にて「本のソムリエ」(不定期)
●「クロワッサン」にて
 エッセイ「ああ驚いた」
●BAR FLOWにて小説
「みち子の叫び」(CLIPPING 310141)
スクラップブックを使った佐藤理との共同作品
「祝い酒」(POSTER 141310373)ポスターを使ったOSDとの共同作品
ほぼ、月一回連載中

BAR FLOW
港区赤坂8-13-19インペリアル赤坂一番館地下B102
TEL.03-5474-1885(18時から26時まで営業、日祝休み)

●「YOM YOM」にて
  ロングエッセイ「遠い足の話」


▼ 寄稿・書評・コメントなど ▼

●週刊文春9月11日号に書評 
「四人の兵士」ユベール・マンガレリ著・田久保麻里訳
●別冊文藝春秋四月号にて短編小説
「渦」
●芸術新潮4月号にて紀行エッセイ
「バルザックの家とフジタの家」
●考える人春号にて海外小説
ベスト10アンケート+ドストエフスキー『白痴』エッセイ
同人誌「イルクーツク2」に小説
「塩浄瑠璃」

●別冊文藝春秋1月号に小説「峠」
●芸術新潮12月号にエッセイ
「踊るきのこ 南方熊楠の菌類図譜」
●週刊文春12月6日に書評
「灯台守の話」 (ジャネット・ウィンターソン著・岸本佐知子訳)
●別冊暮らしの手帖
「わたしの好きなインテリア雑貨」
にてエッセイ「わたしと本棚」
●かまくら春秋11月号にて
エッセイ「野性のエレキ」
●エスクァイア12月号にて
エッセイ「ハワイをやる」
●新潮社「波」11月号にて
「ジョン・アーヴィング『また会う日まで』刊行記念座談会」
●「圓太郎馬車」(正岡容著・河出文庫)に解説
●本の雑誌8月号にてエッセイ
「私のオールタイムベスト10 ばさばさと「めくって」きた本たち」
●飛ぶ教室夏号にて
短編「リキテンシュタインの法律」
●「西の旅」夏号にて短編小説「船」
●「パピルス」8月号にて短編小説「小包
●「ナンプレファン」8月号にてエッセイ「自分でも呆れる思いこみベスト9」
●東京人6月号にて座談会
「作家と画家、街の歩き方」
鬼海弘雄×大竹伸郎×いしいしんじ
●銀座百点五月号にてエッセイ「タッちゃんとカッちゃん」
●新刊展望五月号にて対談「『みずうみ』の水面と水底」(デザイナー・池田進吾氏と)
●ビッグイシュー日本版
69号にてインタビュー
特集「わからないからおもしろい」
全国のホームレスが駅前などで一冊200円で売っています。110円が販売者の収入になります。 
●「パウル・クレー 絵画のたくらみ」(新潮社・とんぼの本)にエッセイ「オルフェウスの庭で」


【e-mail address】
mail@mao55.net
【mao55編集部からお願い】
上記メールアドレスで、いしいしんじさんへ連絡をとられる方はメールのタイトルを「mao55編集部【いしいしんじのごはん日記】」と入れてください。「はじめまして...」、「○○と申しますが...」、「ご無沙汰して..」、「至急...」、「会ってもらえませんか」などのタイトルはジャンクメールと処理される場合がありますので、お願いいたします。

【主な著作】
●「東京夜話」新潮文庫より発売中
●「いしいしんじのキューバ日記」マガジンハウスより発売中
●「いしいしんじのごはん日記」新潮文庫より発売中
●「雪屋のロッスさん」
メディアファクトリーより発売中
●「人生を救え!」
(町田 康 :いしい しんじ)角川文庫より発売中
●「人生を歩け!」
(町田 康 :いしい しんじ) 毎日新聞社より発売中
●「トリツカレ男」
新潮文庫より発売中

坪田譲治文学賞受賞作
●「麦ふみクーツェ」
新潮文庫


●「ポーの話」
新潮社

●短編集
「白の鳥と黒の鳥」
角川書店

文庫版「ぶらんこ乗り」は、新潮文庫の100冊にはいりました。
●『ぶらんこ乗り』
新潮文庫

●『絵描きの植田さん』
ポプラ社


●『プラネタリウムのふたご』
講談社


第18回坪田譲治文学賞 受賞作品
● 『麦ふみクーツェ』
理論社

●『トリツカレ男』
ビリケン出版)

【amazon.co.jpで買える
いしいしんじさんの著作本はこちら】


いしいしんじ

【google検索】

Google

wwwを検索 mao55.net を検索