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2007年6月
2007年6月30日(土)
曇り。指のささくれを見て本秀康のマンガおもいだす。ずっと創作。マルケス本とどく。ありがとうございます。昼から園子さんは工房へでかける。夕方、庭の草抜き、枝切り、土こね、砂かぶりなどしていると、園子さん、緑の棒状のものを振りまわしながら帰ってくる。河童おどろく。風呂はいり、晩ごはんは、本郷のきゅうり、枝豆、小松菜おしたし、かつお刺、ポテトサラダ、最後の麻婆豆腐は驚きのうまさで、花椒ラー醤というものを入れたそうな。これ行列できまっせ。ラグビーのトライネイションズをみた。オーストラリアがかったのはそんな驚かなかった、そのあとにアイルランド戦を放映したのには驚いた。ロバート・ウォレス読む。
2007年6月29日(金)
曇りから雨。ずっと創作。昼に酒屋へ。夕方、海賊映画みにいく。フランス風の店で晩ごはん。ニス風サラダ。ヒエーペッタペッタしてまんねんなー。ちゃう、ニース風。たこのパセリバター焼き、鶏の茸つめ。エイヒレを洋風に料理たものをはじめてたべたがあんなに日本ダービーとは思いもよらなかった。馬かった。大阪の人とエイヒレをよく食べたなあ。ベケットよむ
2007年6月28日(木)
コワイ夢をみて起きる。三崎で自動車と相撲取りと少女がでてくるこの上なくこわい夢だった。ゴミ出し。パッと起きて創作。結構虫燃えますなー。昼から園子さんとユカちゃん果物を収穫にいく。僕は三時から重いものをもちあげにいく。うたうおじさんが快調にうたう。帰り自転車で走っていたら雨だった。園子さんはマダだったー、といった。それは果物の話。晩ごはんは春菊のごま和え、蒸しとうもろこし、おくら納豆(あなたは本当の納ムググ)、イシモチの子の煮付け、イシモチの塩焼きレモン。蒸すのもおいしいですね。水声通信よむ。ラフカディオ・ハーンよむ。
2007年6月27日(水)
松本には珍しく虫燃える晴れ。晴れといえば、歯ぐきの前のところが腫れた。教えられた、歯ぐきにいいマッサージ歯ブラシを、毛の荒れた歯ブラシでやると、歯ぐき怪我しちゃうよ。そう以前いわれていたのに、きのう、毛の荒れた歯ブラシを使って失敗した。あかんがな。園子さんゴミ出しにいく。大和さんから大量の梅もらってかえる。埋め立てゴミが梅に変わった! 朝からずっと創作。家の四方を開け放して書いていると部屋に風が通り、それに乗って園子さんも通る。草むしる。晩ごはんは、アボカドに柚子胡椒、にんじんのきんぴら、もやしやカニかまのサラダ、ピータン豆腐、牛肉とタマネギの炒めもの。歯ぐき薬のせいでよくなってくる。園子さん梅酒プハー。ラフカディオ・ハーンよむ。
2007年6月26日(火)
朝から梅雨っぽい晴れ。ずっと創作。園子さん図書館へいってきます。帰ってきた。運動にいくと民謡をうたう老人がおらずちぇっ損したと思っていたら来てくれてしかもこれまできいたことのないような、民謡だか呻き声だかわかんない歌をうたいはじめて、ユッコ踊りたくなっちゃった。帰ったら園子センパイは座敷で寝ころんで急襲、違う、九州の雑誌よんでた。風鈴チリリンと鳴る。晩ごはんは、鶏のレバーの丁子煮、小松菜と茸ともやしの和え物、キムチ、いかの肝炒め、豚シャブサラダ。シャブというと誰かをおもいだす、ということはないねー。ラフカディオ・ハーンよむ。
2007年6月25日(月)
七時半まで寝坊。朝から佐藤さんのバー用の創作。各所へ電子メールで返事しているうちに昼になった。園子さんはいつのまにか首の長い鳥の店へいきそしていつのまにか帰ってきた。あたい草むしりだ! グー腹減った。ユッコーといいながら園子センパイ自動車で帰ってくる。佐藤さんから野良に電話だだよ。二回もだだよ。風呂入り、晩ごはんは蒸しとうもろこし、カニかまとほうれんそうと茸の和え物、しめさわら、子持ち甘エビ、蓮根のアンチョビ炒め。まだ眠くないと思っているうちにあくび。鈴木大拙よむ。
2007年6月24日(日)
十一時半に園子さんと国立劇場小劇場。橘蓮二写真集「高座」出版記念の落語会。版元である河出書房のひとがあちらこちらを駆けまわっている。阿部さんがスーツきて写真集を渡している。三三、彦いち、小雪、談春、二楽、志の輔。談春はいつものとてもイヤな感じがとてもよかった。志の輔はこれまできいたことがなかったのですがとてつもないとおもった。筋肉質というか、ものすごく鍛えられているというか。寄席でも、独演会でも、一門会でもない、イレギュラーな落語会だったせいで、みな好きなようにやっている感じがあって、それがよかった。赤坂見附まで歩く途中アメが降ってきたよ。ユッコペロペロ。そのアメじゃなーい。地下鉄に駆けこんで新宿で、電車のなかで晩ごはんとして食べるものを買った。百貨店の地下食品売り場は常軌を逸してますな。昔近鉄百貨店に、大きな円形のステンレスの台にアメちゃんが山積みになってあってそれを半ズボンの太った子供がかごに好きなだけすくっていく、というようなコーナーがあったかとおもうが、いまは全部があれみたいだとおもった。お菓子屋のコーナーにええ大人が行列つくっていた。電車のなかで食べたものは、野菜の煮付、はるさめの酢の物、ポテトサラダ、豚肉サラダ、コロッケ。鈴木大拙よむ。家に帰ると庭草が南方の毛深いひとのすねのようになっていた。マイルス・デイヴィスのテレビ番組をみる。ゲラなどなおし十二時にパタリ。遠足は終わった。
2007年6月23日(土)
曇りですな。胃が思いですな。いや重い。とりあえず、朝食を胃に積もった未消化の魚の上に乗せ、ヨタヨタとシローくんにのる。シローくん、重くない? イヤー、自分、これ仕事っすからー、と感心にも朗らかなシローくん。十時に宿を出、島を出るまで余裕で時間があるので、島の幹線道路から、いろいろ脇道にはいってみる。なかでもいい港があり、フーン、大浦というところかー、ここいいですなー、家ありませんかー、などとシローくんのなかで声をあげながら進み、そのうち道が狭くなり、アー、ここにも教会がありますよ、といいかけて園子さんは「ア」といって、僕も「ア」といって、シローくんの車内で呆然とした。サンタマリア館に来ていた。そして急に、まっすぐ雨がふりだす。シローくんの屋根をたんたんたん。本をもち、タタタと館内にかけこむ。受付は無人。すんませーん、すんませーん、といってたら、ホーイ、といってシャツを直しながら館長さんが出てきた。一昨日きたもんなんですけど。ハア? アー、と理解してもらったようす。ちょっと、書いてほしいんですけど、というと、目がダメなもんで、読み書きはできんねえ。あーそうですか、残念です、本にサインしてもらいたかったんですけど、というと、サインはできますよ、といって、マジックペンで名前を、名前の上に、八十九翁、と書いてくれた。著者の濱崎献作氏は、この本をお父さんである館長に捧げているのである。それからまたマリア観音の話、館長は子どものころ綴り方が上手だった話、ご家族と毎晩食事を食べる話、お孫さんの話など。ここはやはりいい土地だ。五円玉ジャラジャラだ。外にでると雨あがっていた。びっくりしましたねー、二度来るとはおもわなかった、といって園子さんはアクセルをふんだ。よかった。それから大矢野の、うまいものセンターへいく。巨大天草四郎が立っている。ここからまるいちへ天草ジュースおくる。たこみそはなかった。しかし魚安かった。タコとかアジとかカンパチとか泳いでるのを売っておる。別の市場のような施設で、天草ちくわとさつま揚げをかった。タコのステーキというのもかった。そして熊本市内へ。やなやつらの待ち伏せにあって猫憤慨。前にいった、立派な中華料理屋でまたタイピーエンと焼きそばたべる。あたしたち、二度いくのが好きですね、と園子さんはいった。ここで皿うどんとチャンポンの謎がわいた。長崎と熊本では、皿うどんとチャンポンで使う麺が逆転する、ときいたが、ほんまだろうか。どうですか、シローくん。しょ、少年チャンポン! ウッ、ドーン! そうですか。市内の渋滞をぬけて空港へ。園子さんに、カート取ってきて、といわれ、アイヨ、と請け負い到着ロビーのところからカートをとってこようとすると、カートの籠のなかに黒い四角があって、よくよく見るとそれは黒い財布だった。財布を拾って警備員さんにわたす。そのままカートに段ボール箱を積み、宅配便の窓口へ。二日かかりますよ知ってます。園子さんレンタカー返しタタタタと出発ロビーに駆けこんでくる。飛行機無事にとぶ。けっこうすいているね。といっていたら、すいていて軽かったせいか、十五分も早く羽田空港につく。すぐバス。モノレール。山の手線は寒かった。尾久の家に帰り、もろきゅう、トマトたべる。ビールと焼酎のむ。ウイー、遠足はまだ終わらない。鈴木大拙よむ。
2007年6月22日(金)
朝ごはんは昨日のタイとワタリガニが待っている。ようやく雨が降りだす。まず、松島の展望台にいってみる。松本の温泉ホテルにも泊まっていた皇室の夫妻がここにも来てしかも植樹していた! 五円玉ですな。ここで園子さんエイヒレかう。五円玉でなく一万円札を出して小銭をつくっていた。海沿いを走っていくと、とてもいい景色。雨なのに海が薄い緑にかがやく。途中、よさそうな宿が何軒もあった。ここ今度泊まって仕事しよう。本渡を過ぎ、まっつぐ南をめざす。豪雨ふってくる。イヤー、すごいね。シローくんのなかの声がきこえないね。アフアフアフ。コレジオ館というのに行く。大雨で傘もらう。ありがとうございました。崎津の天主堂。三崎よりいっそう狭い古い港町に白い天主堂がまっつぐ建っている。少し歩いてみる。そして大江に。自動車をおりた途端、オー、とおもった。あとできくと園子さんもそのように感じたそうだった。オー、特別な町。雨はスッとあがっていて、水気をふくんだ空気が無重力のようにただよっている。丘の上に天主堂が建っている。山と谷全体が天主堂につながっている感じ。キリシタン館へいってから、大江の港へ。ウロウロ歩いていると、八幡さんに出たので、一応手を合わせておこうと近づいたそのとき、赤いものがさっと動いた。それはよくよくみると小さな蟹だった。蟹は石段にいた。石垣にもいた。ほうきの柄にもいた。奥の土地にもいた。神社じゅう蟹だらけだった。蟹は僕と園子さんを差し招いているのか。それとも昨日の魚腹のにおいをかぎつけているのか。有名な話だが、猫は蟹に興味をしめすが、あとで必ず逃げる、という関係にある。大江の集落をふらふらふら歩く。空き屋あるやん、これで疎水とかあったら完璧やねんけどねー、といいながら歩いていたら、疎水あった。橋の上で、ものすごく怪訝な顔でみている中年女性と、にこやかなおばあさんがいた。ウー、大江かー。もう一度空気を吸いこみ、川沿いにレンタカーで走り、そのまま西の岸壁で、ものすごく勇壮な、僕にとっては早く離れたい断崖絶壁の景色を見つつ、下田温泉の忍者の名前の旅館へ。温泉フー。ビールグワー。で、魚。非常に豪華なもんですが、園子さんは、昨日のが精神的外傷になって、食べるのがこわい、といっている。とくに、ひじき麺と、鯛の素麺がおいしかった。園子さんテレビ。水をのみながら昨日の本をよむ。水おいしい。本はますますすばらしい。
2007年6月21日(木)
朝ごはんはアメリカ式。けっこう腹すかない。地図を見ながらレンタカーゴー。熊本にきた第二の目的、それは黒田さんのお母さんに野菜の御礼をいうことだった。宇城市に走っていく。郊外は山だ。農村だ。立派な芝生の家だ。黒田さんのお母さんはお姉さんだった。そしてバドミントンの女王様だった。なんとお昼をふるまってくださることに。ヒヒーン、きびなご刺身、きびなごとアスパラのフライ、アジ塩焼き、ワタリガニ、鳥とジャガイモの煮込み、きゅうりの漬物めちゃくちゃおいしい。これからもよろしくお願いします。犬のシンちゃん、ハナちゃんもよろしく。一路三角港へ。ここは日本でもいちばん古い明治時代の石の港。西洋館のならぶ公園みたいになっていて若いカップルならよろしい。そしてレンタカーゴー。レンタカーレンタカーいうのも味気ないのでシローくんという名をいまつけた。シローくんゴー。熊本にきた第三の目的、それは天草。「あま」は海のこと、「くさ」は人のこと、つまり海の人のことだ。まず、五橋の景色のおどろき、園子さんいったん自動車を空中に走らせ、すぐにまた橋の上へもどす。海が光っている。まるで池のよう、といいながら、瀬戸内海にくらべ、野性の島々という感じがする。そのまま天草上島を走り、午後のお三時半にもなっているので、地図では近くにみえたサンタマリア館へいった。あった。驚き。すごい。マリア観音や地蔵、クルス、踏み絵、聖杯など、集められているものばかりでなく、この場そのものが「ほんもの」という感じを煙のように立ちのぼらせている。ご高齢の館長が出てきて「アー、わたしは、もうよう目が見えんのだけど」といいながら、収集物についての詳しいことや、「かくれ」の、ぜんぜん知らなかったことなど、ていねいに教えてくれる。いやすごい。また、ドロ神父という人が作らせた、ドロ版画というものが、長崎にあることはなんとなく知っていたが、それが天草のここにもあり、また、実物がこんなにぶっとんだ、すごいものだとは思ってもみなかった。ケースに収められたもの、陳列してあるもの、あらゆるものがほんもので、さらにサンタマリア館の分館のようなところに館長が何百と収集した「徳利」を見せられ、感激し、受付で売っていた、館長のご令息である濱崎献作氏が書かれた、「天草の伝承キリシタンとオラショ その変容と消滅/石に残された信仰の証」という本を買った。吐息をついて戻る。園子さんは、シローくんを走らせながら「いきなり最初から、大当たりでしたねー」といった。その通りだとおもった。宿へいくと、風呂がこわれているので、タラソスパ、という、タラコスパに似た名前の施設のただ券をくれて、これで入ってきてください、といわれた。それがまたすばらしい温泉でよ。園子さんはサンタマリア館なみに感激し、この松島あたりに住むのもいいかもしれません、といっていた。よかった。温泉から宿までは三分だった。晩ごはんには、どえらい分量の魚がでた。それはもう、こんな多くの種類と量の魚が私たちの食卓に並んだことはかつてなかった、それは三崎のころも含め、という感じで、どれだけのものが並んだかというと、あなご刺身、きびなご刺身、あじ刺身、すずき刺身、こち刺身、たこ刺身、あさり茶碗蒸し、わたりがに二匹、たいの塩焼き、したびらめの煮付け、あかやまえびの天ぷら、うまのモツ煮、魚のだしのスパゲッティ、あさりごはん。奇声をあげていた猫たち徐々に無口になっていく。ロバはモツ煮に泣いている。オヤ、園子さんの口から穴子が。オヤ、しんじさんの口からはテンタクルが。テンタクルはテンたこー、というと、外人の発音に近いですよ。オラショというのはラテン語でいうオラシオですよ。おら、塩まくだ、グググググー、と満腹のあまり錯乱した。しかし異様に寝苦しい。早起きの癖がついているのに、十一時すぎまで今日かった本をよむ。オー、桃も白いですわー。あんめんじんす。
2007年6月20日(水)
八時過ぎの飛行機で熊本へ。羽田はユッコ的女子高生がいっぱいだったけどユッコはお金ないから修学旅行いけないんだよネー。園子さんは国内線は北海道以来だといっていた。僕は去年末の札幌以来だ。熊本空港へついたらすぐ小雨ふりだす。レンタカーのドライバーは園子さんで、青い顔でうつむき、「やはりあたいは雨女だから」といっている。が、徐々に晴れてくる。城に近づくうちピカピカに晴れてくる。晴れてくると「あたい」ではなく上をむいて「わたし」というようになる。百貨店の駐車場にとめ、立派な中華料理屋でたべたターピーエンという春雨の食べものとてもおいしい。ティッシュくばりの女の子に誰もことわらない。熊本にきた第一の目的、それは森村泰昌展をみることだった。「静聴せよ!」ウーン愉快。展示のつくりは学校のようになっていて、最初の部屋など、小学校の教室を再現してあり、黒板に森村氏の板書がある。ヘッドフォンガイドで、一時間目、二時間目、三時間目、というふうに、森村氏の授業が流れ、それに沿って、展示を回遊していく。園子さん笑う。猫たちもストスト歩いて笑っている。ロバも笑う。こういうのがホントの美術展だよ。佐藤さんから電話かかってくる。イイネー。最近熊本にもどってきたという女性と図書室のところで立ち話をした。森村Tシャツがないかと探したけれどなかった。それから小泉八雲の住んでいた家にいった。ギリシア、ダブリン、ニューヨーク、ニューオリンズ、マルチニークときて松江、熊本へときた八雲には、昔からとても興味があって、最近また読みかえしている。明るい、風通しのいい屋敷。それから夏目漱石の家にいく。漱石は熊本で結婚した。ここで草枕を書いた。寺田寅彦が「厩でなら寝泊まりしていい」といわれ尻込みした。たいへん立派な家で、園子さんは座敷にはいって「ワッ」と声をあげた。そこに髭の紳士がいた。着物であぐらをかいたこの人は漱石だった。漱石はからくり人形で、紐をひくと猫をなで、髭を動かすようになっている。まぼろしの猫すりよりなでられる。園子さん猫じゃ猫じゃ。たいへん蒸し暑く、九州の梅雨明け、という感じ。しかしこないだ梅雨入りしたばかりだ。てんごいうたらあきまへん。ホテルへもどり、近所の人気店で、馬刺しをチェック。レバーすごいね。野菜の名の服屋でTシャツを買い、飲み屋の名の本屋で本を買う。熊本は本屋が多い。園子さん「今日も、晩ごはんは、出初め式ですねー」。野菜料理で有名な店にいく。茄子の煮浸し、ポテトサラダ、かぼちゃ、おから、野菜天ぷら、鳥のコロコロ焼きなど食べる。イヤーからだのなかのロバヒヒン。からだが洗浄されていくようだ。繁華街ぐるっと歩いてかえる。熊本市はいいところだ。誰ももらうのを断らないティッシュ配りからもそれがわかる。
2007年6月19日(火)
そうでもない。いい天気ジャン。朝だしにいっった宅急便が、九州までは二日かかるといわれギョヒー。電話で園子さんの指示をあおぎ段ボールから必要なものだけ手提げ鞄に戻す。まるいちで魚かう。そしていただく。美智世さんいつもありがとうございます。魚さげて東京へ。西日暮里駅の改札で猫顔の園子さんにそれらを渡し、そのまま有楽町へいき、文房具屋でノート、鉛筆、教文館で「るしおる」など買う。「るしおる」休刊するとはショックである。尾久の家にもどると、園子さんは全身に猫をたちのぼらせながら台所でたちまわっていた。晩ごはんは、かます刺、かます塩焼き、とこぶし煮付け、めといか刺、ひこの酢の物、そしてさまざまな野菜料理。かますとめといかは近年まれにみるかますとめといかだった。美智世さんにいただいたキンメダイは両親に食べてもらうことにした。しかしまぼろしの猫としてはもう食べてしまった。明日早いので二階で早寝。
2007年6月18日(月)
のんきに七時起き、けっこうなお天気のなかを三崎へ。牡丹の前を通りかかるとご主人がいて、先日新聞で「まぐろラーメン」のことを読みましたよ、といったら、じゃあ試食していきなよ、といわれる。そうする。新聞によれば、三崎じゅうの飲食店で名物にしようといま計画されていて、また、それぞれの店で、特徴が異なるらしい。牡丹のは、牡丹らしいあっさり味のラーメンのスープに、まぐろのヅケがふわりと載っていて、これを半生の状態なり、しゃぶしゃぶのようにスープにくぐらせて食べる。「まぐろラーメン」という名前からは、僕はなんだか魚の濃いだしの味を想像してしまうが、牡丹のこれはぜんぜんちがう、びっくりするくらい上品な味で、これは大いに名物になるかもしれんとおもった。いやー、うまかった。家に帰りゲラ。そして原稿。よい子が住んでるよい町はー。夕方まるいちでのぶさんとビール。大場さんとサッカー、タコ談義。晩ごはんは、家でとこぶし、いさぎ刺身、焼きいさぎのパセリ和え、枝豆。まぼろしの猫ら松本から手を伸ばしとこぶしをかっさらう。いさぎも。近所のカラオケがいい調子だね。真夜中のリサイタル、フラワーショーだね。ほんまだっか。明日から梅雨だっか。
2007年6月17日(日)
早めに起きて創作。七時頃矢野さんから電話がある。朝市へいく。ステラマリスに泊まっていた方々と合流し矢野さんの家へ。朝からきんめさばく。塩焼きと煮付け。とうもろこし、ズッキーニ美味。十時過ぎ、モーロー体の頭で京急、地下鉄、外苑前まであるく。アー天気だねー、イー天気だねー。園子さんとスペイン語の本屋で合流。空に雲が浮かんだ服をきていた。そばを食べ、眼鏡屋で調整し、三時からエービーシーの荒井良二さんのトークショーにいった。スライドをつけてシンプルに話していくばかりだったけれど深みがあった。それは荒井さんの「たいようオルガン」を描いたからだの、奥のほうの感じと関係があるとおもった。荒井さんは自然の印象をはじめて絵に描いた原始人のようなからだになっていたとおもった。荒井さんは「こういうのならいつまでも描いてたい」といっていた。「セーラーとペッカ」は、「たいようオルガン」はものすごい。終演後、エービーシーで本を買い、荒井さんたちと晩ごはんをたべた。荒井さんは生ハムを食べたい胃袋になっていた。魚のホウボウ。サラダ各種。斬新なバンドの名前が即席でうまれた。徐々にたいへんにゅーたー、にゅーたとなり、十一時半、尾久の家でガクリ。
2007年6月16日(土)
でんでん虫のように朝食をたべ、外に出るとよみがえる。なんとまあいい天気だ。五月の半ばのようだ。つゆは消えはったんだっか。浅草線から京急に乗り、三崎へ。ついてすぐ掃除、洗濯。イヤー、シャツが光ってるねー。まるいちでえぼだい、タコ。大場さんはタコに燃えている。ゆで汁のことやら、締めてから茹でるまでの時間やら、自ら開発した秘伝がいろいろある。のぶさんとビール。矢野さん合流。晩ごはんは、そのまま食堂でえぼだい塩焼き、たこ刺し、きんめ茶漬け。ステラマリスに人がおおぜい泊まっている由。グアーと寝る。
2007年6月15日(金)
あずさ号人身事故で五十分。立川駅は停車駅でないのでドアがあかない。車内のひとたちはあまりにおとなしく携帯電話で遅れるなどと話している。僕も電話せんと、と思って、長い行列を覚悟して、11号車に一台だけある公衆電話をめざし歩いていったら、行列どころか誰も使ってなかった。携帯電話はもはや靴みたいなもんか。いや、雪駄とか下駄のひともいるからそれ以上か。パンツか。席にもどり、一日一作。そして虫の焦げる町東京へ。ボーボーボー、とムシ燃えている。なんでこんなんなんだっか! ムシー! お茶は唐物。真の点前。五時に辞去し、お茶の水のホテルでクロワッサンの船山さんと待ち合わせ。終わってから銀座のOSDへ。佐藤さんのお祖父さんの写真集をみる。建物もそうやけど昔の写真家のひとの自然さはすばらしい。写真集をめくりながら、佐藤さんと南くんに、「わりと大人になるまで、カツラリキュウとセンノリキュウって、兄弟かなんかかとおもっていた」といったら呆れられた。新座の居酒屋で冷や奴とししゃもと、紙カツ、おしたしなど。それから麻布十番のバー、ナンバー。ナンバのバーで上田はいま働いているだろうか。それからその近くの佐藤さんの知り合いのバー。六本木トラウマリス。来月から佐藤さんもバーをやるのである。ホテルに帰ると1時半でキュー。
2007年6月14日(木)
雨の朝。梅雨入りデスモノ。八時ごろ本のエッセイ終わる。けれど自分の十冊をえらばんといけない、手近に積んである十冊を、ホレ、ホレ、ホレ、とあげていった。そして創作。昼に荷造り。午後、重いものをもちあげにいき、そこで、ひとりフラッと現れては、腰のマッサージベルトでビビビと細かに振動しながら民謡をうたう老人にあった。よく会うおっちゃんがその横に座ると、老人は民謡をやめた。するとおっちゃんは「やめねいでくださいよ。あたし、そういううた、好きなんですよ。やめねいでくださいよ」といったので、老人はまたビビビとうたいだす、という一幕があった。家にかえりそれを園子さんに話していると、窓の外で街宣車のようなマイクの声がしだした。それは街宣車ではなかった。「中国の歌をきいてください、平和のために。中国の歌はすばらしいんです、中国の歌をきいてください」とくりかえしくりかえしいう爺さんの軽トラックだった。そんなにすばらしいなら是非きいてみたいとおもったけれど、あれ宣伝ではなく、爺さんの趣味なのだろう。だからきいてみようとおもったのだ。晩ごはんは、また熊本の焼き茄子、またとうもろこし、そしてゴーヤ、キュウリとピーマンと茸とマグロフレークの中華炒め、アスパラとインゲンの蒸し物、あなたは本物の納豆を食べグムム例の納豆とオクラ、鶏照り焼き。どの野菜も、野菜ジュースをのんでいるようにみずみずしい。太陽の光と水はすごいヨロリ。園子さん寝っ転がって澁澤龍彦よんでいる。アイヌ語の勉強する。
2007年6月13日(水)
晴れた朝。本のエッセイかく。熊本から段ボール箱がとどき、あけると野菜がはいっていた。野菜はどれも美しく自分でヒョイヒョイ箱から飛び出てきそうに見えた。熊本の黒田さんのお母さんが送ってくださったもの。まぼろしのロバは感激のあまり箱に横たわり目をとじる。手を合わせ、仕事机で書きものをつづけていると、園子さんがヨロヨロリと入ってきて、ふだんそういうことはまったくしないのですが、机に寄ってくると、しんじさん、しんじさん、仕事中ごめんなさい、これ食べて、といった。手にもった皿には黄色っぽい果物を切ったものがのったある。爪楊枝をとってパクリと食べると全身がヨロヨロリとした。こげなうまかものが肥後にはヒゴヒゴあるっとたいねー、とニセ肥後弁で叫びそうになった。園子さんによればこれはプラムで、しかしこのようなものが普通のプラムなら、世界中の政治家にこれを食わせれば平穏な世の中になるではないか。いやー、驚いた、うまかった。冴えたからだでつづき書く。園子さん昼前工房へ。夕方熊本情報、天草ニュースしらべる。晩ごはんは、熊本野菜づくし。蒸しモロッコいんげん、蒸しアスパラガス、蒸しかぼちゃ、様々な煮浸し、焼き茄子の概念がかわる焼き茄子。笹かまぼこ、いわしの梅煮、そしてとうもろこし、園子さんはギャヒーとかじりつきながら、「あたし、今日から好物はなにってきかれたらとうもろこしですってこたえます」といった。黒田さんのお母さんほんとうにありがとうございました。食べ終えてまだ日が落ちない。日中が長い。テレビの野球中継は、園子さんの応援している東北のチームが、田中選手の完封で勝った。園子さんと猫たちは小豆色の帽子をかぶって踊りをおどった。それにしても今シーズン、楽天のひとは野球をやっているのが楽しそうだ。春の工場で働く人のようだ。フォークナーよむ。
2007年6月12日(火)
晴れた空。朝食前に一日一作。ぜんぜんあかん。十時過ぎ、美術館にいき、松本平の美術家、といった展示をみる。敏先生、ウエハラ先生すばらしい。昼ごはんを美術館の喫茶店でたべ、美術館のグッズ売り場で、園子さんは、アルプちゃんという人形をかった。アルプちゃんとは、松本市制100周年の、頭が北アルプス山脈、そして花、右手にバヨリンをもっており、服には血痕のような妙なかたちとおもったら合併したこんなんになった松本市の地図の形が書いてある、ごっついコンセプトの人形である。そしてメガネ屋いきメガネひきとる。踏まれて曲がってそして修復されたメガネ少し怯えてみえる。ヨーシヨシ。本屋でニューオーリンズや寺まわりの本かう。帰宅し少し創作のあとDVDで「水になった村」みる。みてすぐ机に向かい感想。すぐ映画会社におくる。よかった。晩ごはんはグリーンサラダ、アボカドピータンサラダ、アボカドスキンの血の話、いわしの梅煮、カレーライス、ピックルス。アボカドスキンの血の話とは何かというと、今朝外国のニュースに書いてあった話で、とあるカナダの人が心臓疾患のため太股の血管を手術することになって、外科医がメスで切開したらみどり色の血が噴き出た。それは深みどりで、まるでアボカドの皮のような色だったと外科医は語っている。ある種の頭痛薬を、この患者は常用していて、そのなかに含まれている硫黄成分がヘモグロビンと結びついて血がみどり色になったのでは、と専門家はかたっている、ということを僕は昼頃園子さんに話した。それが園子さんの料理脳に作用してアボカドサラダを作ることになったのだ。そして我々はそれを食べているのだ。時事問題はこのようにはいりこむ。ジージーと蛍光灯がなっているので取り替えられるときに取り替えとかんならなん。坊ちゃんよむ。坑夫よむ。
2007年6月11日(月)
晴れた空。吹きまくる風。朝から地味にエッセイ。九時半ごろ台所からラジオの音がきこえてくる。これは園子さんが鶴光をきいているのでなくイタリア語講座をきいているのである。十時頃エッセイもラジオもおわる。園子さんは工房にテレビの撮影がくるので町へおりていく。するとメガネ屋からおどろきの電話。もう部品が届いて修理もすんだとのこと。素晴らしい対応だと猫もロバも感嘆。昼に園子さんのための創作をし、午後は創作、夕方セルバンテスよむ。晩ごはんは青椒牛肉絲、ぶりの塩焼き、おくら納豆、蒸しとうもろこしなど。テレビの野球中継で、石井一久という投手が映っていて、園子さんはこの人の「ふだんの感じ」が昔から好きらしいが、急に「あ」といって、「私もいつのまにか同じ名字になっていた」といった。写真とどいたのでみる。セルバンテスよむ。
2007年6月10日(日)
六時から川の清掃。小雨がふっておる。6時半に終わっても近隣の皆草刈りマシーンを片付けるのが惜しくてそこらじゅう刈っている。わしの頭もボウボウなんでんけどな。ヒヤー、やめてー! 帰ってアニメエッセイ。九時に町までおりていっても、九時からは図書館があいておらず園子さんと首の長い鳥の店へいく。開店前に、行列みたいな感じなことに驚いた。いまは何でも行列をつくるのがはやっています。店員がイラッシャイマセーといいながらカートと籠を客に順々にわたしていく。子どもが載るカートもあるのか。園子さん買い物をすませ、図書館へいき、熊本関連の本をが大量に借りる。僕は大正時代の浪曲のCDを借りる。帰って創作。雨ときどき強くなる。夕方ペレーヴィンよむ。晩ごはんは、鯛のカルパッチョ、グリーンサラダ、逆さマッシュルームのにんにく焼き。早寝しようと、寝床でゴーゴリよむ。爆笑していると園子さんがウエーンといった。寝言だった。
2007年6月9日(土)
ごっつい雨の朝。途中から雷雨。そして晴れ。忙しいこってすな。朝から駅前の病院へいき、塗り薬をもらう。開いてすぐにいったのに診察の整理券は七十番を越していて窓口の若者が「何時頃ですか」ときくと受付の女性は「たぶん二時半ごろだと思うんですが」とこたえていて驚いた。僕は薬をもらうだけなのですぐすんだが、ここだけどうしてこんなに混むのだろう。それからメガネ屋に、メガネもっていく。昨夜踏んでつるが折れたのである。メガネ屋の女性に「どうしたんですか」といわれ「踏んで折れたんです」とこたえたら「マー」といわれた。けれど近所に住んでいることがわかった途端すごくてきぱきと対応してくれて助かった。本屋で稀少本と漫画をかう。一階にあがったところで外国人の友達がいそうな若い女性がいるなあと思ったらマリちゃんだった。これから語学学校の先生をしにいくのだった。そういう気配をただよわせていたのか。園子さんの運転で家に帰る途中、園子さんが「ア、しんじさん!」といって指さした。見ると道端に大馬鹿安の看板がちゃんとあった。よかった。ほんとうに。家でゲラ。アニメ映画についてのエッセイをかく。晩ごはんは、水菜油揚げ、ゲソの照り焼き、トマトもずく酢、豆腐チャンプルー。鉄番組みる。みうら番組みる。ペレーヴィンよむ。
2007年6月8日(金)
朝は晴れている。ケド。新宿も晴れている。ケド。あずさ号でついてすぐ薄茶。すごい色々まちがう。一二三。悲惨。あずさの時間迫り、ホームに走りこむ。チョットー、駅員さーん、窓口のトケー、三十分進んでたジャナーイ。膝ガクリ。帰りのあずさ号で小島信夫読みおえ、文庫のゴーゴリよむ。松本駅で園子さん迎えてくれる。お茶というか冷房にあたって帰ってお風呂にはいらないと翌朝とてもあかん気分になる。なのでお風呂。晩ごはんは九時ごろと遅くなった。春菊ごま和え、冷や奴、いかげその肝炒め、手羽先とごぼうの煮物、トマトタマネギサラダ。園子さんたいようオルガンのように遠ざかっていく。ゴーゴリよんでにう。
2007年6月7日(木)
荒天だねー。ブンブンしなる柿の枝を前に、ようやくモーにかかる。ユッコには未知の小説。ンモー。ずっと創作。夕方青山ブックセンターのブックフェアーの推薦本、手近にあった「『消えゆく言葉』の地を訪ねて」にする。晩ごはんは、小松菜のごま和え、干しきのこと青梗菜などの中華炒め、かつおの刺身、あなたは本当のムググ納豆、園子さん風青椒牛肉絲。荒井さんよりいただいた「たいようオルガン」よむ。スゲーナー。また小島信夫。
2007年6月6日(水)
朝から一日一作。立命館大学物語。そしてゲラよむ。日記整理する。そうこうするうち昼になっている。「膝をたたいてピザを出すのが理想ですねえー」といいながら園子さんピザ。二時から重いものをもちあげにいく。雨がふるかと思っていたらぜんぜん晴れていてかえって悔しかった。帰って小島信夫よむ。晩ごはんは、ほうれんそうごま和え、蒸かしトウモロコシ、豚しゃぶサラダ、アジの塩焼き、そして久しぶりに、あなたは本当の納豆を食べたことがありますか、と問いかける納豆。園子さん「ハイ」。あなたは納豆ダイエットにとりくんだことがありますか。園子さん「イイエ」そして食後はヘンリー・ダーガーの雑誌に釘付けになっている。ずっと小島信夫よむ。
2007年6月5日(火)
朝ごはんゴーカート。そんなものに乗っておるのではない! わしは、「豪華」といいたかったのじゃ! とおやじ興奮してしまうほど豪華なビュッフェ式朝ごはん。しかしビュッフェ式というのはつまり出初め式のことでないのか? 少しちがうのか? 外はよう晴れとるでね。名古屋市立美術館で若沖というひとの絵をみるでね。名古屋はすいとるでね。とまぼろしの名古屋人に招かれていくと、ほんとうにすいていて驚いた。ゆっくりといろいろな絵をみることができた。若沖の、一枚ずつ、動物と鳥を描いた大きな絵には呆れた。江戸時代にコンピュータグラフィックスをやっている。何の動物やねん。見ているうち、若沖はこの絵を描くにあたって、自分が実物を見てよく知っている動物は一切いれない、というルールを決めたんじゃないかとおもった。それくらい、実際の動物を人間が見るより、絵のリアリティが充満した動物ばかりだとおもった。不気味でオモシロイ曽我しょう白の絵も三枚あって嬉しかった。園子さんは亀が喋っている絵が気にいっていた。松坂屋でひつまぶし。すぐに運ばれてきたのでひまをつぶす必要はなかった。午後四時のしなので松本へ帰る。郵便の返事、電話の返事。亀について一日一作。風呂にはいり、デハ、と録画しておいた金曜の自転車レースの最終ステージミラノゴールを見る。晩ごはんは、生ハム、チーズ、トマトサラダ、ルッコラなどのサラダ、キャベツのピクルス。ウーン。アレッサンドロ! それはロバの名前。うちのまぼろしのロバは甘やかされすぎではないのか。ユッコ内職だよ。
2007年6月4日(月)
朝から民博。つまり民族博物館。特別展『聖地★巡礼』で、巡礼者を撮影したドキュメンタリー・フィルムを見た。六十七歳の退役軍人ミッシェル・ラヴェドリンさん。フランス西部の町アンジェに住んでいる。巡礼手帳を発行するル・ピュイの町からスペイン西端のサンチャゴまではだいたい1350キロあり、ミッシェルさんは15キロの荷を背負い、一日平均30キロを歩いて、三十数日かけて、最終目的地サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂をめざす。歩きにくい道ですね、と撮影者が声をかけると、ミッシェルさんは苦笑し、ここは散歩道じゃない、巡礼の道なんだよ、という。途中で何度か人と一緒になるけれど、結局はひとり。BGMなどいっさいなし、ただ足音、吐息。天候あまりよくない。かと思えば強い陽ざし。霧のピレネー山脈の丘をひとりのぼる。霧の向こうから巡礼者の声がきこえる。それは三百年前の巡礼者だったかもしれない。板のような巡礼宿の寝床に寝袋をおいてねる。慣れないスペイン語で冷たい牛乳を注文したら熱いのを渡される。道に落ちた瓶を拾おうとして足もとがよろける。三十数日目、大聖堂に着く。やつれ乾ききった頬。木のような笑み。この日のためにとっておいた新しいシャツを着る。聖堂では、何百という巡礼者の頭上で、ロープに吊されたばかでかい香炉が、六人の僧侶の手でぐらん、ぐらんとまわる。巡礼を終えて、聖堂からさらに数十キロ離れた西の果ての磯で、巡礼者たちは焚き火をおこし、それまで身につけていた靴や着衣を焼く。うしろには大西洋。日が暮れていく。ミッシェルさんは「新しい自分を手に入れた。新しい自分の具合はとてもよい」という。「太陽は海に沈む。また明日には戻ってくる。巡礼者は明日帰る。終わりのない輪廻。それが人生」場内ではその他、イタコ、遍路宿、サンティアゴ巡礼の宿、ルルド巡礼者の映像などが上映されていた。園子さんは「わたし、行きたーい」といっていたが、どこへ? サンティアゴへ? 仏教徒で? フフフと笑い、「神様はひとつですよ」と園子さんはいった。売店でサンティアゴのそばで創っているらしい陶製の皿をかった。そして民芸館へいってしまった。僕はひとりで常設展をみる。何度来ても、最後までたどりつけたことがない。最初は、朝鮮半島から、中国、シベリア、アイヌに釘付け。日本各地のお祭はもう早足でしかまわれず、ソロソロ四時半です、と場内アナウンスが流れているのに、まだアフリカも、オセアニアも、ヨーロッパも見ていない。なんか毎回、朝鮮の民族衣装ばかりは、はじめなのでくわしく見ている。南太平洋の木と石でつくった海図に感嘆していたら園子さんが戻ってきた。一階で、民博友の会に家族会員ではいった。そして千里中央、新大阪経由で名古屋へ。駅の上の巨大ホテルにチェックインし、晩ごはんは今夜も、百貨店の食堂で出初め式、つまり、手羽先とお寿司のはしご。オットットはしご揺れてるよ。それ床だんねん。部屋に帰りマクベスよむ。
2007年6月3日(日)
きのう急遽きまったことで京都へ。園子さんとぼくは以前から伊藤若沖の絵を見たいとおもい、しかし上野はえらい混んでいたので行く気が起きず、その展覧会がいま名古屋にまわってきてるのだが、それとは別に、というかこちらのほうが展示としては大事なのだけれど、京都の相国寺で宮内庁に買い上げられた若沖の絵が、いまだけまとめて戻ってきて公開されている、その最終日がこの六月三日で、最終日やったら京都のひとはもう見てはるしたぶんすいてますよ、ホイホイなどといってぼくと園子さんは名古屋から新幹線で京都まで来たのである。まず、京都さんまちがえた園子さんが目星をつけておいた料理屋へいく。場所は聖護院の近所。そこまでの途中、タクシーの運転手さんにおそろしいこといわれ園子さん顔が八つ橋のようになった。それは「若沖な〜、きのうな〜、入場まで三時間待ちやったって」というつぶやきだった。それはともかく、園子さんが目をつけていたウサギという名前の料理屋はすばらしかった。いわゆる観光の京都でなく住んでいたときの京都の感じがする。領収書の宛名をいった園子さんに「思いきりましたなー」とご主人はいった。また夜こようとおもった。そして相国寺にいくとガクリ、数時間待ちの行列。園子さんはともかくわしは行列は配給の行列しか並ばんのだよ、チミー、と社長ぶっていたら、園子さんが冴えたアイデア、「デハしんじさん、お墓参りをしていきましょう」。つまり相国寺には美術館だけでなく、伊藤若沖その人のお墓があるのである。そーだよねー。絵よりお墓参りのほうが大事だよー、とユッコ感心。裏の墓地にいって、伊藤若沖のお墓さがした。あった。三つならんでいて、右端が若沖、真ん中が足利義政、左端が藤原定家だったホンマだっせいっぺん見てきとくなはれ。墓参りをすませ、少し考えた末、東福寺へいく。モミジの頃が有名らしいけれど、深緑の、黄緑色のカエデも目に刺さるような感じですごい。さらに奥の院のようなところの庭や建物はまさに極楽がこの世に飛来してきたようですばらしいとおもった。ニッセンのホスト旅行。寺のそばに、すばらしい家があった。借りよかな。園子さんと周囲をうろうろとみまわった。京都のこのあたりはいいところだ。JR京都駅から新大阪、千里中央。千里阪急ホテルは大阪の人間にとったらすごいよいホテルというイメージでしかも大阪のど南の人間からしたらフロントで大阪弁しゃべったらあかんかとおもった。全然そんなことなかった。しかも、空き部屋を調整して、スイートのお部屋をご用意いたしましたといわれた。園子さん猫なめずり。ちがうちがう、オクサマ、まんじゅうでできた部屋ではありません! 伊那に妹が住んでいるマッサージのおばさんに全身を叩いてもらった。子どものときはまさか自分が千里阪急ホテルでおばさんにマッサージをされるとは思ってもみなかった。晩ごはんは、千里中央の地下の食堂街で、お好み焼き屋。餃子屋。イエー出初め式。つまりはしご。園子さん玉のように膨れてスイートな寝床にころがっていく。スタンドをつけてテンペストよむ。
2007年6月2日(土)
サーテと台所のテーブルを片付け、朝からみずうみサイン本を二百冊つくる。うしろではウイーウイーと園子さんが酔っぱらっているのではなく掃除機をかけている。町へおりていき、名古屋の本、美術関係の本などかう。ワタハンで川掃除用の長靴かう。アップルランドでロバ用の野菜かう。自動車ではカエラが鳴いている。園子さん庭掃除。明日からのことで大阪の両親に電話するも出ない。昨日から電話しているのに。夕方もう一度かけても出ない、出ないから心配。克典に電話して「なんか、電話でえへんねんけど」というと、「アー、チンタオいってるわ」といわれガクリ。行くにことかいてチンタオでっか。ということで、大阪の実家に泊まることはかなわんので、昔何度かいったことのある千里のホテルに泊まることにした。インターネットで予約をしたら、園子さんはフムフムといいながらもう一度みなおし、「このプランでとったほうが半額くらい下がりますよ。電話できいてみよう」といって電話をし、フムフムと相手と話して、インターネットでした予約を半額くらい下がったプランにかえてもらった。晩ごはんはきゅうりとタコの酢の物、ラムのソテー。ピータン豆腐、水菜の茸炒め添え、ちくわの穴にわさび漬け詰めたもの。腹いぱいあるよ。チンタオ半額あるね。自転車レースは最後のタイムトライアル。ディルーカ選手おめでとうございます。カメラで追われている時間からみるにイタリアの自転車好きはみんなサヴォルデッリが好きなのでは。ムージルよむ。
2007年6月1日(金)
曇り。あずさ号で、小島信夫をよみながら新宿。お茶の稽古は、初炭点前。組み合わせ。薄茶の量に注意するよう注意しなさい。庚申棚。五時発のあずさでまた小島信夫よみながら松本。ウーン、お茶と手紙の一日だった。園子さん駅前で迎えてくれる。入浴し、晩ごはんは、猫オヨヨのほたて刺、かつお刺、アボカドサラダ、カイワレのようなもの、納豆挽き肉レタス包み。サラダにはマヨがいちばんだね。今日の自転車もマヨが勝ったね。ユッコ明日中間なんだから夜更かしはやめなさい。 |

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ごはん日記でおなじみの
「まるいち魚店」 |
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いしいしんじ

| 【PROFILE】 |
| 作家。大阪生まれ。現在、三浦半島の三崎と信州の松本に在住。著書に小説『ぶらんこ乗り』『トリツカレ男』『麦ふみクーツェ』『東京夜話』(新潮文庫)『プラネタリウムのふたご』(講談社文庫)『ポーの話』(新潮社)『みずうみ』(河出書房新社)など、エッセイ・対談『その辺の問題』(中島らも共著/角川文庫)『人生を救え!』(町田康共著/毎日新聞社)などがある。お酒好き。魚好き。メカおんち。きれい好き。 |

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